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2018.03.03

星になった猫その2

また、ある時には突然神の話をし始めた。
「遠い昔、本居宣長という人が「古事記伝」に「神」の定義を記したという。
「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の
諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、
鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳の
ありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、
功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、
よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、さて人の中の神は、先づ
かけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は
遠つ神とも申して、凡人とは遥に遠く、尊く可畏く坐しますが故なり、かくて
次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下にうけばりてこそあらね、
一國一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし、さて神代の
神たちも、多くは其代の人にして、其代の人は皆神なりし故に、神代とは云なり、
又人ならぬ物には、雷は常にも鳴る神神鳴りなど云へば、さらにもいはず、
龍樹靈狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、
,,,,,,,,,,,,

又虎をも狼をも神と云ること、書紀万葉などに見え、又桃子(もも)に
意富加牟都美命((おおかむつみのみこと)と云名を賜ひ、御頸玉(みくびたま)
を御倉板擧(みくらたなの)神と申せしたぐひ、又磐根木株艸葉
(いわねこのたちかやのかきば)のよく言語したぐひなども、皆神なり、さて又
海山などを神と云ることも多し、そは其の御霊の神を云に非ずて、直に其の海をも
山をもさして云り、此れもいとかしこき物なるがゆゑなり、)抑迦微は如此く種々にて、
貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行も
そのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、
最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなす
ことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、
常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、
いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、
可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、
わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物に
なむありける」(「古事記伝」三)より」

猫はその話に興味を持った。「誰でも神であり、神になれる」それが呪文のように彼の
頭を支配した。見えぬ世界、明日の世界を見通すことが己の神としての証であり、
万人をこの汚れきった穢い世界から解き放つことが使命であると確信した。
独断と偏見に満ちた世界から身を隠し、聖霊無垢な身体とならねばとの想いが日増し
に強くなった。もっと歳を重ねれば、老人の話していた猫多羅天女になるのでは
という怖れも感じていた。
若い猫は春の光に触れ、夏と秋の空気に生きモノとしてのエネルギーを発散し
始めていた。それは冬になってさらに増した。彼の毛並みからは冬の寒さに
負けない温かな空気が漏れ出していた。そして少しづつ自分の意思が育っていった。

特に彼は夜が好きであった。猫は夜目もあまり効かず野生の動物の多い所へは
出向かないものだが、彼はむしろ、昼間に猫たちと顔を合わすことが苦手であった。
それぞれの縄張り争い、牝猫の取り合い、単なる喧嘩、そのすべてを毛嫌いした。
それを少しでも避けるためには昼間は老人の横で夢の世界に入っていたかった。
多くの猫がたえず寝ているのには理由がある。彼らは、日頃の自分の想いや
願望を夢の中で実現させている。嫌な近所の猫や悪さをする人間たちに夢の中で
仕返しをしているのだ。現実の世界で彼よりはるかに大きい体の猫や人間に
対して時の大きくなったり、また別な日には俊敏な身のこなしの猫になったりして
相手を打ち負かす。その時に見せる彼らの哀願の姿に満足する。夢の中では、
何でも出来た。天に上り神のごとく振る舞うことに生きがいを感じる者、空を自由に
飛びまわりその快感に酔いしれるもの、綺麗な牝猫と一緒になって生まれた自分
の子をかわいがるもの、だが、眠りから覚めた時の失望感は夢の中の大きさに
反比例して彼らをまた夢へ音と誘い込む。それは、アヘンや麻薬によって徐々に
身を滅ぼし行く人間の姿にも似ていた。彼は他の猫とは少し違っていた。
夢の中の自分に嫌悪した。失望もした。

しかし、ある日ふと気が付いた。彼の上に黒く拡がる世界があり、そこに瞬く多くの
星がいることを、そして何故か彼を呼ぶ声が聞こえてきた。何故、俺はこの小さな
忙しい世界に生まれたのだ、と思った。大きくその丸い姿を絶えず変化させている月
という星は何と幸せな奴だとも思った。同時に、そのやせ細った時の姿やどこかに
掻き消えた時には、その不幸に喜びを覚えた。特に冬は今まで隠れていた星たち
を地上の彼にさらすかのように何倍にも数を増やして彼の上に立ち現われさせた。
その不可思議な力を羨望もした。
あの空の星になれば、神にもなれる。そんな想いが一段と強まった。

そんな折、山の麓の農家に住んでいるという物知りの老猫に出会った。彼は、すでに
三十年以上も生きていた。彼は人間の持つ知識と知恵なるものに興味を持ち、会うたびに
その知恵を彼に教えた。星たちの話もその一つであった。それは彼に大いなる興味を
持たせた。また、彼の話す人間たちの昔話は、彼に想像力という別な力も与えた。
天上にいる神という存在や凡ての草木、川や湖、には神が宿り、星たちにもそれぞれの
神がいるという。だが、彼にはそのどれ一つも見えなかったし、触ることも出来なかった。
老人はただただ座ったり横になっていたりするだけで彼に何も与えない。姉も笑うだけで
直ぐに立ち去る。そんな毎日が続くが、彼の思いはただ時の波間に漂う漂流者の如く、
一年、二年と春の温かさ、夏の暑さ、秋の涼しさ、冬の寒さが繰り返すだけで
当てのない日々の中で過ぎていった。その間でも、老人は相も変わらず無為な毎日を
過ごしつづけている。そしていつしかあの優しかった息子のことは忘れ、人間とは
このような怠惰な動物なのかと考えた。そして三年目、俺は人間よりも優れていた
神なるものと思い始めていた。しかし、物知りの老猫は彼をきつく叱った。
それでは人間と代わることがない。ただ、お前が天に上り星になりたいのであれば、
自分の影を食らいなさいと、と言った。影がお前をこの地に未練を残させ、
たえず目の前のことに執着させていた。彼は悩んだ。その方法が分からなかった。
老猫に再び問うた。
「どうすれば、影をくらうことができる」のかと。老猫はいとも簡単そうに彼に言った。
近いうちに太陽が昼間に消える時がある。人間が皆既日食と呼ぶ時だ。その時、
地上を支配する自然のすべての力は弱くなり、影を食らうことができる。やがてその時が来た。
かれは老猫の言う通りにした。太陽が元に戻っても、彼の影は消えたままであった。

その日は凍てつくような寒さの夜であった。細く光る弦月の光を浴びて山端を囲む緑は
底深く見えた。星の群れが信じられないほどの数で黒く抜けた空の上に輝き、空はますます
夜の色を深めていく。静寂と銀砂の輝きが見事な調和を成して彼の周りにあった。
彼の仰いだ先には、天の川がその悠々たる流れを見せ、少しでも気を緩めると体が
ふうと浮き上がっていくようだった。山の頂まで上がると、天の川が一段とその明るさを
強め、彼をひとすくいし、その流れにその身体を沈めてくれた。あたり一面が光に
満ち溢れ大きな球体の群れが夜の緑と暗闇の大地を包み取るほどにすぐそこに
降りてきていた。目がくらみ何も見えなくなった。恐ろしいほどの強さを感じた。
自分の姿が大地から天の川へ写し取られ、無数の星が銀砂の輝きをそのままに
1つ1つ見えるばかりでなく、澄み渡る天の川の底なしの深さにただ無感覚に存在する
自分がいた。

蒼い球体が目の前に浮いていた。光りの細かな網に覆われている蒼い球体、
地球であった。その網は橙や黄色、赤紫の色が点滅し生き物のような鼓動さえ
感じられる。すでに先ほどまでいた頂は蒼い球体の中に沈み、青白い光と薄ピンクを
帯びた雲の中に消えていた。
ぽっかりと空いた穴のような暗く沈んでいる表面、白く輝き平板な姿を見せる
だけのところ、それは砂漠だった。それらはゆっくりと彼の前から動いていく。
気が付けば砂漠を黒いものが彼と同じ速度で進んでいた。よく見れば、自分の
影であった。失った影が独り歩きして、表面を、地上を歩きまわっていた。
蒼い球体は彼の前から次第に遠のき、やがて小さな光となった。
大地に川がその流れを作り、川辺に多くの生きモノを育むように天の川も様々な
星や星の群れを作り出していた。赤や黄色味を帯びた小さな花一輪の如き
プロキシマ・ケンタウリの星や光り輝く渦を形成しているアンドロメダ銀河、
さんかく座銀河、おとめ座銀河団、おおぐま座銀河、ろ座銀河団、しし座銀河、
かじき座銀河が時にその優雅な姿を見せつつ彼の横をゆっくりと過ぎていく。

それは彼が地上で見ていた姿を遥かに凌駕し、想像のできないほどの多さと
大きさを持っていた。既に彼もまたその中のごくごく小さな星となっていた。
暗闇と光る球体の間を彼はいつまでも漂流を続けた。それは終わりなき旅であった。
彼は失望していた。地上で老猫から聞いたときの熱い感情は薄れ、この変化
なき時間を呪った。彼は地球という小さな星のことを思い起こすことが多くなった。
時折、あの老人の変わらぬ姿形が何故か思い浮かんだ。老人の放っていた
優しさと温かさに包まれいた時の心地よさが黒く輝くこの雲上の世界でも感じられる。
そして思い至った。老人こそが神ではなかったのか。神がどんな姿をしているかも知らず、
ただ目に見えぬものへの憧れ、未知なるものへの期待から発した願望が如何に無意味
なものであったか。あの老人は、日々変わり行く世界の中で己を全うしながらも、
たえずその中に見える智慧を感受しようとしていた。絶えることなきその行為こそが
彼を現存の彼ではなく一歩進んだ彼にしていた。理の世界へと彼を導いていた。

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