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2018.09.08

西近江路紀行19 古墳の散策

西近江路紀行19古墳

志賀町の古墳

この地域は敦賀と京都、奈良への陸路、水路の重要地域でもあり、和邇部氏、
小野氏などの有力豪族が支配していた地域でもある。
このため、琵琶湖を望む比良のすそ野には、多くの古墳がある。
西近江路をそぞろに歩く途中にでも少し山側に足を踏み込むとその残証が見られる。
私有地で中々入れない小野の古墳に踏み入れた時、大きな石板で囲まれた室は
そこに普段とは違う空気を感じたものだ。
しかし、そのような古墳はほとんど消えてしまった。時の流れの中で、自然と人の
絡み合う想いはその存在を中々許してくれないようだ。

志賀町史第4巻を中心に簡単な紹介をする。
①北小松古墳群
遺跡の立地は比良山系の尾根筋を山系の北から数えて2つ目となる尾根筋
最先端から一段と下がった低位に位置する山塊の先端近くに主に分布する。
AからCと北の支群の4つのグループが見られる。計12基の古墳がある。
概ね、主体部は横穴式石室からなり、長さは4メートルほど高さは2メートル弱と
想定さる。出土品には須恵器と鉄釘があった。
石室などはしっかりとしている。

②南船路古墳群
南船路の集落から天川を隔てた西南西の丘陵裾野にある。総計7基の古墳がある。
多くは径7,8メートルの円墳で、主体部は横穴式石室からなり、高さは2メートル弱
想定される。

③天皇神社古墳群
天皇神社の境内にある。3基ほどの古墳があるが、高さ1メートル強の円墳。

④石神古墳群
小野神社と道風神社の中間にあり、眺望のよい場所である。4基の古墳からなる。
主体部は横穴式石室からなり、一番大きな4号墳は直径15メートルほどの墳丘である。
天井石は1石で高さは3メートルほどあり、比較的高い。家形石棺が出土しているが、
須恵器と土師器に刀の小片があった。鉄滓も採取された。
大きさなどからも有力豪族(小野氏?)の墓と思われる。
なお、志賀町史第1巻には、以下の記述もある。
「本町域の比良山麓製鉄遺跡群を構成する多くの遺跡の共通する大きな特徴の
一つは、そのなかに木瓜原型の遺跡を含まないことである。木瓜原遺跡では
一つの谷筋に一基の精錬炉だけではなく、大鍛冶場や小鍛冶場を備え、製錬から
精錬へ、さらには鉄器素材もしくは鉄器生産まで、いわば鉄鉱石から鉄器が
作られるまでのおおよそ全工程が処理されていた。しかし、この一遺跡
単一炉分散分布型地域では、大鍛冶、小鍛冶に不可欠なたたら精錬のための
送風口であるふいごの羽口が出土しないことが多い。本町域でもその採集は
ない。山麓山間部での製錬の後、得られた製品である鉄の塊は手軽に運び
出せるように適度の大きさに割られ、集落内の鍛冶工房で、脱炭、鉄器生産
の作業がなされる。小野の石神古墳群三号墳の鉄滓もそのような工程で
出来たものである。しかし、この古墳時代には、粉砕されないままで、河内や
大和に運ばれ、そこで脱炭、鉄器生産がなされるといった流通形態をとる
場合も多くあった。、、、、」

⑤石釜古墳群
和邇川沿いの井の尻橋付近にあり、琵琶湖をまじかに見れる場所ではない。
南北2つの支群からなり、総計で7基の古墳がある。直径5メートルから
19メートルほどのものもある円墳である。

⑥から⑩まではいずれも曼荼羅山を囲むようにして、築造されている。
⑥ヨウ古墳群
曼荼羅山の北にあり、ゴルフ場と和邇川の中間に位置する。3基の古墳からなる。
直径22メートルほどの円墳の1号機をはじめ結構大きい。

⑦前間田古墳群
曼荼羅山の北裾とヨウ古墳群との中間にある後期古墳群である。3基の古墳からなる。
直径が10メートル前後のものであり、規模的には大きくない。

⑧曼陀羅山北古墳群
小野朝日と緑町の中間、曼荼羅山の尾根に築造されている。眼下に和邇川河口
や琵琶湖、対岸の湖東も見える場所である。5つの古墳からなる。
直径は10から20メートルほどの円墳であり、主体部は横穴式石室になっている。

⑨大塚山北古墳群
曼荼羅山の尾根筋上のなだらかな頂部に築造された3基からなる古墳群である。
いずれも直径10数メートルの円墳である。

⑩ゼニワラ古墳
曼荼羅山北寄りの東に位置し、丘陵の尾根筋に占める単独の古墳である。
直径は20メートル、横穴式の石室で何枚かの岩で積み重ねられている。
出土には須恵器があった。

⑪唐臼山古墳
小野妹子公園の中にあり、前方後円墳の崩れたものではないかとの推測もある。
墳丘は南北18メートル、東西20メートルほどあり、大きめの古墳とみられる。

白洲正子「近江山河抄」に以下の記述がある。
国道沿いの道風神社の手前を左に入ると、そのとっつきの山懐の丘の上に、
大きな古墳群が見出される。妹子の墓と呼ばれる唐臼山古墳は、この丘の
尾根つづきにあり、老松の根元に石室が露出し、大きな石がるいるいと
重なっているのは、みるからに凄まじい風景である。が、そこからの眺めは
すばらしく、真野の入り江を眼下にのぞみ、その向こうには三上山から
湖東の連山、湖水に浮かぶ沖つ島もみえ、目近に比叡山がそびえる景色は、
思わず嘆息を発していしまう。その一番奥にあるのが、大塚山古墳で、
いずれなにがしの命の奥津城に違いないが、背後には、比良山がのしかかる
ように迫り、無言のうちに彼らが経てきた歴史を語っている。

⑫小野不二ケ谷古墳群
滋賀丘陵の尾根筋上部で傾斜変換点を創り下降する交点に位置する。
2つの古墳からなり、集落の間に築造されているため、その集落で祭祀されて
きた集落間の一体化が考えられる。3点の土器を含め、幾つかの遺物がでている。

⑭和邇大塚山古墳
ゼニワラ古墳の近くにあり、前方後円墳を成している。琵琶湖が広く望め、
その規模は全長72メートルほどある。盗掘があり、その原型を推し量るのは厳しい。
副葬品としては、鏡一面、刀剣三点、甲冑一点、鉄斧二点などがある。

⑮小野神社古墳群
小野神社本殿の北脇にある。2基の古墳からなるが、小野神社の敷地整備に伴い、
その規模は不明。主体部は箱式石棺と思われる。以前には、石棺が他に5基あった
といわれるが、確認できない。

⑯道風神社古墳群
道風神社本殿のすぐ西側に古墳がある。2基の円墳があり、直径は20メートルほど、
であるが具体的な形は不明。

なお、志賀町史第1巻にも、同様の記述があり、それと合わせて確認するのもよい。

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