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2018.08.04

西近江路紀行14 古地図から見るこの里

西近江路紀行14 古地図から見るこの里

少し前に志賀地域の古地図の展示があった。
古くは室町時代から明治まで、この地の様子を見ていくのは面白い。
志賀は幕府の直轄領から比叡山の社領、大名の所領と入り乱れていたので、
境界争いや水利争いで権利を主張するものとして多く作られたのであろう。
古文書の多くもその裁判や幕府からの裁定に関するものも多い様だ。
また、いさざ漁村々絵図(いさざ漁に関する絵図で、琵琶湖に接する志賀町域
の村々の位置がわかる)にもあるように琵琶湖の恵みを受けていたという
姿も垣間見られる。更には、湖に面した村々には「舟入」の記述も多くあり、
今はそのほとんどが埋め立てられたりして消えているが、湖とのつながりの
強さを示すものだ。

わたしの家の周辺の様子もよくわかる。
和邇中村絵図がそうだ。
牛頭天皇社(天皇神社)内の摂社や神宮寺、南東の集落域、北西の権現山
までが描きこまれており、現在の榎の碑のあたりに榎(一里塚)を示す
木も描かれている。
もっとも、我が家は天皇神社の北東にある山を削ってできた住宅地であり、
絵図には存在しない。
小野村絵図には、小野村の集落域を白色、北国海道を赤色で示し、
周辺に樹木に覆われた小野神社・小野道風神社・小野篁神社のほか、
山並みを描いている。
小野妹子伝承で知られる地域の江戸時代の様子を知る格好の絵図なのだろう。
今も大きく変わっていない。
この地域の特徴に相給村落がある。これは1つの村に複数の領主がいた
という。
北小松村絵図天保2年(1831)にそれが描かれている。
天保2年、北小松村(幕府領)の一部が堀田家領(下野国佐野藩)として
編入された際に村役人から佐野藩に提出された絵図の写し。
北国海道(赤色)の東西に広がる北小松村の屋敷地を中心に描いた絵図で、
「御料」が幕府領を示し、それ以外が佐野藩領だと考えられます。
モザイク状に領地(領主)が入り組む「相給村落(あいきゅうそんらく)」
の様子が見られる。
境界争いに関係する地図も少なくない。比良庄絵図は弘安3年(1280)、
小松庄・音羽庄と比良新庄の境目争論の際に作成され、永和2年(1376)
の争論で再び使用された絵図。上(西)に比良山系、下(東)に
琵琶湖、右(北)を三尾川、左(南)を木戸庄とする構図で、
山川、建物を描いている。
北小松、南小松、北比良村絵図では、その裏書などからその地域
を領有していたものが分かる。田畑、荒場、入相山などの明細を
書き入れている。これら絵図の目的の多くは、各荘との境界を
明確にするものであったようで、直接関係が少ない山の名前では、
違いがある場合が少なくない。境界争いや水利権争いでは、
どの時代でも、これらの絵図を基本として、使っているようであり、
境界近くの正確性が求められていた。

しかし、この地域の古文書を読む限り、境界はもちろん、それぞれの
取れ高もあいまいな点が多い。琵琶湖の水位が上がって荒れ地となったもの、
水害で耕作が無理になった土地、これらを上手く奉行所に認めさせ
年貢を如何に少なくしてもらうか、古文書の端々にそれが臭い出てくるようだ。
境界争いでは、「小松荘と音羽、比良荘」との争いや「木戸荘と比良荘
との葛川」「和邇荘と龍華荘との境界争い」など多くあるようであり、
大津や京都の奉行所への訴状や延暦寺などに残る古文書からも
それが覗える。
また、中世の時代以後書かれた「正徳絵図、寛文絵図」でも、現在
使われている地名とは違う点も多くあり、地図の正確性も、書いたとき
の絵師にもよるのでろうが、少しづつズレがある。正確性を高めるのは、
伊能忠敬の全国的に実施した測量地図となる。
しかし、土地の正確性は増すものの、「和邇荘と龍華荘」の様な昔あった
とされる龍華寺の存在を示すのがその地域の伝聞であったり、縁起、
伝承の一般民衆に関わる世界が具体的な境界争いになる場合は、
その解決は中々に難しい。
しかし、これらの地図を見ていると村々の様子や琵琶湖とのつながり
など地域の顔が見えてくるようだ。川の氾濫や野獣から守るための
石垣(しし垣)、大掛かりな百閒堤の普請等も見られる。
慶長と延宝の検地によって村高と村域が成立し、江戸時代には
18の村が成立したが、その村の古地図がすべてあるということは
素晴らしいことだ。

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