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2017.10.14

変わり行くもの

今は朝の5時半ごろであろうか、まだ闇の力が朝の明るさに優っているようだ。
私の書斎は北向きだが、大きな出窓の向こうに比良の山並みが、時の暗く重い雲に
隠れていたり、朝霧の中に緩やかな稜線が薄黒く浮かんでいたり、薄青く広がる空に
太くやや緑がかった線を浮かび上がらせている。
だが、朝の変化ははやい。数分前まで、ただただ薄青く拡がっていた平板な空は、
薄絹の雲が左端に顔を出したと思っているうちにすべての空にかかってきた。また
ある朝は、櫛で梳いたように白く薄くたなびいていた雲がまずその下辺りを薄桃色
で染まったと思っていたら、ふと顔を上げた数分後先には、橙色や薄い紫、数色の
色が混然一体となり、無垢な処女から妖艶な女に変身していた。それが、ゆっくりと
東にいるはずの琵琶湖にしなを作る趣で向かい流れていく。
さらに30分後にはすでに比良の山並みの朝の顔は薄墨雲に覆いかぶされていた。
わずかな時の流れに翻弄される自分がいた。自然という「変わり行くもの」を
必然とする情景の中で、今の私は嬉しさに満ちている。

日々に「変わり行くもの」をその両眼が開いた瞬間から感じつつ「変わり行くもの」
を必然とする自然の中で一日の生を受けられたという幸せだ。

ある病院の夜で思うことがあった。
「変わり行くもの」、人の老い、街の風景、当たり前のことだが、ここ数年の自身の
まわりで起こったこと、起こったことを後に知ったこと、などなど、色々と考え
合わせるとやはり「変わり行くもの」という簡素だが深い(と勝手に思っているが)
この言葉が自身の心に大きな部分を占めるようになってきたと思う様になってきた。

「変わり行くもの」、当たり前のことだが、少し自身の心の襞を切ってみる。何か
今までと違うものが、見えてきた。ここ三年ほどに鋭角な三角形の塊だったものが
丸く柔らかい塊となって納まっていた。
経緯はともかくわたし的には、小学生の頃から「無常感」という、当時はその意味
や言葉さえ知らなかった漠たる心根がその形を変えつつも残っている。

先ずは、病院での何気ない想いからそれは始まった。
病院も三年の間に、然も数か月もいると、不思議な親しみが増えてくる。
当然、病人がいるわけだし、来るための必要性に迫られるのだから、普通に
訪れた人はあまり良い気持ちの良い場所とは思えない。
しかし、ここに来るからには、何かの必然性があり、それも避けられない目的と
必然性がそうさせている訳だが、「変わり行くもの」という意識がぼんやりと
しかも確かにわいてきた。仏教に「不染汚」という言葉があるが、60年以上の
垢や沁みを取り除く機会があれば、様々な色でかすみ始めている眼、肌が
感じる素直な心とでもいうのだろうか、受け取る何かに違いが出て来ていた。

時間が純粋に時間だけになって、それ以外何も痕跡を残さず時間に深みも
普段の何分の一の重みを与えないのが病院であろう。
だが、少し私は違っていた。

今、私は、暗く幅広の病院の廊下に立っている。
この一角に場所を与えられて四十日ほどとなった。ひとの意識とは面白いもので、
日を追うごとに、同じ情景を見ているはずだが、心的視覚的にも、「変わり行くもの」
が芽生えていく、3年前とは違いそれを強く感じる。

何かの本で、「風景の経験」という言葉があった。人が営んでいる情景、空間は
固定化されたものではなく時の流れを基底に周囲の情景と感じあい、触れあいながら
変化していくものなのだ。それは人の心の内も同じだ。
この暗闇に立つ自分は、内的な「風景の経験」をしているのかもしれない。

看護師さんの患者さん確認のためのパソコンが。仄明るい点滅灯となって静かに
置いてある。はじめは、異様な感じをもって、むしろ、怖さが先に立ったが、
今見るそれは言いようのない安心感を与える。「変わり行くもの」がすでに内に
形成され、更に増殖を続けていた。
夜の病院は、「黒の象徴」の場所かもしれない。ある意味死後に直結した場所
でもあり、死と隣り合わせであり、様々な病魔と闘う人々の暗鬱たる闇が主体と
なっている場所でもある。それは、昼の看護士さんの白衣、先生の白衣、廊下や
壁の白さと対を成しているようだ。
今は、今いるこの暗闇の世界がその白さを強調した場所よりも自身の感覚に
極めて強く同期を始めていた。

ふと、その暗闇に佇みながら「死後の世界」とはどんなものなのだろうと
思ってみる。源信の「往生要集」などに明細に描かれている悪鬼や閻魔が
いるような場所なのだろうか。それとも、今眼前に見える何の変哲もない
場所なのだろうか。往生要集にある絵図は、誰が描いた世界なのだ。
さらに、同様のものに「チベットの死者の書」というのがある。これには、
何十人もの神が出てきて、死者から遊離した心(パラドゥ、中有と呼ばれる)
を六道世界のどこかに輪廻させる。そこは赤、黄色、青、灰色などの極めて
色彩豊かなところで活動しているという。死後も「変わり行くもの」を
必要としているのだろう。

わたし的には、病院の暗闇で感じた「変わり行くもの」を形として残し、
今見ているこの朝の「変わり行くもの」の情景が毎日静かに味わえることに
感謝していきたい。

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