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2016.01.01

「ローカル志向の時代」より思う、その一

最近、「ローカル志向の時代(松永桂子著)の本を目にし、一読した。
社会は変わりつつある、価値も変わる、人とのゆるやかなつながりや安心感など、
貨幣的価値に還元できないものが重要となり、これまでとは異なるライフスタイル、
価値観、仕事、帰属意識が生み出されつつある。都市と農村のフラット化、新たな
スタイルの自営業、進化する都市のものづくり、地場産業、地域経営、などの視点
から現在の「ローカル志向」を解き明かすために、地域をベースにして、消費、
産業から個人と社会の方向性について考えた本である。

とくに、地域経営の在り方についてものづくり、まちづくりは人とその基盤となる
風土、文化、更には景色が大きくかかわっている、という。
さらに言えば、30年ほど前に充分に理解したとは言えないが、この本の最後に
紹介のある山崎正和氏の「柔らかい個人主義の時代の誕生」を読んだ時の感触が
いま眼前により具体的な形として広がっている、そんな思いにかられた。

1.若者の働き方の変化
地域への関わりの世代の広がりは私自身のNPOや地域活性化支援への関わりからも、
とくにここ4、5年変わってきている事を感じる。例えば、滋賀県では十数年前から
地域の課題を解決したり、解決しようとする人たちの支援をするなどのために地域
プロデューサを毎年育成して来たが、以前は60代の定年後の次の何かをしたい人
がほとんどであったが、4、5年前からは20代から40代の現役メンバーが多く
なってきた。彼らの志向は自分たちの住む地域をもっと理解し、何かをやりたい、
という意識が極めて強い。
また、身近なところでも、Iターン、Uターンの若い人が増えている。

最近の若者の意識については、この本にもあるが、電通が2015年8月にした調査が
面白い。その調査では、
電通総研、「若者×働く」調査を実施
「電通若者研究部(ワカモン)との共同で「若者×働く」調査を実施しました。
この調査は、週に3日以上働いている18~29歳の男女3,000名を対象とし、30~49歳の
男女2,400名のデータと比較することで、若者の現在の働き方、働く目的、働くことに
対する意識などを明らかにしました。
本調査の主な結果は以下のとおりです。
1. 若者の約3割が非正規雇用。女性では約4割。
2. 働く上での不満は、給料などの待遇面、有給休暇の取りづらさ、仕事の内容など。
3. 働く目的はまず先に生活の安定。働くのなら「生きがい」も得たい。
4. 現在の働き方は堅実に、理想は柔軟な働き方をしてみたい。
5. 約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくない
と思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。
6.「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」。
7. 若者は「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉を知らない。
特に、5から7項の結果は我々世代と大分違う様でもある。

その中でも、
約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくないと
思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり
前だと思う」(39.1%)
一方で、「できれば働きたくない」(28.7%)が約3割に上ることが分かった。
仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)など、
消極的なマインドがある中で、「自分の働き方はできる限り自分で決めたい」
(28.4%)という意識がある。会社や仕事の選び方は「できるだけ安定した会社
で働きたい」(37.1%)という意識が強いが、「1つの企業でずっと働いていたい
と思う」という意識は17.3%。周囲や社会とのかかわり方では、
「できるだけ価値観が共有できる仲間とだけ仕事がしたい」(32.9%)、
「社会に貢献できる仕事・会社を選びたい」(23.2%)となっている。
「できるだけ安定した会社で働きたい」という項目は、女性18~29歳で44.3%と高い。

「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」「社会」という言葉がイメージするものとして、18~29歳では
「日本社会」(41.9%)、「会社や所属している集団」(39.2%)、「住んでいたり、
関わりのある地域」(34.8%)、「友だちや家族」(34.1%)が上位に挙がった。
社会=日本というイメージと同時に、友だちや家族といった身近な「社会」も
想起されていることが分かる。女性18~29歳は「会社や所属している集団」
(42.6%)が最も高く、身近なコミュニティーを社会としてイメージしている。
「企業戦士」の認知率は、40~49歳が53.6%であるのに対し18~29歳は31.2%。また
「モーレツ社員」は、40~49歳が54.4%であるのに対し18~29歳は21.7%と、年代により
大きな差が見られた。
これらの言葉は、高度成長期に仕事に熱中する、企業のために粉骨砕身で働く
サラリーマンの像を表した言葉であり、世代ギャップがあることが分かる。」

時代の変化と意識の変化を感じる調査結果でもある。

また、後述でも伝えるが、Iターンで成功している地域の人の言葉を幾つか、
・「人生は一度きり。価値あることに時間を使いたいですし、一緒に働く仲間にも
価値ある時間を過ごしてほしい」。
・「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツでした。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきたのです」。
・町のサイトには「移住者は自分がやりたいことを実現するために、目的を
持ってやってきていた」とある。

2.「柔らかな個人主義の誕生」より
この本は、1984年に刊行され、60年代と70年代についての分析が中心であるが、著者
の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容ではあるが、個人的には
組織の中で一途に仕事に打ち込んでいた自分にとってのこれからの社会への個人の
関わりの変化を感じさせる内容であった。池田内閣の所得倍増計画の下で高度経済成長
を目指していた60年代の日本社会が、その目的を遂げた後、どのように変化していった
のか。70年代に突入して増加し始めた余暇の時間が、それまで集団の中における一定の
役割によって分断されていた個人の時間を再統一する道を開いた。
つまり、学生時代は勉学を、就職してからは勤労を、という決められた役割分担の時間
が減少したことにより、余暇を通じて本来の自分自身の生活を取り戻す可能性が
開けたということである。

こうした余暇の増加、購買の欲望の増加とモノの消耗の非効率化の結果、個人は大衆
の動向を気にかけるようになる。以前は明確な目的を持って行動できた
(と思っていたが)人間は、70年代において行動の拠り所を失う不安を感じ始める。
こうして、人は、自分の行動において他人からの評価に沿うための一定のしなやかさを
持ち、しかも自分が他人とは違った存在だと主張するための有機的な一貫性を持つこと
が必要とされる。それを「柔らかい個人主義の誕生」と考える。
今読み返しても、その言葉をなぞっても、決してその古さを失っていない。
まずは、
・けだし、個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固
執するものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといへよう。

・皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代
にはいると国家として華麗に動く余地を失ふことになった。そして、そのことの最大の
意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたへ、個
人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、といふことであった。

・いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディ
ー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重
され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよい人(エニボディー)」に変っ
た、といへるだらう。(中略)これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かであ
る人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会
がうまれつつある、といへる。

・確実なことは、、、ひとびとは「誰かである人」として生きるために、広い社会の
もっと多元的な場所を求め始める、といふことであらう。それは、しばしば文化サーヴ
ィスが商品として売買される場所でもあらうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供
しあふ、一種のサロンやヴォランティア活動の集団でもあるだらう。当然ながら、多数
の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされる
ことになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あ
るいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。

・もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれに
より深くかかはることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表
現といふものの価値が見なほされる、といふことである。すなはち、人間の自己とは与
へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在す
る、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立
って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家
庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。

・ここれで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいへば、より柔らかで、小
規模な単位からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも
、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多く
の人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われ
われは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違ふ社会に住むことにならう。

この30数年前に語られた言葉がインターネットの深化に伴い、現在起きていることで
あり、それに対する個人の生きる指標でもあるようだ。

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