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2017.06.09

夢の持つ力

夢には自分の奥底に隠された何かを知らせる情報、と多くの心理学者は言う。
精神的に問題がある人、普通の生活をしているものの何かの影に影響を受けている人、
その現れ方は様々なようだが、それは心の門が何かの拍子に開いたとき、
誰にでも現れるもののようだ。

だが、多くの人は目覚めとともに記憶の彼方へとそれらを押しやっている。
でも、
夢に現れた物は、本人とどんな関わりがあるのか?
本人の過去と何か関連性があるのかないのか?
本人以外のものとの関係は?
等と考えるのも、自身の新しい自分を再発見するのによいのでは。

多くの小説にもその場面が登場してくる。

川端康成の「山の音」にも老人の夢が何回か出てくるが、例えば、
「無邪気な夢なので、朝起きたら話そうと楽しみながら、信吾は雨の音を聞く間もなく
寝入ったのに、やがて邪悪な夢でまた目覚めた。
信吾は尖り気味の垂れ乳を触っていた。乳房は柔らかいままだった。張ってこないのは、
女が信吾の手に応える気もないのだ。何だ、つまらない。乳房に触れているのに、
信吾は女が誰かわからなかった。わからないというよりも、誰かと考えもしなかったのだ。
女の顔も体もなく、ただ2つの乳房だけが宙に浮いているようなものだ。
そこで、初めて、誰かと思うと、女は修一の友達の妹になった。しかし、信吾は良心も
刺激も、起きなかった。その娘だという印象も微弱だった。やはり姿はぼやけていた。
乳房は未産婦だが、未通と信吾は思っていなかった。純潔の後を夢に見て、
信吾ははっとした。困ったと思ったが、そう悪いとは思わないで、
「運動選手だったことにするんだな。」とつぶやいた。
その言い方におどろいて、信吾の夢はやぶれた。
、、、、、、、、
夢のなかの言葉と結びつけたのは、信吾の自己遁辞であろう。
夢の信吾は愛も喜びもなかった。みだらな夢のみだらな思いさえなかった。まったく、
なんだ、つまらない、であった。そして味気ない寝覚めだ」。
多分、老境の人は似たような夢に出会ったことがあるのでは、勝手に思う。

さらに、ユングの「人間と象徴」では、様々な夢の症例とその解釈が載っている。
例えば、
「彼女がみたのは、彼女自身のような若い女の列に自分が並んでいる夢であった。
そして、彼女たちが進んでいくほうをみると、各人が列の先頭に来た時、断頭台で
首を切り落とされるのが見えた。夢を見た当人は何の恐怖も感じないで、自分の番が
きたとき、同様な扱いにまったく喜んで従うつもりで列に残っていた。
これは、彼女が頭で生きるという習慣をやめる用意が出来ていたことを意味する。
すなわち、彼女が肉体の自然な性的反応を発見し、母性と言う生物学的な役目を
果たすために自分の肉体を開放する術を学ばねばならないのだ。彼女は男性的な
英雄の役目を犠牲にしなければならなかったのだ。」
これは心理療法を受けているキャリアウーマンの女性がその夢について語ったものである。
そしてこのような多くの夢分析から人の奥底に眠る普遍的無意識に気づいていった
のではないだろうか。

私も以下に近い夢を見たことがあった。近いというのは、覚醒後の記憶があいまいで
あったからだ。
私は、散らかり放題の1階の部屋にいる。横には、灯明の火影が小さな影を飛散
させている。そのゆらめきの中に艶やかな黒塗りの仏壇が浮かび上がっている。
鏡の前でじっと自分の顔を見るが、それが自分の顔なのか判別できない。恐る恐る
伸ばすの手の先に黒髪に混じって白髪が仄明るい光に映えている。
それは枯野に細雪がかかるごとく徐々に黒き風景をおおっていく様に似ている。
昨日抜いたと思ったが、今日にはまた白髪になっている。そんな日々が続いていた。
鏡の前にいる時間がすべてのような気になっていた。白髪を抜いているうちに
私らしい頭は白くなっていく。1本の白髪を抜くと、その隣の黒い毛が2、3本、
すうっと白くなる。私は白髪を抜きながら、さらに白さの増す頭を鏡の中に
見据えている。1本ずつ丹念に抜いていくが、痛さは感じない。やがて、白髪も
黒髪もない赤薄く汚れただれた頭の皮のみとなっている顔があった。
その茫洋とした鏡の顔をもっと見たくなり、鏡に顔を寄せる。鏡の中の顔が
にやりと笑った。その顔に驚き、思わず身を引いた。雲間から一筋の光が半白の障子に
差し込んだが、鏡には何も映っていない。思わず手を顔に寄せた時、夢から覚めた。
慌てて洗面所の鏡の前に行くが、そこにはいつもと変わらぬ顔があった。
黒髪の中にまばらに見える白髪と腫れぼったい目、弛みシミが目立つ頬、すべてが
そのままだった。心の底でよかった、と安堵の気持ちがふくらんでいく。
夢を少しながら分析していくと、結構面白いものである。
最初はなんだかよく分からない支離滅裂な内容で、「怖い」とか「不安だ」とか
いった感情の記憶だけが残るような夢だったのが、徐々に1つのストーリーとなっていく。
これは、自分の中にある“恐れ”の感情や“迷い”を克服して自立していくテーマかもしれない。

ユングも先ほどの本の中で、同様のことを言っている。
「その生涯を通じて彼は失敗の恐怖と結びついた不安の周期的な発作に襲われてきた。
しかし、彼の業績は職業面でも個人的な関係でも平均以上であった。夢の中で
彼の9歳の息子が中世の騎士の輝く鎧を着て、18か19の若い男として現れる。
若い男は黒服の男たちの一団と戦うために召し出されるのである。そこで、まず、
彼は戦おうとかまえる。それから突然、彼は冑を脱いで、恐ろしい一団の指導者に
笑いかける。彼らが争わないで友達になるだろうということは明らかである。
夢の中の息子はこの人自身の若い自我である。かれは、しばしば自己懐疑の
形をとった影に脅かされていたのだ。彼はある意味で、成人して以来ずっと、この敵に
たいして戦いを挑み勝利を収めてきたのだ。そして今、そのような懐疑なしに
息子が成長しているのを見て実際に勇気づけられたためでもあるが、とりわけ、
彼自身の環境の型に最も近いかたちの、適切な英雄の像を形成したために、彼は
もはや個人的な優越感のための競争に駆り立てられることはなくなって、民主主義的な
共同体をつくるための文化的な仕事に参画させられていた。このような結末は
充実した人生に到達したとき、英雄的な課題を越えて、ほんとうに成熟した態度に
人間を導いていくのである。」
何かから自立しようとしていることの表れは彼の多くの事例でも語られている。
徐々に進行する夢のテーマからは何かが得られるのである。
人は複雑な生き物だ。心理療法の事例を読むにつれますますその思いは強まる。

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