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2018.09.02

西近江路紀行18 数多い古社

西近江路紀行18 数多い古社

小野から北小松のそぞろ歩きの中でも度々登場したが、この地域比叡山などや古代からの続きで神社仏閣が多い。これ等だけを目当てに歩くのもまた楽しい。

歴史の中で比良明神が記されたのは、明確ではないが、「石山寺縁起」には登場し、奈良時代東大寺建立に尽力した良弁僧正の前に、老翁となって現われ、石山寺の地を譲り、如意輪観音を祀らせたと伝えられる。また、琵琶湖が七度も葦原に変じたのを見たほどの老齢で、仏教結界の地として釈迦尊に比叡の地を譲ったと言う説話もある。
旧くは湖西の山々を司る神が比良明神と言われている。

比良は修行のやまであり、「梁塵秘抄」には、
「聖の好むもの、松茸、平茸、滑薄なめすすき、さては池に宿る蓮のはい、根芹、ねぬなは、河骨、独活うど、蕨、土筆」
山中で修行する聖が好む食材が豊富にある場所が比良だった。様々な茸、せり、
ジュンサイ、独活、土筆など山の幸が豊富な聖地との想いがあったのであろう。
今でも郷土料理には、これらが食材として活かされてもいる。

琵琶湖街道物語などには、以下の様な記述もある。
「近江の神社の多くは奈良時代の天智朝、天武朝に創祀されたと伝えられる古社です。その中に、平安時代に朝廷が崇敬した神社があります。醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名式に、国家の祭祀にかかわる神社の一覧が揚げられています。式内社と称され、祈年祭にあたり幣棉を受ける大社と地方の行政機関である国司から受ける小社があり、そのうち名神大社とされる、特に国家の重大事に神祇官が斉行する名神祭に列する二八五座の大社がありました。
この式内社は全国で2861処3132座の神社が揚げられています。
近江国には、滋賀郡八座、栗太郡八座、甲賀郡八座、野洲郡九座、蒲生郡11座神崎郡二座、愛知郡三座、犬上郡七座、坂田郡五座、浅井郡14座、伊香郡46座高島郡34座計155座があります。、、、、、
近江の式内社のうち、琵琶湖西岸に位置する古代の滋賀郡には、七社八座が「延喜式」
に載せられています。
これらの式内社について、「神社録」は、次の通り記しています。
・那波加神社
・倭神社
・石坐神社
・神田神社
・小野神社二座
・日吉神社
・小椋神社
このうち、日吉社について言えば、名神大の一座は従4位上の大山咋神ではなく正1位の大己貴神とあるべきところです。
滋賀郡は、古市、真野、大友、錦部の四郷からなり、湖南の錦部は古代の大津京の置かれたところで、湖西の真野はその基盤となる地域です。式内社をはじめとする神社は、真野氏、小野臣や近江臣など湖西地域を本拠地とする古代豪族の創祀になるものが多く、比叡や比良の山麓と琵琶湖畔に鎮座しています。
滋賀郡の北部に位置する真野郷には式内社である神田神社があり、隣接してやはりこれも式内社である小野神社があります。両社は湖西を本拠地とした古代豪族の真野氏と小野氏が祭祀した神社です。祭神は、天足彦国押入命を同じくし、それぞれに米餅搗大使主命(たかねつきおおみ)と彦国葺命を祀っています。」

なお、小野神社は、古代氏族である小野一族の始祖を祀り、飛鳥時代の創建と伝わる。小野妹子・篁(たかむら 歌人)・道風(書家)・などを生んだ古代の名族小野氏の氏神である。推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建したと伝える。
境内に小野篁神社(本殿:重文)がある。また近くの飛地境内に道風神社(本殿:重文)がある。道風は、書道家として、当時は著名3人の1人に数えられた。埼玉の春日井も関係がある。平安時代には、小野氏同族の氏神として春秋に祭祀が行われており、平安京内に住む小野氏や一族がこの神社に参向していた。境内から石段で高くなった本殿前の空いたスペースに、この神社の祭神・米餅搗大使主命にちなんで、お餅が飾られている。
毎年10月20日には、全国から餅や菓子の製造業者が自慢の製品を持って神社に集まり「しとぎ祭」が行われる。米餅搗大使主命は応神天皇の頃、わが国で最初に餅をついた餅造りの始祖といわれ、現在ではお菓子の神様として信仰を集めている。
参道入口に「餅祖神 小野神社」と刻まれた道標がある。
これにちなんだ祭りが行われる。

多く点在する神社をまとめてみると、

比叡、比良山麓の真野川、小野川、和邇川の流域に広がる真野郡には、各村落に鎮守社が鎮座しています。それらの多くはかって荘園領主が地域の鎮守として勧請した神々であったが、近世以降は村落の鎮守として祭祀されて来た。
志賀町史は、比良山麓の荘園鎮守の社について「この地域が山門膝元であっただけに、山王上七社を構成する神祀の一つ十禅師権現を勧請したものが多く、本町地域の荘園においても例外ではない」としている。そして、「和邇荘には大字和邇中に天皇社、木戸荘では大字木戸に樹下神社、比良荘は大字北比良と南比良の村境に天満神社、樹下神社、小松荘には大字北小松に樹下神社がそれぞれ鎮座しているが、天皇社はかっての牛頭天王社、木戸、比良、小松の樹下神社は旧十禅師権現社である」
と記している。
近世までの各神社は、明治の神仏分離によって社号や神号の改変が行われた。
祇園社の牛頭天王と日吉社の十禅師および明神は、いずれも仏号であるとして
神号に改められた。

町内の神社はいずれも規模が小さく、本殿と鳥居、拝殿、御輿庫、などの付属建物で構成される。とくに、拝殿は三間もしくは二間の正方形平面で入母屋造り、桧皮葺(ひわだぶき)である。
なお、補足に「びわ湖街道物語」(西近江路の自然と歴史を歩く)を活用。
主な神社建築は、
①樹下神社(北小松)
十禅師社と天満社の二棟。
祭神は、鴨玉依姫命カモノタマヨリヒメノミコト
②八幡神社(南小松)
祭神は、応神天皇
③天満神社(北比良)
祭神は、菅原道真公
④天満神社お旅所(北比良)
⑤樹下神社(南比良)
⑥湯島神社(荒川)
祭神は、市杵島姫命イチキシマヒメノミコト
⑦樹下神社(木戸)
樹下、宇佐宮、地主の三棟がある。
祭神は、玉依姫命タマヨリヒメノミコト
十禅師権現社と称し、コノモトさんとも呼ばれていた。
また、木戸荘の荘園鎮守社として勧請され五か村の氏神となっており、
木戸、守山、大物、荒川、北船路村からなる木戸荘の惣氏神とされた。
⑧若宮神社(守山)
⑨八所神社(北船路)
⑩八所神社(南船路)
祭神は、八所大神、住吉大神
⑪水分神社(栗原)
祭神は、天水分身アメノミクマリノカミ
⑫住吉神社(北浜)
祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命
⑬大将軍神社(中浜)
祭神は、中浜神
⑭樹元神社(南浜)
祭神はククノチノカミ
⑮天皇神社(和邇中)
三宮神社殿、樹下神社本殿、若宮神社本殿もある。
祭神はスサノオノミコト。元は京都八坂神社の祗園牛頭天王を奉遷して
和邇牛頭天王社と称した。
近世では、五か村の氏神。
⑯小野神社(小野)

比良山麓の荘園鎮守となった社や祀堂は、この地域が山門膝元であっただけに
山王上七社を構成する神祇の一つ十禅師権現を勧請したものが多く、本町地域
荘園に老いても例外ではない。たとえば、和邇荘には和邇中に天皇神社、木戸荘では木戸に樹下神社、比良荘では北比良と南比良の村境に天満神社、樹下神社、小松荘には北小松に樹下神社がそれぞれ鎮座しているが、天皇神社はかっての和邇牛頭(ぐず)天皇社、木戸、比良、小松の樹下神社は旧十禅師権現社である。

近世、北比良村では「山の祭り」、木戸・和邇荘郷単位と来た船路村では
それぞれに「権現祭」という祭礼が行われていた。この権現とは延暦寺の
氏神である日吉大社行司権現と密接な関係を持つものと推定されるがいずれにせよ、荘園鎮守に始まる諸社の祭祀がやがて村民の守護を願った祭礼と化して言った事を物語っている。こうした状況の中で、惣村の宮座は、村の氏神ともいうべき鎮守社や村堂を基盤に様々な神事や祭礼を主導する祭祀組織となり、一方で村政の執行機関としての役割を担って行った。

宮座運営の場となったのは、主として各村落内の鎮守社や村堂であったが、
それらはかって荘園領主がその支配を貫徹するために地域の土俗信仰に習合
させる形で勧請した神祇に淵源を持つものが多い。しかし、中世後期にかけて、
荘園社会が次第に衰退し、新たなる地縁的結合が進められていくに伴い、
これらの鎮守社や村堂は、村落結合のよりどころとなり村民の精神的紐帯と
なっていった。

惣の集団的な意志が村民一般のものとして確認される場が村鎮守社などにおける宮座で、その点惣村と宮座は常に一体化して存在した。惣村の執行機関と言うべき宮座は、村人中の老衆、若衆といった年齢階梯制に基づく座的組織によって構成される事が多い。

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