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2017.04.28

インターネット功罪?

2000年の前後からインターネットの拡大をビジネスへの活用という視点から
見てきたが、最近の、そしてこれからの発展は凄まじいの一言に尽きる。
さらに、最近は技術的な進化やそれをベースとしたビジネスへの活用よりも
社会、さらには個人の行動、思考への変化に目が行くようになった。
不寛容社会、情報による分断社会、ネットリンチ、フェイク情報の急増、など
溢れかえる情報の中で、その功罪が入り乱れている。

「心理療法」という本の一節に以下のような指摘がある。
「人は物語によって、自分を支え、確認し、来し方行く末をイメージする。事実の断片的
羅列ではなく、過去と未来、自分と他者、理想と現実、意識と無意識、さまざまなもの
をつなげることによって生きている。欧米や我が国の歴史を鑑みるに、古代には自分の
属する共同体が有する神話や口承伝承の物語があった。近代以降は、科学技術の発展と
言う進歩物語を信じ、大勢の人間が1つの方向へ邁進していく事態が見られた。
もちろん、それぞれの時代、文化のもつ大きな物語に沿うことが出来なかった一部の
人々にとっては、物語は自分を拘束し、苦しめるものでしかなかったが、大半の人々に
とっては、それは安全装置としてはたらいていた。
、、、、
人々が自己の物語を語るうえでの障害を、画期的に取り除いたのが、わが国でも1990年代
半ばに爆発的に普及した電子メディアである。生身の聴衆を相手にしなくても、インターネットの
ホームページや掲示板を通じて、個々人が瞬時に自分の物語を世界中に発信できるように
なったことは大きい。この世界には、虐待児だった、薬物依存症だった人、などが満ち溢れている
ことがわかる。また、著名な芸能人や運動選手が日記という形で自己の物語をホームページに
載せればそれは多くの人に読まれ、社会的な物語となって、容易に個々人の物語に影響を
及ぼしえるのである。ここで寄せられている関心は、現代人がどのような物語を語り、
語られた物語が社会でどのような役割を果たし、さらに社会的、政治的に力を得た物語が
現代人にどのような影響を及ぼしているか、という相互作用になる。」

ここでは、インターネットの拡大の良い面を指摘しており、現実の世界でも我々も体験
していることでもある。「自分の物語」を容易にしかも不特定多数の人へ語ることが出来る、
という点は大きい。もっともこれが多くの人に見られているかは別ではあり、また
別の努力が必要ともなる。

レッシングの「CODE」では、人の行動に影響を及ぼす4つの要件を言っている。
影響を及ぼすものには法、規範、市場、コード)、とくに4番目の「CODE」が
重要な規制手段だという。規範による規制には、電車やバスなどの車内での携帯利用のマナーなど
であり、これはインターネットの世界でも同じだ。とくに、最近は、これらに関する
議論が多くなっている。レッシングは特に、「CODE」が利用者が意識せずにその行動を
規制しているという。さらには、インターネットの世界ではこの規制が無制限に大きくなり、
その活動の自由自体が怪しくなると考えた。
たとえば、最近「フィルターバブル」という言葉が話題になっているが、これはフィルター
技術の高度化によって、ネット上のサイトが利用者の好みに合わせて
情報を選別することで、利用者は自分とは異なる意見から隔離され、自分だけの世界の
中でその思考すら制限される。さらに怖いのは、それを本人が意識していないということだ。
この傾向はネット上のやり取り、物品の購入まで、さらに進めば個人の思考さえ自由度を
失わせていく。最近の国民投票などでその傾向が表れているのはすでにアメリカ大統領選挙、
イギリスのEU離脱の隠れた一因なのではないだろうか。
たしかに中間層の衰退による格差などの経済的な面は強いが、そればかりではないだろう。

また、インターネットの拡大で多くの人はコミュニケーションが活発化するという面を
持っているが、活発化するのは「自己偏在な情報の交換」であって、インターネットにおいて、
「意見の交換」が活発化するわけではない。ほとんどが発信者の一方的な想いや情報の
提供であって、今のインターネットの活用の状況は、さらなる不寛容な社会を増長する。
それは、「ネットリンチで人生を壊された人たち」という本にもいくつかの事例が載っているが、
日本を含めて多くの国でも、同様の事例が散見されている。いずれにしろ従来と大きく
違うのは、反応する人たちの多さと拡散する速さである。それがフェイクの情報であっても
ネット社会に身をさらさせられ、心や体に打撃を受ける。「1人対不特定多数の無責任な
集団」との戦いなのだが、勝ち目がないことは初めからわかっている。
相手の顔を見つつその心根を感じながら、相手の行動に寛容さをもたらすことなど心の
片隅にもわかないのであろう。しかも暗闇の向こうで感じるままに勝手にネットするだけだ。
それは、リアルの世界でも起きる。互いの不信感の高まりによって、相手の行動のすべてを
否定しようとする行動と同じであり、ネット世界では、それらがより多くの人に、より憎しみを
高めて現れるのではないだろうか。
その意味でレッシングの指摘はますます進化発展するネット技術の社会ではより顕著に
現われてくる。

さらには、他の3つの「法、規範、市場」もさえ、変容させていく。その中でも、長年の
智慧を基盤に形成されてきた「規範」を変え、違う姿へと変容させていく。
最近の極端な自己主張や横暴なふるまい、ネット上での無責任な発言、ネットリンチと
呼ぶべき様な顔を出さない人々の行動など、すでに日本的、家族的と呼ぶような慣習、
生活文化は失われ、新しい「規範」の形成が始まっている。たしかに多くの人とのつながりや
自身の物語を語ることによる心の安寧など良い面も多くあるが、以前の行動基盤とは
異なる新しい、人によっては極めて息苦しい、社会になりつつあることを意識せざるを得ない。
先ほどの心理療法の一文は我々の行動を見直すという点では、示唆の多い内容ではないだろうか。

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