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2017.01.13

仏像と人の関係その三

われわれは、結局仏像に対して自己の心でふれるよりほかないのであろう。
我々の個性が無数に複雑であり、われわれの人生が無限に異なるように、仏像に対する
われわれの感動も、日にあらたなはずである。
だが、とかく主観的な感動は客観的な仏像の持つ意味と食い違いことがある。
特に古都の仏像に伴う深遠で神秘的なムードは、仏像とその仏像の持つ教えの差異に
対してほとんど注意を促すことなく、一様に、ただ甘美な陶酔に人を誘い込みがちである。
さらには、あるべき場所から展示と言う目的で、どこかの美術館などに移され、
仏像をみては、多くの人は満足するが、美術品と観賞する場合と心のよりどころを求めるのは、
大いに違いがあるはずであり、それを混同してはならない。


前の記述にも書いたが、仏像との接し方は中々に難しい。
個人的には心の安らぎの一端を求めるならば、やはり本来あるべき場所で
見るべきであろう。
これについて白洲正子氏も「十一面観音巡礼」で聖林寺訪問の印象を
次のように書いている。

「新築のお堂の中で眺める十一面観音は、いくらか以前とは違って見えた。
明るい自然光のもとで、全身が拝める利点はあったが、裸にされて面はゆい
感じがする。前には気が付かなかった落剝が目立つのも、あながち年月の
せいではないだろう。いくら鑑賞が先に立つ現代でも、信仰の対象として
造られたものは、やはりそういう環境において見るべきである。
またそうでなくては、正しい意味の鑑賞もできないのではないか」と。
さらに、
「だが、そういう利点だか欠点だかを超越して、なおこの十一面観音は気高く、
美しい。後世になると歴然とした動きが現れてくるが、ここにはいまだ
そうしたものはなく、かすかに動きだそうとする気配がうかがわれる。その気配が
何とも言えず新鮮である。蕾の蓮華で象徴されるように、観世音菩薩は、
衆生済度のため修行中の身で、完全に仏の境地には到達していない。
いわば人間と仏との中間にいる。そういう意味では過渡期の存在とも言えるが、
この仏像が生まれた天平時代は、歴史的に言っても律令国家が一応完成し、
次の世代へ遷ろうとする転換期にあたっていた。「咲く花が匂うがごとき」時代は、
また咲く花が散りかかろうとする危機もはらんでいた。そういう時期に
出現したのが十一面観音である。だから単に新撰というのは当たらない。
そこには爛熟と退廃の兆しも現れており、泥中から咲き出た蓮のように、それらの
色に染みながら、なおかつ初々しいのがこの観音の魅力といえる。1つには
乾漆という材質のためもあると思うが、どこか脆いようでいて、シンは強く緊張している。
女体でありながら、精神はあくまでも男である。その両面を兼ねているのが、
この観音ばかりでなく、一般十一面観音の特徴と言えるかもしれない」。

私的には、十一面観音が一番好きだ。もっとも、その見た数では白洲正子氏に
及びもつかないが、頭上の十一面にもかなりの巧拙があることがわかる。
申し訳程度に載っているもの、各面から何も感じないもの、全体の美しさを
かえってそこなっているもの、などだ。多分、それは仏師の思いの強さを
どこまで反映されているか、なのだろう。
そしてそれは宗教心が薄くとも、見る人の心根に共感するのではないのだろうか。

ここで、白洲正子氏と井上靖氏の二人が「渡岸寺の十一面観音」を描いている。
そこから仏像の魅力が見えてくるかもしれない。

井上靖の「星と祭」の渡岸寺の十一面観音の記述を味わってもらいたい。

「渡岸寺と言うのは字の名前でして、渡岸寺と言う寺があるわけではない。
昔は渡岸寺と言う大きな寺があったそうだが、今は向源寺の管理となっています。
、、、
堂内はがらんとしていた。外陣は三十五、六畳の広さで、畳が敷かれ、
内陣の方も同じぐらいの広さで、この方はもちろん板敷きである。
その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の
仏像が置かれている。中央正面が十一面観音、その両側に大日如来と
阿弥陀如来の坐像。二つの大きな如来像の間にすっくりと細身の十一面観音
が立っている感じである。体躯ががっちりした如来坐像の頭はいずれも
十一面観音の腰あたりで、そのために観音様はひどく長身に見える。
架山は初め黒檀か何かで作られた観音様ではないかと思った。
肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そして、また、
仏像と言うより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように
見えた。もちろんこうしたことは、最初眼を当てた時の印象である。
仏像といった抹香臭い感じはみじんもなく,新しい感覚で処理された近代
彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたのである。
架山はこれまでに奈良の寺で、幾つかの観音様なるものの像に
お目にかかっているが、それらから受けるものと、いま眼の前に
立っている長身の十一面観音から受けるものとは、どこか違っている
と思った。一体どこが違っているのか、すぐには判らなかったが、やがて、
「宝冠ですな、これは、みごとな宝冠ですな」
思わず、そんな言葉が、加山の口から飛び出した。
丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いている
様に見える。いずれの仏面も高々と植えつけられてあり、大きな冠を
形成している。、、、、、
十一の仏面で飾られた王冠と言う以外、言いようが無いではないかと思った。
しかも、飛び切り上等な、超一級の王冠である。ヨーロッパの各地の博物館で
金の透かし彫りの王冠や、あらゆる宝石で眩く飾られた宝冠を見ているが、
それらは到底いま眼の前に現れている十一観音の冠には及ばないと思う。
衆生のあらゆる苦痛を救う超自然の力を持つ十一の仏の面で飾られているのである。
、、、、
大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、胴も、足もしっかりしていなければ
ならないが、胴のくびれなどひとにぎりしかないと思われる細身でありながら、
ぴくりともしていないのは見事である。しかも、腰をかすかに捻り、左足は
軽く前に踏み出そうとでもしているかのようで、余裕綽々たるものがある。
大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。
観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽たるものがあって、
凛としてあたり払っている感じである。金箔はすっかり剥げ落ちて、ところどころ
その名残を見せているだけで、ほとんど地の漆が黒色を呈している。
「お丈のほどは六尺五寸」
「一本彫りの観音様でございます。火をくぐったり、土の中に埋められたりして
容易ならぬ過去をお持ちでございますが、到底そのようにはお見受けできません。
ただお美しく、立派で、おごそかでございます」
たしかに秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰をわずかに捻っているところ、
胸部の肉つきのゆたかなところなどは官能的でさえあるあるが、仏様のことであるから
性ではないのであろう。左手は宝瓶を持ち、右手は自然に下に垂れて、掌を
こちらに開いている。指と指とが少しづつ間隔を見せているのも美しい。
その垂れている右手はひどく長いが、少しも不自然には見えない。両腕夫々に
天衣が軽やかにかかっている。」

白洲正子の十一面観音巡礼の渡岸寺より、

お堂へ入ると、丈高い観音様が、むきだしのままたっていられた。野菜や果物は
供えてあるが、その他の装飾は一切ない。信仰のあるむらでは、とかく本尊を
飾り立てたり、金ぴかに塗りたがるものだが、そういうことをするには観音様
が美しすぎたのであろう。湖水の上を渡るそよ風のように、優しく、なよやかな
その姿は、今まで多くの人々に讃えられ、私も何度か書いたことがある。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

渡岸寺の観音の作者が、どちらかと言えば、悪の表現の方に重きを置いた
のは、注意していいことである。
普通なら一列に並べて置く瞋面しんめんと牙出面を、1つづつ耳の後ろまで
下げ、美しい顔の横から、邪悪の相をのぞかせているばかりか、一番恐ろしい
暴悪大笑面はを、頭の真後ろにつけている。見ようによっては、後姿の方が
動きがあって美しく、前と後ろと両面から拝めるようになっているのが、他の
仏像とは違う。暴悪大笑面は、悪を笑って仏道に向かわしめる方便ということだが、
とてもそんあありがたいものとは思えない。この薄気味悪い笑いは、明らかに
悪魔の相であり、1つしかないのも、同じく1つしかない如来相と対応している
様に見える。おおきさもおなじであり、同じように心をこめて彫ってある。
してみると、十一面観音は、いわば天地の中間にあって、衆生を済度する菩薩なのであろう。
そんなことはわかりきっているが、私が感動するのは、そういうことを無言で
表現した作者の独創力にある。平安初期の仏師は、後世の職業的な仏師とは違い、
仏像を造ることが修行であり、信仰の証でもあった。この観音が生き生きと
しているのは、作者が誰にも頼らず、自分の眼で見たものを彫刻したからで、
悪魔の笑いも、瞋恚しんいの心も、彼自身が体験したものであったにちがいない。
、、、、、、
十一面観音は、十一面神呪経から生まれたと専門家はいうが、自然に発生的したもの
ではあるまい。1人1人の僧侶や芸術家が、各々の気質と才能に応じて、過去の
経験から造り上げた、精神の結晶にほかならない。仏法という共通の目的を
目指して、これほど多くの表現が行われたのを見ると、結局それは1人の方法、
1人の完成であったことに気が付く。源信も、法然も、親鸞も、そういう孤独な道を
選んだ。渡岸寺の観音も、深く内面を見つめた仏師の観法の中から生まれた。
そこには、儀軌の形式にそいながら、その時彼は、泰澄大師と同じ喜びを分かち合い、
十一面観音に開眼したことを得心したであろう。

渡岸寺の十一面観音は私も三回ほど拝した。「星の祭り」では、その忠実な写実であり、
「十一面観音巡礼」では、十一面についてのより細かな描写となっている。
だが、この二つの文章から、あの間近で観た観音像がはっきりと浮かんでくる。
力強さと畏怖への想いが垣間見られた。これが私を惹きつける素因なのであろう。
十一面観音像は日本で一番多く拝されているという。だが、白洲氏が言っているように
魅力な観音となるとそれほど多くはない。
例えば、園城寺の宝物蔵にある十一面観音は私にとってはほとんど魅力をなさない。
全体の形に囚われているようで、十一面はちょこんと載っているだけの印象が強い。
衆生を導くという力強さと美しさ、畏怖という感情が湧いてこないからだ。
まだ見ていないが、息長山普賢寺の十一面観音は是非にも見たいものだ。
新たな仏像の魅力を味わえるかもしれない。

白洲氏が以下のような記述をしている。
「聖林寺の観音といつも比較されるのは、山城の観音寺の本尊である。
正しくは息長山普賢寺といい、京都の田辺にある。、、、、
庭前の紅葉と池水の反射を受けて、ゆらゆらと浮かび出た11面観音は、
私が想像したよりもはるかに美しく、神々しいお姿であった。宝瓶を持つ手は
後補なのか、ぎこちなく、胸から腰にかけてのふくらみも、天衣の線も、
硬い感じを与える。が、学者によっては聖林寺の観音より優れていると
見る人々は多い」。

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