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2017.03.10

自然と人とのかかわりとその想いその2

明治の終わりから大正の初め、進む工業化や近代化に危機感を持ち、「自然
を離れて人生はなく、花鳥風月を語るのが、日本文学の伝統であった」と考えた
文人が少なくなかった。情感のない無味乾燥した空気の漂う今の時代、その時代の
日本人の心根を描いたものを見直すことも重要な視点となってきている。
唐木順三の「日本人の心の歴史」に描かれている一節を少し見ていきたい。

徳富蘆花の「自然と人生 湘南雑事」
早起き、若水を汲んで顔を洗い、雑煮を祝い終わり、桜山に登りて、富士を望むに、
雲に潜んで見えず。山を下りて、逗子の村をすぐれば、人家の椿に四十輪の花あり。
椿に隣れる梅のさがたるに、点々として胡蝶の羽のかかれる如きを諦観すれば、梅花の
すでにひらけるなり。日当たり良きところには、稀にスミレタンポポの一朶両朶えだ
を見る。舟にはおのおの旗を立て松を飾りたり。村の子女晴れ着して羽子をつき、凧を
飛ばすなど、淋しきながらも流石に正月なり。

国木田独歩の「武蔵野」について、
本文を写すとある。
「秋の中ごろからから冬の初、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田谷、または小金井の
奥の林を訪ねて,暫く座って散歩の疲れを休めてみよ。これ等物音(鳥の声、風のそよぎ、
虫の音、荷車の音など)、忽たちまち起こり、忽ち止み、次第に近づき、次第に遠ざかり、
頭上の木の葉風なきに落ちて微かな音をし、それも止んだ時、自然の静寂を感じ、
永遠の呼吸身に迫るを覚えるであろう。」
という。
その武蔵野の本文の一節をよめば、
「我武蔵野の野の秋から冬へかけての光景も、およそこんなものである。武蔵野には
けっして禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。
それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低く窪くぼんで
小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底はたいがい水田である。
畑はおもに高台にある、高台は林と畑とでさまざまの区劃をなしている。
畑はすなわち野である。されば林とても数里にわたるものなく否いな、おそらく一里に
わたるものもあるまい、畑とても一眸いちぼう数里に続くものはなく一座の林の周囲は
畑、一頃いっけいの畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさら
にこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち林
に入るかと思えば、たちまち野に出るというような風である。それがまたじつに武蔵野
に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そ
のままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。

稲の熟するころとなると、谷々の水田が黄きばんでくる。稲が刈り取られて林の影が
倒さかさに田面に映るころとなると、大根畑の盛りで、大根がそろそろ抜かれて、
あちらこちらの水溜みずためまたは小さな流れのほとりで洗われるようになると、
野は麦の新芽で青々となってくる。あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊
が風に吹かれている。萱原かやはらの一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわを
かぎっていて、そこへ爪先つまさきあがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる
秩父ちちぶの諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下
に没しているようにもみえる。さてこれよりまた畑のほうへ下るべきか。あるいは
畑のかなたの萱原に身を横たえ、強く吹く北風を、積み重ねた枯草で避よけながら、
南の空をめぐる日の微温ぬるき光に顔をさらして畑の横の林が風にざわつき煌きらめき
輝くのを眺むべきか。あるいはまたただちにかの林へとゆく路をすすむべきか。
自分はかくためらったことがしばしばある。自分は困ったか否いな、けっして困らない。
自分は武蔵野を縦横に通じている路は、どれを撰えらんでいっても自分を失望ささない
ことを久しく経験して知っているから。」

さらに、長塚節の「土」についての漱石の発言を言及している。
「作者は鬼怒川沿岸の気色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究している。
畠の物、畔に立つ樹々、蛙の声、鳥の音、彼の強度に存在する自然なら、一点一画
の微に至るまで悉くその地方の特色を具えて叙述の筆に上っている。だから
何処に何う出てきても必ず独特である。その独特な点を普通の作家のてになった
自然の描写の平凡なのに、比べて余は誰も及ばないというのである。」

加えて、島崎藤村の「千曲川のスケッチ」や「春」について書こうと思っていた、とあるが。
千曲川のスケッチ、その一節も中々に味わい深いものだ。
「麦畠
青い野面のらには蒸すような光が満ちている。彼方此方あちこちの畠側わきにある樹
木も活々いきいきとした新葉を着けている。雲雀ひばり、雀すずめの鳴声に混って、
鋭いヨシキリの声も聞える。
火山の麓にある大傾斜を耕して作ったこの辺の田畠たはたはすべて石垣によって支え
られる。その石垣は今は雑草の葉で飾られる時である。石垣と共に多いのは、
柿の樹だ。黄勝きがちな、透明な、柿の若葉のかげを通るのも心地が好い。
小諸はこの傾斜に添うて、北国ほっこく街道の両側に細長く発達した町だ。
本町ほんまち、荒町あらまちは光岳寺を境にして左右に曲折した、主おもなる商家の
あるところだが、その両端に市町いちまち、与良町よらまちが続いている。
私は本町の裏手から停車場と共に開けた相生町あいおいちょうの道路を横ぎり、
古い士族屋敷の残った袋町ふくろまちを通りぬけて、田圃側たんぼわきの細道へ出た。
そこまで行くと、荒町、与良町と続いた家々の屋根が町の全景の一部を望むように
見られる。白壁、土壁は青葉に埋れていた。
田圃側の草の上には、土だらけの足を投出して、あおのけさまに寝ている働き労つかれたらしい
男があった。青麦の穂は黄緑こうりょくに熟しかけていて、大根の花の白く
咲き乱れたのも見える。私は石垣や草土手の間を通って石塊いしころの多い細道を歩いて
行った。そのうちに与良町に近い麦畠の中へ出て来た。
若い鷹たかは私の頭の上に舞っていた。私はある草の生えた場所を選んで、土のにおい
などを嗅かぎながら、そこに寝そべった。水蒸気を含んだ風が吹いて来ると、麦の穂
と穂が擦すれ合って、私語ささやくような音をさせる。その間には、畠に出て「サク」
を切っている百姓の鍬くわの音もする……耳を澄ますと、谷底の方へ落ちて行く細い水
の響も伝わって来る。その響の中に、私は流れる砂を想像してみた。しばらく私はその
音を聞いていた。しかし、私は野鼠のように、独ひとりでそう長く草の中には居られない。
乳色に曇りながら光る空なぞは、私の心を疲れさせた。自然は、私に取っては、どうしても
長く熟視みつめていられないようなものだ……どうかすると逃げて帰りたく成る
ようなものだ。
で、復また私は起き上った。微温なまぬるい風が麦畠を渡って来ると、私の髪の毛は
額へ掩おおい冠かぶさるように成った。復た帽子を冠って、歩き廻った。
畠の間には遊んでいる子供もあった。手甲てっこうをはめ、浅黄あさぎの襷たすきを
掛け、腕をあらわにして、働いている女もあった。草土手の上に寝かされた乳呑児が、
急に眼を覚まして泣出すと、若い母は鍬を置いて、その児の方へ馳けて来た。そして、
畠中で、大きな乳房の垂下った懐ふところをさぐらせた。私は無心な絵を見る心地ここ
ちがして、しばらくそこに立って、この母子おやこの方を眺ながめていた。草土手の雑
草を刈取ってそれを背負って行く老婆もあった。」
ともに、その地を愛した思いが伝わってくるようだ。

さらに、柳田国男の「雪国の春」にもある雪深い地域の人と自然のかかわりでは、
森敦の「月山」が好きだ。月山を見ながら冬を過ごす寺の居候となった男の眼を通して
みた村人の冬の生活情景には、独特の湿潤な空気が醸し出され、私にはとても味わえない
不思議な、というより少し黄泉の世界に近い肌合いがある。

「渓越しの雪山は、夕焼けとともに徐々に遠のき、更に向こうの雪山の頂を
赤黒く燃え立たせるのです。燃え立たせると、まるでその火を移すために
動いたように、渓越しの雪山はもとのところに戻っているが、雪山とは
思えぬほど黒ずんで暗くなっています。こうして、その夕焼けは雪の山を
動かしては戻しして、彼方へ彼方へと退いて行き、すべての雪の山々が黒ずんで
しまった薄闇の中に、臥した牛さながらの月山が一人燃え立っているのです。
かすかに雪の雪崩れるらしい音がする。私は言いようのない静寂にほとんど
叫び出さずにいられなくなりながら、どこかで唄われてでもいるように、
あの念仏のご詠歌が思い出されてきました。」

さらに、秋の一情景からもそれが感じられる。

「山々はほとんどところどころが濃密な杉林、畑地、草刈り場になっているだけで、
いずれもイタヤクヌギの雑木林に覆われている。私が寺に来た頃頃は、ヒグラシ
の声もし、まだまだ夏の気配があって、それが滴るばかりの緑を見せていました。
しかし、月山はさすがに潅木の茂みになっているのでしょう。そうした緑の中に
ひとり淡淡と苔色を帯びていたのですが、そのながながとした稜線のあたりが
夕映えたようにほの紅く見えるのです。じじつ、月山は夕映えの中でしばしば
そう見えたので、わたしはしばらくそれが月山の紅葉し始めたためだとは
知らずにいたのです。しかも、その紅葉は次第に山々の頂に及んで、
あたり一面紅葉になって来ました。なんの木の葉が紅くなるのか、
黄色くなるのか、また同じ木の葉でも紅くもなり、黄色くもなるのか、
私には分かりませんでしたが、その紅も黄色も驚くほど鮮やかで、
なにかこう、音響を感じさせるばかりではありません。
僅かな日差しの動きや違いに、その音響は微妙に変化して、酔い痴れる
心地にさせるのです。しかし、紅葉はいつとなく潮のように退いて行き、
散り遅れた数葉をまばらに残して、裸になった木々の間から、渓を作る
明るい斜面が遠く近く透けて見えるようになりました。散り敷いた
落ち葉を踏んで行きながら、その一枚を拾うと、蝕まれて繊細な
レース網みのように葉脈だけになった葉にも、まだいくらかの紅や
黄色の部分があって、心地良い残響にも似たものが感じられるので
あります。」

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