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2018.06.09

西近江路紀行6 木戸

西近江路紀行6木戸

さて、道は守山の集落を後にすると、再び国道161号と合流
して北へ進む。道の左側には比良山系が屏風のように立ちはだかり、
右側には琵琶湖を眼下に見下ろし、その景観は素晴らしい。
白い砂浜に青く光る琵琶湖のたたずまいが多くの保養所をこの周辺
に造らせたが、車社会の発達やレジャーの多様化が観光客や宿泊の
人々を遠ざけることになり、多くの保養所は使われないまま、
時を過ごしている。それらが木々の合間に見え隠れている。
それを見ていると何が無しに足は湖へと向かう。

この湖辺の道は四季を通じて素晴らしい。以前は、和邇や小野まで
このつづら折れ風の道は続いたいたと思うが、今は、蓬莱の駅の横、
八所神社の参道であった道から湖岸沿いに伸びて来ている。
北船路の棚田や八屋戸の石畳の道を杉や檜、松、などの木立の影を
そぞろに歩くのもよいが、湖が足元まで食い込んでくる水音と
比良の覆うかぶさるような山並みを肌で感じながら歩くのもまた楽しいものだ。
特に、冬の小雪が湖からの不規則な風に舞い、銀粉のように
湖を覆い、更には白く塗り染められた比良に向かって吹き上がっていく
情景は素晴らしい。自然の中で立ち往生するかのような心持でだが
生きているという実感が肌で感じられる瞬間でもある。

江戸時代までは、それぞれの村に舟寄せの小さな入り江があった。古地図にも
それらがきちんと書かれている。比良が湖まで攻め寄せるかのような土地では、
半農半漁が営まれ住民たちは湖と山の両方から恵の幸を受けていた。
都人が秋や春にここを訪れその情景を歌にした。
万葉集では、
楽浪(さざなみ)の比良山嵐の海吹けば釣する海人の袖反(かえ)る見ゆ
さざ浪の比良の都のかり庵いほに 尾花乱れて 秋風ぞ吹く
さざ浪の比良の大曲わだよどむとも 昔の人に また逢わめやも
なかなかに君に恋ひすは比良の浦の 海人ならましを 玉も刈りつつ

しかし、そのような古き良き時代に浸っているわけにはいかない。小道を
進みだすとすぐにすでに廃墟の如き様相を見せているバブルの時代に
建てられた保養所が左手に絶え間なく現れる。庭は雑草の緑に覆われ、
建物のペンキは剥げ落ち、割れた窓、欠け落ちた壁、高く積まれたままの
椅子やソファーの内装品の数々、すべてが宴の後の趣を持って迫ってくる。
人間の欲望を満たすため、この地の自然も多くは塗り替えられていった。
だが、わずかの痕跡は残っている。途中に幾つかある砂浜の美しさ、
寄せる波を数百年弾いてきたであろう石積の連なり、更には茶色に
輝く葦の群生など、そこには静かな空気に昔の人々の声が漏れ聞こえて
くるようだ。この小道は途中幾つかの小さな集落を通って北比良まで
続いている。多分、その昔は、北小松からさらに先まで湖辺の連なりに
合わせ旅人に心安らかな旅路を与えていたのであろう。

道を比良へと戻す。雑木林や若い杉の木立の中を歩くと綺麗に舗装
された道路が忽然と現れる。びわ湖バレイの道路の道だ。琵琶湖バレイは
冬はスキー、春から秋には、山頂にある展望台やユリやしゃくなげの
咲く庭園があり、眼下に琵琶湖のまさに琵琶のような全景を見ながら
過ごせる。底が抜けた青い空に羊の形をした雲が数個、波縞が銀色に
いくつもの筋を見せる琵琶湖の上をゆっくりと漂い東の伊吹の山並み
へと流れていく。その手前は緑色に塗り込められたような湖東の田畑が
幾つかのあぜ道や道路の直線的な筋の中に見えている。

白洲正子は「近江山河抄」の中で、湖東の山々からこの比良を望んだ
様子を見事に描いている。また、作家の井上靖はこの比良の持つ自然に
憧れ幾つかの作品を残している。「比良のしゃくなげ」もその一つだ。
「わしは今でも、はっきりと覚えている。その写真は、はるか眼下に
鏡のような湖面の一部が望まれる比良山系の頂で、高山植物石楠花の
みごとな群落が、岩石のところどころ露出しているその急峻な斜面を
まるでお花畑のように美しく覆っていた。」
比良山系の頂や琵琶湖の河畔から見た比良山系の素晴らしさをこよなく愛した。
千メートルを超す山並みの織りなす絶景とそこに残るいまだ人間の手
が加えられていない景観に我々はあまりにも鈍感だ。

太い山道を比良の山端に沿って歩き、雑木林を抜けると少し高台に相撲技の
始祖という志賀清林をまつる墓と相撲公園がある。清林は、木戸に生まれ、
聖武天皇の勅命を受けて相撲の四十八手の基本作法を編み出したといわれる。
道は、再び北へ木戸川を越え、左側の旧道に入る。木戸の集落が続き、樹下神社、
山道と交差する。この辺が木戸集落の真ん中で、かっては木戸の宿があった。
いまも、当時の旅館の屋号や常夜燈が残されている。ここは、志賀の中枢部であり、
樹下神社の祭礼も「五ヶ祭り」と言われ、周辺の大物、荒川、木戸、守山、
北船路の旧木戸荘の人々によって5月5日に行われている。
木戸の樹下神社は、御祭神は、玉依姫命タマヨリヒメノミコトと言われる。
創祀年代不詳であるが、木戸城主佐野左衛門尉豊賢の創建と伝えられる。
永享元年社地を除地とせられ、以来世々木戸城主の崇敬が篤く、木戸庄
(比良ノ本庄木戸庄)五ヶ村の氏神として崇敬されてきた。
ところが元亀二年織田信長の比叡山焼打の累を受け、翌三年社殿が焼失する。
当時織田軍に追われて山中に遁世していた木戸城主佐野十乗坊秀方が社頭
の荒廃を痛憂して、天正六年社殿を再造し、坂本の日吉山王より樹下大神を
十禅師権現として再勧請して、郷内安穏貴賤豊楽を祈願せられた。
日吉山王の分霊社で、明治初年までは十禅師権現社と称され、コノモトさん
とも呼ばれていた。しかし類推するところ、古記録に正平三年に創立と
あるのは、日吉山王を勧請した年代で、それ以前には古代より比良神を
産土神として奉斎して来たもので、その云い伝えや文献が多く残っている。

当社境内の峰神社は祭神が比良神で、奥宮が比良山頂にあったもので今も
「峰さん」「峰権現さん」と崇敬されている。この比良神は古く比良三系を
神体山として周辺の住民が産土神として仰いで来た神であるが、この比良山
に佛教が入って来ると、宗教界に大きな位置をしめ、南都の佛教が入ると、
東大寺縁起に比良神が重要な役割をもって現れ、続いて比叡山延暦寺の勢力
が南都寺院を圧迫して入って来ると、比良神も北端に追われて白鬚明神が
比良神であると縁起に語られ、地元民の比良権現信仰が白山権現にすり
替えられるのである。(比良神は貞観七年に従四位下の神階を贈られた)
当社の例祭には五基の神輿による勇壮な神幸祭があり、庄内五部落の立会の
古式祭で古くより五箇祭と称され、例年5月5日に開催され、北船路の
八所神社の神輿とあわせ五基の神輿が湖岸の御旅所へ渡御する湖西地方
で有名な祭である。この地域、神社も様々な変転がある。

ある日の周辺歩きの記録を見てみよう。
「樹下神社を少し、湖へと下ると、その先にこの辺でも見られなくなった
茅葺きの家があった。久しぶりに見る茅葺きの家だった。
ガラスの引き戸の隙間を抜けると、中は黒く光る土間の中に外からの
光を受けて様々な陰翳を見せていた。黒ずんだ梁には右手からの光と
左手の庭に通ずる入り口からの光が光の濃淡をつけている。奥の居間には
左手の廊下から差し込む光が黒い陰となって畳の上に2筋の線を作っている。
昔、竈があったという台所の隅の小さな窓からちぎれ雲が浮かんでいる
ように見えた。浮かんで、それから風に少しばかり、右左と吹かれている
ようでもあった。その曇りガラスを中から薄められた光が台所全体を暗い
スクリーンに浮かぶモノクロ写真の映像を映し出しているようだった。
さらに、黒ずんだ家塀の小さな節穴がもう1つの粗末なスクリーンを作り出し、
裏庭をおいて北向こうにある生垣の緑が、ぼんやりと映っていた。
梁や天井の煤による黒き光映えがこの家の200年以上という古さをさらに
古くさえ見せているようでもある。

庭の横にあるかわとの水のきらめきが薄黄色の暖簾を通して家の中まで
届いている。庭から土間へそして裏庭へと抜ける風が涼しい。これが
先人の人間たちの知恵なのであろう。冷房のいらない生活、今は遠い昔
のような気がしていたが、ここは違った。
しばしの休みを取るには、良い場所だ。
日本には昔から「煤の文化」があった。
家の台所には煮炊きの竈があり、部屋には炉が切ってあった。竈や炉では
薪が焚かれ、炎を上げ、煙りを吹きだした。煮炊きだけではなく夜の照明
の蝋燭や灯明からも油煙が立ち上った。煙は細かな煤となり、梁や桟に
ひそかに積もり、屋根裏や天井に染み込んだ。
建てたばかりの素木の家も、5年10年と人が住むうちに煤で黒く染まって
いった。これはまた実用的な面も持っている。煤によって害虫の駆除や
防水効果などが強められるのだ。家だけでなく家の中の道具も煤で黒くなる。
鍋や釜や炉の自在鉤はいうまでもなく、障子も襖も箪笥も机も黒ずんでくる。
それが「黒ずむ」であり、つやつやになるまで拭きあげれば、「黒光り」という。
新しい家や道具のすがすがしさもいいが、日本人は煤を浴びて黒ずみ、
黒光りするものにこそ安らぎをかんじてきたのではなかったろうか。
最近は、外国人の方が昔の生活を知りたいということでこの家を訪れるという。」

先ほどの湖畔の道を今度は樹げ神社向けに向かうとこの茅葺きの家に辿りつく。
四季に応じて山側から、湖側から、好きな想いで立ち寄るのもまた楽しみの一つであろう。
なお、木戸には「臼摺りうた」と言う、ちょっと小粋な歌がある。
東山から出やしゃる月は
さんしゃぐるまの花のような
高い山には霞がかかる
わたしゃあなたに気がかかる
あなた何処行く手に豆のせて
好きなとのごの年とりに

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