« 一般意志2.0から思う、社会変化と政治 | トップページ | この国のかたち、第2巻より »

2016.09.09

この国のかたち、第1巻より

この本は、私にとっては、古代から中世、近代の社会を見ていく上での
ガイドブック的な存在だ。この本の底流には、彼の考える日本文化やその精神、
宗教や社会が流れているのであろうが、それをすくい上げることが中々に
難しい。だが、現れる言葉が自身の想いとつながる場合は、加速度的に
理解が進むときもある。小さな示唆から自身の考えを深めるには、何度も
ページをめくり返すことも必要だ。

司馬遼太郎はこの本において、独自の方法で日本思 想史の概説と整理を試みている。
神道論、古代仏教論、真宗論、朱子学論、江戸思想論、武士論など、日本思想史
のほぼ全領域が描かれており、彼なりの視点で個々の思想性が位置づけられ、特に
近代日本へ至る思想的経路の基本が指し示されている。特にその中で、昭和国家
の鬼胎へと逆転する思想史につ いても、健全な日本思想史の基本線の裏側に沁みの
ように付着して噴出する朱子学イデオロギーという構図も垣間見せている。
だが、神道や朱子学、儒学などをもう少し具体的に知るには、和辻哲郎などの
著作を読む事の方が全体的な把握ができる。特に、和辻氏の「日本倫理思想史」
は面白く読める。これらと合わせ、この本のキーフレーズと重ね合わせれば、
さらに面白く読めるような気もする。

1.「名こそ惜しけれ」の心根
まずは、第1巻の「2朱子学の作用」にこの言葉が出てくる。
自身の心を透かして見れば、この言葉がわが身の底流に流れていることをつくづく
感じる。
「日本史が、中国や朝鮮の歴史と全く似ない歴史をたどり始めるのは、
鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする「百姓」の
政権が誕生してからである。私どもはこれを誇りにしたい。
かれらは、京の公家、社寺とはちがい、土着の倫理をもっていた。
「名こそ惜しけれ」
はずかしいことをするな、という坂東武者の精神は、その後の日本の
非貴族階級につよい影響を与え、いまも一部のすがすがしい日本人の中で
生きている。
、、、
朱子学の理屈っぽさと、現実より名分を重んじるという風は、それが官学化
されることによって、弊害をよんだ。特に李氏朝鮮の末期などは、
官僚は神学論争に終始し、朱子学の一価値論に終始して、見ようによっては
朱子学こそ亡国の因をつくったのではないかと思えるほど凄惨な政治事態が
連続した。日本の場合も、徳川幕府は朱子学を官学とした。
ただ、日本の場合、幸いにも江戸中期、多様な思想が出てきて、朱子学が
唯一のものではなくなった。例えば、ほとんど人文科学に近い立場をとる
荻生徂徠や伊藤仁斎の学問がそうで、彼らは朱子学の空論性を攻撃した」。

司馬氏は、日本人の心の原点は、坂東武士の土着の倫理
「名こそ惜しけれ」という。
「武士の習」の核心が無我の実現にあることを主張する。無我の実現であった
からこそ、武士たちは、そこに「永代の面目」という如き深い価値観を
持つことが出来た。武士たちはみづからの生活の中からこの自覚に達した
のであった。武士の習の中核が無我の実現に存するとすれば、武士に期待
される行為の仕方が一般に自己放擲の精神によって貫かれていることは
当然であろう。この精神に仏教との結びつきによって一層強められたと
思われる。「武士というものは僧などの仏の戒を守るなる如くに有るが
本にて有べき也」という頼朝の言葉は、端的にこの事態を言い表している。
そして、いまだ日本人の多くにこの倫理が棲みついている、と思う。

2.「14江戸期の多様さ」について
第1巻では一番好きな章だ。
「私は日本の戦後社会を肯定するし、好きでもある。、、、、
私など、その鬼胎の時代から戦後社会に戻ってきたとき、こんないい社会
が自分が生きているうちにやってくるとは思わなかった。それが「与えられた
自由」などとひにくれては思わず、むしろ日本人の気質や慣習に合った自由な
社会だと思った。、、、
今の社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが平面的な統一性。
また文化の均一性。さらにはひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、
国を挙げて受験に集中するという単純化への恐ろしさ。価値の多様状況こそ
独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への
方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが戦後社会が到達
した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。
、、、、
たとえば、今日の私どもを生んだ母体は戦後社会ではなく、ひょっとすると
江戸時代ではないか、と考えてみてはどうだろう。、、、
300近くあった藩のそれぞれの個性や多様さについてである」。

この章を読むたびに司馬氏の憂いがなんとなくわかる。薄くなる倫理観、政府からの
交付金を当てにして多様性、独自性の感じられない地方の自治体の活動、選良
と言われる人たちの個性のなさ、それは戦後直後の野性的な事業展開や政治活動
をしていた人々との明確な差異がさらに加速しているようにも思える。

3.なるほどと思う
4章統帥権の無限性
「昭和1けたから同20年までの10数年は、長い日本史の中でも特に非連続の
時代だったということである。
ノモンハン事変、太平洋戦争のばかばかしいほどの争いに憤りさえ見える。
ほかの対談集でも、
日本は明治憲法から3権分立を明確にしていたが、いつもまにか超法規的な
統帥権なるものが出てきた。これを生み出したのは、当時の政治家や国民の
未成熟な点が多いが、軍部では、これを使い超法規的に日本国を統治できる、
と言う考えを持っていた。これにより、それまでの憲法解釈による天皇機関説は
無効とした」。

この「統帥権と異胎」の2つは折に触れてよく出てくる。だが、正直なところ、
理屈としてはともかく、体までは理解できない。
彼の言う「政治家や国民の未成熟な点が多い」からなのだろうか。私だけなの
だろうか、戦後直後の人間として非難されるべきなのだろうか。

12章の高貴な虚
「その後の日本陸軍は、くだらない人間でも軍司令官や師団長になると、大山型を
ふるまい、本来自分のスタッフに過ぎない参謀に児玉式の大きな権限をもたせた。
この結果、徳も智謀もない若い参謀たちが、珍妙なほどに専断と横暴のふるまい
をした。(辻正信がその好例)それらは太平洋戦争史の大きな特徴になっている。
さらに、これを国家規模に拡大すると、明治憲法における天皇の位置は
古代インド思想に置ける空や、荘子における虚に似ていた。
この憲法では補粥する首相以下国務大臣に最終責任があるということになって
いた。虚と実の組み合わせはまことに日本的で、明治期こそ構造上の微妙さ
がよく働いていたのだが、しかし昭和になって意外な要素としての統帥権
が突出し、内圧が汽缶を破るようにして、明治憲法国家を破滅させた」。

今の政治の答弁がこれそのもの様な気がするし、企業の不祥事の会見でも、よく
見かける光景だ。「責任」という言葉が、ますますあいまいになる日本。

さらには、
19章の谷の国
「谷こそ古日本人にとってめでたき土地だった。
村落も谷にできた。、、、
古日本人に戻って考えると、水稲農耕のことである。山から水を受けて水平に
張り水するために、田という農業土木的な受け皿が必要なのである。、、
田という土木構造を造成するには、谷が最もいい。緩やかな傾斜面に、
上から棚のように田を造成して下へくだり、ついには谷底に至る。
、、、、
要するに日本は2000年来、谷住まいの国だったということを
言いたかっただけである。将来のことはわからない。
谷の国にあって、人々は谷川の水蒸気にまみれて暮らしてきただけに、「老子」
にいうことばが、詩でも読むように感覚的にわかる。
谷神こうしんは死せず、是を玄牝げんぴんと謂ふ。
玄牝の門、是を天地の根と謂ふ。
綿々として存するが如し。之を用ふれども勤つきず」。

この地に住んでいるとなるほどと思うし、多くの棚田を見るたびにこれを
思い起こす。だが、彼が数時間も不愛想な平板な景色が続く関東平野を車や
電車で通った時、その感想を聞きたいものだ。

« 一般意志2.0から思う、社会変化と政治 | トップページ | この国のかたち、第2巻より »

人生」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/79186/64179089

この記事へのトラックバック一覧です: この国のかたち、第1巻より:

« 一般意志2.0から思う、社会変化と政治 | トップページ | この国のかたち、第2巻より »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ