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2015年8月7日

2015.08.07

近江文学in京阪沿線その3

京阪鉄道とは縁もゆかりもないが、色々と近江関連文学を集めていると
結構その舞台となる場所に駅が多くある。ここを訪れ、石山坂本沿線の
施設・観光と合わせて小説の中の社会、生活などを感じてもらうのも
面白いのでは、と思う。 今回、石山駅から坂本駅までの間で所縁の
小説34冊ほどを紹介しよう。しかし、さすがに近江に関する文学
は多い様だ、全体で見ると90冊以上もあり、湖北や湖東もこれら作品で
楽しめそうである。

1)石山寺駅

・岩間寺

・石山寺
①春(島崎藤村)
②源氏供養(松本徹)
③幻住庵記(松尾芭蕉)

・瀬田川リバークルーズ

2)唐橋前駅
・建部大社

・瀬田の唐橋
④邪宗門(高橋和巳)
⑤瀬田の唐橋(徳永真一郎)
⑥鮫の恩返し(小泉八雲)
・唐橋焼窯元

3)京阪石山駅
4)粟津駅
5)瓦ヶ浜駅
・膳所焼美術館
6)中ノ庄駅
7)膳所本町駅
・大津市科学館
・膳所城跡公園

8)錦駅
9)京阪膳所駅
・義仲寺
⑦芭蕉物語(麻生磯次)
⑧老残日記(中谷孝雄)

・竜が丘俳人墓地

10)石場駅
⑨大津恋坂物語(可堂秀三)

・びわ湖ホール
11)島ノ関駅

12)浜大津駅

⑪琵琶湖(横山利一)
⑫兇徒津田三蔵(藤枝静男)
⑬東海道五十三次(岡本かの子)、
⑭ニコライの遭難(吉村昭)
⑮湖のほとり(田山花袋)

・大津港(琵琶湖汽船)
・びわこ花噴水
・浜大津アーカス
・琵琶湖ホテル
⑯美しさと哀しみと(川端康成) 


・大津祭曳山展示館
13)三井寺駅
・三井寺(園城寺)
⑰埋み火(杉本苑子)
⑱僧興義(小泉八雲)
⑲七つ街道ー近江路フェノロサ先生(井伏鱒二)

・琵琶湖疏水
14)別所駅
・大津市歴史博物館
・円満院門跡
・大津絵美術館
・弘文天皇陵
・皇子山陸上競技場

15)皇子山駅
20)一歩の距離(城山三郎)
陸上自衛隊大津駐屯所のあった航空隊での4人の予科練生を中心とした際川や唐崎
での終戦直前の話。
「(浮御堂の光景は)小学校の遠足の日でも思わせるような、のどかな姿であった。
、、、だが、そうしたのどかさは、うつろいやすい仮のモノでしかなかったし、
彼らはそれを承知していた。平和とは常に仮のものである。平和を願うなどと言う
のは、臆病者であるどころか日本人でさえない。」
さらに、
「やっと海軍軍人になれると。だが、それは「必殺必中の兵器」つまり特攻の
募集だった。彼は予期せぬ場面で、突然、生か死かの選択を迫られたのである。
出なければ、出なければ。死ぬために来たのに、何を躊躇っているのか。
腋の下を冷たい汗が流れ続けた。手もぐっしょり汗を握った。
志願するものは、一歩前に出よ。司令のよびかけにかれは「一歩を踏み出すこと
ができなかった。それは乗りたがっていた航空機ではなかったからか。
それとも一歩を踏み出せば確実に約束される死への恐怖からか。
前に出るも出ないのも、余りに大きな決意であった。一歩の前と後ろの間には、
眼もくらむばかりの底深い谷があった。
一歩踏み出す距離はわずかであった。しかし、それぞれの人生を決定する距離
であった。若者を死に導き、あるいは生涯消えぬ苦しみを刻む距離であった。」

21)小説日本婦道記ー尾花川(山本周五郎)
大津尾花川の勤皇の志士であった川瀬太宰とその妻幸を描いている。
婦人の美徳、といっても家父長的視点からではなく人間としての美質に
焦点をあてている。
「日本の女性の一番美しいのは、連れ添っている夫も気付かないという
ところに非常に美しく現われる。、、これが日本の女性の特徴ではないか
と思ってあの一連の小説を書きました」ということ。

・皇子が丘公園
・皇子山球場

16)近江神宮前駅
・近江神宮
近江神宮 時計館宝物館
大津京錦織遺跡
17)南滋賀駅
・南滋賀廃寺跡
22)北白川日誌(岡部伊都子)
北白川廃寺跡から山中越えし、比叡平近くの池ノ谷地蔵尊、新羅善神堂、南滋賀
廃寺跡などをめぐり大津京を探し求めた。 

18)滋賀里駅
23)幻の近江京(邦光士郎)
滋賀、奈良、京都に残存する幻の寺を舞台の推理小説。その寺が
草津にある花摘寺である。一般の滋賀里周辺の大津京とは違う仮説で展開する。
24)志賀寺上人の恋(三島由紀夫)
「春になって、花見の季節になると、志賀の里を訪れる都人士が多くなった。上人は
何の煩わしさをも感じなかった。今更こういう人たちに掻き乱される心境ではなかった
からである。上人は杖を携えて草庵をでた。湖水のほとりへ行った。午後の光りに
ようよう夕影のさしてくる頃で、湖の波は静かであった。上人は水想観を成して、
湖畔に一人佇んでいたのである。」
志賀寺は崇福寺の別称で、奈良時代には十大寺の一つとして隆盛を誇った大寺で、
現在は滋賀里にその旧跡が少し認められる。
ひたすらに浄土を想い描き、その中でのみ生き抜こうとしていたものの、抗いきれない
恋によって現世に引きずり戻されていく人間の心の葛藤を描いている。
「私には実は、その独特な恋の情緒よりも、その単純な心理的事実に興味があった。
そこでは、恋愛と信仰の相克が扱われている。、、、、、
来世と今世がその席を争いあって、大袈裟に言えば、彼らは自分の考えている
世界構造が崩れるか崩れないか、というきわどいところで、この恋物語を
成り立たせたのである。」

19)穴太駅
20)松ノ馬場駅
21)坂本駅
25)金魚繚乱(岡本かの子)
大津下坂本にある実験所にきた美しい金魚を作ろうとする男とその彼女の話。
「白牡丹のような万華鏡のようなじゅんらん、波乱を重畳させつつ嬌艶に豪華に、
また粛々として上品に、内気にあどけなくもゆらぎ広ごり広ごりゆらぎ、さらにまた
広ごり」
26)咲庵しょうあん(中山義秀)
明智光秀の一生を描いた。坂本城は下坂本付近だが、その遺構はほとんどない
27)星と祭(井上靖)
更に、大津坂本の盛安寺の11面を拝してもいる。
「微かに笑っているようなふくよかな顔、がそこにある。京都や奈良の大寺でみる
取り澄ました顔の仏像にはない温かい息づかいが肌にふれてくる。、、、、、
湖畔にたたずむ十一面観音像の美しさは、単に造形的な美しさではない。それぞれの
生活が営まれるそれぞれの土地に、見過ごしてしまいそうな小堂があり、その
中央の厨司の中に大切にまつられ、お守りされている観音像、そこに住む人の
生活の歴史が、像の皮膚に染み込んでいる様に思われる。これが生きた息づかい
と感じられ、自然にこちらも微笑せずにはいられなくなるふくよかな微笑み
として現われるのである。盛安寺11面観音像は、その後、かっての観音堂
のすぐうしろに建設された収蔵庫のなかに、いまもひっそりと立っている。

・日吉大社
28)街道をゆく16巻(司馬遼太郎)
16巻は「叡山の諸道」である。比叡山を含めこの周辺の事を書き綴っている。
司馬遼太郎は、近江について第1巻、第4巻、第7巻、第16巻、第24巻
に書き綴っている。しかも、第24巻近江散歩では、失われ行く琵琶湖の
自然に対する人間のエゴについても、警鐘を鳴らしている。良き自然を
守るのは大変な事でもある。
・滋賀院門跡
29)山椒魚(今東光)
山椒魚は比叡山をはじめ、40編からなる短編集。
「比叡山」
「坂本の大鳥居をくぐって、石ころ路を丹海と軍平とは、ぼそぼそと話し
ながら歩いた。両側には石垣をめぐらせた山内の寺院が並んでいるが、
ことりとも音がしない。中に人が住んでいるか、どうかもわからないほど
閑寂だ。」
さらに、
ケーブルに乗り、軍平は琵琶湖を一望にして、その雄大な光景にため息を
漏らしていた。
「なあ、見なはれ、たいしたもんやおまへんか。何宗の御本山かて、日本一の
びわ湖ちゅう大きな湖水を懐に抱いている御山はありまへんやろ。
この天台宗ばかりや」そう言われてみると成る程そんな気もするのである。
「そら、まあ、もっと高いお山もありましゃろけど、日本一の湖を庭池にしてのは、
延暦寺ばっかりだっしゃろなあ」
「まったく、こんな景色を見てたら気ぃも晴れ晴れしまんな。良え坊主、出るのん
当たり前や、ちとっも浮世心が起こらんやろ」、、、、坂本で一番高い戒蔵院から
急な坂を下りる左右には何ヶ寺かの寺院がある。竹林に囲まれた見性院を探し当てると
座敷に通された。

旧竹林院
西教寺
・比叡山延暦寺
30)私の古寺巡礼(白洲正子)
「10世紀のころ、比叡山に相応和尚という修行者がいた。南の谷に無動寺を
建てて、籠っていたが、正身の不動明王を拝みたいと発心し、3年間の間、
比叡の山中を放浪していた。雨の日も雪の夜も、たゆまぬ苦行に、身心とも
やせ衰え、今は死を待つばかりとなったある日の事、比良山の奥、葛川の
三の瀧で祈っていると、滔滔たる水しぶきの中に、まごうかたなき不動明王
が出現した。相応は嬉しさのあまり、滝壺に身を躍らせて抱きつくと、不動と
見たのは一片の桂の古木であった。その古木をもって、拝んだばかりの不動明王
の姿を彫刻し、明王堂を建立してその本尊とした。それが今の葛川の明王院
である。
この相応の足跡を忠実に辿っているのが、無動寺を本拠とする回峰の行者たちである。
彼らは白い死装束に身をかため、千年の昔に始祖がしたと同じ様に、一心に
不動明王を念じつつ、比叡の山中を巡礼し、最後に比良山の三の滝へ到着する。
毎年春から夏へかけて午前2時に無動寺を出発し、行者道を30キロ歩いて、
8時ごろ寺に帰る。これを百日続けて、千日をもって満行となるが、その他
京都市中の切廻り、大廻り、断食行、そして、明王院の「夏安居(げあんご)」
など、どれ一つとっても、常人には考えられない苦行の数々を経る。
それによって得るものはなにもない。しいて言えば何者動じない不動の精神、
不動明王の魂を身につけるというべきか。

31)比叡(瀬戸内晴美)
女流作家が出家し、比叡山で行をつむ話である。
比叡山での「もしかしたら、既に死んでいるのに気付いていないのだろか、
と言う厳しい修行の中で、仏に引き寄せられ、新しく生きて行く事を知る
姿を語っている。
「湖はとぎすましたような晴れた冬空を沈め、森閑と横たわっている。
そこからのぞむ比叡の山脈は湖の西に南から北に走りながらくっきりと
空をかかげ、圧倒的に、力強く、生命力にみちあふれていた。
日本仏教の根本道場と呼ぶにふさわしい威厳と神聖さを感じさせた。
琵琶湖と比叡は混然と一体化して、それを切り離す事の出来ない完璧な
1つづきの風景を形成している。俊子の目にはそのとき、山脈があくまで
雄雄しく、湖がかぎりなくおおらかにふるまっているように見えた。」
その合間に日本の文化や西行、一遍などの出家者の恋の話し、外国の風景、
や名画の話など、豊かな話題が散りばめられている。
男と秘密に旅をした堅田の町も思い出される。
「旧い家並みの家々は、どの家もどっしりと地に根を生やしたような落ち着きで
肩を並べていた。生まれてくる前に、通った事のあるような所だと、俊子は
感じていた。」
また、雪の降る日、浮御堂に立った後、隣りの料亭で鴨鍋を突付く、月が出ている。
その光景を、
「湖に薄く舞い落ちる雪が月光に染められ、金粉をまいているように湖水の面に
映っていた。湖面も月光に染められ金波がひろがる上に雪が休みなく降り続いている。
それは不思議なこの世ならぬ幻想的な光景だった。」
「人が寝とんなはる時間、夜通し車走らせて好いとる女ごの許ば通いなはる。
そぎゃんして、病気になって死にはってもよかと覚悟しとらすっと」と。
なおも責める尼僧に、「そぎゃんこと解決できるなら、だあれもなあんも
苦しむことなか。そぎゃんこと悪かことわかとって、とめられんばってん、
死ぬほどきつか思いすっと」

32)風流懺法(高浜虚子)
延暦寺横川中堂のはなし。虚子と渋谷天台座主とのかかわりが深い。
大師堂小僧一念との出会い、一力の舞妓三千歳らとの遊び中にまた一念に会う。
一念と舞妓三千歳の幼い男女の交わりが生き生きと描かれている。
「横川は叡山の三塔のうちでも一番奥まっているので淋しいこともまた格別だ。
二三町離れた処にある大師堂の方には日によると参詣人もぼつぼつあるが、
中堂の方は年中一人の参拝者もないといってよい。大きな建物が杉を圧して
立っている。」
虚子の一句  清浄な月を見にけり峰の寺

33)乳野物語(谷崎潤一郎)
元三大師と母月子姫の天台宗の説話をベースに描いている。
比叡山横川の安養院は元三大師の母の月子姫の墓がある。また、月子姫の墓は
虎姫町三川にもある。乳野は雄琴温泉から少し山に入った純農村の集落であった。
そのときの千野の印象を谷崎は次のように書いている。
「われわれは歩き出すと間もなく乳野の里に這入ったが、ところどころに農家が
二三軒まばらに点在しているような小さな部落で、本来ならば悲しく侘しい感じのする
場所であろうが、今は新緑で、その辺一面の柿畑が眩いようにきらきらしている。
さっきからわれわれの行く手に聳えていた横川の峰は、もうここへ来ると、
そのかがやかしい柿若葉の波の上に、四条の大橋から仰ぐ東山のちかさで圧し
かぶさっているのであった。」

34)湖光島影ー琵琶湖めぐり(近松秋江)
「比叡山延暦寺の、今、私の坐っている宿院の二階の座敷の東の窓の机に向って
遠く眼を放っていると、老杉躁鬱たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の面の
如く、五月雨晴れの日を受けて白く光っている。、、、空気の澄明な日などには
瓦甍粉壁が夕陽を浴びて白く反射している。やがて日が比良比叡の峰続きに
没して遠くの山下が野も里も一様に薄暮の底に隠れてしまうと、その人家
の群がっている処にぽつりぽつり明星のごとき燈火が山を蔽おた夜霧を透して
瞬きはじめる。」
近松浄瑠璃の愛読者であったこともあり、内部的には、情念的な性質を持っており、
異常な情念と妄執の作品が多い。

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