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2017年3月17日

2017.03.17

インターネットは不可避な流れだが?

最近の世相の変化は今までの流れとは違う、それが良い方向なのか悪い方向なのかわからないが、
と多くの人は感じているのではないだろうか。
以前にも書いたが、「インターネットの次に来るもの」と「一般意志2.0」の2つの書を
併せ考えると中々に面白い示唆をもらえる。

「インターネットの次」であまり語られていないのが、社会活動への人の心の変化、
行動の変化である。それは最終的には、政治へのかかわりという形に帰結される。
それを上手く利用しているのが、アメリカのトランプ大統領のtwitterによる発信であろう。
小難しく考える政治学者やインターネットの拡散力を理解できない古い政治家は否定
だけを繰り返すが、大多数の国民は高尚な政治的発言やバラ色の未来への期待はほとんど
していない。目前の果実の実がほしいのである。その原因は、色々とあるのだろうが、
格差の拡大、特に社会構成の中核である中間層の没落ではないだろうか。極端な富裕層
と低所得者に2極化される世界では、所得の得られない階層では目前の何かに期待する。
そして、その数が拡大しつつある状況で、自分の想いと考えを形にしたいという行動が
増えてくる。その容易な社会活動へのかかわりという手段がインターネットの拡大で得られた。
その発端は、一時中東で見られた「アラブの春」であった。その動きはアメリカ、ヨーロッパ
を含め世界的な潮流でもあり、政治や社会活動に変革をもたらしつつある。
それはこの本の原題、そのものでもある。The Inevitableで、不可避という意味だ。

この本で気になる一節がある。
「社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。手に触れられる
プロダクトから触れられないものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃに
リミックスされたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は
「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。
答えを出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、すぐに得られ、信頼出来て
ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと
価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する
新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す
原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう」
ここではモノやそれに伴う技術面での視点が強いが、人の想いと社会における
行動への影響も多大である。人の心の動きも新しい領域へと進んでいくのではないか。

この動きについては、「一般意志2.0」にあるルソーについての記述が面白い。

「あらためて「社会契約論」のテクストを読んでみよう。ルソーは実は、部分的結社の
存在を否定する箇所で次のように記している。
「もし、人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなる
コミュニケーションもたらないのであれば、小さな差異が数多く集まり、結果として
常に一般意志が生み出され、熟慮は常に良いものとなるであろう。、、、、
一般意志がよく表明されるためには、国家の中に部分的社会が存在せず、また市民が
自分だけに従って、意見を述べることが重要なのである。」
このルソーの主張ははっきりしている。一般意志が適切に抽出されるためには、
市民は「情報を与えられている」だけで、互いにコミュニケーションをとっていない
状態のほうが好ましい。かれはそう明確に述べている。つまりルソーは結社を
認めないだけではない。
直接民主主義を支持するために政党を認めないというだけでもない。
彼は、一般意志の成立過程において、そもそも市民間の討議や意見調整の必要性を
認めていないのである。、、、
これは奇妙な主張である。、、、、
ルソーは一般意志は特殊意志の単純な和ではなく、むしろ「差異の和」だと
捉えていた。
しかし、それだけではない。じつはそれに加えて、一般意志の正確さは差異の数が
多ければ多いほど増すと主張していたのである。ルソーは一般意志は集団の成員が
ある一つの意志に同意して行く、すなわち意見間の差異が消え合意が形成されることに
よって生まれるのではなく、むしろ逆に、様々な意志がたがいに差異を抱えたまま
公共の場に現れることによって、一気に成立すると考えていた。
、、、、、、、、、
一般意志は、一定数の人間がいて、その間に社会契約が結ばれ共同体が生み出されて
さえいれば、いかなるコミュニケーションがなくても、つまりは選挙も議会も
なにもなくても、自然と数学的に存在してしまう。ルソーはそう考えた。
一定数の人間がいれば、だれもなにも調べようと思わなくても、平均身長や平均体重
の数値はあらかじめ決まってしまっているように。、、、
一般意志は人間の秩序ではなくモノの秩序に属する。それは人間集団の前に、こまごま
したコミュニケーションの結果としてではなく、あたかも自然物であるかのように
立ち現われる。
それは、スコット・ペイジの「多様性の予測定理」なのだ。
集団の多様性が高ければ高いほど、集合知の精度はあがる」というのだ。

コミュニケーションという手段がなくても、社会はその必然的な大きな流れに沿っていく。
ペイジの「多様性」については、ここに書かれている指摘とは少し違うが、集合知が
より多くの人の想いを反映しては行く。むしろここでいうルソーの
「人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなる
コミュニケーションもたらないのであれば、小さな差異が数多く集まり、結果として
常に一般意志が生み出され、熟慮は常に良いものとなるであろう」の指摘である。

インターネットの拡大で多くの人はコミュニケーションが活発化するというが、
活発化するのは「情報の交換」であって、インターネットにおいて、「意見の交換」
が活発化するわけではない。ほとんどが発信者の一方的な想いや情報の提供であって、
今のインターネットの活用の状況は、このルソーの言う状態そのものだ。
その1つが「フィルターバブル」と言われるものだ。ネット上のサイトが利用者の
志向や嗜好に合わせて情報を提供することで、自分と異なる意見からは隔絶し、
快い自分の世界を作り上げていく。「インターネットの次」では、このフィルター技術
を効率的なものとしてメリットに見ているが、人の行動の視点でのデメリットを見ていない。
また、いまフェイク情報の増大が言われているが、「意見の交換」のないこのような状況では、
「情報の交換」としてフェイク情報は発信者にとって意味がある。一国のトップが
日常的にこのフェイク情報を正しいとして発信続ければ、どうなるのであろうか。
最悪の場合、このフェイク情報(もっとも、その情報をフェイクとする基準が曖昧でもあるが)
が一般意志の流れとなれば、私らの将来は危うい。その例が世界の多くの国で蔓延している。
「インターネットの次」では、技術の進化の視点で、次の社会をやや夢物語的にとらえているが、
現実の世界で、この様々な要因が織りなす社会では、場合により、幻滅をもたらす社会
ともなりかねない。だが、いずれにしろ不可避な流れの中に身を置くものにとって、
個々の意識化が重要であることは、変わりないものであろう。

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