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2018.12.06

秋と冬のせめぎ合い小雪の頃

小雪(11月22日から12月6日ごろ)

近くの小さな山は錦繍を迎えている。クヌギ、コナラの薄褐色
と混じり合いながら赤、黄色、薄紅、幾つもの秋の色が乱れ散り
京小紋の色使い、金糸黄糸土糸緑糸に紡がれた錦の織りにも
似た派手さを見せて、ついこの間まで我が物顔に占められていた
緑のこれも黄緑や、深緑、浅い緑の森に代わって、黄昏の中に
浮かんでいる。私は、この景観を薄雲の夕刻に見るのが好きだ。
晴れた日の光の強さはこの色合いを黒くはっきりとした縁に見せるため、
何か不細工な感じがした。そこへ行くと、薄雲から射しこむ光が
黄昏模様の淡い情景を後景に見せるのは、女性の美しさと細やかな
心根が包み込むようでいて、何とも風情がある。
さらに、秋の深まりはこんもりした小さな丘の上に1つだけ立っている
公孫樹に見る。数週間前に黄色い葉群れに被われていたその小さな
公孫樹はすでに葉を落とし、灰色の白い幹の枝たちが四方へと
伸びていた。それは、すべての衣服を剥ぎ取られ、恥ずかしさに
打ちひしがれている少女の様を黄色に敷き詰められた落ち葉の上に
見せていた。
秋はこうして終わっていくのか、そんな想いが心をかすめた。

久しぶりに刈田を歩いた。遠くに薄紫の煙がゆっくりとたなびき湖へと
流れていく。煙は休耕田の雑草を焼いているのか、細く長く立ち上り
薄紫から鼠色に薄まりながらやがて薄い霞となって湖に消えた。
この香ばしい香りを嗅ぐと秋の終わりを鼻、眼、耳、さらに枯れた
稲穂の穂先を触ることで感じられた。
幼いころは、この刈田を走り回り友達と遊んだものだった。最近は、
この野焼きを禁止しろと言う連中がいるという。洗濯物に煤がつくとか
環境に良くないなどと言うようだが、日本の香りはますます
消えて行くのだろうか。
田圃の中を直線的な黒い筋が先まで伸びていた。まだ残り火があるの
だろう。わずかに赤い舌のような焔が時折、黒く焦げた線列にチロリと
現れる。そのずっと先に紅葉の衣をまとった比良の山並みが青磁の
ような滑らかな空の下に立っていた。

我が家の金柑も黄色味を増している。今年は氷砂糖を交互に詰めた金柑
シロップを味わった。早めに枝を落としたこともあって、数はそれほど
多くない。昨年はジャムだった。毎年1月にかけて黄色い点描が深緑
に浮かぶ。少し前に役割を終えた紫式部の細い枝が余計に目立った。
久しぶりの比良おろしと時雨が里を秋から冬へと導いている。琵琶湖も
灰色が多く水墨画の趣の日々が続いた。晴れた日の情景もよいが、
この淡い薄墨の世界もまた老いたものの心根を現しているようで、
何故か楽しみな想いが強い。これも年のせいか。
山茶花と椿、区別して見た事もないため、そのピンクや赤を愛でるだけで
どちらでもよい。でも、花が首を斬られたようにボロリと落ちている姿は
好きではない。でも、いずれも周辺を歩くと目立つ季節になってきた。
また、これらの中には寒椿もあるのだろう。あまり深く考えずに
その色と姿形を味わう。
何かの本に(多分、吾輩は猫の一文かも?)、人間の悪い癖に何でもすぐに
分類し、分けたがると、吾輩が言う文があったような気がする。たしかに、
分類しようが花の本質は変わることはない、私もそうしたい。

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