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2016年1月23日

2016.01.23

比良で頑張る人たち

比良はほかのブログでも詳細に描いているが、この自然に恵まれた石の里を
より広く知ってもらうため頑張っている「比良の里人」というNPO法人がある。
何げなく過ごしている中にも、地域の資産は多くあるもの、このグループの
活動からはそんな示唆をもらえる。

1.「比良の里人」について
「比良の里人」という名前には、「比良の景観を愛し、その麓に暮らす“里人”として
人と人のつながりを大切にしてゆきたい」という思いが込められている。
この法人を立ち上げるにあたっては、 
「滋賀県の西部に聳える比良山系は標高1000メートルを超える山々が連なり琵琶湖
を臨んでいる。そしてその麓には棚田が築かれ、人々は長い歴史を自然と共に暮してき
た。日本の里山を象徴するような、この景観は日本人の原風景とも言える。
しかし今この景観が大きく失われてきている。これは、第1次産業の衰退、土地の
乱開発、地域コミュニティの喪失など、景観を維持してきた人々の暮らしに
大きな変化が生じている為とも思っている。
私たちは、営々として築かれてきたこのすばらしい景観を後世に残す為の調査や、
地域での社会教育・まちづくり・環境保全の推進事業、学術・文化・芸術・スポーツの
振興事業、更には地域の自立を目指した経済活動の活性化事業及び福祉の推進事業など
を展開することで、比良山麓の豊かな自然と景観を活かした未来の地域を創造し、
社会に寄与していきたい」と考え、この組織を設立した。

今もこの考えに沿って会員や地域の支援者とともに活動を進めているといわれる。

既に法人となって10年が経過した(平成17年4月設立)が、「比良の里人」
として、頑張ったのが法人設立記念に催した「比良里山まつり」であったという。
放置林の間伐、休耕田の再生、地域の魅力の再発見。市街地域にはない魅力や
景観がここにはある。市街地に住む人たちとの交流を通じて、多くの人に比良の
魅力を知ってほしいと思っている。このため、「花畑事業」と「放牧事業」の
二つの事業を取り組んでみた。
いずれも休耕田の有効利用のアイデア募集で採択された事業で、比良の自然な生態系に
配慮しつつ、経済性と持続性を考えたものである。「ここは古くから石の文化が栄えた
ところ。景観は人が自然とのかかわりあいの中でつくっていくもの。景観も文化も
所詮は人の為せる業、とメンバーは語る。

2.比良の里を少し紹介
それでは、この比良の里を少し見て行きたい。

比良の里は、大津市の北部、比良山系の麓に広がり、今でも、琵琶湖との間に
豊かな自然を残している。この自然とのつながりが身近に感じられる里に魅かれて、
様々な職業の人が多く移住して来ている(これについては以前のレポート
「かんじる比良」で伝えている)。豊かに湧く比良山系からの水が幾筋もの川を
つくり、四季折々に様々な色合いを見せる木々の群れ、更には、古代から大陸から
の交通の要衝、文化の中継地でもあり、比叡山の仏教文化の影響や比良三千坊
と言われる寺院が散在し、歴代の天皇が祭祀したという神社など、多くの神社仏閣
とともにかっての文化集積の地でもある。司馬遼太郎の「街道をゆく」の第一巻が
この比良の里周辺から書き始められているのは、偶然ではないのであろう。

また、比良八荒と呼ばれる春を告げる強い風の里でもあり、比良山系を通ってきた
清らかな水が湧き出る里でもある。
さらには、石の里でもある。神社の狛犬、しし垣、石灯篭、家の基礎石、車石など
様々な形で使われて来た。古くは、多数存在する古墳に縦横3メートル以上の
一枚岩の石板が壁や天井に使われている。古代から近世まで石の産地として
その生業として、日々の生活の中にも、様々に姿を変え、密着してきた。
例えば、南小松は江州燈籠と北比良は家の基礎石等石の切り出し方にも特徴
があったようで、八屋戸地区は守山石の産地で有名であったし、木戸地区も
石の産地としても知られ、江戸時代初期の「毛吹草」には名産の一つに木戸石
が記載されている。

コンクリートなどの普及で石材としての使われる範囲は狭まってはいるが、石の
持つ温かさは、我々にとっても貴重な資源である。
明治十三年(1880)にまとめられた「滋賀県物産誌」には、県内の各町村における
農・工・商の軒数や特産物などが記録されているが、その中の石工に関する記述の中
で特筆すべきは、旧志賀町周辺(比良の里も含む)の状況である。
この地域では「木戸村」の項に特産物として「石燈籠」「石塔」などが挙げられている
など、石工の分布密度は他地域に比べて圧倒的である。
また、木戸村、北比良村(いずれも旧志賀町であり、現在は大津市)では戸数の中に
おいて「工」の占める比率も高く、明治時代初めにおける滋賀県の石工の分布状況
として、この地域が特筆されるべき状況であった、と言われる。
いまでも、八屋戸地区の家々の庭には、守山石と言われるこの地域で多く採れた石が
庭の石畳風景として見られるし、山からの水を引く水路や昔は洗い場として使われた
「かわと」、害獣対策としてのしし垣など生活のあらゆる場所で垣間見られる。

3.10年間の活動より
メンバーの話から活動の範囲について簡単にまとめると、

事業項目として、以下の様な活動を進めてきた。
・地域の特性を生かした自立できるまちづくり/社会環境教育
・地域の自然・文化環境の保全・回復
・第1次産業の活性化(農林業の維持育成、交流)
・景観の維持・創造
・人的ネットワークを広げる
・まちづくりの政策提言 
・自然との共生をテーマにした研究と提言
・芸術、文化の発展
などとの事。

さらに、10年間の様々な活動について色々とお話を聞いたが、その活動の広さは
まさに「この地を好きだから」が活動の原点にある様だ。

1)比良里山まつりの開催
平成17年から平成21年まで開催し、八屋戸地区の棚田を中心に様々なイベント
を実施した。

2)比良の里山の魅力探訪
日本全国で見たとき、これだけまとまった地域に大きな湖があり、山があり、多様な
環境、歴史、いろんな資源、生物があるというのは恵まれすぎる位、恵まれている所
であり、それを活用する気になれば何でもできそうなものを一地域で備えている。
これを知ってもらうため、設立当初から開催して来た。
例えば、
・南小松・里山歩き~石にまつわる文化的場所・里山の植物観察~
コース:八幡神社→天狗杉→弁財天→野小屋→トンボ車(増尾邸)→琵琶湖湖岸
「江戸時代から、南小松では200軒~300軒、ほとんどの家が石材加工業を
営んでいたが、後継者が無く、現在ではほんのわずか数える程になった。
しかし石は人々の生活に今も溶け込んでいて改めて、石材加工業の拠点であること
を実感した」という。
・比良登山・アシュウスギとブナ原生林を見に行く
比良リフト乗り場→ロープウェイ乗り換え駅→比良明神→カラ岳→八雲が原湿原
→金糞峠→アシウスギ原木→青ガレ
「岩ウチワや、シャクナゲ、においこぶし(良い匂いがします)の花がきれいで
あった。八雲が原湿原付近には、赤ハラも生育し、金糞峠の水には鉄分が染み
出していた」の感想もある。

3)石積みの川復活プロジェクト
平成20年より、びわ湖自然環境ネットワーク“石組の川復活プロジェクト”に
参画した。比良山麓をはじめ、県内各地で小河川においてもコンクリート化が
進められ、これまで使用され、保存されてきたてきた石積みの川が消滅寸前にある。
びわ湖自然環境ネットが進める石積みの川を保存するとともに、壊された所は
復元を目指す事業に参画した。
大道川の上流で石積みの残る場所に行き、現地を調査した後、樹木伐採・運搬班、
上流・下流石組補修班の2班に分かれて作業を開始。樹木伐採班は、川沿いのスギと
ヒノキの大木を伐採処理、上下流の石組班は数台の重機を使って壊れた石組みの箇所
を次々と補修し、中には直径1メートルもある大石もあったが、3箇所の主な
破壊場所を見事に補修できた。
参加者は、比良の里人、造園協会、一般・学生など計20名ほどであった。
更にこのプロジェクトは2回ほど行い、大道川の石組区間約300メートルを3回の
作業で補修を完成させることが出来た。毎回20名弱の参加者があり、楽しくしかも
しっかりとした補修となった。

4)雑木林と間伐整備作業
平成17年11月の2日間、雑木林整備事業を行った。NPO法人としての
初仕事であったが、15名ほどの会員が集まり、雨という悪条件でもあったが、
無事事故も無く終了した。

5)河川水質調査を行った。
平成18年より20年まで「身近な水環境の全国一斉調査」(みずとみどり研究会
主催)比良の里人も協力して地元の水の水質調査を行った。

6)地元をあらためて知る
・小松散策
司馬遼太郎の紀行文「街道をゆく」は旧志賀町、北小松から始まる。
地元で暮らしていても、日頃なかなかゆっくりと触れることのできない、
文化・歴史・文学の痕跡をたどりながら散策した。
他には、八屋戸などの散策も実施し、江戸時代からの三面石組水路は、歴史を感じ
させると共に、現代の近代工法であるコンクリート三面張りに比べ、性能においても
美観においても、さらに生物多様性にとってもはるかに凌いでいると再認識した。
・近江舞子内湖視察
「近江舞子ホテル」の廃業など痛手を受ける中、何かこの内湖の湖面を、観光や地域の
振興に生かせないか、ということで、水の様子、動植物の生態を水上から観察した。
現在、水質はかなり汚い。内湖の水が汚いのは、もともと富栄養化しやすく、内湖に栄
養を貯めることによって、琵琶湖の浜がきれいになるため。水をこれ以上きれいにする
ことは難しいが、これ以上汚さないようにすることはできる。
また、湿地帯 水質を浄化するヨシが枯れてきている。ヨシの背が場所によって低く
なってきていた。ヨシの間には、サギが住んでいたり、茎に卵を産みつけ魚の産卵場所
になっている。
カワセミ、カイツブリ、カメ、トンボの類もたくさんいた。内湖を景観と湖面を活かす
方法としては、タライ船を櫓でこぐ・水上運動会・中秋の名月を湖上で見る会・などな
どが案として出ていた。

7)休耕田の有効利用に向けて
平成17年より継続的にヤギの放牧事業(ヤギが雑草を食べ、同時に猿害対策にも)
と摘んでもいい花畑事業を実施して来た。
バジル苗植え付け・種まき、草抜きを実施した。
チューリップが終わり、そこにひまわりがいくつか芽をだし、周りの草抜きをした。
カモミールは可愛い白い花が満開になった、などの報告もある。
バジルはたくさんつくる予定で種まきと苗の植え付けをおこなった。
以後、いろんなハーブが花を咲かせ始め、草抜きなどを継続的に実施した。

8)生水の流れる川作り
生水(しょうず)はこの地域では、山からの恵みとして、飲み水や生活用水などに
使われて来た。平成24年よりこの生水を活かすための川作りに取り組んでいる。

9)近江舞子内湖活性化と環境学習
平成20年には、「内湖シンポジウム」を開催し、今年まで継続的にタライ舟
に乗った環境学習を実施してきた。最近は、京都からの参加者もあり、当初の
想いが広く認められつつある。
「旧志賀町の良さや伝統が伝承されず風化してしまう」と危機感を覚え、地元の
魅力を次代へ伝えようと、かつて水泳や魚釣りといった遊び場であり、民家の屋根葺き
に使われた葦刈り場、在来魚のよい産卵場でもあった大津市南小松(旧志賀町)にある
「近江舞子内湖」で「内湖に関心を持ってもらいたい」と地元の子どもたちへ向けた
環境学習を実施した。

環境学習は、「内湖には普通の舟ではなくタライ舟が似合うのでは」と、タライ舟体
験を通して行われる。たらい舟は「地元漁師の小屋に置かれていた地引き網を保管する
大きな桶を発見し譲り受け、地元で桶などの修復を手がける人に直してもらった」と、
最初に地元でタライ舟を作った。しかし、「1艘では学習するには足りない」こと
から、タライ舟で知られる新潟県佐渡市まで足を運び、教わったタライ舟の設計図を
もとに新たに2艘を製造した。さらに、「操作技術も教えてもらってきた」という。
子どもから親まで巻き込みながら実施されるこの学習は、今も継続してる。
当日、初めてタライ舟を体験した子どもたちは、法人のメンバーらに舟の漕ぎ方を
手取り足取り教わりながら内湖で遊び、舟の上から水の透明度や水深を測り、自生する
葦を観察するなど自然環境を学んだ。

この10年で様々な形で地域の良さをあらためて知り、比良の持つ有形無形の様々な
地域資源を活かすための努力を会員を中心にしてきたとメンバーの思いは同じだ。

4.今後に向けて
最後に、メンバーから今後の想いについて聞いた。

当面の最大の目標はこの比良の地域の織り成す石の文化を活かした地域づくり
としての「重要文化的景観」地域としての選定になること、と石塚さんは言う。
比良を中心としたこの地域から産する石材を利用した多くの歴史的な構造物が今も
残っている。これらは、河川や琵琶湖の水害から地域を守るための堤防、獣害を
防ぐしし垣、利水のための水路、石積みの棚田、神社の彫刻物などであり、高度な
技術を持った先人たちが、長い年月をかけて築き上げてきた遺産である。
しかしながら、その多くは、産業の変化、土地の開発、農業従事者の減少などに
伴って荒廃しつつある。先人の残したこれらの地域資産を後世に残し、更には
地域全体の活性化の中核的な活動としても当法人が進めていくべきと考えている。
このため、今年は「石の文化景観調査」を北小松から和邇南浜まで実施し、
あらてめてこの地域の潜在的な資産の多さを知り、12月6日には著名な先生も
呼んで「重要文化的景観」認定のためのシンポジウムも開催した。
これを具体的な形にするには、まだまだ解決すべき課題は多くあると思っているが、
是非、「比良の里人」として活動を進めて行きたい。

しかし、地域資産を活かす点においては、「これまでも、地域の自然、風土、文化は
まちづくりの思想の根底に据えられてきました。他方、地域経済を支える産業は風景
や景観、風土や文化とのかかわりから論じられることは少なく、むしろ自然や文化に
対置してとらえられてきたふしがあります。」という松永桂子氏の指摘もあるが、
今後の流れの中では、地域の経済といえどもその風景、風土、文化、さらに景観も
考えた総合的なアプローチが重要となって来るのでは、と思う。

また、同じく以下の指摘も考えていくことが重要なのでは、と思っている。
「地域に産業があることにより、多様な人々がひきつけられ、多様な人々が
まじり合うことによって、町の姿が演出されます。そして豊かな生活空間を創出して
いくことにもつながっていきます。円熟した景観や風景がそれを物語ることになる
でしょう。しかし、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけ
があって意味を持つわけです。生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域
を捉えることは、観光まちづくりを進めるうえでも重要になってくるのではない
でしょうか」。第三者が見る場合は、違う視点と想いのあるもの、これは過去の
経験でも痛切に感じてきたものだが、これは是非気にしてほしいものと思っている。

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