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2017.04.21

旅に見る日本人の心根

旅とは単に物見遊山のような無目的のようだが目的がある、そんな楽しみの
1つなのかもしれない。日本各地の持つ「風土」と「四季」の巡り合いがわれわれを
密かにいざなう、そんな風にも思える。
われわれにとって、旅は「自分たちを育んでくれた風土とそれに連環的意味と思考の
共通性を与えた四季」を具体的に感じる機会でもあった。
それは、古代神道、仏教への抵抗なき受け入れへとつながっており、「百代の過客」
にもある多くの旅日記や一般庶民の日記にも垣間見られる。

現代のように交通の便利さや情報の錯綜の時代では、ややもすると「旅」は単なる行動
一過性のようにも見えるが、江戸時代以前や明治、大正の時代には、日本人の持つ
少し奥底にある心根の一端を触発させるのが「旅」でもあった。
近世では、自分の居住地域から出ることは各地の異文化に触れることであり、多様な
自然に接すること、すなわち面から面、もしくは線のつながりでもあった。

それは、たとえば寺田寅彦の「日本人の自然観」を無意識に感じ取り深層的な意識として
個々の人に蓄積されていったのではないだろうか。
「日本の自然は、「温帯における季節の交代」を特色として、天候の変化
が「人間の知恵」を養成することになったのだといい、その点に留意すべき
だとしている。これを要するに日本の自然界は気候学的、地形学的、生物学的
その他あらゆる方面から見ても時間的ならびに空間的にきわめて多様多彩な文化の
あらゆる段階を具備し、そうした多彩の要素のスペクトラがおよそ考えられるべき
多種多様な結合をなしてわが邦土を彩っており、しかもその色彩は時々刻々に変化
して自然の舞台を絶え間なく活動させているのである。、、、、
自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順に
なり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験を
我がものとして自然の環境に適応するように努めるであろう。、、、、
大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛
に甘えるのと同等に我々の生活の安寧を保証するために必要なことである。、、、」

その自然に身を置き、多くの人が歌に残している。これ等の歌には「日本人の自然観、
さらには歌を詠みこめない人にも流れている心根が現れている。
宗祇の「白河紀行」では、 
「旅は主として歌枕を訪ねたいとい願望からであった。ただ、当時このような旅の仕方を
した連歌者は少なくなかった。人とのつながりを求めていた連歌への想いが行く先で
歓待を受ける形で現れたという。
荒涼たる那須の荒野を行く時に詠んだ歌がある。
「歎かじよこの世は誰も憂き旅と思ひなす野の露にまかせて」
もう歎くのはやめよう、この世をわたって行くことは、自分ばかりでなく、
誰もみんな憂いつらい旅をしているようなものなのだ。そう思いなおして、
那須野の原におく露のように、はかない運命に身を任せよう」
彼はその場所がやや不明であっても、それは問題ではなかった。
彼は古歌を生み出した土地の雰囲気の中に我が身をおき、その地の持つ
特質を己自身の言葉によって、表現することが重要であったのだ。
西行もしかり、他の詩人がその詩を生み出した源泉に身を置き、新しい
霊感を見出すことによって、己の芸術を更に高めることにあった。
芭蕉も言っている。「許六離別の詞」の中で空海の書より「古人の跡を
もとめず、古人の求めたる所をもとめよ」と。

白河の関明神の神々しさに、
「苔を軒端とし、紅葉をゐ垣として、正木のかつらゆふかけわたすに、
木枯のみぞ手向をばし侍ると見えて感涙とどめかがきに、兼盛、能因
ここにぞみて、いかばかりの哀れ侍りけんと想像るに、瓦礫をつづり
侍らんも中々なれど、皆思い余りて、、」
そして、
「都出し霞も風もけふみれば跡無き空の夢に時雨れて」
「行く末の名をばたのまず心をや世々にとどめん白川の関」、と。

現代のわれわれもこの歌をなんとなく理解できる。日本人としての心の襞に
触れ合うからなのだろう。それは、今も写真と言う静的な切り出しの情景であっても、
見る人々に同じような感情を引き起こすのではないか。
ふと旅の合間のただ1人の時に、歌として表すことはかなわなくとも、
多くの人は寺田のいう自然の姿を感じるのであろう。

また柳田国男の言う「旅は本を読むのと同じである」に通じるのであろう。
旅はその土地のことばや考え、心持ちなどを知ることであり、文字以外の記録
から過去を知ることであるともいっている。日本人自らが自分自身を知るという、
最終的に自己を対象化できるのは、ことば以外にあり得ないと考えていた。
だからこそ、旅は本を読むのと同じであるといったのであろう。
だが、「自分自身を知る」という点では、五感すべてが働く旅では、本以上の
深さもあったようにも思える。

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