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2015年7月24日

2015.07.24

近江文学in京阪沿線その一

京阪鉄道とは縁もゆかりもないが、色々と近江関連文学を集めていると
結構その舞台となる場所に駅が多くある。ここを訪れ、石山坂本沿線の
施設・観光と合わせて小説の中の社会、生活などを感じてもらうのも
面白いのでは、と思う。 今回、石山駅から坂本駅までの間で所縁の
小説30ほどを紹介しよう。
1)石山寺駅

岩間寺

・石山寺
 ①春(島崎藤村)
関西漂泊の旅から始まる自伝的な小説であり、石山、彦根、八日市などを
描いている。恋に悩み、生に悩み、芸術に悩む青年たちを通して、遂には
「自分のようなものでも生きたい」という想いで。東北に旅立っていく
自分の姿を描いている。石山寺の春が疲弊した藤村にとっての大きな慰めであった。
「職業を捨て、友達と離れて、半年の余も諸国を流浪して来たということは、
岸本が精神の内部をよく説明していた。琵琶湖に近い茶丈の生活はまだ岸本の
眼にあった。」
藤村の憧れた松尾芭蕉や紫式部への想いが石山寺への滞在ともなっている。
②源氏供養(松本徹)
源氏供養は三島由紀夫も戯曲にしているが、妄語の戒めに触れた紫式部の霊を
弔うストリーであるが、ここでは「石山寺に行った私が、そこで出会った3人の
源氏読みの女性たちと一緒に想いをめぐらせる作品である。
「わたしは石山寺を歩く。石山寺のもとになったという硅灰岩を、不思議に清潔な
空間を造り出している、と感じ、桧皮葺の、柔らかく張りのある屋根、が美しい
多宝塔を眺め、寺を創めた良弁のことを思い、本堂を巡拝し、そして紫式部
供養塔を見て、彼女が供養されなければならなかったことを思ってみたわけである。
それから、宙を浮くようにして、ある月見亭に立つ。なんと眺望のよいことか。
式部も月の美しさに迷い出て、ここにたったのではないか、とわたしは想って
見たりもする。
そこへ源氏読みの女性たちが来て、口ずさんだのが、謡曲源氏供養の一節だった。
恥じかしながら弱弱と あわれ胡蝶の ひと遊び、、、、、
女性たちは紫式部と一緒に自分たちも地獄に堕ちていると言う。が、わたしは
そうは思わない。事実「源氏一品経」は、最後はこう言うのだ。「狂言綺語」
の過ちをそのまま仏の教えへを讃えるものにと替え、その教えを広める手立てに
しよう、と願った。つまり、紫式部がこの物語を書いたのは、、、紫式部自身が
観音の化身であり、仏の教えを悟らせる方便として書いた、のだと。」
③幻住庵記(松尾芭蕉)
湖国を愛した芭蕉は、永眠の地も自らの意志で湖国と定め、敬愛した木曾義仲
と並んで大津義仲寺に眠っている。
芭蕉が俳人としての評価を高めたのは、「野ざらし紀行」からといわれている。
彼の言う「こだわりや束縛がなく、無心で自在であるという、軽みの世界が
明確になるからだ。
「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を
伝ふなるべし。ふもとに細き流れを渡りて、翠微に登ること三曲(さんきょく)
二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。神体は彌陀(みだ)の尊像とかや。
唯一の家には甚だ忌むなることを、両部(りょうぶ)光をやはらげ、利益(
りやく)の塵を同じうしたまふも、また尊し。日ごろは人の詣でざりければ、
いとど神さび、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸あり。蓬根笹(ねざさ)
軒をかこみ、屋根もり壁おちて、狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵といふ。
あるじの僧なにがしは、勇士菅沼氏曲水子の伯父になんはべりしを、
今は八年(やとせ)ばかり昔になりて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。
石山の奥、岩間の後ろに山があり、国分山という。
昔の国分寺の名を今に伝えているということだ。
ふもとに流れる細い川を渡って、山の中腹にのぼっていき、曲がりくねった
長い道を登っていくと、八幡宮がある。
ご神体は阿弥陀仏の尊像だとか。神仏混淆を認めない神道の宗派からみれば、
たいへんけしからんことなのだが、神も仏もその光をやわらげ世俗の塵に
まみれることで、かえって衆生を救済しようとされている。たいへん尊いことだ。
日ごろは人が参詣しないので、さびれた感じがかえって神々しく、
もの静かである場所の傍らに、住み捨てられた草の庵がある。
蓬・根笹が軒を囲み、屋根を盛って壁は崩れ落ちて、狐や狸にとっては
寝床を得たようなものだ。庵の名を幻住庵という。
あるじの僧某は、菅沼曲水という清廉な膳所藩士の伯父にあたる人物であるが、
今は他界して八年ほどになり、まさに幻のうちに住む老人というべき名のみ
を残している。」
「今歳湖水の波に漂う。鳰の浮巣の流れとどまるべき芦の一本の陰たのもしく、いと
かりそめに入りし山の、やがて出じとさへおもいそみぬ。」

瀬田川リバークルーズ

2)唐橋前駅
建部大社

・瀬田の唐橋
④邪宗門(高橋和巳)
新興宗教の教主千葉とその武装蜂起と壊滅までを描く。千葉が唐橋近くのボート
練習場に現われのが印象的。
⑤瀬田の唐橋(徳永真一郎)
唐橋が一人称で自分の見てきた歴史を語る。
⑥鮫の恩返し(小泉八雲)
「鮫の恩返し」と言うのは「明暗」と言う作品の中にある話。
主人公藤太郎が竜宮を追い出されて瀬田の唐橋にいた鮫人を助け、その鮫人が
藤太郎の恋を成就させるという恩返しの話。
唐橋焼窯元

3)京阪石山駅
4)粟津駅
5)瓦ヶ浜駅
膳所焼美術館
6)中ノ庄駅
7)膳所本町駅
大津市科学館
膳所城跡公園

8)錦駅

9)京阪膳所駅
・義仲寺
⑦芭蕉物語(麻生磯次)
野ざらし紀行にでた、晩年最後のの芭蕉、幻住寺、義仲寺が描かれている。
⑧老残日記(中谷孝雄)
義仲寺無名庵主人の日記的私小説。

竜が丘俳人墓地

10)石場駅
⑨大津恋坂物語(可堂秀三)
石場の旧東海道の小さな坂(近江名所図会にもないが)周辺を描いた物語。
「奥田隆一は、大阪のテレビや映画で名前が売れ始めた俳優であった。彼が
暮らす大津市石場の自宅には、その門前から下の通りまで続く、幅2メートル
、長さ30メートルほどの急な坂があった。この坂が「恋坂」と言う名である
ことは、乳が死んだ際、母から聞かされた。
「うちや死んだお婆ちゃんみたいにな、門の坂のこと、ここはほんまに恋坂や
と思うて、坂のぼるにつれて人が愛しくなってなあ、泣く日ィもくるわ」
彼の母も祖母も道ならぬ恋に悩んだ人であった。恋坂とは、たとえ許されぬ
恋であろうと、熱い想いを胸に抱いて上り下った坂に彼女がつけた名であった。

びわ湖ホール

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