« 「日本の200年」から思う、日本人心の変遷 | トップページ | 旅への想いその二 »

2016.02.12

旅への想いその一

今、自分の今までの生き方の原点回帰の想いで、かなりのフィクションを入れた
旅日記を描いている。仕事で行った場所や生まれた場所、などの訪問を含め、
昭和から平成という大きな変節の時代を生きてきたという郷愁と悔悟と時代変化
の激しさへの想いがその中で、浮かんでくるようだ。
ドナルド・キーンも「百代の過客」の中で、旅日記に見る日本人の思考と感情を
読み解こうとしている。近代以前は、旅すること自体が己の人生そのものでもあった。
それは、松尾芭蕉、西行、宗祇などの残したものを見るとよくわかる。
「百代の過客」に描かれている旅日記の作者もそのような側面を持っている。
現在は、ある意味、心の漂泊の時代かもしれない。単に有名な観光地への物見遊山も
よいが、その中のわずかな時間でも、自身の「人生の旅」を振り返るのも、
一つでは、ないか。
ここでは、松尾芭蕉ほかの人たちの記述から旅、そして人生への想いを感じてみたい。

1.松尾芭蕉の場合
松尾芭蕉は、旅の人である。
東北を中心に、関西までその足を進めている。
しかも、一鉢一杖、一所不在、正に世捨て人のなりわいの
如くであったとのこと。
松尾芭蕉が、このような長旅と困難なことを実行したのか?
彼にとって、旅とはその人生にどんな意味を持つのか?
私自身の旅への強い想いもあり、「おくのほそ道」「野ざらし紀行」
等からその一端を掴みたい。

1)「おくのほそ道」より
まずは、
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ゆる
者は、日々旅して、旅を棲とす。古人も多く旅に死せるあり。
予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」。
この旅に出る根本動悸について書き出している。
松尾芭蕉の旅の哲学がそこにある。
旅の中に、生涯を送り、旅に死ぬことは、宇宙の根本原理に
基づく最も純粋な生き方であり、最も純粋なことばである詩は、
最も、純粋な生き方の中から生まれる。多くの風雅な先人たち
は、いずれその生を旅の途中に終えている。
旅は、また、松尾芭蕉にとって、自身の哲学の実践と同時に、
のれがたい宿命でもあった。
「予も、いずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思い
やまず、海浜をさすらいて、、、、」とあるが、旅にとり付かれた
己の人生に対する自嘲の念でもある。

また、唐津順三も、「日本の心」での指摘では、
「竿の小文(おいのこぶみ)」「幻住庵記」にある「この一筋」、
様々な人生経路や彷徨の後、「終に無能無才にしてこの一筋に
つながる」として選び取った俳諧の画風に己が生きる道を
見出しながらも、その己における在り方には、まだ不安定ものがあった。
「野ざらし」以後の「旅」の理念、日本の伝統的詩精神を
極めて、「旅」こそ詩人の在り方と心に誓い、一鉢一杖、一所不在、
尊敬する西行の庵生活すらなお束の間の一所定住ではないかと
思いつめた旅人芭蕉にも、ふいと心をかすめる片雲があった、
はずである。
野ざらしを心にして旅に出て以来、殊に大垣を経て名古屋に入るとき、
己が破れ笠、よれよれの紙衣を見て、「侘つくしたる侘人、われさえ
哀れに覚えける」と言って、「狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな」
の字余りの句を得て以来、芭蕉は、つねにおのが「狂気の世界」を
見出したという自信を持った。
松尾芭蕉としての気概がここにある。

2)「野ざらし紀行」より、
貞享元年(1684)8月、松尾芭蕉は初めての旅に出る。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」
と詠んで、西行を胸に秘め、東海道の西の歌枕をたずねた。
「野ざらしを」の句は最初の芭蕉秀句であろう。
「野ざらし」とは骸骨である。骸(むくろ)である。
「しむ身」は季語「身にしむ」を入れ替えて動かしたもので、
それを「心に風のしむ身かな」と詠んで、心敬の「冷え寂び」
に一歩近づく風情とした。
「野ざらしを心に」「心に風の」「風のしむ身かな」という
ふうに、句意と言葉と律動がぴったりとつながっている。
この発句で、松尾芭蕉は自分がはっきりと位をとったことが見えたに
ちがいない。

2.柳田國男にとっての旅
柳田にとって旅とは、一体何であったのだろう。柳田は「旅は本を読むのと同
じである」(『青年と学問』)といっている。
旅はその土地のことばや考え、心持ちなどを知ることであり、文字以外の記録から
過去を知ることであるともいっている。『青年と学問』におさめられた講演の
なかで柳田は、人の文章(文字)や語り(無文字)から真に必要なものを
読み取る能力を鍛えろと、青年たちに訴えている。人の一生はしれている。
その限りある時間を有益に使えといっている。ただ、がむしゃらに本を読んで
も、旅をしても、志が低く、選択を誤れば、無益になってしまうといっている。

柳田は見ること、聞くこと、読むことを同一線上でとらえているのである。
それらを媒介しているのはことばであろう。ことばを媒介としてあらゆる事象を
読み取ろうとする。本を読むように風景を見、人と語る。
実際、各地の地名や方言にも若い頃から特別な関心を示していた。柳田にとって
見ること、聞くことは、読むことなのだ。そして学問のためにも、それらを
ことばに置き換え、文字に表現することに、柳田は非常な執着を持っていた。
日本人自らが自分自身を知るという、最終的に自己を対象化できるのは、
ことば以外にあり得ないと考えていた。
だからこそ、旅は本を読むのと同じであるといったのであろう。

膨大な柳田の読書暦や旅行暦は、恐らく少年時代の読書体験、それに移住を
余儀なくされた漂白体験から培われている。文字と無文字の両方に価値を
おき、そこから得た発見、衝撃を、柳田は人一倍強い感受性で受け止めている。
私はその感受性の根に、無名の人々の哀しさを見つめる柳田の目を感じる
のである。その哀しさへの共感が、柳田の内部から抑えがたい渇望と
なって発酵していったのであろう。
哀しさへの共感といっても、実は旅そのものが柳田のいうように「憂いもの
辛いもの」であった。「タビという日本語はあるいはタマワルと語源が
一つで、人の給与をあてにしてあるく点が、物貰いなどと一つであったの
ではないかと思われる。……すなわち旅はういものつらいものであった」
(定本第二十五巻「青年と学問」より)。

漂白と定住、逃散と定着、村を追い出される者、出ていく者、あるいは
諸国を歩く遊行僧、旅芸人、木地師など、移動を余儀なくされる者の
心持が、すなわち「タビ」であったという。
旅の語源は「賜ぶ」「給べ」といわれる。「他火」もそうだろうか。
移動する者にとって、食う物が無くなった時、他人の火(「他火」)で
作られた食べ物を、物乞い(「給べ」)しなければならなかった。
他人の家の火を借りて一夜をしのぎ、食い物を恵んでもらうことで、
生をつないでいたのである。ここから、また「食べる」も派生した
だろう。時代によっては餓死、野垂れ死が、日常茶飯事の情景であった
かもしれない。「タビータマワル」なしには生きることの困難な状況
があったことは疑いない。

「タビ」は、すなわち生きることと直結していたのである。
移動者ばかりでなく、ある程度蓄えのある定住者にとっても、旅人の
心情は他人事ではなかったはずである。自然災害や戦乱、圧政、
いつ何時自らも旅人になるともしれなかった。それゆえ、行き倒れた者
を雨ざらし野ざらしにしないという村人たちの暗黙の了解があった
かもしれない。見ず知らずの者に屋根を与え、火を囲み、事情や他国
の話を聞くなかで、タビが新たな関係を生んでいく。

そこにはまた別な光も差し込まなかったか。場を共有することで心
が和み、人と人との温かな交流が芽生える。一宿一飯の恩義だけでなく、
「タビ」を介して、確かに「情」が内部から醸成されてくる。
人の哀しさと優しさの根源に、「タビ」を置くことはできないか。
日本人が南方からの移住者であったとすれば、「タビ」から派生した
哀しさと優しさの痕跡を、わたしたちは心のどこかに秘めているのでは
ないだろうか。柳田はそのことに気づいていたかもしれない。
人生は旅だといい、死に装束も旅姿である。「タビ」は、わたしたち
のこころのなかを貫いているのである。

« 「日本の200年」から思う、日本人心の変遷 | トップページ | 旅への想いその二 »

人生」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/79186/63199049

この記事へのトラックバック一覧です: 旅への想いその一:

« 「日本の200年」から思う、日本人心の変遷 | トップページ | 旅への想いその二 »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ