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2015年7月30日

2015.07.30

近江文学京阪沿線その二

京阪鉄道とは縁もゆかりもないが、色々と近江関連文学を集めていると
結構その舞台となる場所に駅が多くある。ここを訪れ、石山坂本沿線の
施設・観光と合わせて小説の中の社会、生活などを感じてもらうのも
面白いのでは、と思う。 今回、石山駅から坂本駅までの間で所縁の
小説30ほどを紹介しよう。
1)石山寺駅

・岩間寺

・石山寺
①春(島崎藤村)
②源氏供養(松本徹)
③幻住庵記(松尾芭蕉)

・瀬田川リバークルーズ

2)唐橋前駅
・建部大社

・瀬田の唐橋
④邪宗門(高橋和巳)
⑤瀬田の唐橋(徳永真一郎)
⑥鮫の恩返し(小泉八雲)
・唐橋焼窯元

3)京阪石山駅
4)粟津駅
5)瓦ヶ浜駅
・膳所焼美術館
6)中ノ庄駅
7)膳所本町駅
・大津市科学館
・膳所城跡公園

8)錦駅
9)京阪膳所駅
・義仲寺
⑦芭蕉物語(麻生磯次)
⑧老残日記(中谷孝雄)

・竜が丘俳人墓地

10)石場駅
⑨大津恋坂物語(可堂秀三)

・びわ湖ホール
11)島ノ関駅

12)浜大津駅
⑩ぼてじゃこ物語(花登こばこ)
ぼてじゃこを皇室の献上魚の「鰉ひがい」にする物語。
なお、花登の生家は今の大津長等1丁目にあり、大津図書館にはその専門
コーナーもある。

⑪琵琶湖(横山利一)
汚染がひどくなる琵琶湖を憂い、その将来に不安を示す。
他には、「湖光島景琵琶湖めぐり(近松秋絵)」などもある。
「青年時代に読んだ田山花袋の紀行文の中に、琵琶湖の色は年々歳々死んで行く
様に見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、と言うようなことが
書いてあったのを覚えている。わたしはそれを読んで、さすが文人の眼は光っている
と、その当時感服したことがあった。今も琵琶湖の傍を汽車で通るたびに、花袋
の言葉を思い出して、一層その感を深くするのだが、私にもこの湖は見る度に
沼のようにだんだん生色をなくしていくのを感じる。」
横山利一は小学生のころと新婚時に大津に住んでいた。これはそのときの思い出
も含めて書き綴ったもの。
「思い出というものは、誰しも一番夏の日の思い出が多いであろうと思う。私は
二十歳前後には、夏になると、近江の大津に帰った。殊に、小学校時代には家が
大津の湖の岸辺にあったので、びわ湖の夏のけしきは脳中から去り難い。今も
東海道を汽車で通るたびに、大津の町へさしかかると、ひとりでいても胸がわくわくと
して、窓からのぞく顔に、微笑が自然と浮かんでくる。」
さらには、
「去年私は久しぶりに行って見たが、このあたりだけは、昔も今も変わっていない。
明治初年の空気のまだそのままに残っている市街は、恐らく関西では大津だけであり、
大津のうちでは疎水の付近だけであろう。」

⑫兇徒津田三蔵(藤枝静男)
大津京町で起こったロシア皇太子暗殺事件の犯人を扱った物語。

⑬東海道五十三次(岡本かの子)、
風俗史を専攻する夫と私が東海道を旅し、その途中、東海道に取り付かれた
作楽井と言う男に出会う話。
「小唄に残っている間の土山へひょっこり出る。屋根付きの中風薬の金看板
なぞ見える小さな町だが、今までの寒山枯れ木に対して、血の通う人間に
逢う歓びは覚える。風が鳴っている三上山の麓を車行して、水無口から石部
の宿を通る。なるほど此処の酒店で、作楽井が言ったように杉の葉を丸めて
その下に旗を下げた看板を軒先に出している家がある。」
旧東海道筋の町の人々を結んで「東海道ネットワークの会」がある。

⑭ニコライの遭難(吉村昭)
日本を訪問していたロシア皇太子襲撃事件の裁判官の姿勢を基に描いた。

⑮湖のほとり(田山花袋)
「湖水でとれるヒガイ、若鮎、蜆の汁、そういうもので私たちは午飯をすましたが、
昼ややすぎて餓を覚えつつあったときには、殊に一層の美味を感じた。
私たちはやがて再び汽船に乗った。少し酔った顔を風に吹かせながら、潤い湖上
を東から西へと横切っていく感じはなんとも言われなかった。、、、、
湖上から見た大津の町は、いかにも趣きに富んでいた。白亜と瓦甍、その間を
縫った楊柳の緑、その上に緩やかに靡いている逢坂山の丘陵、それも汽船の
進むに連れて次第に遠く、比叡、比良の翠らんをその前に見る様になる頃には
唐崎の根を張った松も蓮や志賀の都の址も、明智佐馬之助の自害した阪本の
城の位置もそれとさやかに差す事が出来るようになった。」
ほぼ湖の沿岸全域を訪れ、同行者との会話や蕎麦やビールなどの食べ物関係の
記述が多く、雑感的な仄々とした味わいがある。

・大津港(琵琶湖汽船)
・びわこ花噴水
・浜大津アーカス
・琵琶湖ホテル
⑯美しさと哀しみと(川端康成) 
琵琶湖ホテルでの殺人を終局に描いている愛憎物語。

・大津祭曳山展示館
13)三井寺駅
・三井寺(園城寺)
⑰埋み火(杉本苑子)
近松門左衛門の生涯を描いている。門左衛門が若いときにいたのが、大津の
近松寺。「近松寺は高観音ともよばれ、大津の宿駅の、ほぼ西となりに位置
している。逢坂山の北尾根にあって、琵琶湖の眺望の豊かさは三井寺からの
大観に劣らなかった。近松寺から三井寺へは、三橋節子美術館、長等神社、
三井寺、円満院へと続く。

⑱僧興義(小泉八雲)
三井寺の僧興義が病気になったときに魚となり、琵琶湖へと泳ぎ出し釣られて料理
される寸前に蘇生する。琵琶湖の美しさを描いている。
「水がえらい青くてきれいでの、ひと泳ぎしとうなった。、、、目の下にも、
ぐるりにも、美しい魚どもがぎょうさん泳いどる。、、、わしはそこから泳いで、
いろいろ美しいところを巡ったようじゃ。、、、青い水面に踊っておる日の光を
眺めて楽しんだり、風かげの静かな水に映る山々や木々の美しい影を、心行く
ばかり眺めたり、、、とりわけ今でも憶えておるのは、沖津島か竹生島あたりの
岸辺が、赤い垣のように水に映っているけしきじゃ。」

⑲七つ街道ー近江路フェノロサ先生(井伏鱒二)
「フェノロサの墓を見るために大津の法明院を訪ねた。この寺は三井寺の塔頭
だが、本山よりまだ高みの、まだ見晴らしのいいところにある。、、、、
森閑とした寺であった。西川さんが交渉すると、雛僧が案内に立って、
茶席の雨戸を開けて見せた。フェノロサがビゲロー博士と一緒に住んでいた
「時雨亭」という茶席である。」
日本文化へのフェノロサの傾倒は凄まじいもので、「時分が死んだら遺骨は
三井寺に葬って欲しい。もし他の場所に葬られたら、きっと盗まれた釣鐘の
ように、三井寺に帰りたいと、と泣き叫ぶだろう」という書簡にも現われている。
「墓は玉垣で囲まれている五輪の塔で、裏山への登り口にある。直ぐ近くに
ビゲロー博士の墓と、両博士の略歴を刻んだ平べったい角石が据えてある。
その文字も遺言に従ったとのことで、「フェノロサ先生」は「飛諾洛薩先生」と
綴り、「フランシスコ」は「仏蘭西栖格」という文字に綴ってある。」

なお、三井寺は「太平記巻15三井寺合戦事」などは延暦寺との合戦が
描かれているが、此処では近代以前は省く。

・琵琶湖疏水

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