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2017.05.12

自然と人とのかかわりとその想いその4

さらに秋の風情を点描してみる。
10月23日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。「寒露」の次にあたり、露の後は
霜ということで気温はさらに低くなっていく。この地は南の大津などよりも寒さが
早めに来る。
七十二候でも「霜始降花(しもはじめてふる)」に入ります。山里では霜によって草木
や作物が枯れてしまわないよう、警戒する時期ともなる。

時の移ろいは早いものだ。
ほんの30年前までは岸で洗濯をしたり、野菜を洗ったりしたもので、
湖というのは、地元のものにとってはそれこそ家の一部、生きていく上
での仲間だといってもいいほど親しみのある存在だった。
ところが、人は便利と効率を求めて、家と湖とのあいだに幅の広い舗装
道路を作った。遠浅の砂浜はほかからもってきた土砂で埋められ、岸辺は
コンクリートで固められてしまった。そのことによって、湖と人々の間に
深い溝が出来てしまった。別に工事によって岸辺が何キロも、離れて
しまったわけではない。距離で言うと、たった数10メートルほど湖から
離れただけだ。それなのに、湖岸に住んでいた私たちは、湖が全く手の届かない
ところへ行ってしまったような寂しい気持ちになってしまった。
日常的に体を支配してきた波のさざめきを失った私たちは、不安でさえあった。
人の心のなかに溶け込んだ潤沢な湖は、日常から離れ、人の心根からも
遠くなり、早くも昔の語り草のような存在となった。洗濯や野菜を洗うために
湖に突き出しておかれた「橋板」もほとんど姿を消した。そこで交わされた
会話に代わり今は寄せる波の小さなさざめきのみとなった。

比良の地域でも、この地域の木戸石や守山石の産出とともに山で枯れ木と
なった枝を取り出しそれらを燃料として船で周辺に積みだしていた。
その割り木はお風呂をたくときや生活燃料としてよく使われていた。
何処の家の子たちも、そのころ、釜に割り木を入れる仕事をさせられた。
黄昏のほの暗い庭と、深い紺色をした空、そして、油煙という黒い煤と、
香ばしい割り木の香りをはっきりと覚えているだろう。
このとき、大津の家々は、割り木をまとめて買っていた。毎年秋の終わり
になるころ、何百、いや何千束という割り木を大型トラックに積んで行商
のおやじがもってきたという。
割り木はすべてクヌギやコナラだった。
湖近くの古老は思い出すように眼を閉じ話すのだった。
私もまた、眼を閉じて昔の湊風景を想像してみた。
木の桟橋がいくつも張り出した静かな港に、丸子舟が何艘モ停泊しており、長い
桟橋を人々がせわしなく行き来している。湖岸の際まで続く畑や水田にも人の姿
があり、黄緑色をしたセキショウモがなびく小川が音を立てて湖に流れ込んでいる。
その風景のそこここに、木造りの「にう」が狐色の屋根を光らせている。
採られた割り木は藁で屋根を作ったこの「にう」の中にびっしりと並び、
しばらく乾燥されてから丸子舟であちこちに運ばれた。
湖の周辺の街で子供のころから親しんできた木の木片がこのような形で運ばれていた。
初めて知った心持だった。割り木は、帆を張って揺れる丸子舟に身を任せ、
青く澄んだ湖面を旅していたのだ。だが、そのような雑木林の最盛時代は、
生活の進化で様々な燃料が世に出始めると終わった。しかしながら、その数は
減ったもの、昭和30年代まで割り木の積み出しは行われたという。

浜から30分ほど歩けば、旧家が寄り添うように若い杉木立の中に建っている。
そのなかのほそい道は、なかなか風情があっていい。白い土壁の蔵や苔むした石積み、
四方にささやかな水音を残して流れる小川が見える。そのどれもに歴史が感じられる。
道の角ごとにお地蔵さんがあったり、祭壇に花が生けられていたりするのもいい。
生け花は、旧家の庭に生えているものばかりで心が和む。黄色い菊の花が緑の中に
2差しほど見える。これらのあつい信仰もまた、長い歴史の中で確実に
生き続けてきた。
ほおかぶりのお婆さんが腰をかがめながら、野菊とズイキの太い幹を
だきかかえるようにして歩いてきた。ズイキは干していろいろに使える。
細身にまかれた巻き寿司は秋の匂いがして美味しい。
ちらりと彼を見て、そのしわくちゃな顔を緩めながら小藪の先へと消えた。
その道すがらに大きな柿の木があった。紅く熟れた実が青空にちりばめられたように
黒い枝から四方に広がっている。この実も1つの歴史を見せる。
初夏、白黄色のやや地味な4つの花弁が艶やかな緑の葉の中に彩り、
縁先や庭にこぼれ落ちる。日増しに強くなる陽ざしとともに葉が広がり始め、やがて
実がふくらみはじめると葉が黄色へと色づき、一夜、疾風が過ぎ去ると大半の黄色が散
り、あとには赤だけが蒼空を彩る。
野仏に菊の黄色が映え、さらには赤や緑が加わり甘い香りが満ちると、集落は一段と
秋らしくなっていく。
人家の外れの畑で紫苑の花を見つけた。まだ咲いていた、そんな驚きがあった。
薄紫と黄色の可憐な花、細くしなやかな茎とともにたおやかな風を誘う。
幾匹かの蝶が舞っては止まり、翅をゆっくりと開閉させている。黒褐色の地に
紅色と白斑、何ともシックなアカタテハと言う蝶である。この蝶は、夏場は
もっぱら雑木林にこもって樹液ばかり吸っているが、秋になると花の蜜を
もとめて日当たりのよい所に出てくる。翅は新鮮で傷1つ無いので、今日の朝
羽化したのだろう。もう2,3週間もすれば、冷たい北風が吹いてくるというのに、
なんというのんびり屋の蝶なのだろう。そのとき、アカタテハは、親の姿
のままで冬を越して、春になって卵を産み始めるらしい。
栄養ををたくわえて、過酷な季節に挑むこの蝶にとって、今はこの蝶には、
残された最後の時なのでろう。優雅さの中に必死さが放たれていた。
さらに、あぜ道を上っていくと、秋の匂いが漂ってきた。
見ると、数人の農家の人が薄く映える煙の中に見えた。土手を焼いているのだった。
草が焼ける匂いと刈り上げた稲の藁積みの匂いは、体をリラックスせてくれる。
遠い昔無邪気にその日を過ごした安寧の気持ちが湧いてくるからだろうか、
眼を閉じて香ばしい香りを吸い込むと、体の中の緊張感が急に溶けてしまう
ようである。何千年もの遠い昔に森を開き、鍬を振るって田や畑を作ってきた
気の遠くなるような時間と労働の蓄積がそこにある。草の焼ける匂いは、
自然の力に負けぬように頑張ってきた人の汗の匂いと人としての生業の姿を
思い起こさせるのかもしれない。彼の妻も昔街中で落ち葉を焼いているのを
見ながら、その煙りにしばし立ち止まってその匂いを楽しんだそうだ。
赤い炎が土手の上を走り、枯草を黒い炭に変身させ、その上を白い煙がゆっくりと
たちのぼっていく。少し赤みの増した光を浴びて刻々と白さを増す香りの渦は、
大気の中に静かに浸透していく。
紅に燃え始めた空を背に、あぜ道を歩く。夕刻の時が刻まれるにつれて、
土手や刈田の草の茂みから虫の鳴き声が聞こえはじめる。
シリシリシリシリシリ、ササキリの細かい声が闇に沈んでいくと、
今度はジーンジーンという脳の髄にしみるようなウマオイムシの声。
それと同時に、チンチロチンチロチンチロリンというマツムシ、
ガチャガチャというクツワムシ、ルルルルルルルという連続の
カンタンなど、一斉に翅をふるわせはじめる。
秋は虫たちもうれしそうだ。
ススキの穂がその音に合すかのようにゆらりと揺れている。

歩きながら昔聞いた童謡が心に流れてきた。
「あれ松虫が 鳴いている ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した  りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

きりきりきりきり こおろぎや
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ」

いつの間にか口ずさむ彼がいた。
比良の山並みを仰ぐと、赤や黄色に染まりはじめた落葉樹の森と、深い緑が
色褪せない杉の林をぬうようにして、里まで続いている。山頂にある緑はそこはブナ
の林かもしれない。人里より紅葉が進んでいるに違いないが、まだ多くの緑
が支配している。そこは、雨が山の背をさかいにわかれていく分水嶺であり、
尾根道の東側からの紺青の湖面を見渡せる情景と幾重にも重なる山の頂が遠望
出来る西側の景色とでは、全く趣が違う。天から降り落ちてくる水たちが、
山に沁み込んで森を育み、沢が出来るはじまりの場所出もあり、豊かな湧き水の
源でもある。ここは水を生み、育てる場所でもあるのだ。数は減ったものの、
ホンモロコやビワマス、手長エビが捕れ、9月ごろのホンもロコは「秋モロコ」
と言われ、美味しい。手長エビは料亭でも一品料理として出されたり、添え物として
珍重される。四季を通じた湖魚の味は清涼感を含み、舌の上で踊る。
昭和時代になっても砂浜では地引網の漁がおこなわれ、子供たちの声も響いていた
という。

ふと、先日食べた料理グループの作った料理が浮かんできた。
今回は秋の収穫物が満載だった。落花生、カボチャ、ズイキ、アズキ、
ダイズ、シソ、もち米、等々すべて地元産。緑、黄色、褐色様々な彩が
テーブルに並び、野の香りを放っている。目まぐるしく立ち働く料理会の
メンバーの手で、それらが、落花生しょうゆおこわ、カボチャ羊羹、
干しズイキの巻き寿司、鶏つくねバーグ、なかよし豆、シソの実つくだ煮、
ズイキのすみそ和え、カボチャスープ、きゅうりの贅沢煮、に変身する。
さらには前日作ったという自家製パンもあった。特に落花生おこわは
秋の味がじっくりと口の中を支配し、しばしの幸せに包まれた。
その時の櫛を梳いた雲と比良の山並みのまだ深い緑が思い出された。

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