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2015.07.17

文学で旅を深めるⅡ

最近、旅の企画などに関わっており、facebookでも文学の舞台となった場所の写真と
簡単なコメントを投稿しているが、結構多くの人がアクセスしてくる。
旅は、単に目に映る光景に感動するだけでは、何と無く味気ない。
文学に登場する同じ場所を作者の視点で描きこんだ文と自分の感じた情景がより
深い印象を残すのではないか、と思い始めている。五感の全てを動員するのが文学
であり、私たちの感じ切れていない世界を現出してくれるし、時の流れを深く感じれる
のも文学作品からである。今回はその第2回目の紹介である。

1)浄土(森敦)
福田寺(長沢御坊と言われ蓮如ゆかりの名刹)の住職の母と森の子供の頃の思い出に
晩年を迎えて再会した時の運命的で夢のような出来事を描いている。
福田寺は公家の奴振りが有名で、報恩講の時に行われる。
「芭蕉は山中温泉で曾良を先立たせると、全昌寺を訪ね前夜曾良が泊まって残した
句を見て、別離の情を新たにしている。次に天竜寺を訪れて北枝との別離を
語っている。次に永平寺を訪ねて道元の大いなる別離に感動している。そういえば、
すでに「旅立ち」の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」が別離の句であり、「結び」の
「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」が別離の句である。芭蕉はじつに会者定離を
語っていたのだ。ひとり感に打たれているうちに、わたしはいつか大谷寿子さん
のことを思い出していた。」

「会者定離」、噛み締め甲斐のあることばです。

2)琵琶湖(横光利一)
汚染がひどくなる琵琶湖を憂い、その将来に不安を示す。
他には、「湖光島景琵琶湖めぐり(近松秋絵)」などもある。
「青年時代に読んだ田山花袋の紀行文の中に、琵琶湖の色は年々歳々死んで行く
様に見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、と言うようなことが
書いてあったのを覚えている。わたしはそれを読んで、さすが文人の眼は光っている
と、その当時感服したことがあった。今も琵琶湖の傍を汽車で通るたびに、花袋
の言葉を思い出して、一層その感を深くするのだが、私にもこの湖は見る度に
沼のようにだんだん生色をなくしていくのを感じる。」
横山利一は小学生のころと新婚時に大津に住んでいた。これはそのときの思い出
も含めて書き綴ったもの。
「思い出というものは、誰しも一番夏の日の思い出が多いであろうと思う。私は
二十歳前後には、夏になると、近江の大津に帰った。殊に、小学校時代には家が
大津の湖の岸辺にあったので、びわ湖の夏のけしきは脳中から去り難い。今も
東海道を汽車で通るたびに、大津の町へさしかかると、ひとりでいても胸が
わくわくとして、窓からのぞく顔に、微笑が自然と浮かんでくる。」
さらには、
「去年私は久しぶりに行って見たが、このあたりだけは、昔も今も変わっていない。
明治初年の空気のまだそのままに残っている市街は、恐らく関西では大津だけであり、
大津のうちでは疎水の付近だけであろう。」

最近、琵琶湖八珍が選ばれた。しかし、それら湖魚の多くはその数が激減している。
魚が棲み難くなっているのであろう。水、琵琶湖の存在の有難さを、もっと、
感じるべきであろう。

3)瓔珞品ようらくぽん(泉鏡花)
琵琶湖の夜の美しさに魅了された主人公が何度となく琵琶湖を訪れる。
天人石を探したり、夢の中で鮒になったり、無限の世界を体感する。
「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、
星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する
姿がありありと拝まれると申します。」「霜のように輝いて、自分の影の
映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ渺茫として、水や空、南無竹生島
は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、月が染みて、羽衣のひだを
みるような、、、」と夜の湖水を表現している。
瓔珞は仏像の胸や頭を飾る飾り。石山や彦根、竹生島などが背景にある。
更には、
「前後に松葉重なって、宿の形は影も留めず、深き翠みどりを一面に、眼界
唯限りなき漣さざなみなり。この処によずるまで、手を縋り、かつ足を支えた、
幹から幹、枝から枝、一足ずつ上るにつれて、何処より寄することもなく、
れん艶たる波、白帆をのせて背に近づき、躑躅を浮かべて肩に迫り、倒さかさまに
藤を宿したが、石の上に、立ち直って、今や正に、目の下に望まれた、これなん
日の本の一個所を、琵琶にくぎった水である。
妙なるかな、近江の国。卯月の末の八つ下がり、月白く、山の薄紅、松の梢に
藤をかけ、山は翠の黒髪長く、霞は里に裳もすそを曳いて、そよそよとある風の
調べは、湖の琵琶を奏づるのである。」

4)比良のしゃくなげ(井上靖)詩集北国より
「むかし写真画報と言う雑誌で、比良のしゃくなげの写真を見たことがある。
そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部が望まれる北比良山系の頂で、
あの香り高く白い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおおっていた。
その写真を見たとき、私はいつか自分が、人の世の生活の疲労と悲しみを
リュックいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の稜線を仰ぎながら、
湖畔の小さな軽便鉄道にゆられ、この美しい山嶺の一角に辿りつく日が
あるであろう事を、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤独の日、
必ずや自分はこの山に登るであろうと。
それから恐らく10年になるだろうが、私はいまだに比良のしゃくなげを
知らない。忘れていたわけではない。年々歳々、その高い峯の白い花を瞼に
描く機会は私に多くなっている。ただあの比良の峯の頂き、香り高い花の群落
のもとで、星に顔を向けて眠る己が眠りを想うと、その時の自分の姿の
持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなものに触れると、
なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なお猥雑なくだらなぬものに
思えてくるのであった。」

5)東海道五十三次(岡本かの子)
風俗史を専攻する夫と私が東海道を旅し、その途中、東海道に取り付かれた
作楽井と言う男に出会う話。
「小唄に残っている間の土山へひょっこり出る。屋根付きの中風薬の金看板
なぞ見える小さな町だが、今までの寒山枯れ木に対して、血の通う人間に
逢う歓びは覚える。風が鳴っている三上山の麓を車行して、水無口から石部
の宿を通る。なるほど此処の酒店で、作楽井が言ったように杉の葉を丸めて
その下に旗を下げた看板を軒先に出している家がある。」
旧東海道筋の町の人々を結んで「東海道ネットワークの会」がある。

6)群青の湖(芝木好子)
「つづら折の湖畔をまわりきって、視界が変わり、広々とした湖の浦が現われた時、
岸辺に打ち寄せられたように小さな部落があった。風光の清らかな、寂とした、
流離の里である。」
「琵琶湖の秘した湖は、一枚の鏡のように冷たく澄んでいる。紺青というには
青く、瑠璃色というには濃く冴えて、群青とよぶのだろうか。太陽の反射が
湖面を走る一瞬に、青が彩りを変えるのを彼女は見た。」
「冬が来て、東京に雪の降る日が続くと、瑞子は琵琶湖の雪景色を思った。北の湖にし
んしんと雪が降るとあたりは白い紗幕に蔽われてゆき、群青の湖のみは白いあられをの
みもみながら、昏い湖底へ沈めていく。雪が止み、陽が射すと、雪でふちどられた湖は
蘇っていよいよあおく冴えかえる。」
「初秋の気配であった。湖水も空も縹色(はなだ)で小舟もない、鏡のような湖、、」
「湖は深海よりも透明で、藍が幾重にも層を成して底から色が立つ、、、、」
「奥琵琶湖の秘した湖は、一枚の鏡のように冷たく澄んでいる。紺青(こんじょう)と
いうには青く、瑠璃色というには濃く冴えて、群青とよぶのだろうか」
「いま 私に見えているのは、湖の生命と浄化の雪と枯葦の明るい茶なの。清らかな鎮
魂の布が織れたら、私の過去から開放され自由になれそうな気がするの。そうしたらこ
の次は、あなたをおどろかすような魅惑的な真っ赤な蘇芳(すおう)や、妖しく匂う紫
や、老いた女の情炎のような鼠茶や、いろんな色を糸に乗せて、思い切り織って
ゆきたい」。

芝木さんの文章はカラーである。情景にあわして様々な色が配色されている。
湖西はあまりかかれていないが、琵琶湖の美しさを感じて欲しい。

7)私の古寺巡礼(白洲正子)
「10世紀のころ、比叡山に相応和尚という修行者がいた。南の谷に無動寺を
建てて、籠っていたが、正身の不動明王を拝みたいと発心し、3年間の間、
比叡の山中を放浪していた。雨の日も雪の夜も、たゆまぬ苦行に、身心とも
やせ衰え、今は死を待つばかりとなったある日の事、比良山の奥、葛川の
三の瀧で祈っていると、滔滔たる水しぶきの中に、まごうかたなき不動明王
が出現した。相応は嬉しさのあまり、滝壺に身を躍らせて抱きつくと、不動と
見たのは一片の桂の古木であった。その古木をもって、拝んだばかりの不動明王
の姿を彫刻し、明王堂を建立してその本尊とした。それが今の葛川の明王院
である。
この相応の足跡を忠実に辿っているのが、無動寺を本拠とする回峰の行者たちである。
彼らは白い死装束に身をかため、千年の昔に始祖がしたと同じ様に、一心に
不動明王を念じつつ、比叡の山中を巡礼し、最後に比良山の三の滝へ到着する。
毎年春から夏へかけて午前2時に無動寺を出発し、行者道を30キロ歩いて、
8時ごろ寺に帰る。これを百日続けて、千日をもって満行となるが、その他
京都市中の切廻り、大廻り、断食行、そして、明王院の「夏安居(げあんご)」
など、どれ一つとっても、常人には考えられない苦行の数々を経る。
それによって得るものはなにもない。しいて言えば何者動じない不動の精神、
不動明王の魂を身につけるというべきか。

8)比叡(瀬戸内晴美)
女流作家が出家し、比叡山で行をつむ話である。
比叡山での「もしかしたら、既に死んでいるのに気付いていないのだろか、
と言う厳しい修行の中で、仏に引き寄せられ、新しく生きて行く事を知る
姿を語っている。
その合間に日本の文化や西行、一遍などの出家者の恋の話し、外国の風景、
や名画の話など、豊かな話題が散りばめられている。
男と秘密に旅をした堅田の町も思い出される。
「旧い家並みの家々は、どの家もどっしりと地に根を生やしたような落ち着きで
肩を並べていた。生まれてくる前に、通った事のあるような所だと、俊子は
感じていた。」
また、雪の降る日、浮御堂に立った後、隣りの料亭で鴨鍋を突付く、月が出ている。
その光景を、
「湖に薄く舞い落ちる雪が月光に染められ、金粉をまいているように湖水の面に
映っていた。湖面も月光に染められ金波がひろがる上に雪が休みなく降り続いている。
それは不思議なこの世ならぬ幻想的な光景だった。」
「人が寝とんなはる時間、夜通し車走らせて好いとる女ごの許ば通いなはる。
そぎゃんして、病気になって死にはってもよかと覚悟しとらすっと」と。
なおも責める尼僧に、「そぎゃんこと解決できるなら、だあれもなあんも
苦しむことなか。そぎゃんこと悪かことわかとって、とめられんばってん、
死ぬほどきつか思いすっと」

これらの幾つかから近江の良さを感じて欲しい。

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