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2017年6月2日

2017.06.02

「ふがいない僕は空を見た」その空虚さ、そして今

6年近く前「ふがいない僕は空を見た」という本を読んだことがあった。
何故、この本は買ったのか、自分でもよくわからない。多分、山本周五郎賞受賞と
あったからだろうと推察する。だが、内容は私の思いとは大きく外れていた。
高校生の斎藤君とその周辺の人が主人公の小説だったが、母子家庭、貧困、いじめ、
認知症、就職難、格差、多重債務、自殺、コミュニティの崩壊、、、、日本の
社会問題が詰め込まれた何でも玉手箱のような内容だった。
だが、この本には心の襞にふれる、また心根を浮き立たせる何かがあまり感じられなかった。
だが、これも現実の一部と考えると、もう少しページをめくる必要があるのでは、
それが最後まで読み通す根拠となった。

第1話から第5話まであり、全てかっこよさはない。
多くは、若者たちの性的描写であった。結局斜め読みの中で、興味あるところを付箋を
引いたのは僅かであった。
一通り読んだ後、これから私は何を感じ、何を思ったのだろう、賞もとり、それなりの評価
を受けたのに、何か空虚さだけが心に残った。少なくとも、30年ほど前の社会とは違う
情景が描かれている。更には、その性描写の多さにはうんざりした。
多分、われわれの時代を生きてきた人間には、納得のいかない本なのかもしれない。

第1話は、斎藤君と既婚女性の不思議な交際についての話。
  コスプレ女性と高校生との不倫がその濃厚な性描写で描かれる。
  しかし、ここには心を通わせる仕草も互いを気遣う心根はない。
第2話は、冴えない青春を送ってきた男女が出会い、子供作りに励む話。
  体外受精までして子供を作ろうとするが、不倫に走る妻とそれを
  承知で愛する?夫が何の驚きもなく描かれている。
「家中にあるたくさんの隠しカメラが、私と斎藤君とのセックスをあらゆる角度から撮影
していました。慶一郎さんはまた、撮影された画像を見て、子供みたいにえーんえーんと
泣くでしょう」
第3話は、斎藤君の彼女の家庭の話、彼女のお兄ちゃんは東大の医学部に
  入るのだが、新興宗教にのめり込んでいく。彼女の父と母、そして兄とその友達、
  彼女と斎藤君のまたもセックスの情景が描かれている。淡々と進む日常の
  生活だ。
第4話は、友達の福田君の話、お父さんが多重債務で自殺して、お母さんが男を
  作って家に帰らず、認知症のおばあさんを抱えて、コンビニでバイトを
  しているが、ゲイの田岡さんに勉強を教えてもらうようになってから、
  僕が勉強できないのは、もしかしたら、僕のせいだけじゃなかったん
  じゃないかと思うようになっていく。

第5話は、斎藤君のお母さんの話。彼女は、助産婦です。これまたふがいない男に
  愛想を尽かして、彼女はひとりで斎藤君を育ててきた。人生に躓きかけた
  斎藤君を信頼して、ぎりぎりまで彼が自分の力で立ち直ることを信じて彼女
  は斎藤君を見守っている。
「泣いた顔に、どろやほこりがついて真っ黒だった。私の顔をじっと見ていた卓巳が、
お母さん、と私を呼んだ。幼いとき、高い熱が出たときのようなぼんやりとした瞳
で言った。
「大きな声で泣いたら、赤んぼうたちが驚くからさ」
「だいじょうぶだよ。ここなら神様しか聞いてないんだから」
 みるみるうちに卓巳の顔が歪んで、口が大きく開いていった。
一瞬、ひゅーと息を吸う音がして、のどが張り裂けるような卓巳の泣き声が山の中に
響きわたった。泣き続ける卓巳のそばを離れて、拝殿の前で私は手を合わせた。、、、
神さまどうか、この子を守ってください」。
母は祈る「神様どうか、この子を守ってください」と。
他のはともかく、第5話は母の心の襞が見えた。

ここの「ふがいない」のは、いったい誰なのだろうか、本を読み進むにつれて
考えさせられた。既婚女性とずぶずぶの関係なった斎藤君か、貧しさを言い訳に
している福田君か、超勉強が出来るのに新興宗教にはまってしまったお兄ちゃん
なのか。それぞれのふがいない僕は、ただ「空を見る」。
ふがいないのは、僕のせいだと疑わない。
でも、そういう社会にしてしまったのは、現在の彼ら?ではない。戦後から大きく
変質した日本、貧しさを物的な豊かさに変え、その経過の中で、人とのつながり
を細くしてしまったのは、自分たちではないのか。
だが、我々の多くは「頑張ってきたのに、今の子供はだらしない」とほざいている。
何時の頃から、1人子が普通になり、団塊の世代の多さだけの歪さに、
何も手を打たずに来た社会。無収入人口(または、無気力?人間の多さ)、
それは高齢者も含むが、が及ぼす影響の大きさが更に人の心の衰退に拍車を駆けていく。
その体現者の一部がここに登場する彼らなのかもしれない。セックスでしか自分を
表現できない、似非的な信仰にしか自分を見出せない、多くの不幸を1人で受け
その蟻地獄の中でしか自分をみいだせない、そんな人たちの世界だ。

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