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2017年10月26日

2017.10.26

1970年代を振り返る

70年代、個人生活が会社生活とほとんど同期し、それが当たり前の姿となった
始まりかもしれない。今ここで当時を振りかえれば、この時代が、我が人生終結
までの経緯を決めたようにも思われる。
風姿花伝という能芸の奥義を書いた本に面白い言葉があった。
「24、5歳ころ、一期の芸能の定まる初め也」と。
能と単なる1技術者、サラリーマンとは比較すべきことすらおかしいが、この1行
を見た時、「そんなものか」と思った記憶がよみがえった。

だが、この時代世の中は不安な影があちらこちらに見えた。しかし、今80歳前後の方は、
「心の郷愁」を強く感じる時代でもあったのでは、と思う。

あの60年、70年安保闘争の激しさは小さかったこともあり、他人事のような、
ただ日々の流れの中の一つに過ぎなかった。三里塚闘争も含め60年代の不安、不定
の時代、そして自身が過ごした20代の70年代の華々しさとも無縁の世界であった。
この不安な時代の中に身を置いた友人もいたが、その後の彼らが今ある日本の
姿をどれほど変えたかは、分からない。然しながら、1968年は時代の節目で
あったのだろう。ベトナム戦争のリアルな映像が世界を席巻する中で、学生を中心とする
若者たちが自分たちと国家の関係に疑問を強く抱きはじめた。フランスのパリの五月革命、
アメリカの大学封鎖、日本でも東大封鎖に見られた学生運動の活発化、など世界で若者
たちがデモや学校封鎖、一般のストなどが実行されていた。
それは60年安保、70年安保闘争の延長の意味合いもあったのだろうが、60年安保
では、国民の政府への抵抗であり、六十万人を超す人がデモに参加し、この騒乱の中、
岸内閣は解散となり、国民の意識も変化し始めたようだった。
しかし、68年の東大での学生運動は強制的な排除となって、挫折した。
さらには、1972年のあさま山荘での連合赤軍の内部闘争での殺人や内ゲバの凄惨さ
がテレビで報道され、その無差別な行動が明らかになり、デモや学生運動への嫌悪
が高まった。日頃、政治などに関係ないと思っていた私も社会の渦の中にいたが、
それにに一種の不気味さと嫌悪感を持ったものだ。70年安保も一応の高まりを見せたが、
60年ほどの熱意も薄れ、70年半ばからは、社会的な拒否意識が強くなった。
だが、最近またデモや抗議活動への意識が高まっているという。大きな起点は福島原発
事故への原発反対運動であり、2015年からの安部政権による憲法改正への動きに
対する反対運動である。これには、60年、70年安保を十分昇華しきれなかった
高齢者グループと原発反対からネットワーク化された若者たちのグループ
(たとえばシールズ)の二つの年代層が大きくかかわってきているという。
振り返れば、68年の学生運動、70年安保ともに関係なしと決め込み、
ただ目の前の仕事にのみ全力を尽くしていた自分がいた。個人的にはやはり
政治に絡むのは、好きではない。その思いが最近のシニアグループのこの
ような活動への共感が不十分なのであろう。

阿久悠が書いた本の一節に面白い話があった。
沢田研二が歌った「時の過ぎ行くままに」では、チョット耳の痛い話の一節がある。

「ベビーブームで生まれた団塊の世代の人口が一番多い。学生時代に、世界
同時革命、などのスローガンを掲げて社会の矛盾を突いていた人が、社会に出た
とたん、直行でマイホーム型人間になってしまったように見える。結局、
「革命だ、革命だ」と大騒ぎした人たちが、会社のため、家族のためにと
人一倍身を削って働くことになった。世界革命と叫んで闘争したあの騒ぎは
何処へ行ってしまったのか」
あの男たちの気概は何処へ行ってしまったのか。
あの静まり方は大騒ぎした後にむなしさが残るようなそんな感じに似ていた。
私を含め、多くの若者がこのような社会の波の中で、自分を見つけるのに精一杯
だった時代でもある。
、、、、、、、、、
あなたはすっかり 疲れてしまい
生きていることさえ いやだと泣いた
壊れたピアノで 思い出の歌
片手で弾いては ためいきついた

時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら、、、、、」
「時の過ぎ行くままに」にこのような想いがあることは知らなかったが、
あらためてこの歌詞を見ると納得感がある。
しかし、平成も三十年ほどになり、昭和は消えつつある。
個人の脳裏からさらには社会の記憶から、私の記憶からもわずかな断片
としてしか残っていない。時代は変わりつつある。
また、心の奥底には、「彼らの発していたエネルギー、熱波」への憧れも
のぞかれる。先ほどの高齢者グループは「過去への悔悟とこの憧れを
体現したいと思っているのであろうか。心の中で70年代に戻り消化不良
のままのエネルギーを発散したいのであろうか。

そんな心情を「されど われらが日々(柴田翔)」の一節が上手く描いている。

「しかし、仕事を持つということは学生の頃考えていたのとは、随分違うことで
した。初めは、考えていた通りに日々が流れると思われました。会社から帰ると、
ほっとした気持ちになってこれからが自分の時間だと、のびのびと本をめくったり、
レコードをかけて過ごしました。3か月の見習い期間、そして半年が、そうして
過ぎました。ところが、やがて1つの仕事を受け持たされ、責任を持たされる
ようになりました。すると次第に仕事が、自由なはずの自分の時間まで食い込んで
きたのです。学生の頃は、就職しても、仕事は仕事、自分の時間は自分の時間、
自分の生活はその後者の中にあると割り切るつもりでした。
ですが、実際に仕事を持ってみると、仕事と生活を分けることは全く不可能、
というよりはむしろ、仕事こそが生活の実体になっていくのです。
それは義務である仕事が自由であるべき自分の時間を食いつぶすという意味
ではなく、自分の生活の中に仕事が占める意味が変わっていく
ということなんです。一口に言えば、僕の場合、仕事が面白くなり、仕事
こそが生きがいとなってきたのです。
それは全く矛盾でした。自分の犯した裏切りとなれ合っていくために、一生、
二流の地位の中で平穏な生活を送ろうと思い定めていたはずの僕が、次第に
仕事の魅力に取りつかれていったのです。
しかし、僕はその矛盾に長く苦しみませんでした。」
また、こんな文もある。
「私ははじめて自分がもう1人で生きることに堪えられないことに気づいた。
かっては、誰とも自分を決定的に結び受けないことに、ひそかな自由を
誇ってさえいた私だったが、年をとったというには、あまりにも、若い
年齢だが、やはり年を取ったのだろう。私たち世代は、きっと老いやすい
世代なのだ。その老い方は様々であろうとしても。」

ここでは、昔同志であった人々の思いを「自殺の遺書」として読む中に
出てくるのですが、文中の「俺は裏切り者だ」という言葉のすべてに
彼らの思いがこもっているようにも見える。さらには、「死」と「老い」
が20歳前後の彼らに当たり前のように心内にあったようだ。当時全体の
若者がそうだとは思っていないが、このような意識を持った若者が今の時代
いるのであろうか。老人と言われる世代でも、何故か「老い」は物理的な
肉体だけのモノとの意識の中で、「死」は忘れ去られているのでは、という疑問
さえ湧いてくる。

わたし個人としては、「心の郷愁」よりも当時の人々が放っていたあろう
「そのエネルギー」に魅力を感じざるを得ない。さらに、「死と老い」は一体となって
心内に忍ぶようにもなっている。それは、自身の積み重なってきた時間のせいなのかも
知れないが、社会の中で生きている以上にそれに影響されつつあることも事実だ。
1970年代、懐かしき我が若き時代と郷愁に浸るだけでよいのか、近頃、そんな想いが
強くなっている。

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