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2018.07.01

西近江路紀行9 南小松

西近江路紀行9 南小松

「比良の山嵐が吹き降りる湖岸に眼をやると、近江国與地志略
には、比良北小松崎 則比良川の下流の崎なり。往古よりふるき
松二株有り。湖上の舟の上下のめあてにす」と、
その由緒を記す小松崎がある。現在の近江舞子、雄松崎付近
にあたるのであろう。
この小松崎も大嘗祭の屏風歌に詠みこまれるほどの歌枕であった。
六条天皇の大嘗祭の折には、平安時代後期の代表的な歌人である
藤原俊成が悠紀方の屏風歌を勤め、梅原山、長沢池、玉蔭井と
ともに小松崎を詠んでいる。
「子ねの日して小松が崎をけふみればはるかに千代の影ぞ浮かべる」
子の日の遊びをして小松が崎を今日みると、はるかに遠く千代
までも栄える松の影が浮かんでいる。というのが、和歌の主旨で、
天皇の千代の代を言祝いだ和歌である。
子の日の遊びと言うのは、正月の初の子の日に小松を引き、若葉を
摘んだりして、邪気を避け、長寿を祈った行事である。
小松崎と小松引きとが上手く掛けられている。
松を含む地名自体、めでたいとされたのであろう。

また、平安時代後期の歌人としても、似顔絵の先駆者としても
著名な藤原隆信も小松崎を「風わたるこすえのをとはさひしくて
こまつかおきにやとる月影」と詠んでいる。
この和歌には、こまつというところをまかりてみれは、まことに
ちいさきまつはらおもしろく見わたされるに、月いとあかきを
なかめいたしてという詞書が記されており、隆信が実際に
小松崎を訪れて詠んだ歌であることが察せられる。
隆信の和歌が小松を訪れて詠んだ和歌ならば,小松に住む人
にあてた和歌もあった。
「人のこ松というところに侍りしに、雪のいたうふりふりしかば、
つかしし、朝ほらけおもひやるかなほどもなくこ松は雪に
うづもれぬらむ」
作者の右馬内侍は平安時代中期の歌壇で活躍した女流歌人、
小松に近づく雪の季節に対して、そこに住む友人をおもんばかる
気持がよくあらわれている。
小松あたりの冬の厳しさは有名であったと察せられる。

道を少し山側にとると、石燈籠と石の大きな鳥居に導かれ、
八幡神社へと入る。古来より西近江路の交通の要衝としての志賀
周辺は様々な道標があった。
そんな中ででも、白髪神社の道標が7つほど現存している。
古来白鬚神社への信仰は厚く、京都から遙か遠い当社まで数多く
の都人たちも参拝した。その人たちを導くための道標が、
街道の随所に立てられていた。
現在その存在が確認されているのは、7箇所(すべて大津市)で、
建てられた年代は天保7年、どの道標も表に「白鬚神社大明神」
とその下に距離(土に埋まって見えないものが多い)、左側面に
「京都寿永講」の銘、右側面に建てられた「天保七年」が刻まれている。
二百数十年の歳月を経て、すでに散逸してしまったものもあろうと
思われるが、ここに残されている道標は、すべて地元の方の温かい
真心によって今日まで受け継がれてきたものであり、その最後の
道標が南小松八幡神社の参道の手前にある。

これ等の道標と同じように、この地域は今もなお共有の古文書、
絵図、歴史資料をはじめとする地域の文化財が大切に守り
伝えられている。さらに、地域の自然景観などの変遷をたどる
うえで重要な古地図が各地域併せて約600点以上も残されている。
これ等により急峻な山並みが琵琶湖まで迫る志賀の地形と河川の
氾濫などによる自然変化とそれに対する住民の知恵がよくわかる。
例えば、四つ子川の氾濫を防ぐために作った百閒堤や村を囲う
ように作られたしし垣の存在、土砂の堆積による天井川などの
地形変化などが見られる。大物村の山側には、百閒堤が明記されて
おり、さらに点在するしし垣がこの大物以外でも多く存在していた。
また、10数港もあった漁業のための港や舟入の存在を明記した
絵図などもある。舟入に限らずそのほとんどはすでに時の流れの
中で、消え去り、伝承や古文書の中に見られる。
だが、これ等はまた古くから文化が育ち栄えたという証でもある。
ここには、近世から都人が親しんだ「探勝的景観」と古地図に
見られるような「生活的景観」がうまく調和し、現在でもなお
我々に他にはない自然との共生をもたらしている。
西近江の周辺を歩くだけでも100年以上も前の絵地図の片鱗が
見受けられるのも楽しみの1つかもしれない。

八幡神社は、南小松の山手にあり、京都の石清水八幡宮と同じ時代
に建てられた。木村新太郎氏の古文書によれば、六十三代天皇
冷泉院の時代に当地の夜民牧右馬大師と言うものが八幡宮の霊夢
を見たとのこと。そのお告げでは「我、機縁によってこの地に
棲まんと欲す」と語り、浜辺に珠を埋められる。大師が直ぐに
目を覚まし夢に出た浜辺に向うと大光が現れ、夢のとおり聖像
があり、水中に飛び込み引き上げ、この場所に祠を建てて祀った
のが始まりとされる。祭神は応神天皇、創祀年代は不明だが、
古来、南小松の産土神であり、往古より日吉大神と白鬚大神の
両神使が往復ごとに当社の林中にて休憩したと云われ、当社と
日吉・白鬚三神の幽契のある所と畏敬されている。春の祭礼
(四月下旬)には、神輿をお旅所まで担ぎ、野村太鼓奉納や
子供神輿が出る。また、この辺りは野村と呼ばれ、特に自家栽培
のお茶が美味しい。八朔祭(9月1日)が行われ、夜7時ごろ
からは奉納相撲が開催される。
八幡神社の狛犬は、明治15年に雌(右)、明治 17 年に雄(左)
(名工中野甚八作)が作られ、県下では一番大きいといわれており、
体長180センチ弱だが、左右違い、そのたてがみや大きな眼
が印象的だ。また、神社の横を流れる水は裏の念仏山の湧水を
引き入れたもので透明な光となって神社の周辺を流れる。

道は、南小松の集落をあとに国道と合流して北へと進む。志賀は
急峻な比良山系の麓にあり、幾筋もの川が琵琶湖へと下っている。
それらが田畑や家々に水の恵みを与えていることもあるが、一方では、
その土砂の流れが様々な景観をも作り出している。その1つが
天井川だ。国道を北小松へと向かう途中に家棟川が国道の上を
流れている。他には、大谷川や四つ子川でも見られる。
さらに、釈迦岳、堂満岳のすそ野は緑深く里まで伸びており、一片の
緑の世界を眺めることが出来る。しかも、この緑深き里には、
外から移住してきたこの地に憧れを持つ多くの人が居を構えている。
だが、その様子はここからは計り知れない。
時間が許すのであれば、雑木林の中にひっそりとたたずむその
個性ある家並みと人々の声を聞くのも、この地を感じる1つでもある。

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