« 西近江路紀行19 古墳の散策 | トップページ | 西近江路紀行21ダンダ坊遺跡を訪ねて »

2018.09.15

西近江路紀行20 栗原

西近江路紀行20栗原

西近江路和邇の地区を少し山側、途中峠と呼ばれる方に向かい、
天皇神社を通り過ぎると川のせせらぎに迎えられるように
栗原の集落がある。
水に育まれた、栗原水分神社と棚田の世界、ここも志賀の街だ。
艶やかに日に照る柿は、一つ一つの小枝にみのり、いくつかのそれに
漆のような影を宿していた。ある一枝には、その赤い粒が密集して、
それが花とちがって、夥しく空へ撒き散ったかの柿の実は、そのまま
堅固に張り付かくように端然とした静けさを保った空へ嵌め込まれていた。
野辺の草葉はその碧さを失い、大根畑やそれを囲むかのような竹藪の青さ
ばかりが目立った。大根畑のひしめく緑の葉は、日を透かした影を重ねていた。
やがて左側に沼を隔てる石垣の一連が始まったが、赤い実をつけた
葛がからまる垣の上から、小さな泉の澱みが見られた。
ここをすぎると、道はたちまち暗み、立ち並ぶ老杉のかげへ入った。
さしも広く照っていた日光も、下草の笹にこぼれるばかりで、
そのうちの一本秀でた笹だけが輝いていた。
少し前に食べた大根料理の味が口の中にほわりと拡がる。栗原の大根は
美味しいと評判だ。
集落の周りは村を守るように雑木林が幾重もの木漏れ日を小さな畑、
家の屋根、細くうねりのある道々に投げかけている、ここは雑木林の里だ。
また昔はクリの木が多く見られたそうだ。
栗原の名前もそこから来たのであろうか。

秋の冷気が体に寄せてきた。
身の丈ほどの石垣に色づいている数本の紅葉が、敢えて艶やかとは
言いかねるが、周りのややかすれた木々の黒ずんだ木肌と合わせ、
私にはひどく印象に残る朱色のように見えた。
紅葉のうしろのかぼそい松や杉は空をおおうに足らず、木の間に
なおひろやかな空の背光を受けた紅葉は、さしのべた枝の群れを
朝焼けの雲のようにたなびかせていた。
枝の下からふりあおぐ空は、黒ずんだ繊細なもみじ葉が、次か次へと
葉端を接して、あたかもレースを透かして仰ぐ空のようだった。
左へ折れて、小さなせせらぎを横目で見ながらゆっくりと登る。
幾段にも続く道がつづら折りのように上へ上へと延びていた。
川面には枯草がその縁を伝うように両脇を薄茶色で彩っている。
小さな堰堤がその流れを遮るように青草が縞模様に映える壁と
なっていた。そこから丘陵への道がひっそりと姿を現した。
その丘陵の端には、一本の蜜柑の木が寒々した空に身をゆだね、
立っている。春に来たときは、その枝枝に白い蕾をつけ周辺の
緑の若草に映えて天に伸びきっていた。
今は冬の寒さに耐えるため、厚い木肌に覆われたその気の横
に立つと、遠く琵琶湖の白く光る姿が見えた。何十にも続く
小さく区切られた田圃が琵琶湖に向かって駆け下りている。
すでに今年の役割を終えた水田は黒々とした地肌を見せ、中天
の光りの中で来る冬の寒さに備えるかのように身を固くしている。
あぜ道のそばにはこぶしを握ったような幹のクヌギの木が孤独
に耐えるように立ち並んでいる。稲木と呼ばれ刈った稲を干す
ためにも使ったのであろう。他の地域では榛の木(はんのき)が
よくあぜ道の横に行儀よく並んでいる風景を見る。
しかし、私の眼には一か月ほど前の金色に光る稲穂のさざめき
の光景が見えていた。

何十年、何百年とこの地で住いしてきた人々の変わらぬ世界でもあった。
丘を下り、幾重にも重なるように立ち並ぶ栗原の集落を抜けると、
その小高い場所に水分(みくまり)神社があった。古老の話では、
「御祭神は、天水分神アメノミクマリノカミという。
当社は康元元年の創祀と伝えられ、元八大龍王社と称して、和邇荘
全域の祈雨場であった。応永三十五年畑庄司藤原友章が栗原村を
領した際采地の内より若干の神地を寄進した。元禄五年社殿改造
の記録がある。尚和邇荘全体の祈雨場であったのが、後に
和邇荘を三つに分けて、三交代で祭典を行い、更に後世栗原村
のみの氏神となって現在に及んでいる。また当社には古くから
村座として十人衆があり、その下に一年神主が居て祭典、宮司が司る。
この為古神事が名称もそのままに残っている。その主なものは、
神事始祭(一月十日)日仰祭(三月六日)菖蒲祭(六月五日)
権現祭(七月二十日)八朔祭(九月一日)等があり、御田植え祭が
6月10日にある」という。
残念ながら私はそれらの祭事を見たことがない。
今も行われているかも定かでない。一度地域の人に確認しなければ
と思いながらもそのままだ。

広く長い参道の中間点あたりの勧請木に青竹を渡し勧請縄が
掛けられている。何本有るのかもわからない程多くの子縄が
垂れ下がりそれぞれに御幣とシキミの小枝がつけられている。
ちょっと不可思議な光景でもある。
しかし、雨乞い、田植え祭りなど水に育まれた集落である。
なお、栗原には道路を挟んだ対面にもう一つ棚田がある。
それは昔、何気なく竹藪の流れに身を任せるかのように分け入った
先に突然現れた。道を一気に駆け下り、さざめく小川のほとり
から上を見上げた時のあの風景は中々に忘れ難い。丘に張り付き
隠れるように幾重にも水路が走り、それが細長く仕切られた
水田に小さな水の流れを起こしていた。さらにその先には、
緑深く敷き詰めた比良の山端がその丘を懐に抱くように、迫っていた。
心が癒される一刻の鎮まりと絵画のごとき風景がそこにあった。
まさにかくれ里の風景が夏の暑さを忘れさせた。

« 西近江路紀行19 古墳の散策 | トップページ | 西近江路紀行21ダンダ坊遺跡を訪ねて »

人生」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/79186/67170404

この記事へのトラックバック一覧です: 西近江路紀行20 栗原:

« 西近江路紀行19 古墳の散策 | トップページ | 西近江路紀行21ダンダ坊遺跡を訪ねて »

最近のトラックバック

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ