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2016年1月8日

2016.01.08

「ローカル志向の時代」より思う、その二

前回の記事より引き続き、、、

3.百姓への勧め
若い人の意識の変化は確かに多くなりつつあるが、まだ現状維持や保守的な行動の
若者が多いのも事実である。この本でも言っている上野さんの「ゴー・バック・トゥ・
ザ百姓ライフ」、即ち、多様な生業を組み合わせた生活への意識変化も必要なので
あろう。
ここに「元東大教授 上野千鶴子さんと社会学者 古市憲寿さん」の対談の記事
があり、彼らの指摘もまた事実であることも考える必要がある。

「古市」ただ、無頼は「頼らない」とも読める。無頼を「何かに頼らないこと」とする
と、最近、そういう生き方への憧れは若者を含めすごく広がっている気はします。既存
の企業などに頼らず、もっと自由に生きてもいいのでは、と。ここ10年ぐらい、会社
に勤めず、独力でスキルアップするような働き方はある種のブームです。
「上野」ただ、無頼というのは、いわば無保険・無保障人生。簡単に勧められない。
「古市」たしかに、専門的な能力がなければ「無頼」はうまくいかないと思います。
そして一つの組織に属していれば安定という時代でもない。僕自身も友人と会社を経営
しながら、趣味のように大学院に通っています。
ただ、企業にしがみついて生きようという人も依然多い。
「上野」安全と安心が希少になってきたから、よけいに何かにしがみつきたいの
でしょう。「就活」や「婚活」に必死になるのが、その表れでしょうね。
「古市」たしかに、新入社員のアンケートでも、定年まで同じ会社にいたいという人
が最近増えていますし、専業主婦志向も強まっていますね。
「上野」一方で、労働市場で最も割を食った非正規労働の中高年既婚女性たちは、
1990年代後半からどんどん起業しています。背景には、NPO法ができて任意団体
が作りやすくなったこと、介護保険法で助け合いボランティアがビジネスになった
ことがある。起業は若者だけの動きじゃない。
「古市」労働市場で一人前として働けないから、自分たちで、ということですね。
起業といえばITにばかり注目が集まるけど、裏側にはこうした女性たちがいる
のですね。
「上野」資本力のない女と若者は労働集約型か知識集約型の産業で起業するしかない。
この20年、グローバル競争に勝ち抜くという口実で政官財や労働界が労働の規制緩和
にゴーサインを出しました。その結果、格差社会でワーキングプアが男性にも大量に生
まれた。日本では移民の代わりに女性と若者が使い捨ての低賃金労働力になってきた。
フリーターが「不利だー」になったのね。起業は労働市場で相対的に不利な人たちの
選択肢。
「古市」自由になる代わりに、格差がどんどん広がっていく気がします。そこでは無頼
が、政策決定者側にとっても都合のいいキーワードになっている。今後、みんなが何も
のにも頼れない「無頼」にならざるを得ないのでしょうか。
「上野」もちろん全人生を会社に預けるような働き方をする人たちも、一部に残る
でしょう。でも、会社ごと心中することになるかもね。
「古市」自由に生きるためには、どこかでベースみたいなものがないと難しいというこ
とですね。
「上野」脱サラした人たちを見てきたけど、イヤな仕事を断れなくなったり仕事の質を
保つのが難しい。だから、「フリーになりたい」という転職相談には反対してきた。
「会社は無能なあなたを守ってくれる。荒野で一生戦うエネルギーと能力があるか」
って。
「古市」フリーとは定義上「自由」であるはずなのに、不安定だからこそ何かに従わな
きゃいけない。一方で、今の日本では、特に男性サラリーマンは全人生を会社にささげ
ることが求められ、働き方が自由に選べない。それがジレンマですね。
「上野」昔の日本は違った。土地の気候風土に合わせて稲作、裏作、機織り、季節労働
と多様な活動を組み合わせて生計を立てるのが「百姓(ひゃくせい)」だと言ったのは
中世史家の網野善彦さん。百姓は「種々の姓」のことだから。だからゴー・バック・
トゥ・ザ百姓ライフ、よ。

確かに、若者を中心に社会への参加意識の変化は、特に東北の震災以降大きく変わり
つつあるようだが、この対談にもあるようにさらに保守的な意識と行動も増えている
ようだ。この2人の言葉もかみしめておく必要はある。

4.Iターン事例から
この本にも紹介のある事例についてもう少し詳細に書くと、

1)海士町(あまちょう)
島根県から、フェリーで約2時間半。お世辞にもアクセスがいいとはいえない隠岐島諸
島の一つ、海士町は1島1町の島だ。その便の悪さにも関わらず、ここ11年間で人口約
2,400人(2014年10月現在)の2割に当たるIターン者数を誇るという素晴らしいい島。
各種メディアでもよく取り上げられている。
海士町での背景
高齢化、人口減少等、何かと問題先進県と言われる島根県の離島にあって、この島の
青年団は、平成のはじめくらいから「お前らどうするんだ」と島の年配者から
プレッシャーをかけられていた。そこに山内町長の登場。財政的な危機を自らの給与
を50%カットして乗り切る姿勢、そして「私が責任を取るから、なんでもやって
みなさい」と、どんなチャレンジもサポートする意気込みが役場の職員にも伝わり、
何でもやってみようという機運が高まった。
だが、海士町が単に行政主導だけでここまで来たのではない。行政と民間の立場、
みんな一丸となって地域をよくしていく。その中で、行政ができることはベストを
尽くしてサポートする。そのような流れで今の結果を出している。
幾つかの事例を示すと、

①ものづくりへの対応
海士町では、ある一つの「商品」というよりは「ブランド」ひいては「産業」を生み
出してきた。しかし、多くの自治体が6次産業化に取り組んでいる中、なぜ海士町は
うまくいっているのか?そのポイントは「全部自分たちでやること」らしい。
農協や漁協を通すと、コストがかかる。それを自分たちでやってしまえば、その分雇用
も生まれる、とポジティブに考える。春香も隠岐牛も多くのサンプルを自分たちで
研究開発、市場調査などすべて島の人たちでやった。

②ひとづくり
ものづくりが一定の成果を出し始めた頃、次に取り組むべき課題が「ひとづくり」だっ
た。人口流出が激しい海士町では、高校が廃校の危機にあった。廃校になれば、高校生
になったら島外に出なければならず、人口の更なる流出が起こる他、家計負担も大きく
なる。そこで、島外から高校生を受け入れる「島留学」を開始。この島は半農半漁で、
綺麗な水もあるため、ほぼ自給自足生活できる。つまり、小さな社会がそこにある。そ
れを活かして、島を丸ごとキャンパスにして、地域総あげで教育を行うことで特色を出
して行った。
③学習センターの設置
島では質の高い教育が受けられない、というのが常識となっていた。それをカバーする
取り組みとして学習センターが設置された。小学校から高校生まで一貫して、学習支援
をする、いわば公設の塾のようなもの。しかし、ただの学習塾ではない。町のヘッド
ハントにより移住してきた豊田さんと藤岡さんという、その道のプロ達が指導にあたり
高校と連携してカリキュラムを工夫する他、「夢ゼミ」という、キャリアデザイン、
生き方のコーチングまである。

移住者を惹き付ける一番の魅力は、
海士町の移住者が多いのは、見ず知らずの人が突然アポを入れても時間を割いてくれ、
真剣に夢を語ってくれる。「私でもなにかできそう」と、自分も既に島の一員である
かもしれないという錯覚に陥る。
対応は、365日24時間。漁業に興味がある、という移住希望者がいれば、朝5時からの
漁に連れて行ったりすることもあるという。そうやって、外の人と内の人の間に入って
あげることで、島へ入って来るハードルを低くする。ここまでが役所の仕事という境目
はない。制度より、システムより、補助金より、これらの地道で人間味あふれる
サポートが、移住者に「受け入れてもらえた」と感じさせ、彼らを惹き付ける要因の
一つである。

2)徳島県神山町の場合
徳島市内から車で約40分、人口約6000人の徳島県神山町。今この町に、IT系の
ベンチャー企業やクリエイター達が続々と集結している。過疎化が進む神山町が取り
組んだのは、観光資源などの「モノ」に頼って観光客を一時的に呼び込むこと
ではなく、「人」を核にした持続可能な地域づくりである。具体的な取り組み内容
と実際の成果について“「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり”を
ビジョンに掲げるNPO法人グリーンバレーが中心となって動いている。

2004年12月に設立されたグリーンバレーは、1992年3月設立の神山町国際交流協会を
前身とするNPO法人だ。「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくりや
後述する「創造的過疎」による持続可能な地域づくりなどをビジョンに掲げた活動を
展開している。
グリーンバレーはこれまで環境と芸術という2つの柱を建て、徳島県に自らビジョン
を提案し、プロジェクトを進めてきた。

まず環境面については、米国生まれのアドプト・プログラムという仕組みを日本で初
めて採用して道路を作った。アドプト・プログラムは、住民団体や企業が、道路や河川
といった公共施設の一区間を引き受けて、行政に代わってお世話をするものだ。そして
芸術面では、国際芸術家村を神山町に作ることにした。
1999年10月から神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)というプログラムを実施
し、神山町に芸術家を招聘し、その制作の支援を住民がやっていこうという活動が
町に大きな変化を起こしていった。

神山町のプログラムは資金が潤沢ではないので、有名なアーティストに来てもらえ
ない、住民が始めたプログラムなので専門家がいない、などの課題があった。
そこで神山町では発想を転換した。“アートを高められなくても、アーティストを高
めることはできるのではないか”。つまり観光客をターゲットにするのではなく、制作
に訪れる芸術家自身をターゲットにしようと考えた。
「欧米のアーティストから『日本に制作に行くのなら神山町だ』と言われるような場所
作りを目指した。そのために、やってきたアーティストたちの滞在時の満足度を上げ、
神山町の“場の価値”を高めることに注力する取り組みを1999年から7~8年間続けた。

そこでグリーンバレーは、2007年10月に神山町から移住交流支援センターの運営を
受託、2008年6月には総務省からの資金援助を得て「イン神山」というWebサイトを
立ち上げ、神山町からの情報発信を開始した。
“神山で暮らす”というコンテンツがウケた
サイトでは当然、アート関連の記事を作り込んでいったが、公開後に意外なことが起
こった。「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツだった。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきた。
グリーンバレーには、アーティストたちを神山町に呼び込むための活動を通して、
移住希望者と物件オーナーとのマッチングや空き家自体の発掘などのノウハウが
貯まってきていた。実際にサイト公開後の2010年から2012年までの3年間で、神山町
移住交流支援センターでは37世帯71名(うち子供17名)の移住を支援した。

町に必要な人材をピンポイントで逆指名する「ワークインレジデンス」
移住者の大きな特性は、平均年齢が30歳前後だということ。そうした若い世代に
ついては「神山町が必要とする人たちを選んでいる」という。
神山町移住交流支援センターでは過疎化、少子高齢化、産業の衰退という課題解決の
ために移住支援を行っているが、こうした課題に対する答えを持ってる人、例えば
子供を持つ夫婦や起業家の人などを優先的にお世話をする。
これが「ワークインレジデンス」という取り組みだ。町の将来に必要だと思われる職業
を持つ働き手や起業家を、空き家を一つのツールにして、ピンポイントで逆指名する。

地域再生で一番大切なことは、「そこにどんな人が集まるか、集められるか」。
それを実践しているのが、神山町のようだ。

5.その他
この本は、ローカル志向という点で、新しい自営業、地域経営、地場の産業など
かなり幅広いテーマでまとめられている。
以下にその章立てを示すが、個人的に今興味があるのが、若者を中心の意識変化と
それに対する地域経営をテーマにしたもであり、そこからのキーフレーズについて、
今回は書いているので、少し記事内容は限定的である。他のテーマなどに興味ある
方は、関係ある章を読んでもらうことをお勧めする。

第1章  場所のフラット化
1-1    古くて新しい商店街
1-2    消費社会の変容と働き方の変化
第2章  「新たな自営」とローカル性の深まり
2-1    古くて新しい自営業
2-2    自営の人びとが集う場
2-3    経済性と互酬性のはざまで
第3章  進化する都市のものづくり
3-1    中小企業の連携の深まり
3-2    新たな協業のかたち
第4章  変わる地場産業とまちづくり
4-1    デザイン力を高める地場産業
4-2    ものづくりとまちづくり
4-3    外部者からみえる地域像
第5章  センスが問われる地域経営
5-1    小さなまちの地域産業政策
5-2    「価値創造」の場としての地域
5-3    「共感」を価値化する社会的投資
終 章  失われた20年と個人主義の時代

特に気になった文について少し紹介する。
・「これまでも、地域の自然、風土、文化はまちづくりの思想の根底に据えられて
きました。他方、地域経済を支える産業は風景や景観、風土や文化とのかかわりから
論じられることは少なく、むしろ自然や文化に対置してとらえられてきたふしが
あります。」

ローカル志向という流れの中では、地域の経済といえどもその風景、風土、文化、
さらに景観も考えた総合的なアプローチが重要となって来るのでは、と思う。

・「地域に産業があることにより、多様な人々がひきつけられ、多様な人々が
まじり合うことによって、町の姿が演出されます。そして豊かな生活空間を創出して
いくことにもつながっていきます。円熟した景観や風景がそれを物語ることになる
でしょう。
しかし、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけがあって
意味を持つわけです。生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域を捉える
ことは、観光まちづくりを進めるうえでも重要になってくるのではないでしょうか。」

この指摘は今個人的にも企画している事業にも当てはまることであり、この本にも
紹介のある中川理氏の考えも大いに参考となる。

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