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2016年3月25日

2016.03.25

猫への想い、最後です。

猫について書くのもこれが最後ですが、色々と彼ら彼女らから教えてもらっています。

8.猫町 萩原朔太郎
さすが、彼の視点はほかの猫の小説とは違う。ちょっとこのような文は描けない。
「町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々
が歩いていた。どこかで遠く、胡弓こきゅうをこするような低い音が、悲しく連続して
聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこか
で一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であ
った。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体
が混乱の中に陥入おちいってしまう。

私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死にもがいている人
のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の
密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪ゆがんで、病気のように瘠やせ
細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏
の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。
「今だ!」
と恐怖に胸を動悸どうきしながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠ねず
みのような動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実によくはっきりと
映像された。何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を破るような印象が
感じられた。

瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。
だが次の瞬間には、何人なんぴとにも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が
現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、
髭ひげの生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた

戦慄せんりつから、私は殆ほとんど息が止まり、正に昏倒するところであった。
これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか。一体どうした
と言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。たしかに今、私の頭脳はどうかして
いる。自分は幻影を見ているのだ。さもなければ狂気したのだ。私自身の宇宙が、意識
のバランスを失って崩壊したのだ。

私は自分が怖こわくなった。或る恐ろしい最後の破滅が、すぐ近い所まで、自分に迫
って来るのを強く感じた。戦慄が闇を走った。だが次の瞬間、私は意識を回復した。
静かに心を落付おちつけながら、私は今一度目をひらいて、事実の真相を眺め返し
た。その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。町には何の
異常もなく、窓はがらんとして口を開あけていた。往来には何事もなく、退屈の道路が
白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっか
り情態が一変していた。町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、疲
れた埃っぽい人たちが、白昼の乾かわいた街を歩いていた。あの蠱惑的な不思議な町
はどこかまるで消えてしまって、骨牌カルタの裏を返したように、すっかり別
の世界が現れていた。此所に現実している物は、普通の平凡な田舎町。しかも私のよく
知っている、いつものU町の姿ではないか。、、、、」


9.そのほか
他にも猫の登場する小説を何冊か読んだが、どうも私にはしっくりいかない。
だが、これは少し参考になった。
ポール・ギャリコの「猫語の教科書」である。

「人間ってどう言う生き物?」では、
私の家のご主人が、奥さんにどなったり、机をバンとたたいたり、
または、ガミガミと言ったからといって、奥さんとの仲が悪い
わけではありません。こういうことは、男性にとってただの習慣の
ようなもの。男たちは、怒鳴ったり、文句をいったり、いばったり、
命令したりするけれど、女性たちは放っておきます。、、、、、
女性は多くの点で私たち猫に似ています。、、、、
猫が「人間の家を乗っ取る方法」では、
私たち猫が人間の家に入り込む時に、使うのに、これほどぴったりの
言葉(乗っ取る)がほかにあるかしら。だって、たった一晩で、
何かもが変っわちゃうんですもの。その家もそれまでの習慣も、
もはや人間の自由ではなくなり、以後人間は、猫のために生きるのです。

我が家はすでに、乗っ取られている様だ。

最後に、我が家の若手ハナコについて少し書いておく。
ハナコは、野良猫として雄のノロと行動していたが、ある日我が家の
庭に紛れ込んできた。、、、、、
主人が手に何かを持って奥から出てきた。
なんと、手には、猫用の缶詰と水がある。
それを、そーと縁側に置くと、すーと姿を消した。
まあ、食べたければ、食べなさい、と言った風情である。
ノロとハナコにとって、凄く長い時間を感じた。
数歩先には、上等な食事が二人を手招きしている。
早く食べに来いよ!!と言っている様だ。
「ノロさん、どうしよう?おなか減ったし、食べまへん!」
「チョット、待て。どうも話が上手すぎるわ。俺たちを捕まえる
罠かもしれへん」
「でも、優しそうな人だったみたいやよ?」
「人間なんて、うわべだけで判断しちゃあかんよ。俺の経験では、
ニコニコしている人間ほど、危険な人間はいいひん。昔、俺の仲間も
その手で、何人にも捕まって何処かに連れて行かれたんや。」
「へえ、怖いやね」
そこへ、かの主人が、顔を出した。
「お前たち、食べないのか?別に毒なんか入ってないよ」
と言って、こちらに、手招きしている。
勿論、猫語と人間語では、十分に分かっているとは、言えないが、
何もしないから、早く食べろ!と言っているのは、二人も
理解できた。
「しゃあない、まず、俺が行くから、様子を見て、お前も来いや」
ノロは。歩伏前進の姿勢で、缶詰のところへ向かう。
そして、猛烈に食べ始めたのである。
ハナコも、慌てて後に続いた。
ああ、何日かぶりの満足な食事であろうか。この匂いと喉越し
に消えていく香ばしい魚の感触。
満腹感が二人を支配していた。
アノ劇的な日から数日が過ぎた。
しかし、暫くは、ノロはアノ家に近付かなかった。
ノロの長年の野良猫としての経験から、人間への恐怖感と猜疑心
がそうさせたのかも知れない。
ハナコは、少し違った。
アノ食事の魅力が、ノロと居ても思い出される。恐さよりも、食事への
魅力が、絶えず、ハナコの頭の中で、唸りを上げている。
ある日、ハナコは、一人で、あの魅力に満ちた家の庭に忍び込んだ。
そして、その日も、たまたま顔を出した主人とその主人のママがいた。
「ママ、チョット来てみて、例の猫が来てるぜ!」の声に合わして出てきた
ママと呼ばれる人に初対面もした。
暫くして、ノンビリと庭先に居るハナコを見る様になった。
無事、家猫になった。
もっともこれにはもう一つの経緯がある。
この家にハナコが来たとき、かなりの太めのお腹をしていた。
これを見たママがさっそく栗田先生のところへハナコを連れて行って
手術をしようとしたが、その時、栗田さんの一言。
手術をするなら、家猫として飼ってください、と。
いま主人の足元には、その時とはかなりスマートになり、べったりと
床に腹ばいのハナコがいる。
4つの足をのばしきってその茶と黒、白の斑模様をまるで虎の敷き皮
のごとく見せている。

チャトは昨年転生した(死んだ)、残った猫たちもすでに高齢化の
歳である。いつまでこの生活が続くのであろうか。

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