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2015年12月4日

2015.12.04

十一面観音、雑感

このブログでは、社会的な視点での過去、現在、未来を気のつくまま書いているが、
今回は以前からも興味深くフォローしてきた十一面観音について、それに理解の深
い人の言葉から少し省みたい。自分の振り返りもあるが。

十一面観音は特長的な観音像だ。様々な仏面を11も持ち、一般の我々に御利益を下さ
る、と言われている。
先ずその構成は、
・頂上仏面(如来相)
・正面三面菩薩
・右三面の瞋怒面(怒り)
・左三面の狗牙上出面
・後一面の笑怒面
であり、10種の勝利(現世の利益)、4種の果報(死後成仏)を衆生にもたらすとされて
いる。別に、今後も、来世に期待はしないが、人の欲望は、尽きぬもののようで有る。

私が十一面観音に出会ったのは、20年以上前になるのか、聖林寺で何げなく対面した
ことに始まる。それは、前後して読んでいた和辻氏の古寺巡礼の影響かもしれない。
暫らく像の前で佇んでいた記憶がある。
こちらがエネルギーを持っているときは芸術的な鑑賞としての十一面観音となるが、
悩みや仕事で落ち込んだときはその対面から何かを戴いてきた、と思う。
まことに不思議な観音像である。

和辻哲郎の基本的な日本文化への想いが良く書かれている。
1)和辻哲郎の「古寺巡礼」より
「これらの文化現象を生み出すに至った母胎は、我国の優しい自然であろう。
愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせこの自然とも同じく
底知れぬ神秘を持った我国の自然は、人体の姿に表せばあの観音(ここでは
中宮寺観音)となるほかにない。
自然に酔う甘美な心持ちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、
その根は、あの観音と共通に、この国土の自然から出ているのである。
葉木の露の美しさも鋭く感受する繊細な自然の愛や一笠一杖に身を託して
自然に溶け合って行くしめやかな自然との抱擁やその分化した官能の
陶酔、飄逸なこころの法悦は、一見、この観音と甚だしく異なるように
思える。しかし、その異なるのは、ただ、注意の向かう方向の相違である。
捕らえられる対象こそ差別があれ、捕らえにかかる心情には、極めて近く
相似るものがある。母であるこの大地の特殊な美しさは、その胎より出た
同じ子孫に賦与した。我国の文化の考察は、結局我国の自然の考察に歸て
行かなくてはならぬ。

その基本意識は、
人間生活を宗教的とか、知的とか、道徳的とか言う風に泰然と区別してしまう
ことは、正しくない。それは、具体的な1つの生活をバラバラにし、生きた全体
として掴むことを不可能にする。しかし、1つの側面をその美しい特徴によって、
他と区別して観察すると言うことは、それが、全体の一側面であることを
忘れられない限り、依然として必要なことである。

芸術は衆生にそのより高き自己を指示する力の故に、衆生救済の方便として
用いられる可能性を持っていた。仏教が芸術と結びついたのは、この可能性
を実現したのである。しかし、芸術は、たとえ方便として利用されたとしても、
それ自身で、歩む力を持っている。だから、芸術が僧院内でそれ自身の活動
を始めると言うことは、何も不思議なことではない。
芸術に恍惚とするものの心には、その神秘な美の力が、いかにも、浄福のように
感ぜられたであろう。宗教による解脱よりも、芸術による恍惚の方が如何に
容易であるかを思えば、かかる事態は、容易に起こり得たのである。

仏教の経典が佛菩薩の形像を丹念に描写している事は、人の知る通りである。
何人も阿弥陀経を指して教義の書とは呼び得ないであろう。これは、まず、
第一に浄土における諸仏の幻像の描写である。また、人びとも法華寺経
を指してそれが幻像のでないといいえまい。それは、
まず、第一に佛を主人公とする大きな戯曲的な詩である。観無量寿経の如きは、
特に詳細にこれらの幻像を描いている。佛徒は、それの基づいてみづからの
眼を持ってそれらの幻像を見るべく努力した。観佛は、彼らの内生の
重大な要素であった。仏像がいかに刺激の多い、生きた役目を務めたかは、
そこから容易に理解される。

観世音菩薩は、衆生をその困難から救う絶大な力と慈悲とを持っている。
彼に救われるには、ただ、彼を念ずればよい。彼は境に応じて、時には、仏身
を現じ、時には、梵天の身を現ずる。また、時には、人身も現じ、時には、
獣身をさえも現在ずる。そうして、衆生を度脱し、衆生に無畏を施す。
かくのごとき菩薩は、如何なる形貌を備えていなくてはならないか。
まず、第一にそれは、人間離れした超人的な威厳を持っていなければならない。
と同時に、もっとも人間らしい優しさや美しさを持っていなく絵ならぬ。
それは、根本においては、人ではない。しかし、人体を借りて現れることで、
人体を神的な清浄と美とに高めるのである。

・聖林寺11面観音より
切れの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、鋭くない鼻、
全てわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、
また超人を現す特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには、神々しい威厳と
人間のものならぬ美しさが現されている。
薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人のこころと運命を見通す観自在の
まなこである。、、、、、、
この顔を受けて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。
、、、四肢のしなやかさは、柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現
されていながら、しかも、その底に強靭な意思のひらめきを持っている。
殊に、この重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも
軽やかな、浮現せる如き趣を見せている。
これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。

・百済観音について
漢の様式の特有を中から動かして仏教美術の創作物に趣かせたものは、
漢人固有の情熱でも思想でもなかった。、、、、、、
抽象的な天が具体的な仏に変化する。
その驚異を我々は、百済観音から感受するのである。
人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、それを嬰児の如く新鮮な感動によって迎えた
過渡期の人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得る
に至った。神秘的なものをかくおのれに近いものとして感じることは、
彼らにとって、世界の光景が一変するほどの出来毎であった。

・薬師寺聖観音について
美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。、、、、、、
つややか肌がふっくりと盛り上がっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。
衣文につつまれた清らか下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を
表現したものである。しかも、それは、人体の写実的な確かさに感服したが、
、、、、、、、、
もとよりこの写実は、近代的な個性を重んじる写生とはおなじではない。
一個人を写さずして人間そのものを写すのである。」

特に十一面観音の記述については、その後の私の意識からは離れない。

2)井上靖の「星と祭」より
この本では、十一面観音の記述とともに近江の十一面観音について詳しく
書かれている。
十一面観音の記述部分、
「十一面観音信仰は古い時代からのもので、日本でも八世紀初めの頃からこの観音像
は盛んに造られはじめている。この頃から十一面観音信仰はその時代の人々の生活
のなかに根を張り出しているのである。この観音信仰の典拠になっているものは、
仏説十一面観世音神呪経とか十一面神呪経とか言われるものであって、この経典に
この観音を信仰する者にもたらせられる利益の数々が挙げられている。それによると
現世においては病気から免れるし、財宝には恵まれるし、火難、水難はもちろんの
こと、人の恨みも避けることができる。まだ利益はたくさんある。来世では地獄に
堕ちることはなく、永遠の生命を保てる無量寿国荷生まれることが出来るのである。
また、こうした利益を並べ立てている経典は、十一面観音像がどのようなもので
なければならぬかという容儀上の規定も記している。まず十一面観音たるには、
頭上に三つの菩薩面、三つの賑面、三つの菩薩狗牙出面、一つの大笑面、一つの仏面、
全部で十一面を戴かねばならぬことを説いている。静まり返っている面もあれば、
憤怒の形相もの凄い面もある。また悪を折伏して大笑いしている面もある。
いずれにしても、これらの十一面は、人間の災厄に対して、観音が色々な形に
おいて、測り知るべからざる大きい救いの力を発揮する事を表現しているもの
であろう。
観音が具えている大きな力を、そのような形において示しているのである。
十一面観音信仰が庶民の中に大きく根を張って行ったのは、経典が挙げている数々の
利益によるものであるに違いないが、しかし、そうした利益とは別に、その信仰が
今日まで長く続きえたのは、頭上に十一面を戴いているその力強い姿ではないかと、
加山には思われる。利益に与ろうと、与るまいと、人々は十一面観音を尊信し、
その前に額ずかずにはいられなかったのであろう。そういう魅力を、例外なく
十一面観音像は持っている。
それは例外なく、宗教心と芸術精神が一緒になって生み出した不思議なものであった。
美しいものだと言われれば美しいと思い、尊いものだといわれれば、なるほど
尊いものだと思う意外仕方のないものであった。十一面観音の持つ姿態の美しさを
単に美しいと言うだけでなく、他のもので理解しようと言う気持が生まれたように
思う。そうでなかったら頭上の十一の仏面は、加山には異様なもの以外の
何者でもなかったはずである。それが異様なものとしてでなく、力強く、美しく、
見えたのは、自分がおそらく救われなければならぬ人間として、十一面観音
の前に立っていたからであろうと思う。救われねばならぬ人間として、救う
ことを己に課した十一面観音像の前に、架山は立っていたのである。」


3)白洲正子の「十一面観音巡礼」より
この本のあとがきは、中々に面白い。
「私にとって、十一面観音は、昔からもっとも魅力ある存在であったが、
怖ろしくて、近づけない気がしていたからである。巡礼ならどんな無智
なものにでも出来る。手ぶらで歩けるということは、私の気持をほぐし、
その上好きな観音様にお目にかかれると言うことが、楽しみになった。
が、はじめてみると、中々そうは行かない。回を重ねるにしたがい、
初めの予感が当たっていたことを、思い知らされる始末となった。私は
薄氷を踏む思いで、巡礼を続けたが、変幻自在な観世音に幻惑され、
結果として、知れば知るほど、理解を拒絶するものであることをさとる
だけであった。
私の巡礼は、最後に聖林寺へ戻るところで終わっているが、再び拝む天平の
十一面観音は、はるかに遠く高いところから、「それみたことか」というように
見えた。私はそういうものが観音の慈悲だと信じた。もともと理解しようと
したのが間違いだったのである。もろもろの十一面観音が放つ、めくるめく
ような多彩な光は、一つの白光の還元し、私の肉体を貫く。そして、私は思う。
見れば目が潰れると信じた昔の人々のほうが、はるかに観音の身近に
参じていたのだと。」
白洲氏は、十一面観音を求めて、滋賀や福井、岐阜、奈良などと様々な
地域を巡り歩いている。旅行で近くに行ったときには、是非これを片手に
ちょっとでも立ち寄ってみるのも楽しいもの。

最後に再び、井上靖の「星と祭」の渡岸寺の十一面観音の記述を味わって
もらいたい。

「渡岸寺と言うのは字の名前でして、渡岸寺と言う寺があるわけではない。
昔は渡岸寺と言う大きな寺があったそうだが、今は向源寺の管理となっています。
、、、
堂内はがらんとしていた。外陣は三十五、六畳の広さで、畳が敷かれ、
内陣の方も同じぐらいの広さで、この方はもちろん板敷きである。
その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の
仏像が置かれている。中央正面が十一面観音、その両側に大日如来と
阿弥陀如来の坐像。二つの大きな如来像の間にすっくりと細身の十一面観音
が立っている感じである。体躯ががっちりした如来坐像の頭はいずれも
十一面観音の腰あたりで、そのために観音様はひどく長身に見える。
架山は初め黒檀か何かで作られた観音様ではないかと思った。
肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そして、また、
仏像と言うより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように
見えた。もちろんこうしたことは、最初眼を当てた時の印象である。
仏像といった抹香臭い感じはみじんもなく,新しい感覚で処理された近代
彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたのである。
架山はこれまでに奈良の寺で、幾つかの観音様なるものの像に
お目にかかっているが、それらから受けるものと、いま眼の前に
立っている長身の十一面観音から受けるものとは、どこか違っている
と思った。一体どこが違っているのか、すぐには判らなかったが、やがて、
「宝冠ですな、これは、みごとな宝冠ですな」
思わず、そんな言葉が、加山の口から飛び出した。
丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いている
様に見える。いずれの仏面も高々と植えつけられてあり、大きな冠を
形成している。、、、、、
十一の仏面で飾られた王冠と言う以外、言いようが無いではないかと思った。
しかも、飛び切り上等な、超一級の王冠である。ヨーロッパの各地の博物館で
金の透かし彫りの王冠や、あらゆる宝石で眩く飾られた宝冠を見ているが、
それらは到底いま眼の前に現れている十一観音の冠には及ばないと思う。
衆生のあらゆる苦痛を救う超自然の力を持つ十一の仏の面で飾られているのである。
、、、、
大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、胴も、足もしっかりしていなければ
ならないが、胴のくびれなどひとにぎりしかないと思われる細身でありながら、
ぴくりともしていないのは見事である。しかも、腰をかすかに捻り、左足は
軽く前に踏み出そうとでもしているかのようで、余裕綽々たるものがある。
大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。
観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽たるものがあって、
凛としてあたり払っている感じである。金箔はすっかり剥げ落ちて、ところどころ
その名残を見せているだけで、ほとんど地の漆が黒色を呈している。
「お丈のほどは六尺五寸」
「一本彫りの観音様でございます。火をくぐったり、土の中に埋められたりして
容易ならぬ過去をお持ちでございますが、到底そのようにはお見受けできません。
ただお美しく、立派で、おごそかでございます」
たしかに秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰をわずかに捻っているところ、
胸部の肉つきのゆたかなところなどは官能的でさえあるあるが、仏様のことであるから
性ではないのであろう。左手は宝瓶を持ち、右手は自然に下に垂れて、掌を
こちらに開いている。指と指とが少しづつ間隔を見せているのも美しい。
その垂れている右手はひどく長いが、少しも不自然には見えない。両腕夫々に
天衣が軽やかにかかっている。」

この仏像は今もなお、周辺の人々に手厚く守られている。これが特に十一面観音
の本来の姿では、この仏像の前に立つたび、そう思う。

最後に、私が小浜のお寺を訪れ、十一面観音と対面した時の印象を。
「室町時代の面影が感じられる建物である。厨司が開いて、すらりとした
十一面観音が、ろうそくの織り成す火影のもとに浮かび上がった。
そのきらびやかさに思わず眼が行った。切れ長の大きな眼、ふっくらとした優しさ
の頬と気品の高い唇、頭上の仏面も含め女性のやわらかさが伝わってくる。
渡岸寺のイメージが強いのか、思ったより華奢なお姿で、彩色が鮮やかに
残っている。細く伸びた指は美しく、元正天皇の御影とされたのも、何と無く
分かる。若々しい観音様である。全体から漂う幼いふくらみ、その指、その掌の
清潔で細微な皺、頬に差し込む蝋燭の火影の漆黒と金箔の綾、その鬱したほど長い睫、
黒地に施した螺鈿のように黒い小さな額にきらめく池水の波紋の反映の、
ひたと静まる空気感がある。時代は平安初期、檜の一本造りで、
このような仏像が、若狭にあった、自分の不勉強さに思わず目をつむる。
好きな人と並んで話した時に覚えたあの心の弾みと甘酸っぱさを思い出す。」

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