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2018.06.24

西近江路紀行8 比良

西近江路紀行8 比良

大物をすぎると道は、ほぼまっすぐに北へ延び、右側には
琵琶湖岸に位置する南比良、北比良の集落を見下ろす事が出来る。
この湖岸線は比良浦、比良湊とよばれ、「新拾遺集」の
「ふけゆけば嵐やさえてさざ波の比良の湊に千鳥鳴くなり」
をはじめ、多くの詩歌が詠まれている。
さらには、木戸には、宿駅跡と石垣近くに常夜燈があり、
守山の旧街道の横に地蔵菩薩とともに道標がある。大物の
旧街道横に二つほど残っており、白髭神社への道標とともに
それらを味わって歩くのもよい。

比良湊については、志賀町史にも以下の様な記述がある。
「古来、比良の湊がおかれ、北陸地方との交易を中心に水運にも
従事していた。中世には比良八庄とよばれ、小松荘と木戸荘が
その中心であったという。、、、
比良湊は万葉集にも見られる。ほかにも、「比良の浦の海人」
が詠まれ、「日本書紀」斉明天皇5年三月条には、「天皇近江の
平浦に幸す」ということがあった。万葉集巻三(二七四)には、
わが船は比良(ひら)の湊(みなと)に漕ぎ泊(は)てむ沖へな
離(さか)りさ夜更(よふ)けにけり
(わが乗る船は比良の湊に船泊りしよう。沖へは離れてゆくな。
夜も更けて来たことだ)。
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が旅先で詠んだ八首の
歌のうちの一首がある。
この時代、海は異界との境目だと信じられていた。また、
夜は悪しき魔物たちが最も活発に活動する時間だとも
考えられていたようで、そんな魔物たちの活発に活動する
夜の時間が近づいてくる前に「湊に船泊りしよう(湊へ戻ろう)」
と言霊として詠うことで、黒人は夜を前に動揺する自分自身
の心を鎮めようとしたのであろう。

また港近くの福田寺(浄土真宗 北比良)には、蓮如が北陸に
向かうためにここに立ち寄った時に渡った橋を蓮如橋と呼んでいる。
近くには、比良観音堂があり、天満天神の本地仏十一面観音がある。
十一面観音を祀る寺として創建された。北比良城跡の石碑もある。

比良周辺は、城跡の15ほどあるが、形を残しているものはない。
さらに神社仏閣が多くある。その寺院宗派には、天台真盛宗、
浄土宗、浄土真宗、臨済宗、日蓮宗などがある。
いずれも寺院の規模は小さく、本殿と鳥居、拝殿、御輿庫、
などの付属建物で構成される。
とくに、拝殿は三間もしくは二間の正方形平面で入母屋造り、
桧皮葺(ひわだぶき)である。街道沿いには、多くの寺や寺院
の瓦屋根が見受けられる。
すこし、列記しておくと、西福寺(浄土真宗 北比良)、福田寺
(浄土真宗 北比良)、本立寺(真宗 南比良)超専寺(浄土真宗
大物)は覚如上人や蓮如上人がこの寺を参詣された。
さらに長栄寺(日蓮宗 大物)、萬福寺(真宗 荒川)、西方寺
(浄土宗 木戸)、安養寺(浄土宗 木戸)、正覚寺(真宗 木戸)、
光明寺(浄土宗 北船路)、西福寺(天台真盛宗 守山)など
比良三千坊と言われた名残りなのであろう。

さらに街道の脇には神社も多くあり、樹下神社(北小松)、八幡神社
(南小松)、天満神社(北比良)、樹下神社(南比良)、妙義神社は
比良三千坊と称され、この地が山岳信仰の中心地の1つであった
事を偲ばせる神社である。湯島神社(荒川)、樹下神社(木戸)
十禅師権現社と称し、コノモトさんとも呼ばれていた。五か村
の氏神である。若宮神社(守山)、金毘羅神社、八所神社(北船路)、
八所神社(南船路)などまさに軒を連ねる状態だ。

福田寺から湖に向かうと、そぐら浜がある。そぐら浜から北へ
延びる浜辺一帯を「ジョネンバ」と呼び、かっては石屋小屋
(石きり加工場)が軒を連ね、浜辺では氷魚、ハス、モロコなどの
地引網が盛んに行われていた。今はその面影はなく一部を児童公園
となっているジョネンバから南側のそぐら浜辺りは上納する
年貢米や特産の石材、木材、薪、および壁土、葦、瓦などの集積場で、
これらの保管する蔵が集まっていたが、いまはその跡すらない。
そぐら浜 という地名は、当時、交易で運ばれて来た物資を保管・
保存するための蔵が、立ち並んでいたことから付けられたという。
ちなみに、そぐらは、「総蔵」からきていると言われている。
ここの常夜灯は、大きく立派な造りだ。湖上が交易に使われていた
頃に、船主や船頭衆によって航行の安全を祈願して建てられたもの。
昔は毎年、当番が四国の金比羅宮に、航行の安全祈願に参拝
したことから、常夜灯のびわ湖側には、「金比羅大権現」とう文字が、
刻まれている。

道は、湖岸から参道が続く天満宮社の前を通り、坂道を登るように
して水のない比良川をわたる。この比良川の下流にあたるところは、
大きな三角州が形成され、その中に内湖をだいている。
内湖と琵琶湖の間には細長い浜が数キロも続く。比良山系から流し
出された白い砂と緑の松とが好対照をみせ、独特の景観をみせている。
古くから西近江路の景勝地として知られていた。
昭和25年選定の琵琶湖八景では、「雄松崎の白汀」とよばれ、
近年でも琵琶湖随一の水泳場として最もにぎわうところである。
白くのびやかに砂地が湖に緩やかな曲線を描き、やや緑の深い
数百本の松がそれに沿っている。まさに白砂清松の趣が強い。
さらには、湖国に春の訪れを告げる法要「比良八講(ひらはっこう)」
が例年三月二十六日にこの浜で営まれ、修行を積んだ僧侶や
修験者らが、比良山系から取水した「法水」を湖面に注ぎ、
物故者の供養や湖上安全を祈願する。

この法要は、法華八講(ほっけはっこう)という天台宗の試験
を兼ねた大切な法要で、この法要のころに寒気がぶり返し、
突風が吹いて琵琶湖が大荒れになる。これをこの周辺の人は
「比良八荒(ひらはっこう)」と呼んで、この日を「比良の八荒、
荒れじまい」の日とした。この法要が終わると湖国にも
本格的な春が訪れる、と言われている。
護摩供(ごまぐ)法要が営まれ、その煙が龍の如く立ち昇る様を
少し記述する。

その日3月26日例年の風もなく、穏やかな日和である。
近江舞子は白く長い砂浜と幾重にも重なるように伸びている松林
に静かな時間を重ねていた。冬の間は、この砂の白さも侘しさ
が増すが、比良山系の山に雪が消えるこの頃になると一挙に
明るさを取り戻す。山々もここから見ると蓬莱山、武奈岳など
が何層にも重なり合い和邇から見える景観よりも変化に富んだ
顔を見せる。その幾層もの連なりには微かな雪化粧が残って
いるものの、すでに木々の緑がそのほとんどを支配し始めている。
浜への途中には、子供たちの声とともに和太鼓の激しい響き
が鳴り響いていた。その響きにあわせてやや凹凸のある道
を進んでいくと、左手に紅白の幕が風に揺られるように手招き
していた。そして、松林の切れたその光を帯びた先に護摩法要
のための杉の枝を積み上げた小山が見えた。小山といっても
二メートルのほどの高さのものであるが、周囲をしめ縄で仕切られ、
祭壇が置かれており、比良八講の四字がたなびく幟とともに
目の前に大きく浮かんでいる。護摩壇の先には、蒼い湖が広がり
沖島の黒い姿が見えている。陽射しはこれら全てに容赦なく
注ぎ込まれ、更なるエネルギーを与えているようにも感じられる。
やがて、法螺貝とそれに先導された僧や行者が念仏を唱える音、
人のざわつきの音、道を踏みしめる音などの様々な音が横を
緩やかな風とともに通り過ぎていく。そして、それに連なる祈祷
を受ける人々の一団が思い思いの歩みで現われる。背筋をキチン
と伸ばし、ただ一直線に護摩法要の祭壇を見ている老人、
数人で談笑しながら歩む中年の女性たち、孫と手を携えている
老婆、各人各様の想いが明るく差し込む木洩れ陽の中で踊っている
ようだ。

そこには、信仰の重苦しさは感じられないけど、明るさがあった。
法螺貝が止み一つの静寂が訪れ、次へと続き僧や修験者の
読経が始まり、やがて阿闍梨(あじゃり)の祈祷となる。
阿闍梨の読経する声は一つのリズムとなり、護摩法要の祭壇を
包み込み、その声が一段と高まり、水との共生をあらためて
想いの中に沸き立たせていく。その声が参列する人の上を流れ、
蒼い空の下でやや霞を増した比良の山並に吸い込まれていく頃、
護摩木を湛えた杉の小山に火がかけられいく。杉の小山から
吐き出される煙はその強さと濃さを増しながら青き天空へと
消えて行くが、その煙が徐々に渦を巻き、龍が天空を駆け上がる
が如き姿となっていくのだ。さらに燃え上がる炎は渦となり巻き
上がりながら舞う煙と一体となって龍の姿をさらに強大で
荒ぶる生き物として現出させ、ゴーと言う音ともに比良の山並み
に向かってかけ上がる。ここに護摩法要は最高潮となり、
周りを取り巻く人々も跪き般若心経を唱え始める。

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