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2018年3月2日

2018.03.02

星になった猫その1

その猫は息子を亡くした老人に飼われていた。飼われていたというよりも老人の
傍で過ごしていた。老人は息子が死んで以来他の人間とは一切口を利かず、日がな
一日、ただ遠くを見つめているだけの生活を送っていた。世話は近くにいる姉が
していたが、元来丈夫な老人は、毎日の食事だけを持ってくればよかった。
猫は、息子が路地の奥で段ボールに入れられていたのをたまたま見つけ、不憫に
思い家で飼ったのだった。優しい息子は慣れないながら、生まれたての彼の食事から
排泄の世話までした。だが、その彼も猫がまだ数か月しか経たないうちに交通事故
で死んだ。幸い猫好きであった彼の姉が老人の傍から離れない仔猫を哀れんで、
食事だけは老人の食事を持ってくるときにおいてくれた。猫も老人の傍で、これも
日がな一日寝ていればよかった。老人は春には縁側で咲く花を愛でて1日を満足し、
夏は風通しの良い木陰の下で風音を聞きながら日がな天と山の緑に感激し、秋は
実りの穂で揺れ動く畑の脇でその香りを嗅いでいた。やがて木枯らしが吹き始めると
炬燵に埋もれるようにちょこなんと座ったままで風の音に耳をそばだてた。彼は木枯らしの
強弱のある音が好きだった。白く映えわたる障子に映る葉影に目を添え、その葉擦れの
音に聞き耳を立てる。天を揺らし地上を駆け抜け木々にぶち当たって違う方向へと
流れ去るその音の変化に身体を左右に揺らす。それは風が老人を動かしている様
にも見えた。若い猫も炬燵の上で老人と向き合い香箱を作る。老人と猫とも、双方
動かないでじっとしている。冬はその光景が春の兆しが見えるまで続く。時折、老人が
障子を少し開けると雪が銀箔のごとく庭に舞い、四方の木々を白く染め上げていくのが
見える。老人は目を細め、頬を少し緩めてそれに見入っている。

ある時、老人が猫に言った。
「お前もそろそろ人間の言葉を理解できるはずじゃ。わしの言葉を時に聞いておくのも
お前に役に立つはずじゃ」
それから老人は気の向いたときに、猫に昔話や神様の話を聞かせた。
「昔、越後の弥彦神社の末社に猫多羅天女(みゃうたらてんにょ)の髪というものがあった。
これには言い伝えがある。佐渡ヶ島の雑太郡小沢に一人暮らしの老婆がいた。
腰は曲がり足は弱り、畑を作って生活するのにも難渋する様子だった。ある夏の夕方、
裏山に上がり涼んでいたところ、一匹の老いた猫が現れた。見慣れない猫だったが
老婆に寄ってきて足元に戯れた。「これでも食うかい」。老婆は昼の残りの飯一握りをやった。
猫は旨そうにそれを平らげた。 翌日。
「こう暑いと参ってしまうよ」
また山の上で涼んでいたところ、あの猫が現れた。
「今日はもう飯は無いよ」
すると猫、しばらく老婆を見ていたかと思うと、砂の上に臥し転んで、あっちへころころ、
こっちへころころ、さまざまに不思議な遊びを始めた。そのさまがとても面白かったので、
老婆は立ち上がると、砂の上に転がり、猫を真似てみた。
「おお、涼しいじゃないか。心地よい心地よい」
しばらく同じように転げ回っていたが、不意に猫は立ち去って行った。
老婆は砂を払いながら、
「また来なよ」と言うと山を下りた。
「なんだか身が軽くなったような気がするよ」
その翌日も山の上に行ってみた。すると既に猫がいて、転がり始めた。老婆も砂の上に
臥し転び始めた。小一時間もすると猫はまた不意に立ち上がりどこへともなく去って行った。
老婆は立ち上がって驚いた。腰は伸び、足も強くなったように感じた。
「これはどうしたことかね」
村人たちは浮かれて下りる老婆の様子を不思議そうに眺めた。
また翌日、さらに翌日と何日も何日も老婆は山に上っては、猫と戯れた。まるで
取り憑かれたかのように砂の上を転げ回り、そのたびに肌の皺はなくなり、歯は生え揃い、
目も良くなり、若返って行った。
「婆さん、毎晩どこへ行ってるんだね。」
行きがかりの村人が声をかけても、にやにやと笑うだけで、まるで飛ぶように山道を走り去った。
これはおかしいということになり、遠縁にあたる男が老婆のもとを訪ねた。
「婆さん・・・それはどういうことだい」
男は絶句した。目の前に現れた老婆は壮年のごとく若返っていたが、目はらんらんと
輝き、歯は鋭く、爪も長く尖り、
「どうにもこうにも楽でしょうがないよ。」と言った。
男にひとしきり猫のことを説明すると、頭をかいた。すると、白髪の束がわさっと抜け落ちた。
「それは化け猫だ。婆さん魅入られたんだよ。一緒に家へ行こう」
「なんだって、あれを悪く言うのかい!こんなに元気にしてくれて、私や感謝してるんだ」
「お前なぞ何もしてくれやしなかったじゃないか。私は爺さん亡くしてそれはそれは大変だった。
毎日が辛くて辛くて、早くお迎えが来てくれないかと神さんにお祈りしてた。それが」
落ちた髪の毛の下にはびっしり細かい毛が生え、目元にはみるみるうちに隈取りが現れてきた。
「今はもう何も辛いことはない。何も食べなくても元気がわいてくる。もう今にでも空にとびあがれそうだ」
と言うと縁先から外へ駆け出した。男は止めようとして縋るが、怪力で振りほどかれた。
老婆は地を蹴った。そしてぽーんと飛び上がると、山やま、家いえの上を跳ねていった。

村人たちは肝を潰した。
「婆さんをなんとかしなければ、今に悪さをするに違いない」
「そうだ。婆さんはもう化け猫に取り込まれちまったんだから」
「捕まえてぶち殺してしまえ」
村人たちは大きな網をこしらえ、天高く掲げて捕らえようとするが、婆はさらに高く飛び、
大笑いしながら跳ねて行った。
「家で待ち構えよう」
夜になり老婆が家に戻ってきたのを確認すると、村人たちは火をつけた。
えんらえんらと燃え上がる家の中から、修羅の形相の老婆が現れた。
「私は何もしていないのに、なぜこのようなことをするか」
半ば猫と化した凄まじい姿に見る村人みな驚き、気絶する者もいた。老婆は火をもの
ともせず家から出ると、地を蹴って虚空へ飛び、消え去った。
すると空一面雷動し始めた。土砂降りになり村人は散り散りに逃げた。
山は片端より崩れ川の数々ははんらんし、洪水で家々は流され畑は潰されていった。
村はおろか島中が大荒れとなった。朝には見るも無惨な景色が拡がった。
朝日さす雲間に巨大に膨れ上がった化け猫婆の顔が現れた。婆はさらに大きくなり、
佐渡ケ島の空を覆い尽くした。
「もはや島に用は無いわ」
大音を轟かせると、毛だらけの右手を上空に伸ばした。それは海を越えて越後の空
まで到達した。やがて雲を一ひねりしては各地に雷雨を落としてまわり、侍もただただ
恐れうろたえるばかり。弥彦山あたりの里人、かねてより「妙多羅天女」を信仰していたが、
天空に拡がる婆とそのふるまいを見てこれは天女の怒りであると確信した。
里人の頼みを受けた社の神主、
「まさしく猫多羅天女(ミャウタラテンニョ)である。髪の毛を取り寄せて崇めん」
と託宣し、佐渡のかの地より取り寄せるよう指示した。果たして婆の親族が髪の毛を保存
していることがわかり、何とか取り寄せて社にまつり祈ると、天空の婆は俄かに
すーっと姿を薄くし、やがて消えた。以後その姿を見た者はいない。
ただ、年に一度、佐渡ヶ島じゅうを揺るがす雷鳴が轟くようになった。
これは猫多羅天女のせいだとされた。
どうだ、猫もなり様に寄っては神の如き存在になることもある。だが、その力をどう使うかは
その猫次第じゃ」と言ってまた寝てしまった。

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