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2017.11.20

2つの好きな絵

男が好きな絵は二つあった。それは好きだというより心のどこかの襞に触れあってくる、そんな感じがするからだ。一つは、長谷川等伯の「松林図屏風」である。三十歳ごろそれをガラス越しに魅入った。それが国宝だからというので、屏風の前に来た。桐の中に茫洋たる松の立ち姿を描いた水墨画であった。
その数か月前に西洋近代美術館の館長から聞いた光の三原色を基本とする印象派のどれとも違う絵がそこにあった、違うと思ったのは、色彩とモノトーンの違いではなかった。しかし、その何か違うモノが判然とせずそのまま立ち去った。あれから二十年ほど経ったのであろうか、別な展示会でその絵と出会った。正面に立ったとき、その絵にゆらめき動く人を見た。死地の世界だ、と思った。

更紗の上を笑いさざめくようなざわつきから少し離れたカウンターに二人はいた。小さなその空間からは遠く霞んで大阪港の光が鈍く褪せたように大小の船影を浮かび上がらせている。カウンターに他の客はいない。彼女のグラスの一振りから球形の氷の音がからりと乾いた音をはぜた。
「松林図って観たことはないわ。水墨画は何となく年寄りじみてて合わないし」
いとも簡単に私の想いは、消し飛ばされた。
「見るんなら、やっぱし、ゴーギャンヤゴッホの色彩豊かな熱情が湧き出す絵が一番よ。見ているだけで心が燃え上がってくるしさ。モノクロの絵は小難しそうで好きになれない」
さらなる追撃に私は黙って琥珀のそれを飲み干した。喉越しに痛烈な刺激が
走り仄かに立ち上る匂いに酔いのまわりを意識した。

そして再び同じ位置に私は立っていた。しばらくは正面から対峙する形で過ごす。光の加減を見ながら左右へまわる。やはり霞んだ中に浮かぶのは人影だ。松ではない。作者の想いは何処にあるのだ、そんな考えが眼前の絵と一緒になって私の脳裏に二重の不可思議を与える。絵の印象も歳とともに変化する。
既に人生のラストステージとなった五十代後半と壮年の頑張りに満ち満ちた
三十代では違う。三十代のあの時に見た「松林図」は人生への不安と希望であり、明け行く朝の霧と満ち始める前の朝光の情景であろう。
だが、今見ている「松林図」は、すでに力を出し尽くした陽の中に暮れ行こう
とする松に立ち込める冷気の群れなのかもしれない。その先には、やがて赤く染まり次第に暗闇となる世界がある。さらに、かって死地の世界と見えたのは己自身だった。横を同年配の小柄な男が通り過ぎた。それは風だった。何かの影のごとく一つの空気の流れを作っていった。彼もまたこの絵に同様の匂いを嗅いだのではないか。少し肩を落とし、ちらりと視線を向けたが、静かに去って行った。気が付くと私と並び立ってアップの髪形に後ろ毛が白く伸びた首に巻き付く感じの女性が同じように絵に見入っている。ゆるく裾が拡がったスカートがわずかに揺れてる。小柄な体が黒色で包まれているからか、細身の体がこの絵によく似合う。出し抜けと思ったが、彼女に声をかけた。
「この絵をどう思いますか?」
僅かに右肩を落とすような仕草でわたしを見た。一瞬、驚きの気配が顔をすぎていくが、また目を絵に戻しながら言った。
「どうもこの絵と私の心が共鳴しないので何故かなと」
「共鳴か」予想もつかない言葉にこちらが慌てた。絵は感じるものだが、それは一方的なこちらの想いだ。作者の想いもあるだろうが、絵との会話は相互のつながりだ。再び、二つの並び立った「松林図屏風」を左から右へと細部を見ていく。左の屏風の右は山から緩やかな三角形をえがく形で下の斜めに傷のように走る線とほぼ繋がり、ちょうど対辺延長上の両端に落款が押されている。右側には黒味を帯びた松が光背の薄く映える松と合わせ力強さをもって描かれている。一番右にあるやや傾斜を持った松との間の空間がこの屏風全体の調和を取っている。左右の屏風とも太く荒削りの趣を持った松は一つであり、微妙な安定感を与えている。使われている紙は通常の屏風絵に使われる頑丈な雁皮紙ではなく、きめの荒く不純物が混じった薄手の和紙を用いているようだ。墨は無造作に撥ねた痕跡が画中のあちこちにあり、枝先や根元には紙を垂直に立てて描いたためであろう墨溜りができている。しかしその反面、下絵では普通使わないであろう最高級の墨が使われているようだ。
物事に近接するほど全体の持つ意味を見失うことがよくあるが、この屏風も同じだな、と彼は思った。作者の真意は分からないが、このような森羅万象のモノに対峙するには、自身の持つ感受性が問われる。数歩ほど後ろに下がる。横の女性はそれを待っていたかのように滑るように動き、ゆらゆら揺れる人波の中に消えた。ガラス越しに照明を浴び、白く浮かんだ二つの屏風が浮きだっている。それはやはり死地の無言の世界であった。老いを感じ始めた男の心根には、朝明けの情景は寄せてこなかった。
会場の外は透き通った青さが満ちていた。日がうららかに射して、山水を模した庭に輝きを与えている。苔むした大岩が数層に積み上げられ、数本の松が配されている。大岩の中ほどから小さな滝が何筋もの水の流れを合わせ小さな飛沫を発している。
ふと彼に葛飾北斎の「下野黒髪山きりふりの滝」が浮かぶ。彼の好きなもう一つの絵だ。北斎の浮世絵は総じて好きだが、水や風の見えない動きを間近に見せる絵は歳を経ても同じ強さを彼に与えてきた。

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