« 2017年7月7日 | トップページ | 2017年7月21日 »

2017年7月14日

2017.07.14

わたし的安保その1

60年安保、更に70年安保、今の70歳以上の方には、心にどこかに
残る過去の懐かしさと悔恨の出来事なのではないだろうか。
時代が変わったと一言で片づけるには、大きな節目と思う。私自身は10代であり、
今とは違い情報伝達の貧弱な時代のなかで、わずかにテレビや新聞からの情報を
見たり聞いたりした程度であり、その切迫感はあまりなかった。というより、
関心がなかったに近いかもしれない。
だが、最近、youtube等の映像で見ると、ある意味懐かしさと憧れを感じる。
あれから約半世紀、成熟したと言われる日本社会、だが、それはそれは個人嗜好
にのみそのエネルギーを注ぐという社会的無関心が基底にあるような気がする。
それゆえ、たとえ映像からとはいえ、あの時代の熱情とエネルギーを感じられる
ということは羨ましいことでもある。

柴田翔の「されどわれらが日々」は、その現場感、当時の若者の想いを知る、感じる
本としては貴重なのであろう。さらに、彼らの心根が少なからず当時の多くの国民の
共通認識ではなかったのか、とも思える。

その一文、
「先頭が橋を渡って、広場へ入ろうとしたとき、そこにいた警官隊と小競り合いが
あったようでした。ピストルの音が響きました。催涙弾だったかもしれません。
が、革命が犠牲者を必要とするのは当然のことです。ぼくらは、死者が出ることも
もちろん予想していました。ぼくらは警官隊の薄い壁を、たちまち破って広場に
なだれ込みました。、、、、、、、
むしろその時朝鮮で戦われていた戦争が、やがて日本に波及するだろうことは、
確実なことだと思っていました。そして、そうなったとき、アメリカ資本主義の
弾除けになることは、絶対嫌でした。ぼくらは、その時はパルチザンになるのだと
決心していました。いや、ぼくらは、爆撃機が朝鮮に向かって飛び立ち、空襲警報
が発令され、何人かが傭兵として朝鮮で死んだという噂が乱れ飛んでいる日本は、
もう半ば以上、戦場だと思っていました。、、、、、
ぼくらは人民広場に自分たちの足で立ち、そうしたことへの第一歩を、今こそ
踏み出しているのだという興奮に包まれていました。
、、、、、、
ぼくらの後ろで、デモ隊はなお数を増しているようです。すると、その圧力に押し支えら
れて、ぼくらの列はじりじりと前に出る。と、それに応えて、警官隊がじりじりと
間をつめる。ぼくは汗が頬を伝っているのを感じました。、、、、、、、
もう威声とも、叫びとも、泣き声ともつかぬ必死の声をあげて、前へ突き進んで行きま
した。、、、、、、、
はっと気が付くと、ぼくのすぐ前には、眼をつり上げて、ぼくらに襲い掛かろう
としている警官隊がいました。警棒も鉄カブトの縁も血に染まり、眼と顔全体が何かに
憑りつかれたように、ぎらぎらと光っています。」

このような状況が正しいか、もっと違う方法がなかったのか、それは個人的な
思いに任せるが、この本やyoutubeから伝わってくるエネルギーの大きさには
共感を禁じ得ない。だが、それも共感という心の寄り添いだけで、行動したいと思う
ことは考えられない。後述する阿久悠の一文そのものでもある。
「憲法改正への動きに対する反対運動では、60年、70年安保を十分昇華しきれなかった
高齢者グループ」も頑張っていたという。彼らには、敬意を表したい。

ある男の想いとしてノンフィクション的にこの時代を概観してみた。
「この時期、世の中は不安な影があちらこちらに見えた。
あの60年、70年安保闘争の激しさは他人事のような、ただ日々の流れの中の
一つに過ぎなかった。三里塚闘争も含め60年代の不安、不定の時代、そして自身が
過ごした70年代の華々しさとも無縁の世界であった。この不安な時代の中に身を
置いた友人もいたが、その後の彼らが今ある日本の姿をどれほど変えたかは、
分からない。然しながら、1968年は時代の節目であったのだろう。ベトナム戦争
のリアルな映像が世界を席巻する中で、学生を中心とする若者たちが自分たちと
国家の関係に疑問を強く抱きはじめた。フランスのパリの5月革命、アメリカの大学封鎖、
日本でも東大封鎖に見られた学生運動の活発化、など世界で若者たちがデモや学校封鎖、
一般のストなどが実行されていた。それは60年安保、70年安保闘争の延長の意味合いも
あったのだろうが、60年安保では、国民の政府への抵抗であり、60万人を超す人が
デモに参加し、この騒乱の中、岸内閣は解散となり、国民の意識も変化し始めた。
しかし、68年の東大での学生運動は強制的な排除となって、挫折した。さらには、
1972年のあさま山荘での連合赤軍の内部闘争での殺人や内ゲバの凄惨さがテレビで
報道され、その無差別な行動が明らかになり、デモや学生運動への嫌悪が高まった。
日頃、政治などに関係ないと思っていた彼もそこに一種の不気味さと嫌悪感を持ったものだ。
70年安保も一応の高まりを見せたが、60年ほどの熱意も薄れ、70年半ばからは、
社会的な拒否意識が強くなった。しかしながら、最近またデモや抗議活動への意識が
高まっているという。大きな起点は福島原発事故への原発反対運動であり、2015年
からの安部政権による憲法改正への動きに対する反対運動である。これには、60年、
70年安保を十分昇華しきれなかった高齢者グループと原発反対からネットワーク化
された若者たちのグループ(たとえばシールズ)の二つの年代層が大きくかかわって
きているという。振り返れば、68年の学生運動、70年安保ともに関係なしと決め込み、
ただ目の前の仕事にのみ全力を尽くしていた自分がいた。個人的にはやはり政治に絡むのは、
好きではない。その思いが最近のシニアグループのこのような活動への理解が低く、
参加意識もない、などの行動となっている。多分、これからもそうなのであろう。
しかしながら当時は、日本にまだ「狂」の空気が残っていた時代でもある。
ちょうど結婚した年であった。企業の連続爆破事件がまず三菱重工のビルであった。
私も、NTTの仕事の関係もあり、あの辺をよく通っていたし、爆発の一週間前にも
三菱のビルの前を通っていた。他人事ではなかった。
この「狂」の影に多くの人が命を失った。

« 2017年7月7日 | トップページ | 2017年7月21日 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ