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2015年6月19日

2015.06.19

近江文学から旅を深める

近江(滋賀)は比良山系や伊吹山などの山並と琵琶湖を中心とする水の世界が
上手く混在し、更には古代からの遺跡や神社などの文化土壌の深さから
多くの文学作品に登場している。
最近、旅の企画などに関わっているが、単に目に映る光景に感動するだけではなく、
文学に登場する同じ場所を作者の視点で描きこんだ文から、新しい感動が
あると感じ始めている。五感の全てを動員するのが文学であり、私たちの感じ
切れていない世界を現出してくれるし、時を深く感じれるのも文学作品からである。
今近江に関係する作品を少しづつ洗い出しているが、既に70作品以上もある。
今回は、その中から、私的に気になった作品を紹介していきたい。

1)星と祭(井上靖)
娘と父親が琵琶湖で亡くなった二人が湖岸の十一面観音を巡礼。
高月や木之本町の十一面観音を美しく描いている。
この作品は、人間としての業や弱さが淡々として描かれており、個人的にも
考えさせられる。
「ただ、現在この十一面観音がここにあるということは、これを尊信した
この土地の人の手で、次々に守られ、次々に伝えられて、今回に至ったと
言う事であろう。架山はこれまでにこのような思いに打たれたことはなかった。」
「まず、善隆寺の観音様、そして、宗正寺の観音様、医王寺の漢音様、鶏足寺の
、、、、、。湖は月光に上から照らされ、その周辺をたくさんの十一面観音で
飾られていた。これ以上の荘厳された儀式というものは考えられなかった。」

十一面漢音については、白洲正子、和辻哲郎の作品があり、その美しさを
教えてもらったのは、こちらからだが、現地を訪問した時、この作品を思い出す。

2)竹生島心中 青山光二
心中にいたるまでの心境が美しく描かれている。
八日市、近江八幡(とくに明治末期の情景が詳しい)、長浜の町が登場する。

3)宗方姉妹(大仏次郎)
戦後間もなく満州から引き揚げてきた宗方一家とその周辺を描いている。
長浜の曳山祭りを鮮やかな色彩の思い出として描いた。作品の中には、示唆ある
言葉も多い。
「昔の人間が造って残してくれたものは、いつまで経っても大切」
「町の中に美しい川を持つのは、都市として他に取り換えるもののない幸福
なことである。」
「日本間は、何もおいていなくとも心が鎮まるようにできている。ヨーロッパ
の生活は置くものがなければいけないでしょう。欲が生活様式の基礎になって、
背負ってきた荷物がだんだん重くなって、邪魔になって、動きが取れなくなる」
また、書かれている会話の言葉が美しい。最近の簡略化し、情緒のない言葉に
慣れた人にとっては、大いに参考になるのでは。
ラリックのガラス花瓶についての美しい記述もある。
「ガラス細工にしては厚みのあるどっしりとした花瓶で、水色に葉飾りを彫刻
してあるのが光の当たる調子で美しく淡い紅いの色が浮いて出るのを、宏は
電燈の下で動かして見せた。」

4)春(島崎藤村)
関西漂泊の旅から始まる自伝的な小説であり、彦根、八日市などを
描いている。

5)干拓田(早崎慶三)
近江八幡から安土をまたぐ大中の湖を描いている。
「安土に野に広がり、湖周は深い葦原で行行子と句の上で呼ばれる
葦きりが、さしひきする潮波のさまで囀り合う初夏には水辺一面
目の覚める鮮明さで、まっ黄く、ひつじぐさ科の河骨が息吹をあげる。
水面四、五寸抜き出たその一輪花の群れを、かき分けるようにして
野菜舟が櫓べそを軋らせて通う。、、、冬は鴨が舞い降り、青葦は
乾いて野晒しの骨の擦れ合う佇しみの中にも飛沫をはねて鯉の躍る
音がする。深々と納まり、ひそやかに呼吸する水郷であった。」
大中湖の干拓により追われた漁師の悲哀がある。

6)安土往還記(辻邦生)
安土城を訪問した通訳の人の語りからその素晴らしさを味わう。

7)筏(外村繁)
五個荘の近江商人の一族を数代にわたり描いた。今は雛人形などで、昔の
華やかさが垣間見られるが、消化の佇まいは近江八幡の商人屋敷と同様に
歴史の流れをあらためて感じる。

8)歴史を紀行する(司馬遼太郎)
蒲生郡石塔寺の石塔の由来を考える。日本の中の朝鮮文化とも言われる。
司馬遼太郎の「街道をゆく」の第一巻は湖西から始めようとの本人の
希望があったと言う。他にも3冊ほど近江について描いているが、第1巻
は私の住まい近くでもあり、新旧の違いをこの本からも感じられて面白い。

9)雪の下(倉光俊夫)
野洲の中主を訪れた移動演劇の人と農家の青年の交わり描いている。
農村風景の具体的な描写が特徴。

10)瀬田の唐橋(徳永真一郎)
唐橋が一人称で自分の見てきた歴史を語る。
11)ぼてじゃこ物語(花登こばこ)
ぼてじゃこを皇室の献上魚の「鰉ひがい」にする物語。
なお、花登の生家は今の大津長等1丁目にあり、大津図書館にはその専門
コーナーもある。

12)僧興義、鮫の恩返し(小泉八雲)
三井寺の僧興義が病気になったときに魚となり、琵琶湖へと泳ぎ出し釣られて料理
される寸前に蘇生する。琵琶湖の美しさを描いている。
「水がえらい青くてきれいでの、ひと泳ぎしとうなった。、、、目の下にも、
ぐるりにも、美しい魚どもがぎょうさん泳いどる。、、、わしはそこから泳いで、
いろいろ美しいところを巡ったようじゃ。、、、青い水面に踊っておる日の光を
眺めて楽しんだり、風かげの静かな水に映る山々や木々の美しい影を、心行く
ばかり眺めたり、、、とりわけ今でも憶えておるのは、沖津島か竹生島あたりの
岸辺が、赤い垣のように水に映っているけしきじゃ。」
「鮫の恩返し」と言うのは「明暗」と言う作品の中にある話。
主人公藤太郎が竜宮を追い出されて瀬田の唐橋にいた鮫人を助け、その鮫人が
藤太郎の恋を成就させるという恩返しの話。

13)一歩の距離(城山三郎)
陸上自衛隊大津駐屯所のあった航空隊での4人の予科練生を中心とした際川や唐崎
での終戦直前の話。
「(浮御堂の光景は)小学校の遠足の日でも思わせるような、のどかな姿であった。
、、、だが、そうしたのどかさは、うつろいやすい仮のモノでしかなかったし、
彼らはそれを承知していた。平和とは常に仮のものである。平和を願うなどと言う
のは、臆病者であるどころか日本人でさえない。」

14)かくれ里(白洲正子)
近江を「日本文化発祥地、裏舞台」と考える白洲。
「秘境と呼ぶほど人里はなれた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋から
逸れた所にある。」というかくれ里を近畿26箇所えらび、古くから伝わる
宗教行事や民俗的な場所を訪れた。たとえば、明王院の「夏安居」(げあんこ)、
太鼓乗などの由来や作法、背景などを綴っている。

15)安土セミリオ(井伏鱒二)
治郎作とセミリオ(キリシタンの学問所)の人間、宣教師たちが本能寺の変以後
どうしたかを描いている。当時の安土の街の様子が鮮明に描かれている。
街の中心は常楽寺周辺、港のあった常浜は水辺公園となっている。また、安土の
城は湖の直ぐ傍にあったが、いまはその後の大干拓で陸地が続く。

16)比良の水底(澤田ふじ子)
葛川渓谷滝は三の滝、今は明王谷に住む山椒魚と滝壺に落ちてきた金銅
の蔵王権現との四方山話。葛川坊村は安曇川の小さな集落だが、その風景は
見ごたえがある。地主神社があり、明王院の本堂もある。さらに、葛川参籠と
太鼓回しと言う行事が7月16日から始まる。
「人間の愚かさはこれから永代、つきることがあるまい。今後、わしはおぬしと
もう口を利かぬ。人間の愚かさについて更に深く考えたいからじゃ」
「山椒魚のわしにはなんの言葉もない。それにしても、わしはあと幾年、
生きるのであろうか。生きているのにもうあきてきたのである。」
「滝壺だけはいよいよ青味をくわえてしんと静まり、そこから流れ出る渓流が
涼しい眺めを作っていた。」
「たとえば、この世のすべてのものに共通する言葉があったとしたら生きている事が
何十倍も楽しくなるかもしれない。鳥や花はもちろんのこと。岩や水や、
それから、、、山椒魚とも話が出来たなら、、でも、やっぱり、一番欲しいのは
人間同士、分かり合える言葉か。」
閻魔王牒状 瀧にかかわる十二の短篇(朝日新聞)より

17)桜守(水上勉)
西行の愛した吉野の山桜と同じ様に山桜や里桜の日本古来種の桜に生涯をかけた
一人の男を描いた作品。このモデルとなった笹部新太郎は岐阜県の御母衣ダムに
沈む事になっていた樹齢四百年のあずまひがんの老樹(現在荘川桜の名前で健在)
を移植した人。山桜は若葉と同時に開花し、清楚で遠くから見ると微妙な陰影を
つくり周辺に物静かな空気を醸し出す。
「村の共同墓地にある三百年は生きたであろう巨桜であった。そこは、海津の村
から敦賀の方へ山沿いの国道を少し入りかけた地点で、道の直ぐ下の墓地である。
墓地全体にかぶさるように大枝を張った桜は見事だった。、、、根元から二股に
なったこの彼岸桜は、U字型に大幹を二本伸ばし、広大な墓地に存分に枝を
はっていたが、真下の墓地は皆軍人の墓だった。、、、、村人が慈しんで育てる
巨桜もあるのだと、弥吉は思った。、、、日本に古い桜は多いけんども、海津の
桜ほど立派なものはないわ。あすこの桜は、天然記念物でもないし、役人さんも
学者さんも、しらん桜や。村の共同墓地に、ひっそりとかくれてる。けど、村の人らが
枝一本折らずに、大事に守ってきてはる。墓地やさかい、人の魂が守ってんのやな。」

水上勉は「在所の桜」でも御母衣ダムの桜について描いている。ここは昔2、3回
仕事の関係で通った事があるが、この本を読んでいれば、また違う感じを受けた
であろう。少し長いし、近江からは外れるが、
「この桜ではない、笹部翁の手になるもう一つの桜がある。根尾谷から谷ひとつ東
へいった庄川谷に、樹齢五百年のアズマヒガンが二本、みごとに活着し、御母衣
ダムの水面をのぞいている。根尾の巨桜とともに、忘れる事の出来ない岐阜県の
記念碑的な桜だと思う。
御母衣ダムは世間周知の長い水没反対抗争もあって有名な工事だった。湖底には、
三百六十戸の家と三つの小中学校と三つの寺が沈んでいる。二つの菩提寺の墓場
にあった巨桜を、電源開発の高碕達之助さんの依頼で、笹部翁が前代未聞の移植を
敢行したのである。世界植林史上、この桜ような活着は例を見ない。奥美濃の
とくに、庄川の春は遅いから、根尾の巨桜が散る頃は、まだ蕾だろう。私は何度も、
この桜の下に佇んでいるが、根尾の巨桜の下にいるのと、また別の感慨を覚える。
おそらく、水没反対の村人たちは、二人の老人が世間の反対を押し切って敢行した
この移植事業を、せせらわらったことだろう。補償でこじれた抗争だったから、
根付くかどうかもわかりもしない老桜に、金を使うなど不満だった事情もわかる
のだが、しかし、活着してみると、巨桜は、人間が残した大きな業績と言うものを
教える。電源は山を壊し、川を埋め、野を荒らす元凶の様に言われているが、
その総裁であった高碕氏と、桜好きの一老人が手を取り合って、前代未聞の移植工事
をやり終わった日は、8年前のジングルベルがなる12月24日であったという。
奥美濃は人影もなく、みぞれ雪が降っていた。十中八九は枯れると思われた、
この桜が、今日花を咲かせ、湖面を彩っているのだ。
ふるさとは水底となりつうつし来し
この老桜とこしえに咲け
と碑文に見える。高碕さんの歌である。
、、、去年の2月の渇水期、白川郷を訪ねたときに、氷柱と化した二本の庄川桜を
拝んだ。湖底の死んだ村が露呈して浮き上がっている。感動を覚えて古道を降りた。
古い村はそのままそこにあった。水がしずかに退くということは不思議なもので、
埋まった村の家々の土台石も墓石も、瀬戸の柿木も、南天も松の植え込みも生徒
たちがつかったプールも、学校の門石も、みな姿をとどめて露出していた。
私はそれらの意志や木にさわって歩いた。誰もいなかった。この私の一人歩きを
眺めていたのは二本の巨桜だけだった。ふるさとは水底に沈んで、二本の桜だけが
生きている。だれがこの移植行為を笑えるだろうか。花どきに、どこからともなく、
老いた夫婦がやってきて、弁当を広げる間もなく巨桜の肌にふれて泣くという。
おそらく、水没反対を叫んだ人々の家のお爺さんやお婆さんであろう。
引っ越した先の都会を逃れて、桜に会いに来る。水底に沈んだ村を偲ぶのは
この二本の桜しかない。」

18)夜の声(井上靖)
この退廃していく社会を憂い、交通事故で神経のおかしくなった主人公を通して
その危機を救える場所として近江を描いている。
神からのご託宣で文明と言う魔物と闘うが、自分はそのために刺客に狙われている
と思い込んでいる。魔物の犯してない場所を探して、近江塩津、大浦、海津、
安曇川から朽木へと向う。朽木村でその場所を見つける。
「ああ、ここだけは魔物たちの毒気に侵されていない、と鏡史郎は思った。
小鳥の声と、川瀬の音と、川霧とに迎えられて、朝はやってくる。漆黒の
闇と、高い星星に飾られて、夜は訪れる。、、さゆりはここで育って行く。
、、、レジャーなどという奇妙なことは考えない安曇乙女として成長していく。
とはいえ、冬は雪に包まれてしまうかもしれない。が、雪もいいだろう。
比良の山はそこにある。、、、さゆりは悲しい事は悲しいと感ずる乙女になる。
本当の美しいことが何であるかを知る乙女になる。風の音から、川の流れから、
比良の雪から、そうしたことを教わる。人を恋することも知る。季節季節
の訪れが、木立ちの芽生えが、夏の夕暮れが、秋白い雲の流れが、さゆりに
恋することを教える。テレビや映画から教わったりはしない。」

湖西には、このような場所がまだ残っている。そして、この様な自然に
感化され、陶芸家、木工芸家、画家などが移り住んできている。

19)近江山河抄(白洲正子)
近江を更に深く描いているのが「近江山河抄」であり、大津から湖西、湖東
湖北と描かれており、その場所と時の流れをもう少し深く感じられるのでは
ないだろうか。
「奥島山の裏側へまわっていくと、突然目の間が開け、夢のような景色が現われる。
小さな湾をへだてて沖島が湖上に浮かび、長命寺の岬と伊崎島が、両方から抱く
様な形で延びている。、、奥島山の裏に、これほど絶妙な景色が秘められている
とは知らなかった。」
「現在は半島のような形で湖水の中に突き出ているが、周りが干拓されるまでは、
入り江にかかる橋でりくちとつながり、文字通りの奥島山であった。山頂へ登って
みると、湖水をへだてて、水茎の岡の向こうに三上山がそびえ、こういう所に
観音浄土を想像したのは、思えば当然の成り行きであった。
八百八段の長い石段を上り詰めると本堂、護摩堂、三重塔、鐘楼などが建ち並び、
木立ちの間から湖水と水茎の岡が茫洋とみえる。自分の考える日本人の自然観、
それを長命寺の絵図でも白洲は納得する。

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