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2017年8月7日

2017.08.07

2017年8月7日午前2時、ナナ永眠す

ナナ、2017年8月7日午前2時永眠す。
ナナ、あなたは静かに次の世界へ行けましたか。
あなたの望んだ我が家への転生は出来ましたか。
まだ行き先が分からないって、そう、四十九日立たないと分かりませんね。
あなたとともに過ごした19年、我が家も変わっていきました。

あなたを拾ってきた息子もすでに30代半ばとなり、彼女を見つけ、結婚し、
だが、いまだ子供はいません。上の兄たちもすでにナナを忘れたごとく
遠くで生活をしています。主人もママもすでに老いた身を引きずり、残る
人生を味わっています。1階の部屋にあなたと犬のグンの2人の写真が
飾ってありますね。まだよちよち歩きのあなたを後ろから鼻で押すように
あなたを支えているグンとの何とも言えない情景が今も主人とママに
笑いをもたらします。そのグンもまた隣の写真に写っているトトも
すでに他界しました。つぶらな瞳でグンとトトを見る眼がいじらしいですね。
少し成長すると、カーテンに飛びつきよじ登って、ガラス戸からガラス戸へと
軽々と飛び渡っていた姿が可愛かった。

あなたも2017年8月7日に肉体は死にました。既にあの銀色に艶やかな
輝きを見せていた毛並みはごわごわの安物の毛糸の如き様相でした。
でも顔は静かな微笑さえ感じられましたね。
やがて、主人、ママも同じような姿になるでしょう。人も猫もその肉体は
無限ではありません。でも、心は違うのでしょう。今の人はそんなことは
有り得ないというかもしれませんが、だれもそれを明確にした人はいません。
単なる浅智慧の近代科学の教えを盲目的に信じているだけで、近世の人々が
信じた来世の存在を無視しているからです。
眼を閉じ、すでに肉体の活動はとまったかもしれないが、それは夢を見ているときの
ナナと同じなのかもしれない。

夢の中では一メートル以上の塀に飛び移るナナがいた。煌めく光にその薄茶色の
艶やかな毛をなびかせるナナがいた。あの緑がかった目に呆然とする隣街のタマの
「綺麗やわ」という言葉にうっとりするナナがいた。さらには、チャトや我が家の
猫たちを従え、近所を歩き回るナナがいた。
これ等がたえず、彼女の夢を支配し、生きることの素晴らしさを全身に感じているのだ。

主人はその安らいだナナの死に顔を見ていると
谷川俊太郎のあの詩がわいてきた。「生きる」である。
生と死の間を行きかう想いがこの二つの言葉と詩の間を行きかう。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

それは、今の主人とママをも表している。死に近づくものにとっても
「生きる」ということは、、、、

今、彼女は、小さな骨壺となって庭の梅の木の下にその肉体は埋まっています。
横には、グンとチャトの墓が並んでいます。我が家も年とともに、寂しくなっていきますね。Dscf0004


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