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2017年11月10日

2017.11.10

ライフサイクル最後のステージを迎え、2000年代を振り返る

書斎から見る外の景色が少しづつ黒い幕を押しやるように目の前にその朧げな形を
見せつつある。比良の稜線がその強さを増しつつ青味がかった空に太く琵琶湖に
沿ってなだらかな曲線を描きはじめる。薄い雲片がやや赤味を帯びて比良の山並みに
集い、里山の黒味の緑もその艶ある緑に一段と深めていく。
思えば、すでに老年期を越した私にとっても、D.レビンソンの言う「児童期と青年期
(0~22歳)」にも見えてくる。また、琵琶湖が赤く照り映えはじめ、比良の山並み
が濃厚な蜜柑色に彩られる情景もその力強さから同じ「児童期と青年期(0~22歳)」
に感じる時もある。人の心は無常だ。目の前の情景が同じであってもそれを感じる心に
変化があると見るもの、感じるものへの心根に残る姿も変わる。

20年ほど前にここに移り住んだ2000年代「中年期(40~65歳)」には、朝の湖
の情景に自分の想いを馳せていた。確かに今眼前の情景が自身の世界でもあった。
人のライフサイクルについては、他にも色々な考えがあるが、例えば中国の古代思想
「五行説」には、少年期(~19歳)は黒い冬(玄冬)、 青年期(20歳~)は 青い春
(青春)、中年期(40歳~)赤い夏(朱夏)、老年期(60歳~)は、白い秋(白秋)
ともある。各段階の境目には5年間の「過渡期」がある。少年期は「厳しい冬」、老年期は
「人生の収穫を楽しむ秋」ということになる。老年期となった今、この朝の情景は憧れ
の1つになりつつある。

2000年代、90年後半に始まったネットバブルの狂騒であったが、2000年
には早くも消えつつあった。アメリカのそれとは違い、中身が伴なっていなかった。
さらには、2001年9月11日のテロという名の惨劇であった。それからの世界は
流動性が一層増したようにも見える。また、日本でもその社会全体の動きは、最新の
厚生労働白書を見ると面白い。ここでは、若者の仕事に関する意識は2000年を境に
大きく変化したことを言っている。日本社会の本質的転換点だったのかもしれない。
厚生労働省は2013年9月に厚生労働白書を公表した。そのテーマは「若者の意識」
で、若年層の雇用環境や職業意識などについて様々な考察が行われている。
その中で、働く目的に関する長期的な調査の結果が非常に興味深い内容となっている。
新入社員に対して働く目的を尋ねたところ、2000年までは一貫して5%程度しか
なかった「社会のために役に立ちたい」という項目が2000年を境に急増、
2012年には15%まで上昇した。また「楽しい生活をしたい」という項目も
2000年を境に急上昇し40%とトップになっている。
これに対して「経済的に豊かな生活を送りたい」「自分の能力をためす生き方を
したい」という項目は、逆に2000年を境に低下し、現在は20%程度まで落ち
込んでいる。最近の若者が賃金にはこだわらず「社会の役に立ちたい」「楽しく仕事を
したい」という傾向を強く持っていることは、各種調査などですでに明らかになっている。
だが2000年を境にこうした意識の変化が急激に進んだという事実は、長期的な統計
を見ないとわからないものである。
2000年代こうした日本の閉塞感が顕在化してきた年といえるのかもしれない。
老年期となって狭い出窓の先にある風景は変わらないかのようであるが、中年期の頃
自身には見えていなかった。
例えば、2000年前後には、ベンチャー企業ブームがあったり、構造改革の機運が高ま
るなど、日本の高い成長にまだ大きな期待が寄せられ私自身も多くのビジネスの仕掛けを
していた。

人のライフサイクルもその環境変化に大きく左右される。
特にその顕著な例が2000年前後から急激に社会に浸透はじめたインターネットの
影響であろう。「フラットな世界」という本にその概要が描かれている。
1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、10項目
があると言っている。フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで
大きく変わりつつある。

D.レビンソンの言う私が過ごした2000年代「中年期(40~65歳)」もその
埒外ではなかった。ビジネスの世界では、50歳後半はすでに老年期とみなされ、
「年寄り不要論」が喧伝されていた。
しかし、60歳後半の人間になった老人として我が自然から感じることもある。
それは、満月の光に輝きを持って横たわる琵琶湖を見る時だ。
泉鏡花の瓔珞品(ようらくぽん)にその情景がうかがわれるが、
「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、
星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する
姿がありありと拝まれると申します。」「霜のように輝いて、自分の影の
映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ渺茫として、水や空、南無竹生島
は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、月が染みて、羽衣のひだを
みるような、、、、、、、、、
と夜の湖水を表現している。まさにその光景が見えるのだ。
老年期という時期を迎えてもこの光り輝く情景はそれを見る眼を持つ者にとって
朝の力強い情景にも見えるのだ。
それをこの地の自然がそれを教えてくれている。

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