2019.09.06

処暑のころ、まだ頑張るなつびと

第十四節気 処暑(8月23日から9月6日ごろ)

風の揺らぎも心なしか秋の香りを漂わせてきた。
風と雲、そして空はやがて秋色に溶けはじめ琵琶湖の群青、青、薄青に
それぞれの織りなしを見せる。
遠く微かに鈴鹿の山並がどこか頼りなげに薄く延びている。
さらに左へと緩やかに転じていく。三上山の形のよい山姿が静かな湖面
の先に浮かび上がる。その横には八幡山と沖島が深い緑の衣に包まれ
横たわる。その横奥、御嶽山を初めとする木曾の山並が薄く横長に
延び、削られた山肌が痛々しい伊吹の山が悄然と立っている。
全てが琵琶湖の蒼さを照らし出し薄明るさの中にあった。
一転空に眼を向ければ、処暑の季節にふさわしい素晴らしい舞台、
遥か上を櫛を引いたような雲が幾筋もその軽やかな形を見せ、繭がその固い形を
ほぐすような雲が細長い雲を隠すようにふわりと浮き来る。
見える空は平板としてその奥深さを知る事は出来ない。しかし、いくつもの
雲の流れがお互いを遮ることなく流れ、その天空の深さを知る。

季節は、二十四節気の「処暑(しょしょ)」である。
暑さが和らぐという意味であり、長く厳しかった夏もようやく暑さの峠を越し、
朝夕は涼風が吹き始め、身体に強さがわいてくるはずだが、昨今は違う。
ときに肌を刺し、多くの木々を黄色に変色させる強烈な暑さは続いていた。
七十二候に「天地始粛(てんちはじめてさむし)8月28日頃」がある。
天地の暑さがようやくおさまり始める頃。「粛」は縮む、しずまるという意味だが、
今は制御不能の趣、秋と夏のせめぎあいはいまだ続き、勝敗は決していない。

花もまた夏と秋の風情を見せている。むくげは、大きめの白い花を夏の装いを
見せる、夏から秋へのつなぎ役。白く小ぶりな花をつけたクチナシ、蔓を巻き付け
紫の派手目な姿のテッセン、そして百日紅の小粒な紅い花を白き肌に映えさせる、
盛夏百日の紅を誇る、一番遅れて葉を出すが、一番早く葉を散らす花。
その中にも秋の七草がちらほら、キキョウ、オミナエシはむしろ夏の花、
ハギ、オバナは秋の草ともいう。
かって詩人の幾多は「名もなき雑草の花を美しいと思う」と言い、秋はその
雑草たちの輝く季節でもある。様々な緑が彩をなす草叢にも白や黄色の
「名もなき小さな花」が見える。そっと近づいた、バッタが慌てて
四方に飛び散った。小さな水玉が赤、黄色の光を映じて粒子となって
また極小の光を放った。雑草の緑立つ先に金色の稲穂が頭を垂れている。
すでに褐色の地肌を見せている田圃、茶色と金色が入り混じるのもこの
時期なのであろう。

神社はまだ夏だ。
琵琶湖を横に、小道を行けば林が隠すかのような形で木元神社がある。
昔の木戸樹下神社の跡地であり、祭神は、木花咲也姫命、昔の木戸部落はこの
神社を中心に生活していたという。木造りの鳥居が木立の中に姿を見せ、
周囲を石垣と若い杉の木立でおおわれた小さな本殿が小屋の中に納まり、
鎮座していた。その小ささが奥ゆかしさを漂わせている。
千々と揺れるくぬぎやブナやクロモジから漏れ出す光の細片を踏み
砂利道を進む。猪垣と呼ばれる1メートルほどの石垣が続いている。
金網が石垣の上に設置され、なんとも不格好な姿と見えた。
だが、私たちは部外者、この地域の人々にとって鹿や猪の侵入を防ぐ
ためのなくてはならない存在なだ。ここ3年ほどで田畑の周りの
鉄柵が増えた。人と動物の共生は中々に難しい。
細い石畳が続き、石で囲まれた3面水路を水が踊り下へと流れていく。
側壁の石にその煌めくしぶきがはね何十という黒い水あとを残すが、
それは一刻の変事、すぐに消える。苔にかかりその緑色を一段と
輝かせるが、それもまた一瞬のこととて、すぐに黄色味を帯びた
苔の帯に変わる。黒い水滴跡、苔の色の変身、これらが私たちの
前で幾重にも重なり繰り返される。
木戸、荒川は昔から石材を対岸の寺や神社、城の石垣造りのため
送り出していた。今も石の街である。通り過ぎる庭には、様々な形
の庭石が置かれ、家々に一つのアクセントをもたらしている。
さらには、平板の石をいくつかまっすぐにに立てて、囲いとしている
家もある。吹き渡る風も秋と夏を交互にみせるが、鋭角な光の影に
秋は切り殺がれている。

2019.08.22

暑さは限りない、立秋

第十三節気  立秋(8月7日から22日ごろ)

 

既に立秋である。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
「暦便覧」では「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」と説明している。
だが、多くの人はいまだ照り付ける太陽を恨めしく見上げる。
さらに言えば、夏至と秋分の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合
この日から立冬の前日までが秋となる。暦の上ではこの日が暑さの頂点となる。
翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられる。
秋の気配を感じ始めるとは言うが、実際は1年で一番暑い日が続くこの頃である。
「秋」などという言葉は見えない。朝夕の心地よさは1ミリほども感じられず、
梅雨以上のねっとり感が付きまとい、鬱陶しさだけが幅を利かせる。

 

だが、この時分、坊さんの稼ぎ時、分刻みで檀家をまわる、我が家も同じだ。
そして墓参り、遮るもののない墓石は悲鳴に似た叫び、参る人もまた肌さす
強烈な光に影だけが黒く刻まれる。だが、参る人ある墓は緩やかながらも微笑を
見せるが、絶えて久しい墓もまた多い、雑草の群れが寂しげに墓石を見上げる。
京都では精霊送り五山の送り火が催される。街の灯りが消え、夜空の黒を彩る。
この頃食されるのが、水羊羹。寒天に奈良県吉野産の「吉野葛」を加えて、
より滑らかさを増している。そのみずみずしい質感とほんのりした舌触りがこの
暑さを忘れるひと時かもしれない。

 

最近の天候不順は、それが定着したか如く、季節の移ろいが二十四節気のいう
季節よりも早いか極端な天候となって現われる。
今も、残暑どころではなく、正に夏真っ盛りの暑さである。人も猫も、犬も
この暑さには閉口気味。皆冷房を求めて午睡の日々が続く。
燃え立つ白い球体、その焔に、琵琶湖も比良の山々も、そして田畑の稲や
野菜たちも、白く立つ空気の中に立ちすくみ、あるものは頭を垂れ、緑の中
に黄色の斑点、錆色までも見せている。ただむくげは薄いピンクの大輪を
白く輝く青空に向けている。数年前まで西洋芙蓉がその優美な姿
を見せたものだが、老いを得て今は見られない。

 

多くの人は、一瞬自分の目がおかしくなったのか、と思うだろう。
いつもは、紺青の水を静かにたたえている琵琶湖が見えない。
朝日を浴びながら、坂をゆっくりと下りつつこの強烈な暑さで、
身体も頭もおかしくなったのでは、と。
春霞ならぬ夏霞の朝であった。道路には影一つ無く、まるで砂漠が
如き様相である。汗が容赦なく顔に幾筋もの流れをつけていく。
朝の清清しさは影を潜め、灼熱と化した太陽が中天にどっしりと居座っている。
後ろを振り返れば、比良の緑の稜線が透き通った青さの中に、
まるで太い毛筆の線で引いたように描かれている。
やや寒さの残った3月から正に百花繚乱の春の草花を味わいながらの
4月から7月、そして時は確実に過ぎ行きて、今は暑さの真っ盛り、
連日の猛暑、秋の気配が忍び寄るころというが、全くそんな気配は微塵もない。

 

志賀周辺は比良の山並みが湖までせり出していることもあり、多くは山麓
を切り崩したりして家々が並んでいる。そのため、多くの家々にたどり
着くには、急な坂を上がるしかない。ふと、見れば淡いピンクの色を
付けた百日紅の木々が彼を和ましてくれる。
味気ない緑一色の中にそのピンクの花は、真珠の粒のごとききらめきと
優しさを道行く人に与えている。一段と増した汗の流れが顔全体を
覆っているが、見えるのは太く白いアスファルトの道路であり、
それが横一線に立ちはだかる。
秋の涼しさを運ぶという涼風「秋隣」、しかしその形さえ見えない。
年寄りにはひどくこたえる日々が続く。

 

2019.08.06

まさに大暑の季節

第12節気 大暑(7月22日から8月6日頃)

小暑がすっ飛ばされて盛夏、大暑が駆け足で攻め寄った、そんな感じの
この10日ほど、身がとろける暑さだ。どこに逃げようと執拗にそれが
追いかけてくる。
裸の燃え上がった太陽が地上のすべて、影さえも道路、あぜ道にその刻印を
刻み残そうとしている。
比良の山も燃え上がっている。春の萌えあがる艶のある緑が美しくも懐かしい。
木々の緑の深さに誘われて、朝露の輝きわたる水田に来た、稲穂が
そのこうべを重く垂れていた。アサガオの紫やピンク、白の可憐な花模様、
稲穂の力強さ、さらにあぜ道にはつゆ草が群れ咲いていた。
真っ青な花びらには、紺色の筋が枝葉のように広がっていて、まるで
ガラス細工の美しさを見せている。
見れば、薄緑の葉の上にテントウ虫が、行儀よく乗っていた。
強い日が射しこむ前のわずかの情景だ。

しかし、真珠の趣の朝露も一気に消し去られる、
白く突き通す光は、鋭角な影と黒光りの深い緑、過酷な世界に一変する。
木蔭に入って汗をぬぐっても汗は滴り落ちる。身体が水に浸かった様に、
白い焔と化した太陽がせせら笑うように底の見えない青い空に顔を
見せたまま、地上を支配している。
突然、暑さを切り裂くように草刈り機のエンジンの音が聞こえた。
この時期、農家の人にとっては、大切な仕事だ。この猛烈な暑さと適度
の水が稲ばかりでなく雑草をも急成長させる。
サングラスに帽子と手拭で完全武装した農家のおじいさんは、もくもくと
作業をしていてこちらには目もくれない。
空中に舞い上がる草に合すかのように飛び出すバッタたちの姿が見える。
草いきれの匂いと、強烈な日差しの中で、生きモノと人間とのせめぎあいは、
真夏の劇場で延々と続く。
老いた人間にとって、午睡は重要だ、外で働く人も同じ、昔の職人や大工の
「三尺寝」、陽の影が三尺ほど動く小一時間の仮眠、だそうだ。

だが、太陽にも陰りが見えた。琵琶湖から立ち上る水膜と山並みの緑から
放たれる木々の息使いが住まう人々を優しく包みこんでいく。
それを強く感じるのは、比良の山端が赤く染まる夕刻の時、朝日が対岸の
薄靄を消し去る時間だ。
蝉しぐれ、特に夕暮れの兆しに誘われるようにヒグラシの声が響き、
暑さにへこたれ気味の人に一時の涼しさを与える。

向日葵が青い空に黄色く浮いていた。私はこの時期に向日葵を見るのが好きだ。
夏を満喫し、その力強さに昔の自分を見る、夏はかって私の好きだった季節。
川端康成の「山の音」の向日葵の描写が浮かんでくる。
「そういったとき、ひまわりの花の、大きく重みのある力が、信吾に
強く感じられた。花の構造が秩序整然としているのも感じられた。
花弁は輪冠の縁飾りのようで、円盤の大部分は芯である。張りつめて
盛り上がるように、しべが群がっている。
しかも、芯と芯とのあいだに争いの色はなく、整って静かである。
そして力があふれている。花は人間の頭の鉢廻りより大きい。
それの秩序整然とした量感に、信吾は人間の脳を、とっさに
連想したのだろう。
また、盛んな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思った。
この芯の円盤で、雄しべと雌しべが、どうなっているのか知らないが、
信吾は男を感じた。夏の日も暮れて夕凪だった。しべの円盤の周りの
花弁が、女性であるかのように黄色に見える。」

白く長く続く白砂に小さな波が白濁の筋となって砂浜を舐めていく。
琵琶湖の浜辺、水に戯れ色鮮やかなパラソルの下でくつろぐ人は少なくなった
とはいえ、この浜から堅田や舞子あたりを見れば、さざめく人の声に混じって
音楽も聞こえてくる。派手な水着姿も点描される。
30年ほど前までは、どこの浜辺も人があふれていたと古老は言うが、
今はその残り香さえ感じない。雄松崎の松林や白砂、その後景に
比良の深緑、都人に詠われたこの景観に魅せられ人が春、夏、秋と引きも切らぬ
寄せ手の賑わいはすでにないが、その情景は変わっていない。
人の心の移ろいを感じる。
松林の奥から聞こえる蝉たちの声もなぜか寂しい。

人とは不思議なものだ。暑いからと言っても、その暑さに期待を求める
場合もある。
火は炭にまつわって煙とともに、身を焦がし反るように見えるかと思えば、
まだ黒い炭の間に、静かな明るい安息に満ちた火の宿りをみせていた。
沈鬱な黒い炭の上に、鰻のたれが落ちると、突然割れ目から吹きあげる焔が
灰色の煙と香ばしい香を、それは枯れた芒の野火の拡がり、周囲に漂わせている。
夏は、鰻の焼く香りはまことに美味しく備長炭の優しい炭火の上でこげ茶色に
焼かれていく様は、暑さを忘れるほどだ。更には、鰻も旨いが、焼アナゴは
やはり関西の食べ物だ。口に入れた時の香ばしさは鰻以上だ。関東などでは、
アナゴのてんぷらが美味しいが、関西ではなじみが薄い。琵琶湖で獲れた鰻、
少しあっさりした味だったが、やはり、夏はうなぎやアナゴだ。

旧暦8月1日は、八朔の日だ。今では、9月上旬である。
稲穂も重く垂れさがりはじめ、昔は、早稲の穂をお世話になった人への贈る
習慣があったが今は、ほとんど聞かない。近くでは、8月の終わりに八朔祭が
毎年ある。八朔に豊作祈願の祭りを行って、田の実りを願うので「田の実の節供」
と呼ばれるようになったそうだ。
神社近くに湧水が湧き上がる林で一休み、手を差し入れるとその冷たさが
体をするりと抜けていく。つい、冷えた西瓜の赤く瑞々しい形が思い浮かんだ。
西瓜の旬は立秋以降、だから季語では「秋」、知らなかった。でも昨今の猛暑では
はやりこの時期の西瓜が美味しい。
土潤いて辱し暑し(つちうるおいてむしあつし)上手くこの時期を言っている。

2019.07.21

梅雨がまだ残り、だが季節は小暑

第11節気  小暑(7月7日から7月21日ごろ)

今年の梅雨は中々にしつこい。薄墨を含んだ雲が比良の山並みをおおい、
すべての陰たる灰色、黒色が墨絵を描くように街、家々の屋根、そして
黒緑の庭を色づかせていてる。蒸し暑さと湿っぽい空気が身にまといつき
人を一層、鬱にしていく。年寄には、過酷な日々だ。

それでも、人は動く。動かなくなったら、自分の命が尽きることだと分かって
いるからだ。それは、人も猫も犬も、多分他の動物も同じだ。時に死に
近づいている動物を見ているとそれが強く感じられる。作物たちもその身を
重たげに時折見せる朧の仄明るい球体にさらしている。
しかし、稲はその穂先を天に向け、わずかな太陽との対面に心躍るかのように
背筋を伸ばし切っている。
明け方水田の上を飛んでいた燕たちの姿はわずかな薄日にその俊敏な姿を
見せている。西にあかね色の帳が見える頃、広場の電線の上に5羽の燕が
止まり、こちらを見下ろしていた。
「あんさんたちも、鬱陶しいけど、頑張ってますな」と言っているようだ。
向日葵がその大輪をあちらこちらに見せはじめた。黄色の花弁が円盤の縁
を彩り、茶褐色のしべの群れが陽に向かいその力を誇示するかのように
中央を形成している。
人の顔程の大きな向日葵を見ているとついその姿勢に合すかのように
人も陽に向かい顔を向けたくなるようだ。近くのお婆さんが腰を伸ばし、
その雄姿に見いっていた。深い陰翳を成している顔が神々しくも見える。

街を歩くとあちこちの家に七夕の願い事をつけた竹が立っている。
平安時代から今に至るまで夏の風物七夕の飾りであるが、何故竹なのか?
ふとそんな疑問がわいた。
竹は正月の門松、小正月の左義長、更には建物の地鎮祭など神聖な行事に
使われてきた。多分、竹の持つ旺盛な成長力に古代の人は畏怖の気持ち
を感じたのかもしれない。そのように思うと裏山の竹藪も見方が変わってくる。
竹林が幾重にも重なる調べを奏でていた。竹笹を風がわたり静かな音律
となって風鈴のごとき涼やかさを送ってきた。しかし、天の川はしばらく
その流れを天空に沈めたままだ。九州他で大雨だという、天空もまた雨に
むせている。

川のそばに菅笠をつけた数人の釣り人がいた。このころの鮎はその形、
やや脂がのった味わいから釣り人にも最高の獲物になる。竿が揺れ、
水の中で一瞬光を放ち、たわむ先に数10センチの鮎が大きく跳ね上がる様
は横にいるだけでも食欲をそそる。
それが塩焼きされ、竹笹にのって目の前に出された時、ごくりと喉が鳴る。
ハスが旬でもある。小骨が多く、人気が今1つだが、塩焼きは癖のない
あっさりとした味に思わず、手が伸びる。
夏至の頃は鱧であったが、今は鰻の食べごろ、最近は中国産が多いと聞くが、
まあ、食べるだけで満足する私には、どうでもよい。

小暑からしばらくは朝日の上りに合わせて琵琶湖や水田の周辺を歩くのがよい。
松林を渡る風も朝の冷気を含み、次第に明らむ対岸の山々とわずかな波間が
寄せる砂浜に千々たるきらめきをみせる。その浜辺を少し比良の山並みに
向かうとあさぎ色の空に朝の光を受けて深い緑に輝く水田が迎えてくれる。
朝露が宝石のような玉を連なり、小粒の虹を放っている。
光の粒子が時間を追うにしたがってすこしづつ空中へと立ちのぼる。
そんな流れを見せてくれるのは、稲やあぜ道にはりめぐらされた蜘蛛の巣だ。
クモたちは次第に光を増すの田んぼの真ん中に、網を水平に張ってあさ風
を楽しんでいる。細く透明な糸は、時に膨らみを持ち、萎みつつゆらゆら
揺れている。水玉が転げ落ち、網の上で弾け飛び、しなった葉をばねの
ようにふるわせていく。時には、朝露を多くつけた蔓の先の紫と白の朝顔
に出会うこともある。朝顔、これを見ると夏本番だ。

2019.07.06

夏至の頃、梅雨空に泣く

第10節気  夏至(6月21日から7月6日ごろ)

薄墨の雲が比良の山を頂から伝い落ちやがて墨色にすべてが塗り込められる。
細い雨がガラス窓を濡らし雫となって静かに落ちていく。すっと流れ落ちるもの、
ゆっくりとガラスを伝い他の雫と交わり、さらに太くなってその速度を上げるもの、
人生模様にも見える雨筋にしばし己の姿を思う。
昔の梅雨はそぼ降る雨の中で、草木の育つのをゆっくりと眺める、そんな風情
だったが、昨今の梅雨はしとやかな娘が上目遣いでこちらを見る仕草とは
縁のない雷神がその赤黒い顔に目をつり上げ、牙をむくかのごとくの有様で
日本中を駆け巡る。そんな荒々しい光景が多くなった。この地でも同じだ。
のびやかに育つ稲と薄く広がる田んぼの水紋をあぜ道で見るという余裕はない。
土砂降りの雨が時に遠く比良のかき消し、人々はその強烈な風と雨に家へと
逃げ帰る。庭に咲き誇った紫陽花の紫の大輪も地にその頭(こうべ)を垂れ、
水の重さに耐えるがごとく地に伏せたままだ。
猫も犬もそして人もジワリと体から沁みだしてくる汗になす術もなく、その
湿気の中で、ただ時の過ぎ去るのを待つのみの日々。

そんな中、2つの元気な影が時に太く時に糸筋のような雨の中で頑張っている。
燕と菖蒲の花だ。
燕はすでに緑の苗がしっかりと根付いた田圃を軽やかに飛び回り、子供たちの
ためにエサ取りに余念がない。霧もやの立ち込める朝のあぜ道、あぜを崩さない
ように慎重に歩いていると、あぜ道の真ん中で立派なハサミを広げている
アメリカザリガニがいた。
ここは俺の領分やここから先へは行かせへん、そんな風情を見せる赤い甲羅の
ザリガニ。少年のころ、彼を背の上から慎重に掴んだ夏の日々が思い浮かんできた。
思えば、ここ10年ほどか、彼らの姿を見たことがなかった。
彼らがいなくなったのか、私に少年の心がなくなったのか、その両方かもしれない。
水田の先にある小さな沼地には花しょうぶが艶かしい姿態と太く落ちる雨筋、
糸筋の雨、絹糸の雨、いずれの内にてもその紫と白の花弁が緑の茎の上で四方
しっかり見つめる仕草で微動もせず立っている。

麦とコメ、彼らの舞台も変わりつつある。麦秋が訪れ、その黄金の畑は無残な
切り株となり、米たちにその主役を譲る。
遠くで雷が鳴っている。あちらこちらから犬の遠吠えの声がかまびすしい。
我が家のボーダーコリーも部屋中を駆け巡り、大パニックになるときがある。
もっとも、優しく抱いてやると結構落ち着くが、これが外の場合はだめだ。
まさに天に向かってつばをするごとく天に向かって吠えまくる。
まあ、彼女にしてみれば、訳の分からん強烈な音が降り注いでくるのだから、
仕方ないことかもしれない。

昨今は、雷と集中豪雨の梅雨が多いような気がする。九州の豪雨がテレビで
踊っている。少し前の静かに細く降り注ぐあの情景は少なくなった。
この雨の中、川面に釣り糸を垂れる人が増えてくる。鮎が解禁された。川面をじっと
見ると、数10匹の鮎の子供たちが鋭い葉先を川茂に見せる葦牙(あしかび)
の間を縫うように泳ぎ回っていた。親たちも近くの葦の茂みで子供らを
見守っているのかもしれない。
鮎には悪いが、薄煙の中でジワリと焼かれる塩焼きの光景の方が目の前にちらつく。
夕刻の日の長さを感じつつ、朽木の温泉でひと風呂浴びた後、ビールを飲みながら
鮎の塩焼きに舌をこがす、これぞ夏の暑さを吹き飛ばす仕儀。小鮎のてんぷらもまたよい。

農家の人も稲の様子を気にしながらも一休みか。今降る雨も半夏生の半夏雨
かもしれない。田植え中、終わった後でも、「大豆とあずき」を別々に炊いて丁寧に
混ぜ合わせた「なかよし豆」が昔からのこの時期の味だ。炊ける時間が違う
「大豆とあずき」をうまく合わせることから「なかよし豆」という名がついたという。
いずれにしろ、おばあちゃん、母の味なのだ。
また、甘酢漬けを使った「みょうが寿司」はこの時期の味でもある。みょうがの
辛味とさわやかな食感が魚をネタにした握り寿司とは違う風味がある。
昔は、この時期から「鱧」を食した。京都では別名、まつりはも、京都と大阪では
さばき方が違うが、どちらにしても、白く華咲く姿は忘れらない。もっとも、祇園祭、
天神祭りを過ぎると鱧の値段が大きく下がる、今はどうかな、のでその時期を選んで
味わうのも生活の知恵だった。

2019.06.20

第九節気  芒種(6月5日から20日ごろ)

第九節気  芒種(6月5日から20日ごろ)

梅雨入りの宣言が少し遅い様だが、青く澄み渡った空が何日も続いている。
比良も深い緑を一片の迷いもなきがごとく鎮座している。
裏山の雑木林の中で木々をあおぐ。ちぎれ雲が思い思いの方向に動き、
地には熊笹の群生が光を四方に放っている。
すでに灰白色の樹皮をさらし、枝も骸骨の腕のような殺風景な姿であった銀杏
の木もいつの間にか柔らかな緑の葉を重ね合わせ緑の装いを成していた。
イヌシデの大きな葉が、しなやかに波打ち風に揺れ、太陽の光と戯れている。
木々の葉が一段と育ち、掠れ衣の装いを見せる比良の山並みもやがて
厚き緑の群れ立ちる、緑色の穿った隙間から漏れこむ日が地面を焼き、
明るく澄んだ空気に初夏の香りを漂わせる。
雑木林がすっと横に流れ、雑草と入り乱れた花を咲かす野原に出た。
二つの直立したピンクを帯びた白い清楚な大輪の花が迎えてくれる。
ササユリは、ヤマユリのように多数の花をつけない。また一華だけでもない。
成長すると三つの花をつける。三枝の名はそれに基づく、三は三種の神器
のように意味ある数字である。太い幹にラッパ状の花をつけ、地面の緑に
浮いている。以前、古老に聞いたことがあった。ユリの球根は、血行を良くし、
痰をとり、脚気に効くなどの薬効がある。又食用としても使われた。
昔は神社の庭にも多く見られたという。ササユリは、巫女がそれを持ち踊った
というから神事に多く使われたのであろう。近くの神社の裏にひっそりとした趣で
白と紫の花菖蒲が咲いていた。ゆるく開いた花は日本女性の奥ゆかしさを
現しているしているようにも見えるが、この時代では幻想なのだろうか。
この時期、神事に絡む花々があちらこちらで散見できる。緑一色が支配
するような中で、ふと古代の心根が湧いてくる、そんな時期でもある。

我が家の庭、緑がこもり日の照らすにあわせて時に深く、また黄色味を帯びたり、
白く光映えたりしている。ピンクの紫陽花が鋭角な影を落としている。
その草叢に愛犬が低い唸りを上げながらそこから動かない。
近寄って見ると緑色の若いカマキリがその艶のある鎌を逆立てて重なり合う
葉群の中にいた。更にもう2匹、同様に犬に向かって威嚇している。
黒い鼻先からほんのわずかの距離をおいて、彼らは対峙したまま動かない。
見ているこちらが飽きたころ、ようやく犬はこちらに向き直って紅い
大きな舌を出して一声吠えた。
「暑いのに、ご苦労様」
思わず頭をさすった。

数日前の雨、久しぶりだった。艶やかな紫陽花の葉に弾け飛ぶ雨粒、雫となって
葉に乗りかかる水滴、ピンク色が仄明るい中にくっきりと浮かんでいた。
永井龍男という作家が梅雨の情景を語っている。
「鬱陶しいには違いはないが、眺めている限り梅雨時の植物は一年じゅうで
一番美しくはないか。枝を伸ばし葉を貯え、天恵の雨水を存分に吸収する。
ある時は湖底に生息するするかのように長雨に浸りながら、盛夏の太陽の
訪れを確信している。梅雨の植物の美しさは、その確信にあるかと
思われる時がある。この季節の落葉樹は雨の中で風に吹き煽られるのを
ことのほか好むようだが、常緑樹はまりものように静まりながら時を待つ。

梅雨の庭木の1日で一番美しいのは、薄暮の頃である、曇りがちで気づかないが、
この季節は陽が長く、時刻で言うと6時半から7時近く、風のない黄昏時である。
常緑樹も落葉樹も、小雨の中の柔らかな光を受けて静まり、1本の木1本
の樹がある処では枝をさし交わしながら。それぞれに独立した姿を示す。
なんの木も自分を守りつつ、更に自分たちの世界をしっかり譲り合っている。
梅雨空を通した光は、この時刻にしばらく歩みを止め、木々の若葉を藻草の
ように青く浮きだすが、それぞれの木の持つ木下闇は、前前山の茂みから
庭木に至るまで深みを増し、明暗の襞を幾重にも重ねながらこのあたり一帯
水底に沈んでいくかに感じられる。」
年を重ねる、自然に対する心根、感覚が何故か丸くなる。触れてもつるりと
心を撫ぜていく。薄絹が柔らかく肌や心根までもおおっていく、そんな感じだ。
梅雨も同じ気持ちが湧いてくる。見えないほどの細糸の雨が音もなく、
気が付くと銀杏の葉、梅の葉にひそやかな水膜を作り、仄明るい光を優しく
投げかけてくる。今の私の梅雨の光景がそこにある。

すでに前候の小満には、稲の子供たちが規則正しく並び立っていた。
シラサギがその白く凛とした姿を見せている。
少し前まで金色の波立ちを見せていた麦も刈られ、まだ残る切り株
がその残滓が褐色の中に、緑立つ水田と並び幾つかの縞模様を見せている。
この数百年変わらず続いている光景、変わらぬ人の営み。
湖の魚たちも元気に育ち始め、少し前には「にごい」を漁師さんから
もらった。皆30センチ以上もある大物だ。小骨をうまくさばけば、
刺身としてもそのコリコリした食感は何とも言えない。
鮒、いさざ、湖の魚たちも美味しい季節だ。
更に近くの小川にいくつもの小さな光がその薄い光跡を見せ始める。
立ち上る金粉のような輝きを見せ、彼らはその短い命をこの季節に育む。
今年は梅が豊作だった。梅ジュースがにこりと微笑んで私を手招いている。

2019.06.04

小満、夏の労苦と新生への嬉しさ

第8節気 小満(5月21日から6月4日ごろ)

比良はすでに濃い緑が山を包み、深い緑の衣を着こなし始めていた。
湖もここ暫くややかすみを混じり込んだ大気の向こうに薄青く光る姿
を見せている。
田には、すでに10センチほどに伸びた稲の少年たちがその緑の姿
をその面に映し出している。斑な緑に薄青い空が映りこんでいる。
燕が小気味よい飛翔、小さな稲と青く染まった水面にすいと降り、
さっと舞い上がる。身体を半回転して空に消えた。軒下にも小さな
さえずりがかまびすしい、小さい身体に大きな口がのぞいている。

初夏の彩りにピンクの縞模様、サツキの花が彩を添えている。
黄色い花を咲かせているベニバナが庭の花壇を埋めていた。
小さい黄色の花びらが線香花火のように四方へと伸びている。
でも、この花を摘むのは少し用心がいる。葉が棘状になっているので
よく刺される。去年は全く花がみえなかった紫陽花の葉群れ、今年は
蕾が、良く咲きそうだ。黄色い実が紫陽花の緑深い根元に
ばらまかれている、金柑はまだ緑の葉に幾重にも顔を連ね、熟しきった
実が白く映える小石の庭を、私の実を食べてとばかりにあった。
金柑ジャムを慌てて作る。

この時期、棚田は生命力があふれているようで、楽しい場所だ。
栗原、北船路、思い思いの形に先達たちの苦労が重なる。
道は長く上へと続き棚田を横に従えるように上へ上とやや勾配を保ち、
緑濃い山端に向かって伸びる、初夏の日差しがさえぎるものがない
踏み固められた道は強く照りかえり、その白さを一段と強めながら、
私の体を突き抜いていく。
短い影が彼の歩みに合わせ静かにその後を追っていく。畦道、若草
の発する息がむっとした蒸気となり、朝日をうけて金色に輝き、体に
まとわりつく。十センチに伸びた稲が少し頼りなさそうに立ち並び
ゆったりと風にゆられ動く。
光り輝く蜘蛛糸が幾重もの光の網を編み上げ、細く雫を帯びた糸は、
五線の譜となって風音を奏でる。若い稲の小さな水滴、その重みに
7色の光を発してすっとんと落ちた。稲と風、蜘蛛糸の協奏に一拍子の
水音を混じらわせる。
縦横に延びる水路、深緑、薄い緑、白い小さな花、その群生を縫いて、
銀砂の小さな光の塵を四方に放つ。小さな虫が水路の渦に身を任し、ゆるり
と回転しながら、下り流れていく。幾条もの水筋を見せ、悠々たる大河
の趣を感じさせる。
苔むした石積みの白い帯が重なり合いさらに上に伸び、山裾の緑に溶け込む。
飛行機雲が一つ青く広やかな空を二分するかのように西へと伸びている。
ツユ草が群れ咲いていた。真っ青な花びらには、紺色の筋が枝葉のように
広がり、さながらガラス細工、黄色のおしべはその目の覚めるような色
をさらに強めている。ここはちょうど梅の木の下、強く光る日差しの中で、
ややくつろいだ空気が占めている。小さな草花たちもその日陰の中で
休息している。静かな時間が流れ、私は一刻の眠りにつく。

どこの地域の棚田もそうだが、水をたたえるため、石垣等をつくり、
等高線に従い平坦な土地を確保している。棚田百選などと言われているが、
ここも先人たちの努力が営々と続けてこられた結果でもある。
我々は写真などで美しいとは思うものの、その地道な毎日の生業を
忘れてはならない。自然は人間が少しでも気を抜くとあっという間に
攻め入ってくる。

6月の初めだというに、日は肌に射しこむ。国道を少し外れた畑が
黄金色に染まり、風に揺れている。畑は小麦の収穫時期であった。
「麦の秋風」がその褐色に熟れた穂先を波立たせ、その優雅な姿を
透き通った空の下に見せている。寒い冬を過ごし、農家の麦踏で
逞しく育てられた姿だ。
端切れの雲がゆるりと影を作った、見上げれば身体を吸い込みそうな
深く青い空があった。
岩魚、アユ、 おおばぎぼうしの若芽のおひたし、その独特のヌメリ、
その若い命を頂きもう少し頑張りたいもの、それに紅玉のサクランボが
また美味しい。
小満とは、命が次第に満ち満ちていく頃、草木も花々も鳥や虫たち
すべての生き物が暖かな日差しと柔らかな風の中で、育ちいくのだ。
まさに「小満」、良い言葉だ。何処を歩いても小満が立ち騒いでいる。

2019.05.24

立夏、まさに夏が攻め立ってきた

第7節気  立夏(5月5日から5月20日ごろ)

青く澄み渡った空が何日も続いている。比良も深い緑がこぼれ落ちそうに
山裾まで緑の帯を伸ばしている。裏山の雑木林の中、木々をあおぐ。
ちぎれ雲が思い思いの方向に動き、大地には熊笹の群生が光を浴びている。
少し前までは灰白色の樹皮をさらし、枝も骸骨の腕のような殺風景な姿
であった銀杏の木もいつの間にか柔らかな緑の葉を重ね合わせ緑の装い
を成していた。
イヌシデの大きな葉が、しなやかに波打ち風に揺れ、太陽の光を浴びている。
もう少し経つと木々の葉が一段と育ち、見え隠れする比良の山並みもやがて
緑の壁にさえぎられる。だが、今は緑色の穿った隙間から漏れこむ日が地面に
映え、明るく澄んだ空気を見せている。

雑木林が開くと、雑草が入り乱れた花を咲かす野原に出た。そこに二つの
直立したピンクを帯びた白い清楚な大輪の花が迎えてくれる。
ササユリは、ヤマユリのように多数の花をつけない。また一華だけでもない。
成長すると三つの花をつける。三枝の名はそれに基づく、三は三種の神器
のように意味ある数字である。
太い幹にラッパ状の花をつけ、地面の緑に浮いている。以前、古老に
聞いたことがあった。ユリの球根は、血行を良くし、痰をとり、脚気に
効くなどの薬効がある。又食用としても使われた。昔は神社の庭にも多く
見られたという。ササユリは、巫女がそれを持ち踊ったというから神事
に多く使われたのであろう。近くの神社の裏にひっそりとした趣で
白と紫の花菖蒲が咲いていた。ゆるく開いた花は日本女性の奥ゆかしさ
表しているようにも見えるが単なる老人の片思い、幻想なのだろうか。
この時期、神事に絡む花々があちらこちらで散見できる。
緑一色が支配するような中で、ふと古代の心根が湧いてくる、そんな時期でもある。

5月の連休を過ぎると稲の子供たちが規則正しく並び立っている。今年は10連休、
令和という新時代の始まり、だが里は何も変わらない。日常の自然が
滞りなく進む。「田水張り」、代掻きが終り、苗が並び立つ。
シラサギがその白く凛とした姿を見せている。
数百年変わらず続いている風景、人と里の共生は里の生活も変えない。
風土は人を創り、食べ物を育てる。多くの湖の魚たちも美味しい季節だ。
近くの小川にいくつもの小さな光がその薄い光跡を見せ始める。
立ち上る金粉のような輝きを見せ、彼らはその短い命をこの季節に育む。

我が家の庭、緑がこもり日の照らすにあわせて時に深く、また黄色味を帯びたり、
白く光映えたりしている。その草叢に愛犬が低い唸りを上げながらそこから動かない。
近寄って見るとまだ若いカマキリがその艶のある鎌を逆立てて重なり合う
葉群の中にいた。更にもう2匹、同様に犬に向かって威嚇している。
黒い鼻先からほんのわずかの距離をおいて、彼らは対峙したまま動かない。
見ているこちらが飽きたころ、ようやく犬はこちらに向き直って紅い
大きな舌を出して一声吠えた。
「暑いのに、ご苦労様」
思わず頭をさすった。

4月末から5月と春の祭りが各地域を彩ってきた、昔は菖蒲祭りや御田植え祭り
など豊作を祈願した祭事が少なくなかった。だが、それも姿を消しつつある。
芳賀日出夫氏の「日本の民俗」にこんな文がある。
「祭りを行うときには、聖なる場所を清め、五穀、餅、神酒、塩、野菜、
魚などで、神の降臨を待つ。祭主の祝詞により神は祭りの挨拶を受け、
願いを聞く。そして神は人々に生きるエネルギーを与える。それは神と人の
共食いであり、芸能である。我々の生活はケの日常が続くと、活力が失せ、
怠惰になる。非日常のハレの機会の祭日に神と交歓し、活力を得て、
日常生活に戻るのである」。
村が共同体としての機能を大きく持っていたころとは違い、その残滓としての
神社は形は残っているが、少しづつその役目を失いつつある。
北小松、南比良、木戸、それぞれの地域で神輿が練り歩く。田には水が満ち、
稲の子供たちも顔をそろえ始め、希望の歩みを始めるようだ。
氏神の天皇神社の春の祭りもそうである。

雲が一片足りとも見えない蒼く透明な空とともに祭りの日となった。
普段わずかな人影だけが見え隠れする境内には五基ほどの神輿がきらびやかに
鎮座している。その少し先にある鳥居から三,四百メートルの道の両脇には
色々なテントが軒を並べている。焼きとうもろこし、揚げカツ、今川焼き、
たこ焼きなど様々な匂いが集まった人々の織り成す雑多な音とともに一つの
塊りとなってそれぞれの身体に降り注いでいく。やがて祭りが最高潮となると
ハッピを着た若者たちが駆け足で神社に向って一斉に押し寄せてくる。
周りの人もそれに合わすかのようにゆるりと横へ流れる。
駆け抜ける若者の顔は汗と照りかえる日差しの中で紅く染め上がり、陽に
照らされた身体からは幾筋もの流れとなって汗が落ちていく。
神社と通り一杯になった人々からはどよめきと歓声が蒼い空に突き抜けていく。
揚げたソーセージを口にした子どもたち、Tシャツに祭りのロゴをつけた若者、
スマホで写真を撮る女性、皆が一斉に顔を左から右へと流していく。

その後には、縞模様の裃に白足袋の年寄りたちがゆるリゆるりと歩を進める。
いずれもその皺の多い顔に汗が光り、白髪がその歩みに合わし小刻みに揺れている。
神社の奥では、白地に大宮、今宮などの染付けたハッピ姿の若者がまだ駆け抜けた
興奮が冷めやらぬのか、白い帯となって神輿の周りを取り巻いている。
少し前までは、周辺はほとんど田圃であり、祭りには、畦道を通って、氏子たちが
納行事を始めたそうだ。だが、今はモダンな家々に囲まれ、その面影は薄い。
やや広めの道路と様々な彩を発している家々の間を抜けてくるようで、
厳粛な雰囲気は消えつつあるが、人が醸し出す明るさは今のこの街には、
ふさわしいのであろう。神輿渡御の時間となった。五つの神輿が中天にかかった
陽を浴びて、ゆらりと動き出す。金色の光りが四方に放たれ、若者の発する熱気
とともに、周囲の空気を燃え上がらせていく。裃姿の年寄りたちがその若さを
取り戻すかのように、先頭に立ち、歩き始める。入り乱れる足音と道路沿いの店店
と人々が放つ喧騒とが、一体となって、神輿の後を追う。神輿はやがてその熱気を
残し浜へと向かい、金色の光りを和邇川に映しながら、小さくなって行く。
古き良き時代と新しい波の訪れ、その混じり合う香りを残していく。
多分、御旅所に無事着いた時には、若者たちの息切れと年寄りたちの安堵の
溜息で、湖のさざ波も静かに揺れるのであろう。
幾重にも重なりあうように稲の子らをその胸に抱え込むように
水田が続く。その横を力強く鯉のぼりが空に浮いている。水色や
赤の鱗を風の中でゆるりと動かし何十もの鯉が五月の空を湖に
向かって泳いでいくように見える。

すでに30度を超す天候である。まさに立夏の名にふさわしい?昨年のような
身動きできないほどの猛暑は勘弁してほしい。老人の切なる願いだ。

2019.05.04

緑滴る、穀雨のころ

第6節気 穀雨(4月20日から5月4日ごろ)

里が緑の中に沈んでいる。穀雨、「雨が降って百穀を潤す」という。
この頃は、暖かな雨が降り田畑を潤す。比良の山、へばりつくような
白きものが消えた。雨の多い日が続いた。

ふと、春に降る雨の呼び名を思い起こした。
降ったり止んだりと定まらない雨、「春時雨(はるしぐれ)」。
しとしと静かに降る雨は「春雨(はるさめ)」、反対に激しく降るにわか雨を
「春驟雨(はるしゅうう)」という。花の開花を促すように降る雨、
「催花雨(さいかう)」、菜の花などの花々が咲く、「菜種梅雨(なたねづゆ)」。
色々とあるものだ、数日前は催花雨か、白、ピンク、黄色、彩は里を潤し
艶やかな緑に映えている。紅色の大輪の牡丹、雪を乗せたような雪柳、
白やピンクの枝花のはなみずき、朱色に燃え立つ垣根の紅花トキワマンサク、
マサキの垣根が黄緑色から黄金色に変わり、小粒の黄色い花のキソケイが
重なり合い家並みを黄色の点描で仕上げている。庭の片隅、紫のとんがり
帽子の形が崩れ大きなピンクの花弁を陽に向けたシャクナゲがいる。
緑にも、薄緑、黄緑、深緑、浅黄、様々な緑が彩なしている。

湖辺の葭(あし)が芽吹き始め褐色と薄い緑を混ぜ合う。
葦牙(あしかび)がその鋭角な若芽を牙のように見せて水面から顔を出す。
タンポポはすでに太い薄緑の茎から黄色の花を落としている。
黄色の花びらは白い骨組みの球体に変身し、茎にその身を預け、
乗って風にその旅立ちが来るのを待っている。細い道がどこまでも続き、
空の青さに混じり込んでいく。白く薄い布端の雲が道と土手と空が
織りなす水平線の上を流れる。比良の山並みは薄緑、黄緑、深緑と
様々な緑が綾を作り、ゴブラン織りの姿を見せている。
秋の紅葉に合わせたゴブラン織りがよく知れているが、春のこの情景
も素晴らしい。山の頂から中腹へさらには里へと緑が様々な色合いを
見せ、すべてに生命の光が見えている。

比良の天満宮のまつり、この季節集落のあちらこちらで春の祭りがある。
木戸や比良、小野、春の心地よさが神輿を担ぐ声とともに、集落を一層
わき立たせていく。社叢の奥に隠れ住んでいたような気分の神輿
がその晴れやかな姿を見せるのもこの時期だ。金箔に映える光が、
ハレの空気をさらに高めるかのように四方へとその金色を差し込んでいる。
法被姿の若者を先導する袴姿の古老たち、日頃の風情とは違い、
少し緊張を高めながらゆっくりと石畳、アスファルトの道を進んでいく。
それを見ようと子供連れの若い夫婦や老人たち、周囲を駆け巡る子供たち、
それぞれの喧騒を立ち込めて神輿の一団を見送る。

家々では、祖母から受け継いだ家の味で鯖寿司が手際よく作られていく。
横では、イタドリ、ユキノシタ、コゴミ、タラの芽、せり、おおば、春菊、
よもぎ、ワラビ、よめな、三つ葉等春の旬菜がいっぱい置かれ、
てんぷらになる準備中だ。さらには、おひたしや、ゴマ和え自然の恵みを
舌と目で味わえる季節なのだ。奥では、朝採ってきたよもぎをつぶし、
混ぜたよもぎの草餅が何10個となく並んでいる。
竹林では筍が収穫の時期を迎える。筍が元気な姿を見せる。筍の魅力は、
春を感じる独特の香りとコリコリとした独特の歯応えであり、それを
楽しむ方法は郷土料理にはたくさんあるが、中でもよく親しまれているのが
佃煮。細かく刻み、木耳(きくらげ)や椎茸などと混ぜ合せることで、
食感が更に引き立つ。その味は、食べたものでしか分からない。

立夏直前には、八十八夜がある。「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の忘れ霜」
と言う言葉もあるが、それは気温が下がって遅霜(晩霜)が降り、
農作物に被害を与えることを警戒した言葉だ。八十八夜が過ぎれば、
遅霜が降りることは少なくなり気候も安定することから八十八夜は
昔から農作業の目安とされ、農家ではこの頃から本格的に農作業に
とりかかる。今は少なくなったが、野村地域ではお茶が育っていた。
やはりこのころの一番茶はその香りとともにゆっくりと味わいたいものだ。
八十八夜のお茶は昔から長寿の薬とも言われた。

2019.04.19

春が飛び跳ねてきた、二十四節気、清明の頃

第5節気 清明(4月4日から19日ごろ)

 

比良の山並み、野の原、街と1ヶ月ほど前と全く趣が違っていた。
モノトーンの世界が、白、黄色、薄紅色、ピンクいろと様々な色が
満ち溢れている。澄んだ青く深い空、湧き水の心地よい冷たき肌触り、
二十四節気「清明」とは上手くいったものだ。

 

日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風も吹く
にはとこやぶうしろから
2人のをんながのぼって来る
けらを着、粗い縄をまとひ
萱草の花のようにわらひながら
ゆっくりふたりがすすんでくる
、、、、、  (宮澤賢治 廣原淑女 より)

 

春の喜びを感じる詩だ。
ユキヤナギの小さな白い花が道の両端にこぼれだし、すぐに目のつく
黄色の花群、やや大ぶりな黄色のスイセンがこちらに微笑んでいる。
地面いっぱいにネモフィラの花が広がって、青いじゅうたん。
青空のような瑠璃色の花はその1つ1つは小さいが一面に広がっている。
それは春そのものだ。青の後景に浮かぶ木蓮の白と濃い桃色の
グラスのような花の揺れ。家の連なりに合し、黄色、ピンク、紫など
その色の多さ、チューリップの鮮やかな色並み。
すべてのものが清らかで生き生きとしている。それはまだ枯葉模様
の残る山端を歩いても同じだ。沢の光を発しながら流れ落ちていく
水は清らかに輝いている。手を差し入れると、その冷たさに思わず
手を引くが、それは温かみのある冷たさだ。
艶のある若葉の緑が色を成すブナの林、以前は10数メートル以上の
大木も見られたというが、今は小ぶりなブナたちが春の陽ざしの中で
風に小さな舞をしている。

 

周辺の寺では、4月はじめになると、花祭の様子が聞こえてくる。
「植物と行事」という本の一節に以下のような記述がある。
「春4月は花見に始まり、花まつり、花折り始め、花の塔(花の頭、花の当)、
花供はなぐ、花会祭、花摘み祭、花供養と続く。花見を除けばそれらは、
寺や神社の関係が多い。
なぜ、寺社と花が結び付いたのであろうか。
仏経の4月の行事は、8日の花祭が著名だが、ほかに花供と花折り
始めがある。花供は仏さまに花を供える儀式で、花折り始めは兵庫県
氷上郡などで行われる新仏のある家で4月8日に花を供え始める行事である。
花祭は花で飾った花御堂と呼ばれる小堂を作り、誕生仏を水盤に安置し、
その頭上から竹のひしゃくで甘茶を注ぐ。甘茶は名前の通り甘いお茶。
その甘さは、祖母につれられて味わった私の遠い記憶では、砂糖と
違って後まで口に残る甘さであった。」
私も含め、今の高齢者の多くは、この文に限らず、それぞれの少年時代
に生きた場所でもらった甘茶の味が微かな記憶をたどるなかに思い
出されるであろう。濃い褐色のほの温かいお茶のこれもほのかな甘さ
が口の中に沁みだすような、そんな気持ちになる。

 

すでに彼方此方から桜の開花や花見の様子が伝えられていたが、このあたりは
少し遅い様で清明の半ばごろに桜も満開となる。公園や坂を少し下った道沿い
桜も薄桃色に包まれ、なぜかこの情景に飽きが来ない。日本人の特性か、
風土に育まれた無意識のなせる業か、まあ、花見人間にとっては理由はいらない。

 

農作業がすでに始まった田んぼもあり、水が張られ、気の早い蛙は日夜その
独唱に励むようになる。水を湛え始めた田圃にも生気が蘇り、畦道にも命
の息吹が見えていた。ハコベの緑に加えタンポポの小さな黄色が幅を利かして
いたし、紫の小さな花々がその横に一団となって咲いている。水の入っていない
休耕田であろうか、透明感のある小さな桃色の花が一面をおおっている。
蓮華草の花畑だ。昔は、肥料として使うため、蓮華草の種を夏の終わりに
播いたという。その葉が放射状に刈田に広がり緑の絨毯となって冬を過ごすのだ。
そして、春を待ちかねたように桃色の世界を田の中に演出していく。そこに、
蜜蜂も訪れ、春の賑わいをさらに高めていく。
気の早い人はすでにトラクターの騒がしい音を畑や田圃一杯に響かせている。
雨がやみ、それと同時に自然界に新たな成長の季節が訪れた。

 

松尾芭蕉も詠んでいる。
山々にかこまれた春の琵琶湖の大観を一句に納めたものとして、
「四方より花吹き入れて鳰の海」、春の琵琶湖である。

 

木々や草花はいっせいに華やかな色彩とかおりをまき散らし、トチノキの
枝は小刻みに震えながら、円錐形の花キャンドルを支えていた。
白いヤマニンジンの花笠が道端をびっしりと覆っている。つるバラが
庭塀を這いあがり、深紅のシャクヤクがテッシュペパーのような花弁
開いている。りんごの木は花びらを振り落としはじめ、その後にビーズ
のような小さな実をのぞかせている。我が家のサクランボもその奥ゆかし気な
白い花を褐色の枝枝の四方につけている。既に老樹の趣で、枯れるのみの
姿であったが、春はまだこの木を生かしていくようだ。
春は、冬の間に湖で静かに時を待っていた魚たちにも、新しい動きを与える。

 

坂の下を流れる川のなかに10数匹ほどの黒い影が動きまわっている。
この川には、毎年春も終わりの頃になると、フナがのぼってきたと近くの
古老が言っていた。
別な老婆も「フナは田んぼにのぼってくる」と皺のある顔を一層しわくちゃ
にして話していた。昨夜の雨はあたりの情景を艶やかな緑の世界にしていた。
木々の緑や畑の土、それから遠くにそびえる比良山の山肌までも、しっとり
とした深みのある色彩に塗り替えていた。
川はあふれんばかりに水嵩をましている。渦を巻く濁流を見つめていると、
普段見ている川とは全く変貌し、怖いくらいだった。時折、川が揺れ、
小さな光が目はじに届く。
フナたちがいた。それは褐色の葦がまだ多い中、緑映えた若い葦をすり抜ける
ように優雅な泳ぎを見せている。

 

そして春は山菜の群れ騒ぎ、タラの芽、セリ、ゼンマイ、ノビル、
フキ、クレソン、コシアブラ、上げればきりがない。タラの芽は
天ぷらも美味しいが、そのままバターやマヨネーズをつけて焼くのも
中々に美味しい。ちなみに桜ご飯も、その香りとともに春の一品、葉桜や
満開の花群を見るのもよいが、こちらは味覚、臭覚、視覚が活きます。

 

2019.04.03

春はまだか、春分に思う?

第4節気 春分(3月20日から4月3日ごろ)

春は、まだあの山の向こうにあるようだ。
寒い日が当たり前の顔を見せている。
足元を、褐色の色模様だけが幅を利かせ、緑の小さき葉が申し訳
なさそうに褐色の後ろに姿を見せる。比良の山並みは薄墨の中に
消えている。ただ、茫洋とした灰色の世界が麓まで落ちてきていた。
数日前に見た、山際に薄緑の野原に円い帽子をかぶったような蕗の
濃緑を思い起こす。その摘み取った蕗を和えた上に手長エビの赤が
微妙な色合いを見せている郷土料理、その味が口にあふれる。
春はやはりほのかな桜の香りを楽しみながら食べる桜餅がよい。
3月半ばから4月初めまで、長く降る雨を春霖(しゅんりん)という。
湖辺には菜の花が群れている。その黄色く揺れる様を想えば、菜種梅雨
(なたねつゆ)もあうかもしれない。春の雨には柔らかさがある。
春に音もなく地上に落ちる天からの雫は、人も動物も、そして草花も
それを望むかのように天に向かい、自身の姿をより高く伸ばしていく。
ここの春は3月26日比良八講から始まるという。
阿闍梨、修験者の唱える読経と薄青く光る空に向かって厚く太くたなびき
上がる白雲は龍が天に昇るがごとき強さがある。
八講の比良山見ゆれ枯木原     青々
八講はすぎたしらせか鶴のこえ   楓下

柳田国男の「雪国の春」にこんな一文がある。
「奥羽の所々の田舎では、碧く輝いた大空の下に、風はやわらかく
水の流れは音高く、家にはじっとしておられぬような日が少し続くと、
ありとあらゆる庭の木が一せいに花を開き、その花盛りが一どきに
押し寄せてくる。春の労作はこの快い天地の中で始まるので、
袖を垂れて遊ぶような日とては一日もなく、惜しいと感歎している
暇もないうちに、艶麗な野山の姿はしだいしだいに成長して、
白くどんよりとした薄霞の中に、桑は伸び麦は熟していき、
やがて閑古鳥がしきりに啼いて、水田苗代なわしろの支度を
急がせる。このいきいきとした季節の運び、それと調子を
合わせていく人間の力には、実は中世のなつかしい
移民史が隠れている。」
生き生きとその情景が見えてくる。この周辺では、まだこれに
近い情景が垣間見られる、まだまだ捨てたものではない。
桜はまだ蕾のままだが、コブシの小さな白い花や木蓮の白、紫
が家々の垣根越しに見える。山菜取りも始まった。
次の節気には、様々な色どりに混じり、せり、オランダガラシ、
ノビル、スイバの山菜が取れるかも。てんぷらや和え物も春の香りを
添えてくれる。

2019.03.20

虫たちも喜び騒ぐ、啓蟄の頃

第3節気 啓蟄(3月5日から19日ごろ)

東の方から少しづつ、まるでモノクロ写真のような 暗さが
やがて白い光となってくる。 ピンクの花衣をつけた梅の木、
まだその葉さえつけていない紫陽花、薄黄色の丸い実をつけている
金柑の木、最後には、毎年赤い大きな花を咲かせるデゴニアへと、
黒いポーチの枠を映しながら白い帯が微妙な速さで流れていく。
それは朝の自然の習慣のようでもある。

少し前まで冬と春がせめぎあうような湖、比良の山々、だがそれも春が次第に
にじり寄ってその強さを増している。 少し前まで見せていた中空の月の姿は、
今はなく、ただ青い空が 全天を照らしている。 朝のしじまが少しづつ、
その明るさと喧騒さに紛れ、一枚一枚皮を剥がすかのように朝の顔になって行く。
この時刻、琵琶湖に向けて歩みを進めると、まだ白いものが残る比良の山並が
少しづつ後ろに流れ、目の前に広がる 蒼き湖が少しづつその大きさを見せる。
浜辺に立つ。八幡山が朝の霞に薄いベールでおおわれ、湖辺と対岸の山々を
溶かし込んでいる。春の暖かさを告げていた。
啓蟄、二十四節気のいう生命の息ぶきを感じる春、すべての情景が冬の衣を脱ぎ
捨て始める。褐色の大地に可愛いピンク、黄色、白などの彩が顔を出す。
名もなき雑草と言われる草たちも冬のややくすんだ緑や茶褐色から光る緑へと
その姿を変えつつある。遠く雑木林からウグイスの元気な声が聞こえる。

花さそうひらの山風ふきにけり こぎゆく船の跡見ゆるまで(宮内卿)

春は山菜の季節だ、3月末から5月へと色々な味が楽しめる。 雑草が伸び始めた
野原を歩くと、茶褐色の枯草の斑模様の緑の中に、ノカンゾウ、クサソテツ
(コゴミ)、たらの芽、ぜんまいなどかひっそりと顔を出している。
いつみてもゼンマイのあのくるっとした姿はほほえましい。
昨夜は酢味噌和えとてんぷらにしたノカンゾウやタラの芽が食べられた。
お浸しにして、カツオぶし醤油をかけるとサッパリ味で美味しいものだ。
思わず、口の中でその味がはじけた。2日前には珍しい魚を食した。
知り合いの漁師さんか分けてもらったイワトコナマズだ。
その活きつくり、泥臭さが全くなく上品な味をしていた。イワトコナマズ
は琵琶湖の固有種だそうだ。
一雨ごとに桜の蕾もふくらみ、褐色な地には薄緑色が支配しはじめ、
雨がその艶やかさをにじみ出す。
さらに時を経れば、心地の好い風が吹き、青空の色も次第に濃く群青となる。
羊の群にも見えるさまざまの形した白い黄ばんだ雲が、あだかも春の
先駆をするように少し暖かさを含んだ微かすかな風に送られ、比良から
湖へと歩み去っていく。
時に春らしい光を含んだ西南の空に、この雲に視線を流す。急に雲の形
があらわれたかと思うと、それが次第に大きく、長く、明らかに見えて
南へ動きながら徐々に薄く消え去る。するとまた、次の雲の形が同じ
位置にあらわれ、同じように広がる。柔かな乳青色の空にすこし灰色の
影を帯びた白い雲が遠く浮んだのは美しい。この高台から眺められるのも
春だからだ。
「菜虫蝶と化す」、説話に「胡蝶の夢」というのがある。本当の私は蝶で、
人間になって美しい蝶の夢を見ている、そんな話し、また影が本当の私で、
影を生んでいる私は夢の人、そんな話もある。
春の朧に、夢は楽しく見たいもの。

2019.03.04

第2節気雨水(2月19日から3月4日ごろ)そろそろ春?

2節気  雨水(2月19日から3月4日ごろ)

既に3月になる。みぞれや小雪の多かった数週間前に比べると雨の降る日
が多くなってきた。確かに季節は雨水へと移りつつある。
まだ寒い日もあるが、少しづつ暖かさの断片が周りを覆うような日も
増えてきた。湖面の色も暗い群青の色から少しずつ淡い緑のまざった
青へ変化して川面もまた軽やかな幾筋もの線を描きながら流れて行く。
梅の蕾は緩み7分ほどまでに咲いている。だが、暁春の風は冬の冷たさ
を持って庭の木々を縮ませている。
目の先には、灰色の空を後景にしてこれも灰色の比良山が幾筋かの雪影
を乗せて佇んでいる。まだ比良の山並みは冬の衣装をまとっているが、
春の心地よさにその雪影を消しつつある。
ある朝、モノクロ一色の世界に少し赤みが差し始め、天空を覆いつくしている
雲をこじ開けるが如く僅かな朝陽がその峰を照らす。薄灰色の中に春の暖かさが
忍び寄り、冬の重さも軽くなる。
メジロであろうか、その尾を小刻みに震えさせながらピンクに染まり始めた
梅の木を縫うように飛び跳ねる。小鳥の飛ぶ空に薄き羽衣のような雲が
ゆっくりと湖の方へ流れて行った。春を含んだ弱い風が鳥たちを包むように
頬を撫ぜ、左から右へと吹き抜けていく。

季節をよく現しているのに、二十四節気と言うのがある。
雪が雨になり、氷がとけて川へと流れだす頃となり、街ではあちらこちらで
梅の花が咲き、風景を薄紅色に染める。春の香りが漂い始める。
二十四節気は立春から始まるのだが、今は二番目の雨水である。
その最後の候に、草木萌動(そうもくめばえいずる)2月28日頃、
草木が芽吹き始める頃とある。催花雨、草の芽が萌え出すことを
「草萌え」(くさもえ)とも言い、また、木々についても木の芽起こし、
木の芽萌やしとも言う。
春の七草や菜花、多くの山菜がその色どりを増すころでもある。
フキノトウ、ヤブカンゾウ、ギシギシ、ノビルなどの和え物、てんぷらの
顔が眼にちらつく。

二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、
季節を春夏秋冬の四等区分にするために考案された区分手法の一つで、
一年を十二の「中気」と十二の「節気」に分類し、それらに季節を表す
名前がつけられている。
なお、日本では、江戸時代の頃に用いられた暦から採用されたが、
元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたものであって、
日本の気候とは合わない名称や時期もあるとの事。そのため、それを
補足するために二十四節気のほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、
二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが、
日本の旧暦となっている。
季節区分(各季節の始期)立春・立夏・立秋・立冬で、気温では、
小暑・大暑・処暑・小寒・大寒となる。気象では、雨水・白露・寒露・
霜降・小雪・大雪となり、物候の表現では、啓蟄・清明・小満。
さらに、農事では、穀雨・芒種となる。
特に 雨水、啓蟄、小満、穀雨、芒種には納得感がある。草花の成長、
農作業の動きが何と無く伝わってくるからだ。
冷雨が少しづつ暖かさを増し、虫や人々に次への活動の源となっていくのだ。

東北を旅した柳田國男の文章からは、春の情景がよく伝わってくる。
「ようやくに迎えたる若春の喜びは、南の人のすぐれたる空想をさえも
超越する。例えば、奥羽の所々の田舎では、碧く輝いた大空の下に、
風は柔らかく水の流れは音高く、家にはじっとしておられぬような日
が少し続くと、ありとあらゆる庭の木が一斉に花を開き、その花盛り
が一どきに押し寄せてくる。春の労作はこの快い天地の中で始まるので、
袖を垂れて遊ぶような日とては一日もなく、惜しいと感歎している暇
もないうちに艶麗な野山の姿は次第にしだいに成長して、白くどんより
した薄霞の中に、桑は伸び麦は熟していき、やがて閑古鳥がしきりに
啼いて水田苗代の支度を急がせる」(雪国の春より)
この地は東北ほどの春の喜びは感じえないが、日本の原風景を求める中
では、水に対する関心、水への尊敬の念は、「日本文化の一つの特色」
であることが肌に強く伝わる。
特に、このあたりは比良山系の水が湧き水として流れ出し、それが細い水糸
をなし、小川のせせらぎと形作っていく。その水が幾重にも重なりあい
ながら、あるものは神社の若水となり、また住む人の生活水となりやがて
琵琶湖に注ぎ込む。以前は、かわとと呼ばれる水の引き込みが各家の横に
しつられ、様々に生きる糧に使われた。
石畳の村道を歩いていると、懐かしい音が聞こえてきた。
あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 
笛太鼓 今日はたのしい ひな祭り お内裏様(ダイリサマ)と おひな様
二人ならんで すまし顔 お嫁にいらした ねえさまに よく似た官女(カンジョ)
の白い顔、、、、、。
屋根瓦のある二階建ての古風なたたずまいの家からそれは流れ出ていた。
雨水、それはひな祭りの季節だ。歌の文句はともかくそのノンビリとした
テンポに合わせて少しづつ春が歩み寄ってきている。
「雛人形は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している」そんな言葉
がふと思い出される。その時代から都人に愛された地、琵琶湖と比良山系の
自然が織りなす絶景は今も変わらない。

2019.03.01

西近江路紀行34 郷土料理を味わう

西近江路紀行34 郷土料理を味わう

琵琶湖には、素晴らしい湖魚に対する食文化があり、これを支える食材としての
魚が生息している。まさに琵琶湖にしかない独特の食文化でもある。
全国、画一的な食文化と冷凍品による土地固有の味わい文化の衰退が進んで
いる中、その土地にしかない、しかも、その土地に行かなければ味わえない食べ物など、
稀な存在である。琵琶湖の湖性が生み出した、食文化の発信は、湖の湖と共に
生きる誇りを、外向けには琵琶湖に対するあこがれを醸しだすことになる。
更には、地域の野菜とのコラボレーションも郷土料理として多い。

琵琶湖では、畑の産物と琵琶湖の産物を併せた料理が多数伝えられている。
よくあるのが、スジエビと大豆を甘辛く煮き合わせた「エビ豆」であろう。
この他に、大豆と魚を炊き合わせた料理には「イサザ豆」「ウロリ豆」「ヒウオ豆」等
が広く食されている。米どころ近江では、水田の畔に豆を植えることが広く行われていた。
「**豆」は、この豆と、琵琶湖の魚が合わさり生まれた料理なのだろう。
この食文化は、琵琶湖の漁師の多くが農業にたずさわり、農民が漁業を行うという
伝統に根ざしている。更には、野菜との組み合わせでは、「ジュンジュン」と称される
料理が広く食されている。「ジュンジュン」とは「すき焼き」のことである。
「牛のジュンジュン」は無論「カシワのジュンジュン」のような肉類の他に、ウナギ、
イサザ、ナマズ、コイ等々、多くの湖魚がジュンジュンとして食され、多量の野菜と
共に煮込まれる。
また他の地域に比して、琵琶湖では、コアユの仔魚である「ヒウオ」、「ビワヨシノボリ」
の仔魚である「ウロリ」、ハスの稚魚である「ハスゴ」等が盛んに捕られ消費される。
さらに、イサザ、スゴモロコ、コアユのような小型の魚も盛んに漁獲され利用
されている。このような小型の魚を集中的に利用する食文化も、琵琶湖の特徴であろうし、
伝統的な調理技術に「ナレズシ」がある。塩漬けした魚を御飯に合わせて乳酸発酵させた
食品で、現在の日本人が愛してやまない「スシ」の原型の食である。
そしてその代表がフナズシである。 
以上のように、琵琶湖には、実に多様な湖魚に対する食文化が生まれ、継承され、
商品として売られたり、一般家庭の郷土料理として生きている。
琵琶湖八珍は湖魚文化を知ってもらう一つの手段でもある。


琵琶湖八珍
琵琶湖にはこの豊かな湖の魚を扱った特有の食文化がある。
琵琶湖にいる約80種の魚が生息していると言う。その湖魚のブランド
「琵琶湖八珍」に、ビワマス、コアユ、ニゴロブナなど8種の魚介類が選ばれた。
ハス、ホンモロコ、イサザ、ビワヨシノボリ、スジエビがある。
選ばれた8種のうち5種が琵琶湖固有種で料亭から家庭料理まで広く親しまれている。
なお、ウナギ、アユ(大アユ)、シジミなども料理の素材として使われている。
この志賀周辺でも和邇や北小松、さらに堅田の港では、数が少なくなったものの、
これら八珍のいくつかを今でも獲っているので、湖魚の専門店もあり、様々な料理で
それを味わう事が出来る。
また、琵琶湖八珍の中で、「コアユ」「イサザ」「ビワヨシノボリ」「ハス」
「スジエビ」などは、佃煮(甘露煮)などとして、全国に流通している。
「鮒鮨」の材料としての「ニゴロブナ」は加工品としても有名でもある。
今では、「ニゴロブナ」や「ビワマス」に「ホンモロコ」は、滋賀県に住んでいても
滅多に口に入らない高級魚になっている。

少しこれらを紹介すると、
1)「ニゴロブナ」は鮒鮨(ふなずし)に使われるが、近年は産卵場所の減少や
ブラックバスやブルーギルなど外来魚の食害によって稚魚が食べられ漁獲高
は激減している。鮒鮨はなれずし(現在のお寿司の元)であり、その匂いで受けつけにくい。
現に滋賀県に来て求めたものを、途中駅で開けて「腐っている」と捨てられたという、
笑えない話がある。食べ慣れれば、日本酒にこれだけ合う肴はないと思うほど、
深みのある味をしているが、贈答用だと30cmほどの子持ちで1万円ほどと結構高い。
2)「ビワマス」は「ヤマメ」の陸封タイプで、海に出ると「サクラマス」になる。成魚になると
70cm以上になり、その刺身はトロのように舌に絡まる味わいがある。今が最盛期であるが、
「ニゴロブナ」と同じく、中々漁で確保するのは、難しく養殖されたものが主流となっている。
今日はあるところで久しぶりにビワマスを食した。刺身は相変わらず美味しかったが、
燻製風にするとまた違う味になると言う。
3)「ホンモロコ」は京料理に用いられる高級魚になっており、琵琶湖の貴婦人
の名に恥じことなく、その白焼きは絶品と評判である。
昔は、バケツにいっぱい釣れていたが、外来魚の食害のため最盛期の1/10以下
になっているとのこと。
4)「イサザ」は、琵琶湖固有のハゼの一種で、昔からなぜか獲れなくなる時期がある
ことから、漢字も「魚」偏に「少」と書いて「いさざ」と読ませている。
佃煮の他「じゅんじゅん」という鍋で食べられることが多く、白身でありながら濃い味付け
に負けない独特の風味があり、湖魚のなかでもファンが多数いる。
イサザ漁は、主に冬季に沖(ちゅう)びき網で行われる。これは、長いロープの先端に
取り付けた網で底を引きずり、イカリで固定した船へ巻き上げるという、底びき網の一種。
湖底から獲られたイサザは、水面に出ると水圧の関係で、お腹を上にした状態で浮き
上がってくるので、それをすばやく網ですくいとる。
一時はまるでとれなかった時期があり、「幻の魚」といわれていたほどであり、
ここ数年で少し漁獲が盛り返してきた。
イサザは、大豆と煮た「イサザ豆」や佃煮のほか、すき焼き風に煮た「じゅんじゅん」と
いう料理でよく食べられる。「ネギと油あげ、麩を入れ、醤油と砂糖で甘辛く煮る」のもよい。
「イサザは、白身の淡泊な味でおいしく、特に秋から1月頃のものは、骨も柔らかくておいしい」
と言われている。
5)氷魚(ひうお)
冬だけにとれる特産品であり、氷魚(ひうお)と言われる鮎の稚魚で、大きさは3~6cmくらい。
体が氷のように透き通っているため、「氷魚」と呼ばれている。氷魚は、釜揚げにするのが一般的。
「しらす」のように熱を加えると白くなり、身はしっとりしていて、舌触りは滑らか。
そこはかとなく鮎とわかる繊細な味わいは、琵琶湖の冬の味覚として愛されている。
釜揚げのほかにも、かき揚げや佃煮などでも食されている。
氷魚が主に水揚げされるのは、12月から3月頃まで。透き通っている氷魚は、
やがてウロコができ、体型も変化し、5月頃には小鮎(コアユ)と呼ばれる
ようになる。以前に近くの和邇漁港に行った時は、料理店などの専門業者に交じり、
近所の主婦数人が氷魚漁から帰る船を待ちわびている。自宅で釜揚げにするのだそうだ。
湖近くに住む人だけの贅沢な楽しみであろう。
漁船が帰港し、甲板に設けられた水槽の中には透明な氷魚が元気に泳いでいる。
すぐに漁港でハカリにかけられ、次から次へ、キロ単位でまたたくまに引き取られていく。
30年くらい前とは比べ物にならないそうだ。当時は、船いっぱいにとれた」と言う。

郷土料理の色々
湖魚や山菜が素材として多く使われるが、四季に沿って、少し上げて行こう。

春は、モロコ焼き、セリのごま和え、わらびの酢の物、鮒ずし、手長エビのかき揚げ、
シジミと大豆煮、イタドリの煮つけ など
夏は、はず魚田、小鮎の山椒煮、ゴリ煮、なかよし豆、小鮎のてんぷら、みょうが寿司 など
秋は、エビ豆、あめのうおご飯、むかがご飯、干しズイキとエビ煮、ぜいたく煮 など
冬は、いさざ煮、いさざのなれ寿司、カボチャのゆり根あん、かち豆、氷魚のゆず酢、鴨とクレソン鍋 など
いずれも湖魚や山菜、野菜を上手く組み合わせている。

山菜について
万葉集にはいろいろな山菜・野草が歌われている。昔から食材として身近にあったのであろう。
山上億良の「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ‥」などは有名ですが、
この他にも「醤酢に 蒜搗き合てて鯛願う 吾にな見えそ水葱の羹」
「春日野に 煙立つ見ゆ乙女らし 春野のうはぎつみて煮らしも」などの歌が
ある。蒜はニンニクやノビルなどのことで、うはぎはヨメナ。
さらに百人一首には「かくとだに えはやいぶきのさしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを」
(藤原実方朝臣)といった歌もあり、さしも草とはヨモギのこと。
山菜は日本の伝統的な文化であり、その由来として万葉集の中にもうかがい知ること
ができる。そして歳月を経ても、この地域には多くの山菜や野草が里山周辺に多くあり、
食文化の一端を成している。
フキ、ミツバ、セリ、ワラビ、ウド、ヤマノイモ、サンショウ、ジュンサイ、ヨメナ、アザミ、
ギシギシやイタドリ、アザミ、チシャ、ニガナ、カラシナ、ワサビ、ナズナ、ゴギョウ、
ハコベ、ノカンゾウ、コゴミ、ゆきのした、たらの芽、みつば、日本すみれ、ゼンマイ などがある。
単独の調理としても和え物が多くあり、酢味噌和え、マヨネーズ和えなど色々と。
一番はてんぷらであろう。
多くは茹でて下処理後、冷蔵庫で冷やし、お浸しに カツオブシをまぶし醤油をかけると
サッパリ味で美味しい。赤味噌・砂糖・酢を合わせ良くかき混ぜたタレなどもあるようだ。

「西近江路紀行30の郷土を味わう」と合わせて読んでもらうと湖魚のことを含めて
もう少し深く感じられるかもしれない。

2019.02.18

第1節気 立春(2月4日から18日ごろ)

第1節気 立春(2月4日から18日ごろ)

二十四節気は「立春(りっしゅん)」からはじまる。春は「山笑う」季節
というが、まだこの時期、その微笑を見ることは難しい。
しかし、時は人、そして猫や犬たちも待たずしてそろそろ立春と呼ばれる
季節へと 進んでいる。だが、寒い、春寒、余寒のごとくでもある。
我が家の庭の梅の木、その天を突く新しき槍の青き枝には小さな豆の
ようなピンクの蕾がひしめき合あいやがて来る己が出番を待っている。
少し前に手を入れた木々は、夫々の想いと姿で、春の匂いを醸成しつつある。
白い六枚の花びらに黄色の花冠の艶やかな水仙の花が凛とした風情を見せていた。
また梅ノ木に並び立つ金柑の樹は黄色のウズラの卵ほどの実が連なり顔を見せている。

比良の山並は、まだ白さが目立つ。しかし、山の斜面はほぼ東に向いている。
直線的に琵琶湖となだれ込む色模様もすぐに緑が濃くなるのであろう。
山の頂はまだ冬だが春と冬のせめぎあいが始まってもいるような趣が垣間見える。
今日は風が強い。これからは比良おろしという名前があるように、3月まで強烈な
北風が比良の山並みから吹きおろしてくる、東風、春あらしだ。
この高台から湖を見渡せば、薄青く光る湖面に白い波が逆立ち白いまだら
模様を見せている。それは一刻も同じ姿ではなく、時に青く光る平板な面だが、
一瞬のちに白い波片があわ立つように現われる。対岸の島や緑の湖辺は白く
茫洋とした霞がかかり、湖と対岸は切れ目なき一体化を成す。
こんな歌がある。
におの海霞める沖に立つ波を花にぞ見する比良の山風   藤原為忠
まさに、この情景に感じ入ったことを詠み上げた、そんな感じがする。

久しぶりに湖辺を歩く。
長く白い砂地が左から右へと大きな湾曲を描きながら延びている。
湾曲に沿ってまばらではあるが松林も続いている。沖にはえり漁の
仕掛け棒が水面から何十本となく突き出し、自然の中のくびきでも
しているようだ。砂浜に向かってゆっくりとした波長をもってさざなみ
が寄せている。たゆた寄せるその姿に春が乗っている。
5メートルほど先には、数10羽の鳥たちが薄青く霞んだ空とややくすんだ
色合いの青を持つ湖面に浮き沈んでいる。あるものはえり漁の仕掛け棒
の上で 羽を休め、何羽かの鳥たちは遊び興じているようでもある。
2羽のコガモが 連れ立って水面をゆっくりと進んでいる。やがて彼らも
ここを離れ、次の住まいへと向かうのであろう。
春は人も、鳥も新しい旅立ちの季節だ。
だが、風景は画巻や額のようにいつでも同じ顔はしていない。 まず第一に
時代がこれを変化させる。我々の一生涯でも行き合わせた季節、 雨雪の
彩色は勿論として、空に動く雲の量、風の方向などはことごとくその姿
を左右する。私も20年ほど前に見た時の感触と今この砂浜に立つ心根
は大いに違った。それは時代の空気であり、己が経てきた時の皺、心の襞
の変化でもある。場合によっては、これらに対面した本人のその時の心持、
万物それぞれが個々の瞬間の遭遇であって、だからまた生活 とつながり、
変化することの面白さがそこにある。
徒然草19段、折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、
今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外
に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、
やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、
折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。
青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、
なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。
山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたき
こと多し。
庭で「ツツピーン ツツピーン」という少し長閑なさえずり、ヤマガラだ。
梅の木と金柑を縫うように脇腹の褐色と頭と喉の黒い色が見え隠れしている。
やがてここにもウグイス、シジュウカラ、ホオジロなどが飛び移ってくる。
鳥もまた春を心にのせている。
氷魚 小鮎 ウグイ アマゴ ヤマメ ワカサギ、湖魚や清流に群れ騒ぐ川魚
が美味しく食べられる、郷土料理の工夫がさらに活きる。雪解けの春の湧水は
研ぎ澄まされた透明感にあふれている。多くの生き物がこの清き水に命を育む。

2019.02.02

大寒、寒さに身を縮める

24節気  大寒(1月20日から2月3日ごろ)

1月26日吹雪いた。幾つもの雪風が舞っていた。ゆっくりと遮るもののない
世界から白い抜け毛のような姿で落ちてくるもの、横滑りに粉雪となって窓辺
を駆け抜けるもの、小さな白い虫が群れ飛び不可測な動きを見せる雪煙、
庭の裸木を揺すり押し倒そうとする風の強い息ぶき、ゴーと轟き、すっと
後ろに引くように止まる風、すべてが一瞬にその姿を変じ、顕現させる。
人はただその音、雪の舞いに呆然と見つめるのみ、猫たちはここぞとばかり
ストーブにしがみ付き、ただただ寝入るだけのものもいる。
突然雲が押しのけられ青い空が顔を出す。弱い陽が白き世界にすっと流れる。
消える雪たち、真っ白に輝きわたる屋根に日が溶ける。
そして又吹雪きわたる光景に変容する。その気まぐれに人々は戸惑うだけ、
猫は寝入るだけ。

大寒、そろそろ節気という流れも最後となり、春の兆しか?
しかし、昨日からまた雪が降り出し、比良の山も湖も灰色と白く舞う雪の花に
ひっそりと見え隠れする。
南天の赤い実が薄い雪端に見えた。金柑の実も白と緑の葉に散らばり飛んでいる。
春隣と言う言葉があるそうだ、美しい言葉だ。陽に力が湧いてくる、そんな気分
の言葉だが、まだ少し先のようだ。今日は恵方巻を食して寝休日としゃれようか、
もっとも毎日が休日だが。
彼にとって、この季節、二つの情景がいつもその心によみがえってくる。
白く輝く光りを浴びた湖面は三角錐の八幡山と皿を伏せた沖島の島影を
浮き立たせ、細かな波状のつらなりが丸く輝く月の下で揺れかかっている。
雲一つ無い闇天の空に神々しく輝く満月がその様をのぞき見ている。
山と空、水、沖舟にさす影、羽衣のひだと思わす波のはしり、それが墨絵の
趣で眼前にあった。 彼は、凍えそうな手に己が息を吐きかけ、闇に身を置いていた。
湖水は寂寞として何も言わず、橋を渡る赤いいくつもの筋のみが消えては
またその姿を現していた。 さらには、湖に薄く舞い落ちる雪の切片が月光に
染められ、金粉をまいている ように湖水の面に踊っていた。
湖面も月光に染められ飛び跳ねる小鮎の銀の鱗となってひろがり、
雪が休みなく降り続いている。
だが、月が雲にかき消されるとそこは暗闇と化し、何もない。
それは、静寂とある意味甘美の世界でもあった。
むかしの彼であれば、それは苦痛の世界であったろうが、今は違った。
そこに永遠にいたいとも思った。いつの間にか横に猫のソラがいた。
その眼の中に、今見た彼の情景が映っている。

時折り天から舞い落ちる雪の精、朝のしじまのなかで見た時は、道路を薄布が
覆うような細雪であったが、その白い薄片はやがて大きな粒状を成しボタン雪
となった。
「津軽恋女」という歌に「7つの雪」というのが歌われている。
「津軽の女よ
ねぶた祭の行きずり戯れか
過ぎた夜の匂いを抱いて 
帰れと叫ぶ岩木川 降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
津軽の海よ 三味がゆさぶるじょんがら聞こえるよ
嘆き唄か 人恋う唄か 胸のすきまに しみてくる 降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪」
だが、ここではそれほど多彩な雪は見られないし、思いなせない。
そんな考えが浮かぶほどの今日の雪だ。

ボタン雪、それが風に揺られことはなく、ほぼ垂直に天から地へと落ちてくる。
1時間もすると家の周辺は白く輝く光が満ち、ただ平板な白い地面となった。
すでに、10センチほどの雪の絨毯が庭を被っている。ソラが飛び出したものの、
雪の中にはまり大慌てで出ようとするが、目の前はただただ白い壁が続くのみ、
彼にとっては初めてに近い経験であるが、若さが彼を雪へと誘うのか。
助けての叫びに、わたしもまたかの顔で抱きかかえに行く。
だが、犬のルナは違った。
元来寒さには強い犬種でもあり、自分の顔が沈むほどの深さの中に飛び出し、
白く深く伸びた雪原のごとき広場をはね飛びながら遊んでいる。
梅ノ木もその枝枝を白き雪帽子で着飾り、他の草花はすでに影形なく、映え光る
白の世界に埋没している。
薄いベールの先に見えていた比良の山並みも薄墨の壁紙がはられたように彼の視線
から消し去られた。われわれはただ水滴がこぼれ落ちる窓ガラスの中で、ひっそりと
この情景に見入るのみだ。
だが、この辺りを北国と呼ぶには、雪の中に数か月も閉じ込められる「北国の人」には
大いに失礼だ。その想いを柳田國男は「雪国の春」の中でうまく綴っている。
「故郷の春と題して、しばしば描かれるわれわれの胸の絵は、自分等真っ先に
日の良く当たる赤土の岡、小松まじりのつつじの色、雲雀が子を育てる麦畑の
陽炎、里には石垣のタンポポすみれ、神の森の大掛かりな藤の紫、今日から
明日への題目も際立たずに、いつの間にか花の色が淡くなり、木蔭が多くなって
行く姿であったが、この休息ともまた退屈とも名づくべき春の暮れの心持は、
ただ旅行してみただけでは、おそらく北国の人たちには味わいえなかったであろう。
北国でなくとも、京都などはもう北の限りで、わずか数里離れたいわゆる比叡
の山蔭になると、すでに雪高き谷間の庵である。それから嶺を超え湖を
少し隔てた土地には、冬ごもりをせねばならぬ村里が多かった。
丹波雪国積もらぬさきに
つれておでやれうす雪に
という盆踊りの歌もあった。これを聞いても山の冬の静けさ寂しさが考えられる。
日本海の水域に属する低地は、一円に雪のために交通が難しくなる。伊予にすみ
慣れた土居得能之一党が越前に落ちていこうとして木の目峠の山路で、悲惨な
最後を遂げたという物語は、「太平記」を読んだ者の永く忘れえない印象である。
総体に北国を行脚する人々は、冬のまだ深くならぬうちに、何とかして、身を
入れるだけの隠れ家を見つけて、そこに平穏に一季を送ろうとした。
そうして春の帰ってくるのを待ち焦がれていたのである。
越後当たりの大百姓にはこうした臨時の家族が珍しくはなかったらしい。、、、
汽車の八方に通じている国としては、日本のように雪の多く降る国も珍しいであろう。
それがいたるところ深い谷をさかのぼり、山の屏風を突き抜けているゆえに、かの、
黄昏や又ひとり行く雪の人の句のごとく、おりおり往還に立ってじっと眺めている
ような場合が多かったのである。停車場には時として暖国から来た家族が住んでいる。
雪の底の生活に飽き飽きした若い人などが、何という目的もなしに、鍬をふるって
庭前の雪を掘り、土の色を見ようとしたという話もある。鳥などは食に飢えている
ために、こと簡単な方法で捕らえられた。二、三日も降り続いた後の朝に、一尺
か二尺四方の黒い土の肌を出しておくと、何のえさも囮もなくてそれだけで
ヒヨドリやツグミが下りてくる」
彼はこの一節を読みながら、ストーブの前を占拠している猫たちの顔を一睨み
した。ソラなぞは堂々と腹と隠すべきものまでさらして寝ていた。

大寒は、一月二十日ごろ、寒さが最も厳しくなるころである。「暦便覧」では
「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。
そして、初めの五日ほどを「款冬華」(ふきのはなさく)、「水沢腹堅」
(さわみずこおりつめる)、最後に「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)
と昔の人はこの季節を細かく言い表している。
朝の空は青一色、そこに櫛で梳いたような雲がたなびき、木立の向こうには、
いまなお細い月が消え残っている。前夜の雪がまだその残滓を残し、街は白く
輝いていた。朝の寒さの中、街の一番奥にある丘の上に彼はいた。
まるで雪に埋もれる木々のごとく立ち尽くしていた。
彼はまたこの季節を迎え春を感じ始めることに安堵した。
だが、彼の頭は茫洋とした果てしない過去のつなぎの中にいた。広々と視界
の開けた自然な中に立ったいま、彼はふたたびある場所と次の場所との
中間地点にあって、頭には、様々な情景がなんの束縛もなく去来していく。
この数十年のあいだ考えまいとして抑えつけて来た過去のもろもろが解き放たれ
彼の中を駆け巡っている。おかげで、いま彼の頭の中では様々な情景がけたたましく
さえずりながら、独特の騒々しいエネルギーを発していた。
夜来よりの雪の残り香であろう小さな宝石の雫を光り輝かせる丘の上の桜の木。
この自然が描く一幅の浮世絵の中をあこがれの目で眺め、自分の素足が柔らかな
草花に沈むところを想像した。横をほとばしる水が鞭となって空気を打ち破りながら
ときおり陽の光を捉えてきらめき流れて行く。
黒くむき出した野原の中に、赤く燃え映えた花が一群を成していた。
ハート形をした柄の長い葉には白斑があり、伸びた花茎に篝火をたいているように
白い雪原にその赤さを誇っているようだ。シクラメンだった。
まだ若かった頃聞いたあの歌が思い出される。
「、、、うす紅色(べにいろ)の シクラメンほどまぶしいものはない
恋する時の 君のようです 木もれ陽あびた 君を抱(いだ)けば
淋しささえも おきざりにして 愛がいつのまにか 歩き始めました、、、、」
ある人に言わせると、「シクラメンのようなかほり」で、奥さんを
思っての歌だともいう。寒いなかに一刻の温かさが心を過ぎる。
若きときの一瞬の時間が切り取られ、この琵琶湖と比良の山並みとの対比
に過去の自分の過ごした日々を思った。

西近江路紀行33 古墳探訪

西近江路紀行33 古墳探訪

琵琶湖の周辺は古代人の活動が盛んであったのだろう。
湖東、湖南、そしてこの湖西、古墳が多く散在している。
古代、この地域は敦賀と京都、奈良への陸路、水路の重要地域
でもあり、和邇部氏、小野氏などの有力豪族が支配していた地域でもある。
このため、琵琶湖を望む比良のすそ野には、多くの古墳がある。

白洲正子「近江山河抄」に以下の記述がある。
「国道沿いの道風神社の手前を左に入ると、そのとっつきの山懐
の丘の上に、大きな古墳群が見出される。妹子の墓と呼ばれる
唐臼山古墳は、この丘の尾根つづきにあり、老松の根元に
石室が露出し、大きな石がるいるいと重なっているのは、
みるからに凄まじい風景である。が、そこからの眺めは
すばらしく、真野の入り江を眼下にのぞみ、その向こうには
三上山から湖東の連山、湖水に浮かぶ沖つ島もみえ、目近に
比叡山がそびえる景色は、思わず嘆息を発していしまう。
その一番奥にあるのが、大塚山古墳で、いずれなにがしの命の
奥津城に違いないが、背後には、比良山がのしかかるように迫り、
無言のうちに彼らが経てきた歴史を語っている。」
しかし、多くの古墳は山の中腹などにあり、ちょっと足を伸ばして、
と言う風情ではない。また、何基かの石の室が笹や野草の中に口を開けている、
そのような光景に佇むといつも虚しさが湧いてくる。
「なぜ、俺は此処にいる?」、と。
1枚岩で作られた石室に足を踏み入れる。かって皆から敬われた
人々の最後の場所、黄泉へ通じると信じられていた入り口、死後の世界
を信じていた証の場所、1000数百年を経た過去の場所、時の移ろい
を形に見せる。心の空洞に何かが忍び込む。体感の鋭い人は何かを
感じられるかもしれない。
少しながら気楽に探訪できるのは、石神古墳群、ゼニワラ古墳、
唐臼山古墳であろうか。他のは、形が残っていないものも多い。

ちなみに、旧志賀町史が参考になる。
①北小松古墳群
遺跡の立地は比良山系の尾根筋を山系の北から数えて2つ目となる尾根筋
最先端から一段と下がった低位に位置する山塊の先端近くに主に分布する。
AからCと北の支群の4つのグループが見られる。計12基の古墳がある。
概ね、主体部は横穴式石室からなり、長さは4メートルほど高さは2メートル弱
と想定さる。出土品には須恵器と鉄釘があった。
石室などはしっかりとしている。
②南船路古墳群
南船路の集落から天川を隔てた西南西の丘陵裾野にある。総計7基の古墳
がある。多くは径7,8メートルの円墳で、主体部は横穴式石室からなり、
高さは2メートル弱と想定される。
③天皇神社古墳群
天皇神社の境内にある。3基ほどの古墳があるが、高さ1メートル強の円墳。
④石神古墳群
小野神社と道風神社の中間にあり、眺望のよい場所である。4基の古墳
からなる。主体部は横穴式石室からなり、一番大きな4号墳は直径15
メートルほどの墳丘である。天井石は1石で高さは3メートルほどあり、
比較的高い。家形石棺が出土しているが、須恵器と土師器に刀の小片があった。
鉄滓も採取された。大きさなどからも有力豪族(小野氏?)の墓と思われる。

なお、志賀町史第1巻には、以下の記述もある。
「本町域の比良山麓製鉄遺跡群を構成する多くの遺跡の共通する大きな
特徴の一つは、そのなかに木瓜原型の遺跡を含まないことである。
木瓜原遺跡では一つの谷筋に一基の精錬炉だけではなく、大鍛冶場や
小鍛冶場を備え、製錬から精錬へ、さらには鉄器素材もしくは鉄器生産まで、
いわば鉄鉱石から鉄器が作られるまでのおおよそ全工程が処理されていた。
しかし、この一遺跡単一炉分散分布型地域では、大鍛冶、小鍛冶に不可欠な
たたら精錬のための送風口であるふいごの羽口が出土しないことが多い。
本町域でもその採集はない。山麓山間部での製錬の後、得られた製品である
鉄の塊は手軽に運び出せるように適度の大きさに割られ、集落内の鍛冶工房で、
脱炭、鉄器生産の作業がなされる。小野の石神古墳群三号墳の鉄滓も
そのような工程で出来たものである。
しかし、この古墳時代には、粉砕されないままで、河内や大和に運ばれ、
そこで脱炭、鉄器生産がなされるといった流通形態をとる場合も
多くあった。、、、、」
⑤石釜古墳群
和邇川沿いの井の尻橋付近にあり、琵琶湖をまじかに見れる場所ではない。
南北2つの支群からなり、総計で7基の古墳がある。直径5メートルから
19メートルほどのものもある円墳である。
⑥から⑩まではいずれも曼荼羅山を囲むようにして、築造されている。
⑥ヨウ古墳群
曼荼羅山の北にあり、ゴルフ場と和邇川の中間に位置する。3基の古墳
からなる。直径22メートルほどの円墳の1号機をはじめ結構大きい。
⑦前間田古墳群
曼荼羅山の北裾とヨウ古墳群との中間にある後期古墳群である。3基の
古墳からなる。直径が10メートル前後のものであり、規模的には大きくない。
⑧曼陀羅山北古墳群
小野朝日と緑町の中間、曼荼羅山の尾根に築造されている。眼下に和邇川
河口や琵琶湖、対岸の湖東も見える場所である。5つの古墳からなる。
直径は10から20メートルほどの円墳であり、主体部は横穴式石室に
なっている。
⑨大塚山北古墳群
曼荼羅山の尾根筋上のなだらかな頂部に築造された3基からなる古墳群である。
いずれも直径10数メートルの円墳である。
⑩ゼニワラ古墳
曼荼羅山北寄りの東に位置し、丘陵の尾根筋に占める単独の古墳である。
直径は20メートル、横穴式の石室で何枚かの岩で積み重ねられている。
出土には須恵器があった。
⑪唐臼山古墳
小野妹子公園の中にあり、前方後円墳の崩れたものではないかとの推測もある。
墳丘は南北18メートル、東西20メートルほどあり、大きめの古墳と
みられる。
⑫小野不二ケ谷古墳群
滋賀丘陵の尾根筋上部で傾斜変換点を創り下降する交点に位置する。
2つの古墳からなり、集落の間に築造されているため、その集落で祭祀
されてきた集落間の一体化が考えられる。3点の土器を含め、幾つかの
遺物がでている。
⑭和邇大塚山古墳
ゼニワラ古墳の近くにあり、前方後円墳を成している。琵琶湖が広く望め、
その規模は全長72メートルほどある。盗掘があり、その原型を推し量る
のは厳しい。副葬品としては、鏡一面、刀剣三点、甲冑一点、鉄斧二点などがある。
⑮小野神社古墳群
小野神社本殿の北脇にある。2基の古墳からなるが、小野神社の敷地整備
に伴い、その規模は不明。主体部は箱式石棺と思われる。
以前には、石棺が他に5基あったといわれるが、確認できない。
⑯道風神社古墳群
道風神社本殿のすぐ西側に古墳がある。2基の円墳があり、直径は20
メートルほど、であるが具体的な形は不明。
さらに、小野駅の近くに真野古墳も確認された。

2019.01.26

冬の琵琶湖に立つ

冬の琵琶湖に立つ

足元に揺らぐ橋板の乾いた響き
頬を刺す風の飛翔身体を射し抜き水面へと流れる
天と地を緩やかに動く我が身、眼の届くものもまた上下の仕草
砂に舞う犬たちの点描の黒影、跳ねて飛ぶ灰色の砂粒
寄せて凍える裸木の小枝、骸骨の如き腕に絡まり踊る葦わらたち
微かな朝の陽に水跡の囁かな輪の連なり
漏れる息の薄く小さな水煙のその短命な存在
漂い群れる水鳥、白、茶褐色の木の葉舟の趣
エリの仕掛け棒の凛然たる強さ、その先の朧な薄雲の塊
生の静寂と死の喧騒

鋼鉄の輝きの満月に黒白の世界
銀砂の小雪が舞い薄絹の白さに小鮎の銀鱗揺れる様の水面
八幡山、三上山、黒き連なりが冴えた空気に浮かぶ
何百の亡霊の如き松並木と湧き上がる波たちの囁き
何千年と変わらぬ姿の光景は黙したまま語らず
生き人、死者、亡者の嘆きに冬が透徹した眼を向ける
行き交う人影が月影の彷徨いその身を嘆く
闇は人の本性を隠し剥きださせる
溶けこむ身体に己の心までも存在を失う罪びと
何百々の神の標にその身を厭う
何百々の小賢しく寄せる波にその身を沈ませ祈る
ここは彼岸の里
湖は癒しの場所、生霊の地
月下の明るさに身を清め己が信じる道をただ進む
生き方は何億あれど己は1つ、湖はそれを教授する


2019.01.20

小寒を思う

小寒(1月5日から1月19日ころ)

小正月、地域の神社、今年の豊作祈願や悪魔祓い、吉凶占いなどが行われる。
どんど焼き、巫女による奉納の舞い、小さいながら100年以上も続く神事もある。
そんな祭事にたまたま出くわすと何か得をした気持ちになる。
人間はやはり感情の動物だ。
比良の山並みは白いカーテンにおおわれ、その姿を隠したままだ。白い絹帯
のつらなりは湖辺までつづきそのまま重く沈みこんだ湖面へと消え去っていく。
ヤナ漁の仕掛け棒が薄墨の平板な面から細く黒い影を無数に突き出している。
カモメが数羽、その針先のような上で首をすくめじっとこの寒さに耐えているようだ。
普段は死地のごとき褐色の雑木の群れ、ポツリポツリと点在する農具小屋や
家並みもまた、延々と続く白き世界の中でひっそりとたたずんでいるだけだ。
平板につづく白帯の連なり、その下に眠っている大地がたんぼなのか畑なのか
区別がつかない。小さな池と雑木林も雪に閉ざされ、晩秋に落ち葉を踏みしめ
猫たちと歩き回ったことがうそのようだ。雪を踏みしめて一歩一歩慎重に
進んでも足を取られてしまうほど、雪は深く、己の歩みを笑っているようでもある。
コナラの林、太い幹から伸びた枝枝は、雪の重さに耐えかねて苦しそうにうなだれている。
枯草に覆われていた数日前とは一変していた。
ここにも、雪が枯草や小さな雑草たちを隠し、消し去っていた。狐の足跡が一筋、
木々の間を縫うようにくっきりとその黒点を林の奥へと続かせている。
空も大地もすべてが白い。その静寂に一人立つ。生あるものがわれ一人の世界だ。
真っ白になった頭の中では、次第に時間がゆっくりと昔へと戻り始める。
春のその冷えた空気が残る中で、小さな花たちが芽吹き、白や黄色、赤などの
色の点描を見せはじめる頃、林のなかに小さな生命が湧きだす。夏の強い日差しに
ほっと息をつく
休息のひと時、秋の終わりころの陽だまりの暖かさを感じた。落ち葉の上を
かさかさと音を立ててかけ走るオオオサムシ。彼はいま朽木の中で、どのように
して眠っているのだろうか。紅葉したツタの葉で、重ね合わせた手のひらの上に、
あごを乗せて物思いにふけっていたアマガエルは、土くれの中に無事隠れる
ことができただろうか。小さな動物や虫たち、植物たちのことが、頭の中
を駆け巡る。雪の中で春を待つホソミオツネントンボを見たことがある。
脚で枝をしっかりつかんで体を固定し、体をピンと張って小枝に見せていた。
その力強さに思わず見とれた。
「冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身をかくしけり」
道元の詩とされる。冬の枯草も見えないほどに降り積もった白一色の雪野原にいる
白鷺は、おのれの姿の白さの中に身を隠しているのだ、というほどの
意味というが、この歌の題が「礼拝」とされている。
よくわからない。そんなことが浮かぶ世界でもある。
庭の白一色のなかに、白い六枚の花びらに黄色の花冠の艶やかな水仙の花が
凛とした風情で顔を出している。この水仙の黄色一点が白さのすべての存在を
示している。近くの生け垣は濃いピンクの花びらが周囲を押しのけるように
咲き誇っている。山茶花だ。椿と見分けるのは難しいが、落下した花びらを
見るとよく分かる。ぽとりとその音を見せるように花びらが塊となって、
首が落ちるがごとく、落ちているのは椿だ。山茶花は赤い絨毯を敷き詰めたように
地面を赤く覆っている。だから椿の花を見るのは好まない。
自分の首がすっと落ちていく、そんな様だから。
どんど焼き 橙色の火が滑らかに小竹や笹を伝い白い煙を巻き上げて行く。
松飾や門松も焼く。その火に顔を火照らして新しい年をあらためて感じる。
田の神、山の神、新年を祝いおりてきた神々もそろそろ守るべき自然に帰っていく、
白く龍を思わせるたなびきに今年の安寧を願う。
正月の慌ただしさも薄れ、5日から節分(立春の前日)までを
「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、この日を「寒の入り」とも言う。
更には、「芹乃栄」(せりすなわちさかう)「水泉動」(しみずあたたかをふくむ)
「雉始」(きじはじめてなく)とその風情も少しづつ変化していく。
例えば、芹乃栄(せりすなわちさかう)
一月の初め、セリが盛んに生育する頃であり、冷たい沢の水辺で育つセリは
春の七草のひとつとしても知られているし、一月七日に無病息災を願って
食べる「七草粥」にも入れられる。

我が家でも七草粥を食べる。今年は風邪でかなり調子を落としてる主人に
とって、絶好の御膳となった。そんなこともあり、少し七草粥の由来を
述べてみる。
春の七草といって、七草粥を食べる一月七日は「人日(じんじつ)の節句」
という五節句のひとつだそうだ。
五節句とは?
 1年に5回ある季節の節目の日(節日)のことで
 1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)
 7月7日(七夕)、9月9日(重陽)を指している。
古来日本には、雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」という風習があり、
唐の時代には、人日の日に七種類の野菜を入れた汁物、「七種菜羹
(ななしゅさいのかん)」を食べて、無病息災を祈った。さらに、平安時代
になると中国の風習や行事が、多く日本に伝わり、「若菜摘み」と「七種菜羹」
の風習が交わって「七草粥」が食べられるようになったという。
そして、江戸時代になると、幕府が「人日の日」を「人日の節句」として
五節句の1つと定め、これによって「一月七日に七草粥を食べる」という風習が、
民衆に広がり定着した、と言われてる。
七草粥の具材になる「春の七草」は春の七草とは、
芹(せり)=「競り勝つ」
 解熱効果や胃を丈夫にする効果、整腸作用、利尿作用、
 食欲増進、血圧降下作用など、様々な効果がある。
薺(なずな)=「撫でて汚れを除く」
 別名をぺんぺん草という。
 利尿作用や解毒作用、止血作用を持ち、
 胃腸障害やむくみにも効果があるとされている。
御形(ごぎょう)=「仏体」
母子草(ハハコグサ)のこと。痰や咳に効果があり、のどの痛みもやわらげてくれる。
繁縷(はこべら)=「反映がはびこる」
 はこべとも呼ばれ、昔から腹痛薬として用いられており、胃炎に効果がある。
 歯槽膿漏にも効果があるそうだ。
仏の座(ほとけのざ)=「仏の安座」
 一般的に、子鬼田平子(こおにたびらこ)を指し、胃を健康にし、食欲増進、歯痛にも効果がある。
菘(すずな)=「神を呼ぶ鈴」
 蕪(かぶ)のこと。 胃腸を整え、消化を促進し、しもやけやそばかすにも効果がある。
蘿蔔(すずしろ)=「汚れのない清白」
 大根のこと。風邪予防や美肌効果に優れている。

冬でも主人の眼を愛でてくれるこの二つの花があるというのも、さらに彼をして
堕落的な姿にさせているのだろう。
透き通ったガラス戸が庭のさむさを遮り切りのどかな部屋のぬくもりにうつつを
ぬかし、過ごす冬の日々である。
また、裸をさらしたような枯枝の木々が多い中、金柑の樹は冬になるとその存在感が
増して見える。
梅の木ほど目立たないが、我が家がここに移ってすぐに梅と金柑の機を植えた。
梅のピンクと金柑の黄色がなんとなく気に入ったからだ。
さして大きな理由はなかった。
まだ20年ほどであるから、いずれも老樹とは言えないが、梅の木はその姿形、
幹の斑の模様や木肌の濃い褐色は老樹の趣となっている。だが、金柑はその幹の
濃い緑、花の艶やかな映え具合から壮年の力強さを感じる。
金柑の木は、白く小さな花をつける。それらが、緑濃い葉群の中に白点となり、
その小さく可憐な姿を見せると、庭に落ち着きがただよう。
多くは、2回ほど実をつけるというが、我が家では、12月ぐらいから1月まで
につける実が多い。ピンポン玉を2回りほど小さくした黄色の映える実だ。
冬の彩の失せた中に黄色い玉がたわわに実る様は中々に見ごたえがある。
固く少し棘のある葉は、小さな白い花とその熟れた実をを守るかのような硬さと
頑固さがある。主人も実をとるとなるとちょっとした覚悟が必要であった。
ママがジャムや甘露煮をよく作っていた。風邪やのどにいいという。
甘露煮を美味しく作るコツはゆでこぼしての渋み抜きと種抜きだが、
ちと面倒でだんだん作る回数も減ってきた。

神棚の飾りも神社へ返し、何とはなく寂しい。鏡餅を切って、おしるこで
舌鼓、美味しかった。さらなる寒さに耐える日々を迎える。

2019.01.18

西近江路紀行32冬を行くその3

23節気 小寒
正月の慌ただしさも薄れ、いわゆる小寒の季節、一月五日ごろ
からとなる。暦の上で寒さが最も厳しくなる時期の前半であり、
「暦便覧」では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、
益々冷える也」と説明している。
この日から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」
と言い、この日を「寒の入り」とも言う。更には、「芹乃栄」
(せりすなわちさかう)「水泉動」(しみずあたたかをふくむ)
「雉始」(きじはじめてなく)とその風情も少しづつ変化していく。
例えば、芹乃栄(せりすなわちさかう)一月の初め、セリが
盛んに生育する頃であり、冷たい沢の水辺で育つセリは
春の七草のひとつとしても知られているし、一月七日に無病息災
を願って食べる「七草粥」にも入れられる。

我が家でも七草粥を食べる。今年は風邪でかなり調子を落としてる
主人にとって、絶好の御膳となった。そんなこともあり、少し七草粥
の由来を述べてみる。
春の七草といって、七草粥を食べる一月七日は「人日(じんじつ)
の節句」という五節句のひとつだそうだ。
五節句とは?
 1年に5回ある季節の節目の日(節日)のことで
 1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)
 7月7日(七夕)、9月9日(重陽)を指している。
古来日本には、雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」
という風習があり、唐の時代には、人日の日に七種類の野菜を
入れた汁物、「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」を食べて、
無病息災を祈った。さらに、平安時代になると中国の風習や行事が、
多く日本に伝わり、「若菜摘み」と「七種菜羹」の風習が交わって
「七草粥」が食べられるようになったという。
そして、江戸時代になると、幕府が「人日の日」を「人日の節句」
として五節句の1つと定め、これによって「一月七日に七草粥を
食べる」という風習が、民衆に広がり定着した、と言われてる。

七草粥の具材になる「春の七草」は春の七草とは、
芹(せり)=「競り勝つ」
 解熱効果や胃を丈夫にする効果、整腸作用、利尿作用、
 食欲増進、血圧降下作用など、様々な効果がある。
薺(なずな)=「撫でて汚れを除く」
 別名をぺんぺん草という。
 利尿作用や解毒作用、止血作用を持ち、
 胃腸障害やむくみにも効果があるとされている。
御形(ごぎょう)=「仏体」
 母子草(ハハコグサ)のこと。痰や咳に効果があり、のどの痛み
もやわらげてくれる。
繁縷(はこべら)=「反映がはびこる」
 はこべとも呼ばれ、昔から腹痛薬として用いられており、胃炎に効果がある。
 歯槽膿漏にも効果があるそうだ。
仏の座(ほとけのざ)=「仏の安座」
 一般的に、子鬼田平子(こおにたびらこ)を指し、胃を健康にし、
食欲増進、歯痛にも効果がある。
菘(すずな)=「神を呼ぶ鈴」
 蕪(かぶ)のこと。 胃腸を整え、消化を促進し、しもやけや
そばかすにも効果がある。
蘿蔔(すずしろ)=「汚れのない清白」
 大根のこと。風邪予防や美肌効果に優れている。

お陰で、主人の風邪もだいぶ良くなった。
この地域でも場所によっては、七草全部を入れずに粥にするところも
あるそうだ。
雪が深くなるところは食材を得るのが難しいからだろう。
我が家も家人も猫たちも皆、大きなガラス戸をから外を見ること
が多くなる。冬は春ほどの華やかさがなくなるが、それでも、
クロッカスと水仙はお気に入りである。特に、今、庭先に見える
クロッカスには、少女のあどけなさと雪の中でも凛然と咲く強さを感じ、
彼が好きな花である。紫の手毬のような中に白い線が数本見える。
五、六ほどの花が雪の白さの中から抜け出したようにこちらに顔を
向けている。更に、眼を少し先に転じれば、道路向こうの庭には、
白と黄色の配色のある水仙が可憐に咲いている。毎年他の草花が枯れる
頃になると、芽を出してこの時期に花が咲き始める。細身の身体がなよと緩やかな
婉曲を見せ、白や黄色の花弁をみるに、北斎の描く美人画にも思えてくる。
冬でも主人の眼を愛でてくれるこの二つの花があるというのも、さらに彼
をして堕落的な姿にさせているのだろう。
透き通ったガラス戸が庭のさむさを遮り切りのどかな部屋のぬくもりに
うつつをぬかし、過ごす冬の日々である。
また、裸をさらしたような枯枝の木々が多い中、金柑の樹は冬になると
その存在感が増して見える。

梅の木ほど目立たないが、我が家がここに移ってすぐに梅と金柑の機を植えた。
梅のピンクと金柑の黄色がなんとなく気に入ったからだ。
さして大きな理由はなかった。
まだ17年ほどであるから、いずれも老樹とは言えないが、梅の木はその姿形、
幹の斑の模様や木肌の濃い褐色は老樹の趣となっている。だが、金柑はその
幹の濃い緑、花の艶やかな映え具合から壮年の力強さを感じる。
金柑の木は、白く小さな花をつける。それらが、緑濃い葉群の中に白点となり、
その小さく可憐な姿を見せると、庭に落ち着きがただよう。
多くは、2回ほど実をつけるというが、我が家では、12月ぐらいから
1月までにつける実が多い。ピンポン玉を2回りほど小さくした黄色
の映える実だ。冬の彩の失せた中に黄色い玉がたわわに実る様は
中々に見ごたえがある。
固く少し棘のある葉は、小さな白い花とその熟れた実をを守るか
のような硬さと頑固さがある。主人も実をとるとなるとちょっとした
覚悟が必要であった。
ママがジャムや甘露煮をよく作っていた。風邪やのどにいいという。
甘露煮を美味しく作るコツはゆでこぼしての渋み抜きと種抜きだが、
ちと面倒でだんだん作る回数も減ってきた。
以前、ママの友達が湖東の老舗和菓子のきんかん大福をもらった。
甘さ控えめの白あんと甘露煮した金柑の程よい苦味・酸味がマッチした
不思議なおいしさであった。もち米は地元でとれた最高級の羽二重糯
(はぶたえ)で、柔らかくなりすぎないように工夫しているのが美味しさ
の秘訣と聞いた。梅は実が意外とつかないので、春の心の癒しだが、
金柑は冬の身体の癒しだ。今日もまた痛めた喉に金柑のジャムがゆっくり
と流れ落ちていく。

久しぶりの白い季節だ。
比良の山並みは白いカーテンにおおわれ、その姿を隠したままだ。
庭の白一色のなかに、白い六枚の花びらに黄色の花冠の艶やかな水仙の花
が凛とした風情で顔を出している。
この水仙の黄色一点が白さのすべての存在を示している。
白帯のつらなりは湖辺までつづきそのまま重く沈みこんだ湖面へと
消え去っていく。
ヤナ漁の仕掛け棒が薄墨の平板な面から細く黒い影を無数に突き出している。
カモメが数羽、その針先のような上で首をすくめじっとこの寒さに耐えているようだ。
普段は死地のごとき褐色の雑木の群れ、ポツリポツリと点在する農具小屋
や家並みもまた、延々と続く白き世界の中でひっそりとたたずんでいるだけだ。
平板につづく白帯のるらなり、その下の大地がたんぼなのか畑なのか区別
がつかない。
ため池あとの雑木林も雪に閉ざされ、晩秋に落ち葉を踏みしめ猫たちと
歩き回ったことがうそのようだ。

雪を踏みしめて一歩一歩慎重に進んでも足を取られてしまうほど、雪は深く、
己の歩みを笑っているようでもある。クスノキの林、太い幹から伸びた枝枝は、
雪の重さに耐えかねて苦しそうにうなだれている。枯草に覆われていた
数日前とは一変していた。ここにも、雪が枯草や小さな雑草たちを隠し、
消し去っていた。狐の足跡が一筋、木々の間を縫うようにくっきりとその
黒点を林の奥へと続かせている。
空も大地もすべてが白い。その静寂に一人立つ。生あるものがわれ一人の
世界だ。真っ白になった頭の中では、次第に時間がゆっくりと昔へと
戻り始める。
春のその冷えた空気が残る中で、小さな花たちが芽吹き、白や黄色、
赤などの色の点描を見せはじめる頃、林のなかに小さな生命が湧きだす。
夏の強い日差しにほっと息をつく休息のひと時、秋の終わりころの
陽だまりの暖かさを感じた。落ち葉の上をかさかさと音を立ててかけ
走るオオオサムシ。彼はいま朽木の中で、どのようにして眠っている
のだろうか。紅葉したツタの葉で、重ね合わせた手のひらの上に、
あごを乗せて物思いにふけっていたアマガエルは、土くれの中に
無事隠れることができただろうか。小さな動物や虫たち、植物たちの
ことが、頭の中を駆け巡る。
雪の中で春を待つホソミオツネントンボを見たことがある。脚で枝
をしっかりつかんで体を固定し、体をピンと張って小枝に見せていた。
その力強さに思わず見とれた。
「冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身をかくしけり」
道元の和歌とされる。冬の枯草も見えないほどに降り積もった白一色
の雪野原にいる白鷺は、おのれの姿の白さの中に身を隠しているのだ、
というほどの意味というが、この歌の題が「礼拝」とされている。
よくわからない。そんなことが浮かぶ世界でもある。

24節気  大寒
大寒、そろそろ節気という流れも最後となり、春の兆し。
しかし、昨日からまた雪が降り出し、比良の山も湖も灰色と白く舞う雪の
花にひっそりと見え隠れする。
彼にとって、この季節、二つの情景がいつもその心によみがえってくる。
白く輝く光りを浴びた湖面は三角錐の八幡山と皿を伏せた沖島の島影を
浮き立たせ、細かな波状のつらなりが丸く輝く月の下で揺れかかっている。
雲一つ無い闇天の空に神々しく輝く満月がその様をのぞき見ている。
山と空、水、沖舟にさす影、羽衣のひだと思わす波のはしり、それが
墨絵の 趣で眼前にあった。 彼は、凍えそうな手に己が息を吐きかけ、
闇に身を置いていた。 湖水は寂寞として何も言わず、橋を渡る赤い
いくつもの筋のみが消えては またその姿を現していた。
さらには、湖に薄く舞い落ちる雪の切片が月光に染められ、金粉を
まいている ように湖水の面に踊っていた。湖面も月光に染められ金波
がひろがる上に 雪が休みなく降り続いている。
だが、月が雲にかき消されるとそこは暗闇と化し、何もない。
それは、静寂とある意味甘美の世界でもあった。
むかしの彼であれば、それは苦痛の世界であったろうが、今は違った。
そこに永遠にいたいとも思った。いつの間にか横に猫のチャトがいた。
その眼の中に、今見た彼の情景が映っている。

今年は雪が多い。朝のしじまのなかで見た時は、道路を薄布が覆う
ような細雪であったが、その白い薄片はやがて大きな粒状を成し
ボタン雪となった。
「津軽恋女」という歌に「7つの雪」というのが歌われている。
「津軽の女よ
ねぶた祭の行きずり戯れか
過ぎた夜の匂いを抱いて 
帰れと叫ぶ岩木川 降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
津軽の海よ 三味がゆさぶるじょんがら聞こえるよ
嘆き唄か 人恋う唄か 胸のすきまに しみてくる 降り積もる雪雪雪
また雪よ 津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪」
だが、ここではそれほど多彩な雪は見られないし、思いなせない。
そんな考えが浮かぶほどの今日の雪だ。

ボタン雪、それが風に揺られことはなく、ほぼ垂直に天から地へと
落ちてくる。1時間もすると家の周辺は白く輝く光が満ち、ただ平板な
白い地面となった。すでに、40センチほどの雪の絨毯が庭を被っている。
猫のライが飛び出したものの、雪の中にはまり大慌てで出ようとするが、
目の前はただただ白い壁が続くのみ、彼にとっては何回も経験している
はずであるが、相変わらず懲りない男である。
助けての叫びに、わたしもまたかの顔で抱きかかえに行く。だが、
犬のルナは違った。
元来寒さには強い犬種でもあり、自分の顔が沈むほどの深さの中に飛び出し、
白く深く伸びた雪原のごとき広場をはね飛びながら遊んでいる。
梅ノ木もその枝枝を白き雪帽子で着飾り、他の草花はすでに影形なく、
映え光る白の世界に埋没している。
薄いベールの先に見えていた比良の山並みも薄墨の壁紙がはられたように
彼の視線から消し去られた。われわれはただ水滴がこぼれ落ちる窓ガラスの
中で、ひっそりとこの情景に見入るのみだ。
だが、この辺りを北国と呼ぶには、雪の中に数か月も閉じ込められる
「北国の人」には大いに失礼だ。その想いを柳田國男は「雪国の春」の
中でうまく綴っている。
「故郷の春と題して、しばしば描かれるわれわれの胸の絵は、自分等
真っ先に日の良く当たる赤土の岡、小松まじりのつつじの色、雲雀が
子を育てる麦畑の陽炎、里には石垣のタンポポすみれ、神の森の大掛かりな
藤の紫、今日から明日への題目も際立たずに、いつの間にか花の色が淡くなり、
木蔭が多くなって行く姿であったが、この休息ともまた退屈とも
名づくべき春の暮れの心持は、ただ旅行してみただけでは、おそらく
北国の人たちには味わいえなかったであろう。北国でなくとも、
京都などはもう北の限りで、わずか数里離れたいわゆる比叡の山蔭に
なると、すでに雪高き谷間の庵である。それから嶺を超え湖を少し
隔てた土地には、冬ごもりをせねばならぬ村里が多かった。
丹波雪国積もらぬさきにつれておでやれうす雪に
という盆踊りの歌もあった。これを聞いても山の冬の静けさ寂しさ
が考えられる。日本海の水域に属する低地は、一円に雪のために交通
が難しくなる。伊予にすみ慣れた土居得能之一党が越前に落ちていこう
として木の目峠の山路で、悲惨な最後を遂げたという物語は、
「太平記」を読んだ者の永く忘れえない印象である。
総体に北国を行脚する人々は、冬のまだ深くならぬうちに、何とかして、
身を入れるだけの隠れ家を見つけて、そこに平穏に一季を送ろうとした。
そうして春の帰ってくるのを待ち焦がれていたのである。越後当たり
の大百姓にはこうした臨時の家族が珍しくはなかったらしい。、、、
汽車の八方に通じている国としては、日本のように雪の多く降る国も
珍しいであろう。それがいたるところ深い谷をさかのぼり、山の屏風
を突き抜けているゆえに、かの、黄昏や又ひとり行く雪の人の句のごとく、
おりおり往還に立ってじっと眺めているような場合が多かったのである。
停車場には時として暖国から来た家族が住んでいる。
雪の底の生活に飽き飽きした若い人などが、何という目的もなしに、鍬を
ふるって庭前の雪を掘り、土の色を見ようとしたという話もある。
鳥などは食に飢えているために、こと簡単な方法で捕らえられた。
二、三日も降り続いた後の朝に、一尺か二尺四方の黒い土の肌を出しておくと、
何のえさも囮もなくてそれだけでヒヨドリやツグミが下りてくる」
彼はこの一節を読みながら、ストーブの前を占拠している五人の猫たちの
顔を一睨みした。チャトなぞは堂々と腹と隠すべきものまでさらして寝ていた。

大寒は、一月二十日ごろ、寒さが最も厳しくなるころである。
「暦便覧」では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。
そして、初めの五日ほどを「款冬華」(ふきのはなさく)、「水沢腹堅」
(さわみずこおりつめる)、最後に「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)
と昔の人はこの季節を細かく言い表している。
朝の空は青一色、そこに櫛で梳いたような雲がたなびき、木立の向こうには、
いまなお細い月が消え残っている。前夜の雪がまだその残滓を残し、街は白く
輝いていた。朝の寒さの中、街の一番奥にある丘の上に彼はいた。
まるで雪に埋もれる木々のごとく立ち尽くしていた。
主人はまたこの季節を迎え春を感じ始めることに安堵した。
だが、彼の頭は茫洋とした果てしない過去のつなぎの中にいた。広々と
視界の開けた自然な中に立ったいま、彼はふたたびある場所と次の場所
との中間地点にあって、頭には、様々な情景がなんの束縛もなく去来していく。
この数十年のあいだ考えまいとして抑えつけて来た過去のもろもろが
解き放たれ彼の中を駆け巡っている。おかげで、いま彼の頭の中では
様々な情景がけたたましくさえずりながら、独特の騒々しいエネルギー
を発していた。
夜来よりの雪の残り香であろう小さな宝石の雫を光り輝かせる丘の上
の桜の木。この自然が描く一幅の浮世絵の中をあこがれの目で眺め、
自分の素足が柔らかな草花に沈むところを想像した。横をほとばしる水
が鞭となって空気を打ち破りながらときおり陽の光を捉えてきらめき
流れて行く。
黒くむき出した野原の中に、赤く燃え映えた花が一群を成していた。
ハート形をした柄の長い葉には白斑があり、伸びた花茎に篝火を
たいているように白い雪原にその赤さを誇っているようだ。
シクラメンだった。まだ若かった頃聞いたあの歌が思い出される。
「、、、うす紅色(べにいろ)の シクラメンほどまぶしいものはない
恋する時の 君のようです 木もれ陽あびた 君を抱(いだ)けば
淋しささえも おきざりにして 愛がいつのまにか 歩き始めました
、、、、」
ある人に言わせると、「シクラメンのようなかほり」で、奥さんを
思っての歌だともいう。
寒いなかに一刻の温かさが心を過ぎる。

眼の前に広がる白く平坦な世界は、昔、関東を訪れた時の情景を
思い起こさせた。遠くに霞むように筑波の山が見え隠れするが、
それが時間を経ようとそのままの大きさで眼前に見えている。
冬のこの関東の平野は寂しい。
稲はぎの残る刈田にも、桑畑の枯れた桑の枝にも、またその間の目
に滲む緑を敷いた冬菜畑にも、沼の赤みを帯びた刈れ葦や蒲の穂にも、
粉雪は音もなく降っていたが、積もるほどではなかった。
関西の人間にとって、一時間乗っても、山並みがまったく現れない
この茫漠とした平板な景色は想像できない。電柱が一本二本とわずか
の雪をその肌につけ、後ろへ後ろへと流れていくが、過ぎゆく白く
光る真綿の地と遠くかすむような筑波の山影は変わらずそのままである。
その単調が彼らを苛立たせる。車窓にかかる雪は、目に見えるほどの
水滴にも及ばないで消えた。空が水のように白んでくると思うと、
そこから希薄な日がさしてきた。
雪はその日ざしの中で、ますます軽く、灰のように漂った。いたる
ところに、枯れた芒が微風にそよいでいた。弱日を受けてそのしなだれた
穂の和毛が弱く光った。
野の果ての防風林は霞んでいたが、空の遠くに一箇所澄んだ青があって、
そこに空の池が出来ていた。それは実にしんとした情景だった。
電車の動揺と重い瞼とが、その景色を歪ませ、攪拌しているかもしれない
けれど、彼は、こんな鋭利な光景は久しぶりのような気がした。
しかもそこには人の影は一つもなかった。また少し空がひらけて、
薄日の中に雪が舞っていたが、田んぼのあぜ道の傍らの藪の中から
数羽の雀が飛び立った。古びた駅舎の横にある松並木に混じる桜の
冬木には青苔が生え、藪に混じる白梅の一本がその紅色の花を昼下がり
の弱い日差しの中で、鮮明に見せていた。
若きときの一瞬の時間が切り取られ、この琵琶湖と比良の山並みとの
対比に過去の自分の過ごした日々を思った。

泉鏡花の瓔珞品(ようらくぽん)がある。
琵琶湖の夜の美しさに魅了された主人公が何度となく琵琶湖を訪れる。
天人石を探したり、夢の中で鮒になったり、無限の世界を体感する。
冬の透徹した寒さと空気感がこの記述には一番ふさわしいと思っている。
「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、
星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する
姿がありありと拝まれると申します。」「霜のように輝いて、自分の影の
映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ渺茫として、水や空、
南無竹生島は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、月が染みて、
羽衣のひだをみるような、、、」と夜の湖水を表現している。
瓔珞は仏像の胸や頭を飾る飾り。石山や彦根、竹生島などが背景にある。
更には、
「前後に松葉重なって、宿の形は影も留めず、深き翠みどりを一面に、眼界
唯限りなき漣さざなみなり。この処によずるまで、手を縋り、かつ足を支えた、
幹から幹、枝から枝、一足ずつ上るにつれて、何処より寄することもなく、
れん艶たる波、白帆をのせて背に近づき、躑躅を浮かべて肩に迫り、倒さかさまに
藤を宿したが、石の上に、立ち直って、今や正に、目の下に望まれた、
これなん日の本の一個所を、琵琶にくぎった水である。
妙なるかな、近江の国。卯月の末の八つ下がり、月白く、山の薄紅、松の梢に
藤をかけ、山は翠の黒髪長く、霞は里に裳もすそを曳いて、そよそよとある風の調べは、
湖の琵琶を奏づるのである。」

この世界は、秋でも春でもない。冬の琵琶湖に佇むとそれがよく分かる。

«西近江路紀行32 冬を行くその2

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