« 2014年11月21日 | トップページ | 2014年11月28日 »

2014年11月22日

2014.11.22

日本人の心を仏像より観る

和辻哲郎の「古寺巡礼」は、奈良周辺のお寺にある仏像の美しさに
心を魅かれた彼の想いとそれをベースとした古寺全体についての
時代的な流れについて書かれている。

ここでは、「仏像の形」から、そのような仏像が何故出来たのか?
を日本文化の問題点、日本人の心の問題として考え、現代への意味付けを
含め、「仏像 心と形」と言う本を中心に、考えてみる。

例えば、法隆寺の仏像は、飛鳥時代の精神、考えが客観化したものであり、この
表現されたものを通じて、その背後にある飛鳥時代の人間の生き方、
考え方、想いを理解したい。

1)釈迦如来像
釈迦如来像が作られ始めたのは、550年ごろ、仏教の伝来とともに、
始まった。
そのため、釈迦牟尼仏を理解する必要があり、京都市上品蓮台寺などに
保管されている絵因果経は、わが国に残る仏伝を取り扱った最古の作品である。

生まれたばかりの釈迦は、32相80種好の異なる特色を具備していたという。
これは、釈迦仏、薬師仏、阿弥陀仏でも、同じく、32相80種好を具備するもの
と規定している。
32相には、肉桂相や白豪相などがある。
仏陀の見分け方は、手の位置、指の曲げ方、などで、何仏かを決定している。
これを印相、印契と読んでいる。
涅槃像は、仏が入滅する時の姿勢で、最古の作品としては、貴重である。
そして、涅槃図の中には、1つの感情の動きがある。じっとその悲しみを
押し殺している弟子と慟哭し、嗚咽している一般民衆には、大きな差がある。

原始仏教(人生の苦の原因である愛欲を断ち切ること)から大乗仏教への進化
を考える必要がある。
大乗仏教では、もっぱら釈迦の存在を超歴史化、超人化して、人間とは違う
如来や薬師、大日、阿弥陀などの多くの仏を創りだした。これらのことにより、
仏教は、初めて宗教と言える形となっていった。


2)薬師如来像
どんな宗教でも、それが一般民衆に受け入れられるには、何らかの現世利益
的信仰の形が必要となる。人間の悟りの境地を最終目的とする仏教においても、
一般民衆をその振興に導くための方便として、様々な現世利益を
与える仏が出現して、その信仰を集めてきた。
薬師如来は、それの代表として、広く信仰を集めてきた。
日本でも、観世音菩薩がまず、信仰され、その後、教理的な位置付けとしては、
あまりされていないが、曼荼羅図にも描かれる薬師如来が広く一般民衆の
振興の対象となっていく。
最初は、7世紀ごろ、法隆寺の金堂像として、造立される。
旧いものでは、奈良法輪寺、京都神護寺にある。
戦前の日本では、功利主義や実用主義はほとんど思想として認められていなかった。
しかし、功利主義などを公の価値から排除することが薬師如来の評価
する場合には重要となる。
すなわち、この薬師如来崇拝からは、日本人の「合理的実利精神が
明確となる。
その具体的な事実として、「比叡山延暦寺の本尊が、「薬師如来」であるという
ことを考える必要がある。そこには、日本文化の雑種的混合的な性格とその雑種性
混合性を統一するものが、現世利益の精神と思われる。

その人気の点では、現世に対する絶望と死に対する不安から、阿弥陀如来と
なって行くが、やはり現世利益の薬師如来が一般民衆では、本尊とかんがえられ、
現世での薬師如来、来世での阿弥陀如来の二元崇拝となって行く。
しかし、法然、親鸞により、薬師による現世利益崇拝が主となる。
親鸞に、現世利益和讃と言うのがある。
 南無阿弥陀をとなれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ

 南無阿弥陀仏をとなえれば
 十万無量の諸仏は
 百重千重囲適して
 よろこびまもりたまうなり

要は、南無妙法蓮華経と唱えれば、この世においても幸福を得ることが出来る。

3)阿弥陀如来像
一如来は一浄土を開いているが、阿弥陀如来の極楽浄土が広く知られているため
その有様は、「観無量寿経」に詳しく書かれている。
法隆寺の阿弥陀如来像(橘夫人念持仏)は白鳳時代の傑作である。
平安時代には、末世思想が広く信じられ、末法時代になるとの恐れもあり、
阿弥陀仏の信仰が「念仏するだけでこの末法時代から逃れられる」ことで、
阿弥陀如来像の造率やその仏画が多く作られた。

阿弥陀如来像の印相は、最も種類が多い。
一般に阿弥陀如来の印相は、両手ともに第1指と第2指とを捻して、
輪のようにしているものである。上品上生から下品下生の9種類がある。

多くの阿弥陀如来像は、丈6象が基本であり、京都法界寺、京都浄瑠璃寺
の本尊、京都宝菩提院本尊などが有名である。
また、陀如来堂には、2つの考えがあり、念仏を修行する場と極楽浄土
のような華麗絢爛な装飾で極楽浄土を現したものである。
来迎図にも、一尊、三尊、二十五菩薩来迎、聖衆来迎など様々な来迎図
がある。
京都知恩院の阿弥陀如来二十五菩薩来迎図、高野山の聖衆来迎図、滋賀の
西教寺の迅雲来迎図、京都泉湧寺の二十五菩薩来迎像などが有名である。

阿弥陀仏信仰は、藤原時代から急速に大衆化し、多くの信者が
増えた。このため、浄土の有り様を描いた画が多く書かれ、浄土曼荼羅
、浄土変相図として、その拡大の一端を担った。
特に、当麻曼荼羅、智光曼荼羅、清海曼荼羅の浄土三曼荼羅は有名である。

■現代における阿弥陀の浄土と彼岸の世界
阿弥陀如来の「我々の死後、救済してくれるという」考えが現代人に
通用するか、はかなり疑問が残る。慈悲として釈迦如来、現世利益の
薬師如来、宇宙総括の大日如来は、感覚的にも納得の行く所であるが、
彼岸そのものがありえるのであろうか。

しかし、平安時代以降、阿弥陀如来の以外の仏教美術は、その多くが
消えたり、影響を受けたりして、日本文化の核となって行く。
そして、阿弥陀の極楽浄土を深く知るには、日本文化や」日本人の心を
知るには、「観無量寿経」への理解が必要となる。

観無量寿経は、父と母を殺そうとする太子が幽閉の身にする。そこで、
母は、釈迦に極楽浄土へ行く方法をおしえてもらう。「定善と散善である」
これにより、幾つかの散善の方法により、極楽浄土に9品のレベルで、
いけるようになる。
しかし、その教えである浄土教は、思想的な変化をして行く。往生要集の
源信から法然、親鸞となり、民衆へと更に広がる。
阿弥陀を本尊とする浄土教が「現世への絶望や死への不安、美や善への
憧憬」を単に彼岸への約束だけで、実現できるものではない。
ここに、阿弥陀如来を基本とする教えの限界があるかもしれない。

4)大日如来
大乗仏教が本格的に広まり、お釈迦様が仏としての釈迦如来の意味づけが
強くなると、上救菩薩下化衆生の具現化のために、様々な仏が出現する。
阿弥陀如来、薬師如来などであり、夫々が具体的な性格を持って出現した。
そして、釈迦如来を1つのものに統一する思想が濾巡那仏を仏教の本源の
仏と考えるようになった。その仏があらゆる世界に釈迦として出現する
と考えた。
この教義を具体的に展開したのが、真言密教である。
このため、大日経、金剛頂経の両経典ともに、基本は同じであるが、
大日如来の姿は印相を含め、かなり違う。また、大日如来像は、
王者の風格を現そうとしているためか、他の如来と違い、多くの
装飾をつけている。曼荼羅が重要な位置を占め、胎蔵界と金剛界
の両界曼荼羅を1対のものとして扱うのが通例でもある。
神護寺の紫綾地金銀泥両界曼荼羅図が有名である。
仏像では,案祥寺五智如来像、高野山竜光院の本尊、法勝寺の
四面大日如来、渡岸寺の胎蔵界大日如来像、唐招提寺の濾巡那仏
坐像などがあるが、諸仏、諸菩薩を統一する中心本尊として
の仏であり、大衆信仰の対象としては、あまり出てきていない。

■大日如来の日本社会での位置付け
大衆信仰として、大日如来の存在はそれほど高いとは思えない。
そのりゆうとしては、
・真言密教の本尊であり、浄土宗、浄土真宗、禅宗日蓮宗の多さに
比べて、天台宗とともに、その数が少ない。
・大日如来が智の仏であり、「情」を基本とする日本人の心性、
日本文化の性格に合わないことがある。
しかし、大日如来が根源となり、ほかの如来や菩薩の崇拝を育てた
のではないだろうか。
更に、これらの背景に華厳思想があることを忘れてはならない。
曼荼羅の基本は、大日経に基づく胎蔵界曼荼羅と金剛頂経に基づく
金剛界曼荼羅を2対1組とする両界曼荼羅であるが、結局は絶対の仏
である大日如来に統一されていく。
例えば、現在の胎蔵界曼荼羅である中台八葉院略図では,13の院
に分かれており、この院を囲んで、持明院、遍智院、蓮華院、金剛手院
が囲み、第2、第三重に多くの仏が配置されている。
そこには普賢菩薩、文殊菩薩など8つの菩薩との関係を上手く描いている。
両界曼荼羅は、一目で、仏教の深遠な思想が理解されるようになっている。
例えば、第3層の釈迦院はたにんん救済に向かうし、文殊院は、自己深化、
自己向上へ向かう。

■日本人の生命観と密教との関係
日本人は、古来から自然の中に、生ける神の姿を観る民族である。
このため、自然崇拝に適した仏教が日本では受け入れやすかった。
また、在来からの神道とも同じである。
智を基本とする大日如来は、観音、弥勒などの「情」を基本とする
ような仏に対しては、やや馴染みにくい。

5)観音菩薩像
菩薩は、大乗仏教の中で、発展し、密教の広がりとともに、特に
その数が増えた。これは、「上救菩薩、下化衆生」の仏教の境地
を示す。特に、観世音菩薩への大衆信仰の大きさは凄い。
観世音菩薩の国内での広がりは、観音霊場三十三箇所を巡拝する
風習も始まった。
その始まりは、500年ごろの陀羅尼雑集12巻と思われる。
更に観音像は、十一面観音、如意輪観音などに拡大していく。
観音信仰は、日本書紀の記述では、天武天皇時代にもあり、その
始まりはかなり古い。

十一面観音の規定は、正面の三面が菩薩面、左三面が槇面(憤怒)
右三面は菩薩面に似て狗牙が上に出ている顔につくり、後ろの一面は
大笑面、頂上に仏面を創ることになっている。
次に出現した不空賢索観音がある。この観音は、多くの寺に安置
されたとあるが、現在は、広隆寺、興福寺、東寺などに僅かに残るのみ。
次の千手観音では、正式には、大阪葛井寺の観音のように、四十八手
を大きく作り、残りの9百本以上を光背のように、背後に広げたように
配列する。これを好く現しているのが、京都三十三間堂である。
更には、馬頭観音、准禎観音、如意輪観音、聖観音などがある。
なお、観音信仰の著しい典型的な例としては、西国三十三箇所の
観音である。千手観音が16体、11面と如意輪観音が6体、
聖観音が2体などとなっている。

観音が大乗仏教の慈悲の精神そのものを表現していることもあり、
その信仰対象になったのであろうが、美的な面では、ややグロテスクな
千手観音にその信仰が集まるのは、何故か?
人間は、複雑であり、怪奇的な面をも持つという多面性を現すことが
重要と考えられたのであろう。更に、人間の苦行の叫びを聞く
だけではなく、直ちに救済を行うための実践隣、それが千本の手
となる。
観音経では、大火、大水、羅刹鬼、刀杖、悪人、拇械枷鎖、怨賊
などの七難から衆生を救い、三毒、淫欲、槇志、愚痴などの
内面的な毒から衆生を救う現世利益の力がある。更に、観音は、
三十三身に変化して、民衆を救う。
このような観音を信じることにより、安心、希望、畏怖、
感謝の心を持つことになる。
観音信仰は、「あらゆる生けるものの中に観音の現われを見る」
思想であるが、これは、全てのものは、可能性として、この宇宙の
大生命を宿していることにもなるが、工業社会の進化は、
「世界は我々の支配」と言う間違った考えが支配している。

6)地蔵菩薩
地蔵菩薩は、村の入り口、畑の横など常に我々の生活に溶け
込んでいる仏であり、ほかの菩薩とは違い、頭上に宝冠を
頂くことなく、袈裟と衣を着用した普通の僧侶の姿が基本である。
経典には、実を作り出す「地」は偉大であり、同じくこの菩薩は
全ての衆生を救済する力を持っている、と言っている。
更に、平安時代以降、死んだ人も救済すると信仰されたこともあり、
多く造られた。
これを具体的な形にするため、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、
天道を救うため、六地蔵菩薩として、安置している。
地蔵菩薩は、ほかの観音菩薩などと同じく、現世利益を説いて
いるが、更に、過去に死去した人の罪を救済し、解脱へと導く
菩薩としても信仰されている。
地蔵菩薩は、民衆の生活に深く根付いた仏でもあり、その証
として、多くの和歌、狂歌、歌謡曲などに無数に登場する。

« 2014年11月21日 | トップページ | 2014年11月28日 »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ