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2015.04.10

日本文化短描

日本文化、様々な分野、活動があるものの、以下の3例を参考にその姿を
自分で考えてもらいたい。

1.ドナルド・キーンの想い。
日本文化への想いを感じ、各人も一考して欲しい。
「その起源は、室町時代の足利義政の美的趣味から始まっているが、
日本人は、過去の歴史や慣習を簡単に手放してしまった。日本の文化は世界の
勝者となったが、戦後までの風景、情景を今ではほとんど思い出されない。
しかし、私は古典からは得られない日本の姿を現代の視点で見る事を学んだ。
グローバル化が進む中、日本文化は世界に何を貢献できるのだろうか考えたい。
高齢化、機械化が進み、膨大な余暇を手にした人類の未来には、日本の第二芸術と
言われるものが役立つと考える。素人が参加できる第二芸術が日本では非常に豊かに
育まれている。
格式のある家元制度から地域の集まりまで、多種多様な組織が共存し、老若男女が
研鑽を積みあう世界である。
それが日本の美意識を支えてきた。
能、文楽、歌舞伎のファンが増え、茶道、華道、書道など、日本人の向上心の源
である「道」は、世界へ広がる。このような第二芸術は、一般人に育てられ
広く日本社会に受け入れられている。

2.茶道の四規七則 
七則とは、ある人が利休居士に「茶の湯の極意を教えて欲しい」と尋ねたのに
答えたもの。ところが、その答えが当たり前のことすぎたので「そんなことは
誰でも知っています」というと、利休居士は「この心に適う茶ができるのであれば、
あなたの弟子になりましょう」と言われたとのこと。
「茶道裏千家淡交会 会員のしおり」より

四規
 和敬清寂
七則
 茶は服のよきように点て、炭は湯に沸くように置き、冬は暖に夏は涼しく、
 花は野の花のように生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ


 茶には「和」という根本理念が流れています。それは、茶人たるものは腹を立てない
とか、仲良くするべきだとかいった表面的なことのみならず、己の心の和、道具の取り
合わせの和、席中相客の和が合わさってこそ、心の乱れのない点前ができる。
また、人の心の和とは禅の悟りの境地を表すものであり、この普遍なる価値を有する
和は、茶の修道においても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるもの。

 人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うことがなければ、どんな茶
事や茶会でも自己満足で終わってしまう。上へへつらうことなく、下には丁重に
接することで敬し敬される関係が生まれる。


 清らかであること。例えば、茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い口を漱ぎます
が、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりではなく、手水の水には心身を清める
という意味が込められている。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、
同時に内からも清めているのだという気持ちを大切にする事になる。


 寂、すなわち静かでなにものにも乱されることがない不動心を表している。
客は静かに心を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた語に
よって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。
そして感謝を込めてお茶をいただく。まさに自然と同化することによって寂の心境に至
る。

茶は服のよきよう点て、
 「服のよき」とは差し上げる相手が飲みやすいように、適度な湯加減と茶の分量でお
茶を点てるということ。形通りに点てても心がこもっていなければ何にもならない。
主客の直心の交わりがあって初めて本当の意味での「服のよき」お茶が供される。

冬は暖に夏は涼しく、
「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように」という、「いかにも
~ように」という心映えを生かした工夫が求められる。茶事も夏なら朝の涼しい
内に催し、茶室の中、露地、道具の取り合わせに様々な配慮がなされ、自然に融和し、
四季の移ろいの偉大な恵みを主客ともに分かち合う気持ちの中からさりげない気遣い
が生かされてくる。

花は野の花のように生け、
 茶花は自然にあるがままを茶室に移し生けます。ことさらに技巧は加えません。
一輪の花であってもその花が自然から与えられている全生命を生けると
いう心が大切。

相客に心せよ
お茶を介して同席するお客様への心遣いのこと。亭主から客だけでなく、正客は次
客の、連客はお詰の、それぞれの立場を考えて動作することが大切であり、そうして
初めて和やかな茶席の雰囲気が醸成されていく。


3.薬師如来像から見えるもの
どんな宗教でも、それが一般民衆に受け入れられるには、何らかの現世利益
的信仰の形が必要となる。人間の悟りの境地を最終目的とする仏教においても、
一般民衆をその振興に導くための方便として、様々な現世利益を
与える仏が出現して、その信仰を集めてきた。
薬師如来は、それの代表として、広く信仰を集めてきた。
日本でも、観世音菩薩がまず、信仰され、その後、教理的な位置付けとしては、
あまりされていないが、曼荼羅図にも描かれる薬師如来が広く一般民衆の
信仰の対象となっていく。
最初は、7世紀ごろ、法隆寺の金堂像として、造立される。
旧いものでは、奈良法輪寺、京都神護寺にある。
戦前の日本では、功利主義や実用主義はほとんど思想として認められていなかった。
しかし、功利主義などを公の価値から排除することが薬師如来の評価
する場合には重要となる。
すなわち、この薬師如来崇拝からは、日本人の「合理的実利精神が明確となる。
その具体的な事実として、「比叡山延暦寺の本尊が、「薬師如来」であるという
ことを考える必要がある。そこには、日本文化の雑種的混合的な性格とその雑種性
混合性を統一するものが、現世利益の精神と思われる。

その人気の点では、現世に対する絶望と死に対する不安から、阿弥陀如来と
なって行くが、やはり現世利益の薬師如来が一般民衆では、本尊とかんがえられ、
現世での薬師如来、来世での阿弥陀如来の二元崇拝となって行く。
しかし、法然、親鸞により、薬師による現世利益崇拝が主となる。
親鸞に、現世利益和讃と言うのがある。
 南無阿弥陀をとなれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ

 南無阿弥陀仏をとなえれば
 十万無量の諸仏は
 百重千重囲適して
 よろこびまもりたまうなり

要は、南無妙法蓮華経と唱えれば、この世においても幸福を得ることが出来る。

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