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2016.05.20

旧きを訪ねて新しきを知ることが可能か?温故知新への想い。


1年半ほど前、病院から帰ると直ぐに、書棚にうず高く積まれていた
1500冊ほどの本をブックオフに売り渡した。
今までの自分と決別したい、と思った。
しかし、それが古き思い出を面倒だと思いきり棄て去って来た過去
の自分のあり様と気づいた。それが今までの自分の生き方であった。
しかし、今は埃と蜘蛛の糸しかない本棚から過去の自分の有り様
がまざまざと浮かんだ。捨て去って行った先人の智慧、本に残した強い想い、
智慧に触発された時の自分の心、それは変色した紙面の中に潜んでいた。
まだ残っていたわずかの本たち、「脱工業社会の到来」「第三の波」、
「ネクストソサエティ」など、すでに掠れて読めないほどの背表紙のいくつか、
その中からふわりと落ちた一片の紙切れ。それを何気なく見たとき自分の
遠き良き時代を思い起こした。

今、手にしている「1991年12月28日の新聞記事」、わずかに残っていた
本の中から出てきた。まるで、温故知新のためか、自身の反省悔悟のためか。
見るともなしにその黄色に変色した文字たちを目が追った。

「富士銀行の不正融資7000億円、証券の損失補てん総額2164億円、竹井博友元
地産会長の個人脱税34億円、倒産企業の負債総額7兆918億円。
バブルの宴のあとだ。ケタ違いの数字に、社会の金銭感覚もすっかりマヒさせられて
しまった。この秋、七五三の子供のためにホテルで開く、結婚式ばりの豪華披露宴が、
静かなブームだった。競馬の有馬記念では500億円余りの札束が舞った。かってない
物質的豊かさを手にした日本だが、社会基盤の未成熟から、本物の快適さや充実感
を与えてくれるものは、案外少ない。
ー満足感を共有できない社会ー
それぞれが、豊かさをいささか持て余しながら、自分だけの小さな世界で、そのはけ口
を求めている。若者は独特の省略言葉で、大人をケムにまき、世界の10大ニュースの
上位に女優のヌード写真集を選んだりする。世の中わかりにくい政治家の永田町語、
証券業界の兜町語なども横行した。
価値観の多様化、といえば聞こえはいいが、それはある意味で、連帯感や潤いに欠けた
未成熟社会の姿でもある。戦後復興から高度成長期、国民は「豊かさの実現」という
共通の目標に向け、貧しいながらも充実感を共有した。だが、いまやゆとり志向、
生活大国への道は遠く、当面共有できる目標は見当たらない。
今年は、こうした目的喪失社会の中で不公正や格差、バブル現象など、戦後社会
のマイナス面が突出した。本紙読者が選んだ「日本10大ニュース」は、その
屈折した世相を色濃く映し出した。、、、、

景気拡大は、57ヶ月のいざよい景気を上回った。だが、それが後退局面にある
ことは、経済企画庁も認めている。企業倒産は11月末で約1万件、裁判所への
個人破産の申し立ても、1億6千万枚を超えたカード社会を背景に激増した。
今年の世相を見ると「豊かさの底が見えた」との印象が強い。勤労者世帯の
平均貯蓄高が、初めて1千万円を超えたが、マイホームはなお高嶺の花だ。
人手不足もますます深刻化、過労死も話題となった。、、、、
真珠湾50周年の今年、政治や経済、社会など全ての面で、制度疲労が表面化して
きた。戦後の日本経済を支えて来た収益至上主義と企業中心社会は、その典型と
言えるのではなかろうか。何を残し、何を改革するのか。変革期に最も必要なものは
志しである」。

私自身、40代半ばの仕事に埋没していた時期である。新しい事業の仕掛け
や幾つかの事業会社を新たに創ったり、お客の接待での午前様帰り、家に戻って
6時にはまた家を出る、あのときの姿が眼の前に映し出される。
しかし、ふと我に帰る一瞬、自分のいる場所がわからない事もあった。

「宴の裏に悪魔が住んでいた バブルは金銭感覚だけでなく、社会全体の倫理観
を荒廃させ、ルール無視のやり得の風潮を、拡大再生産した。、、、、、、
富士、東海など大手都市銀行を舞台にした不正融資の総額は、ゆうに1兆円を
超す。産業を支え、堅実一筋だた銀行に何が起きたのか。橋本富士銀行頭取は
国会の参考人聴取で「背景には収益至上主義の経営方針があり、現場が業績偏重
に傾斜しすぎていた」と頭を下げた」。

だが、今もテレビや新聞から聞こえてくる企業の不祥事は30年近く経とうと
変わりない。
俺も含めて人は学習しないな、と思う。全てが幻想の人生だった気もしてくる。
さらに、最近は、日本の製造業の組織としての劣化を思わせる事件が多いようだ。
5Sなど、品質を高めるためにまじめに現場でのレベルアップを図ってきた製造業を
中心とした意識や活動も利益優先、効率重視、などに追われ、本来守るべき
自分たちが作り出すものへの誇りが失われようとしている。東洋ゴム、旭化成建材
のような中堅の企業で起きているのは、偶然ではないだろうし、東芝の決算処理
の不祥事などを見ても、日本全体にその意識と行動の劣化は進んでいるようにも
見える。一昔前までは、日本では経営トップや政治家は大した人間はいないが、
現場で働く人のスキルと意識がこれまでの多くの日本の基盤を支えてきた、
と言われていた。しかし、その神話も崩れようとしている。

戦後成長の原動力となった終身雇用の瓦解や非正規社員の増加がその一因と
なっているのであろう。少子化に歯止めがかからない以上、更に世の中は
停滞していくであろうし、働く事への意識も大きく変わっていくであろう。
格差の拡大、団塊世代の老後破産など話題には事欠かないし、消えゆく
老大国になりつつあるようだ。
この新聞記事のような活気ある時代はもう望めないのか、たとえそれが崩れゆく
谷間のアダ花と言われようと。

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