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2016年6月10日

2016.06.10

2000年前後

むかし技術の世界にいた時、「デファクトスタンダード」は必要不可欠なものとして、
その拡大は国々の経済を高める聖なる存在という意志が強かった。
しかし、これを文化や政治などへと拡大させるとそれには善悪の2元的な面が
あり、無分別な称賛は悪の側面をも強くするのでは、そんな疑問がわいてきた。
そんな折、少し古いが山崎正和氏の「世紀を読む」は2000年前後の彼の想いが
記述してあり、ほかの2000年前後の社会を深読みしたものと合わせ読むと
中々に面白い。特に、2000年前後から急激に社会に浸透はじめたインターネットの
影響は大きな要件でもある。
50歳代になっていた私にとっても、「年寄り無用論」が静かに言われていたころ、
若者たちの意識変化と合わせ大きな分岐点の時でもあった。
もっとも、それに気づくのはもう少し先になってからであるが。

1.2000年とは、
記憶に残るのは、90年後半に始まったネットバブルの狂騒であったが、2000年
には早くも消えつつあった。アメリカのそれとは違い、中身が伴なっていなかった。
さらには、2001年9月11日のテロという名の惨劇であった。それからの世界は
流動性が一層増したようにも見える。また、日本でもその社会全体の動きは、最新の
厚生労働白書を見ると面白い。ここでは、若者の仕事に関する意識は2000年を境に
大きく変化したことを言っている。日本社会の本質的転換点だったのかもしれない。
厚生労働省は2013年9月に厚生労働白書を公表した。そのテーマは「若者の意識」
で、若年層の雇用環境や職業意識などについて様々な考察が行われている。
その中で、働く目的に関する長期的な調査の結果が非常に興味深い内容となっている。

新入社員に対して働く目的を尋ねたところ、2000年までは一貫して5%程度しか
なかった「社会のために役に立ちたい」という項目が2000年を境に急増、
2012年には15%まで上昇した。また「楽しい生活をしたい」という項目も
2000年を境に急上昇し40%とトップになっている。
これに対して「経済的に豊かな生活を送りたい」「自分の能力をためす生き方を
したい」という項目は、逆に2000年を境に低下し、現在は20%程度まで落ち
込んでいる。
最近の若者が賃金にはこだわらず「社会の役に立ちたい」「楽しく仕事をしたい」と
いう傾向を強く持っていることは、各種調査などですでに明らかになっている。
だが2000年を境にこうした意識の変化が急激に進んだという事実は、長期的な統計
を見ないとわからないものである。

日本経済がバブル崩壊をきっかけに行き詰まってしまったことは誰もが認識している。
この20年の間に、世界各国のGDPは2倍から3倍に拡大したのに対して日本
はずっと横ばいのままである。円高が進んだことを考慮に入れても、相対的に日本
はかなり貧しくなってしまった。おそらく2000年はこうした日本の閉塞感が
顕在化してきた年といえるのかもしれない。

2.「世紀を読む」から
山崎正和氏が2001年10月にそれまでに書いた評論をまとめたものであるが、
2000年に書いたものも多く、中々に面白い。
例えば、
「従来あまり関連を指摘されていないが、商業主義と文化相対主義の暗黙の
連携である。ラジオや映画やテレビの繁栄、そして文化に無記名の人気投票を
行う大衆の台頭が背後にあった。それは自意識と内的な規範の弱い文化の興隆で
あり、いわば文化論抜きの文化の圧倒的な普及であった。
文化相対主義は前世紀の人類学に始まり、民族文化の価値を平等視する
思想として誕生した。やがて、これをなぞらえて階層文化を平等視する
主張が現れ、ハイ、ポピュラー、サブといった文化区分を相対化する思想が
広まった。論者の主観的な意図とは別に、これが商業主義の席巻を助けた
ことは確実だろう。漫画と文学、ファッションと美術の区別なく、売れるものが
文化を支配することになったのだ。同時に、つねに現在を重視する市場原理
の結果として、ベストセラーがロングセラーの存在を難しくしてしまった」
今でもその流れは変わらないようで、文化論なるものをほとんどの人は
意識もしていないようだ。さらには、
「これに止めを刺す形で、前世紀末に芽生えたのが、「デファクトスタンダード」
を容認する気風である。理由もなく、意識することさえなく、流行したものは
正しいとする風潮である。国家より市場が、文化運動よりグローバルな消費動向が
優越するなかで、明らかに時代を批評する現代論の傑作も乏しくなった。
しかし機械仕様の事実上の標準化はやむをえないとしても、本来、意識の産物
である文化がこのままでよいはずがない。党派性や階層差別は乗り越えながら
個々の文化活動、自分が生きる時代を批評する精神を復活しなければならない。
それぞれの「私」が生きるなりふりの表現として、自己の文化的な規範を
ろんじなければならない。人間にデファクトスタンダードがあるとすれば、
動物的な本能か、文化以前の惰性的な習慣のほかにはないからである。
、、、、、、
政治から倫理にいたるまで、昨今、社会の基本的な価値観を論じる風潮が
一般に衰えている。
、、、
だが「事実上(デファクト)の政治的勝利は先進国の知識人にそれ以上の錯覚を
招いた。人権と民主主義は世界の「事実上の標準」であり、それについて説明責任
は誰にもないという感覚が広がったのである。実際には、この政治思想はかって
近代の知識人が創造し、不断の説得によって実現した正義であった。それは
数学的真実のような絶対普遍の理念ではなく、人類が歴史のなかで証明してきた
善である。いいかえれば、それは歴史の新しい段階ごとに再確認され、説明され
なおされるべき理念なのだが、今日の国際政治の場にそういう思想的な努力
は見られない。
それにつけて、もう一つ悪い条件をもたらしたのが、世紀末のグローバル化という
現象である。グローバル化は従来の国際化と違って、それを進める国家という主体の
顔が見えない。利益を主張し、イデオロギーを説き、影響の拡大を目指す国家という
顔が見えない。

市場原理であれ、情報技術であれ、ファッションであれ、エイズや麻薬犯罪ですら、
グローバル化するものはすべて自然現象のように広がる。そこには、特定の国の
主張した標準は見当たらない。あらゆる基準は気が付くといつのまにか、
「事実上の標準」として世界を支配しているのである。
政治の場合でも、現代では政策を主張する国家や個人の顔が見えにくい。国際政治を
動かすのもまずは「世論」であり、非政府組織に加わる大衆である。サッチャリズム、
レーガニズムなどと個人名のつく政策も見られなくなった。といよりも世界政治
の大潮流はまず市場が決定して、国家の政策はそれへの対応に追われているよう
に見える。
すべての面で無署名の力が世界を左右する時代の中で、それを見慣れた人々は社会の
基本的な価値観についても、それが「事実上の標準」として働くことに異常を感じ
なくなったのであろう。
だが、情報革命やファッションとは違って、政治理念を含む基本的価値観は人間
の倫理に関わってくる。社会が「どうなるか」ではなく、社会を「どうするべきか」
に関わってくる。それは本来、個人が責任をもって選ぶべきものであり、それを
めぐる合意形成のために積極的に努力すべきものである。そしてそのためには、
人々は価値観を暗黙の了解にまかせるのではなく、根拠づけと説明につねに新たな
思考を働かせるのが当然である。
、、、、、、、、、、
グローバル化と民族主義の対決は、こう考えると21世紀の文明形成の
危機だとみることができる。文明形成とは無意識の伝統や生活習慣を意識化して、
いいかえれば暗黙の文化を論理的な言葉に翻訳して、それを知らない異文化の
人間をも説得することだからである。
、、、、
21世紀はすべてが寛容な時代になり、価値観の多様性がますます許される時代
になるであろう。イデオロギーの対立は消滅し、文化の相対主義もさらに広く
認められるであろう。だがこの寛容さがもろ刃の剣であり、社会の基本的な
価値観への無関心につながり、一転して恐るべき無意識の通念、独善的な規範の
支配を招く恐れを忘れてはならない。抑圧や対立のない時代に、懐疑的な精神を
持ち続けることは難しい」

考えさせられる指摘は多いが、今の政治状況、経済での対応では、この16年
ほど前に指摘されたことからどれほど進化したのであろうか、むしろさらに
悪い方向へ向かっているようにも思える。

3.「フラットな世界」と合わせ読む
2000年初頭から拡大し始めたインターネットの影響を抜きにしては
これからの変化を正しく見ることは出来ない。これを世界的なレベルで概括的に
見る点では、
「フラットな世界」は中々に面白い。
「世紀を読む」と合わせ読むと多面的な視点も含め、参考となる。
1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、次の
10項目があると言っている。
①ベルリンの壁の崩壊とウィンドウズ
1990年のウィンドウズ3・0でアップル・IBM・ウィンドウ
ズ革命がおこった。「これで文字・音楽・数字データ・地図・写真・音声・映像が
すべてデジタル表示できるようになった。そのうち誰もがたいした費用をかけずに
デジタル・コンテンツを作り出すことになる。
②インターネットの普及と接続の自由
世界は本気でフラット化に向かった。
③ワークフロー・ソフトウェアと共同作業の実現
ここに「標準化」(スタンダード)という共有を求める価値観が生まれた。
④アップローディングとコミュニティ現出
アップローディングのしくみは、コミュニティを創りだし、「リナックス」
「ブログ」「ウィキペディア」「ポッドキャスティング」「ユーチューブ」
などが輩出した。
⑤アウトソーシングによる技術転移
フラット化された世界の技術はアウトソーシングの先に新たな技術と市場を
つくっていく。
⑥オフショアリングがおこった
⑦サプライチェーンが一変する
フラットな世界ではサプライチェーンが競争力と利益の根幹になっていくことを劇的に
示した企業が出てきた。
⑧インソーシングで世界が同期化する
⑨グーグルによるインフォーミング
グーグルが世界の知識を平等化した。
そこにはグーゴル(10の100乗)な数の人間がかかわれるようになった。
グーグルは、アップローディング、アウトソーシング、インソーシング、
サプライチェーン、オフショアリングのすべての個人化を可能にした。
これによって、「自分で自分に情報を教える」というインフォーミング
が可能になった。これにより、世界はますますフラット化する。
グーグルは更に先の変化に対応しようとしている。
⑩情報のステロイドホルモン化
「デジタル」と「ワイヤレス」と「モバイル」と「ヴァーチャル」と
「パーソナル」が掛け算されると、強力な情報のステロイドホルモン化がおこる。
更に、これらの要素を最適な形で有効に活用するには、以下の3つの集束
が必要となる。
1)グローバルなプラットホームが形成され、共同作業が可能となる。
これらを上手くこなす仕組み、
フラットな世界への接続可能なインフラ、
プラットホームを活用できる教育体制、
プラットホームの利点欠点を活かせる統治体制、
を構築できた国が先進的な活動と富、権力を得ることが出来る。
2)水平化を推進する力
水平な共同作業や価値創出のプロセスに慣れている多様な人材が必要である。
3)新たなるメンバーの参加
中国やロシアなど政治、経済などの壁により、参加できなかった30億人
以上のメンバーの参加が可能となった。

フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで大きく変わりつつある。
その深化する速度も年々加速化しているようにも思える。だが、国内での
動きは、知る限り「世紀を読む」で16年ほど前に言われたことからあまり
変わったようには思えない。特に、政治面、文化面ではどれほどの変化が
あったのだろう。しかし、若者を中心とする意識の変化は、地方の現場でも
見えつつある。それには大いに期待したい。

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