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2019.01.20

2019.01.20

小寒を思う

小寒(1月5日から1月19日ころ)

小正月、地域の神社、今年の豊作祈願や悪魔祓い、吉凶占いなどが行われる。
どんど焼き、巫女による奉納の舞い、小さいながら100年以上も続く神事もある。
そんな祭事にたまたま出くわすと何か得をした気持ちになる。
人間はやはり感情の動物だ。
比良の山並みは白いカーテンにおおわれ、その姿を隠したままだ。白い絹帯
のつらなりは湖辺までつづきそのまま重く沈みこんだ湖面へと消え去っていく。
ヤナ漁の仕掛け棒が薄墨の平板な面から細く黒い影を無数に突き出している。
カモメが数羽、その針先のような上で首をすくめじっとこの寒さに耐えているようだ。
普段は死地のごとき褐色の雑木の群れ、ポツリポツリと点在する農具小屋や
家並みもまた、延々と続く白き世界の中でひっそりとたたずんでいるだけだ。
平板につづく白帯の連なり、その下に眠っている大地がたんぼなのか畑なのか
区別がつかない。小さな池と雑木林も雪に閉ざされ、晩秋に落ち葉を踏みしめ
猫たちと歩き回ったことがうそのようだ。雪を踏みしめて一歩一歩慎重に
進んでも足を取られてしまうほど、雪は深く、己の歩みを笑っているようでもある。
コナラの林、太い幹から伸びた枝枝は、雪の重さに耐えかねて苦しそうにうなだれている。
枯草に覆われていた数日前とは一変していた。
ここにも、雪が枯草や小さな雑草たちを隠し、消し去っていた。狐の足跡が一筋、
木々の間を縫うようにくっきりとその黒点を林の奥へと続かせている。
空も大地もすべてが白い。その静寂に一人立つ。生あるものがわれ一人の世界だ。
真っ白になった頭の中では、次第に時間がゆっくりと昔へと戻り始める。
春のその冷えた空気が残る中で、小さな花たちが芽吹き、白や黄色、赤などの
色の点描を見せはじめる頃、林のなかに小さな生命が湧きだす。夏の強い日差しに
ほっと息をつく
休息のひと時、秋の終わりころの陽だまりの暖かさを感じた。落ち葉の上を
かさかさと音を立ててかけ走るオオオサムシ。彼はいま朽木の中で、どのように
して眠っているのだろうか。紅葉したツタの葉で、重ね合わせた手のひらの上に、
あごを乗せて物思いにふけっていたアマガエルは、土くれの中に無事隠れる
ことができただろうか。小さな動物や虫たち、植物たちのことが、頭の中
を駆け巡る。雪の中で春を待つホソミオツネントンボを見たことがある。
脚で枝をしっかりつかんで体を固定し、体をピンと張って小枝に見せていた。
その力強さに思わず見とれた。
「冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身をかくしけり」
道元の詩とされる。冬の枯草も見えないほどに降り積もった白一色の雪野原にいる
白鷺は、おのれの姿の白さの中に身を隠しているのだ、というほどの
意味というが、この歌の題が「礼拝」とされている。
よくわからない。そんなことが浮かぶ世界でもある。
庭の白一色のなかに、白い六枚の花びらに黄色の花冠の艶やかな水仙の花が
凛とした風情で顔を出している。この水仙の黄色一点が白さのすべての存在を
示している。近くの生け垣は濃いピンクの花びらが周囲を押しのけるように
咲き誇っている。山茶花だ。椿と見分けるのは難しいが、落下した花びらを
見るとよく分かる。ぽとりとその音を見せるように花びらが塊となって、
首が落ちるがごとく、落ちているのは椿だ。山茶花は赤い絨毯を敷き詰めたように
地面を赤く覆っている。だから椿の花を見るのは好まない。
自分の首がすっと落ちていく、そんな様だから。
どんど焼き 橙色の火が滑らかに小竹や笹を伝い白い煙を巻き上げて行く。
松飾や門松も焼く。その火に顔を火照らして新しい年をあらためて感じる。
田の神、山の神、新年を祝いおりてきた神々もそろそろ守るべき自然に帰っていく、
白く龍を思わせるたなびきに今年の安寧を願う。
正月の慌ただしさも薄れ、5日から節分(立春の前日)までを
「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、この日を「寒の入り」とも言う。
更には、「芹乃栄」(せりすなわちさかう)「水泉動」(しみずあたたかをふくむ)
「雉始」(きじはじめてなく)とその風情も少しづつ変化していく。
例えば、芹乃栄(せりすなわちさかう)
一月の初め、セリが盛んに生育する頃であり、冷たい沢の水辺で育つセリは
春の七草のひとつとしても知られているし、一月七日に無病息災を願って
食べる「七草粥」にも入れられる。

我が家でも七草粥を食べる。今年は風邪でかなり調子を落としてる主人に
とって、絶好の御膳となった。そんなこともあり、少し七草粥の由来を
述べてみる。
春の七草といって、七草粥を食べる一月七日は「人日(じんじつ)の節句」
という五節句のひとつだそうだ。
五節句とは?
 1年に5回ある季節の節目の日(節日)のことで
 1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)
 7月7日(七夕)、9月9日(重陽)を指している。
古来日本には、雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」という風習があり、
唐の時代には、人日の日に七種類の野菜を入れた汁物、「七種菜羹
(ななしゅさいのかん)」を食べて、無病息災を祈った。さらに、平安時代
になると中国の風習や行事が、多く日本に伝わり、「若菜摘み」と「七種菜羹」
の風習が交わって「七草粥」が食べられるようになったという。
そして、江戸時代になると、幕府が「人日の日」を「人日の節句」として
五節句の1つと定め、これによって「一月七日に七草粥を食べる」という風習が、
民衆に広がり定着した、と言われてる。
七草粥の具材になる「春の七草」は春の七草とは、
芹(せり)=「競り勝つ」
 解熱効果や胃を丈夫にする効果、整腸作用、利尿作用、
 食欲増進、血圧降下作用など、様々な効果がある。
薺(なずな)=「撫でて汚れを除く」
 別名をぺんぺん草という。
 利尿作用や解毒作用、止血作用を持ち、
 胃腸障害やむくみにも効果があるとされている。
御形(ごぎょう)=「仏体」
母子草(ハハコグサ)のこと。痰や咳に効果があり、のどの痛みもやわらげてくれる。
繁縷(はこべら)=「反映がはびこる」
 はこべとも呼ばれ、昔から腹痛薬として用いられており、胃炎に効果がある。
 歯槽膿漏にも効果があるそうだ。
仏の座(ほとけのざ)=「仏の安座」
 一般的に、子鬼田平子(こおにたびらこ)を指し、胃を健康にし、食欲増進、歯痛にも効果がある。
菘(すずな)=「神を呼ぶ鈴」
 蕪(かぶ)のこと。 胃腸を整え、消化を促進し、しもやけやそばかすにも効果がある。
蘿蔔(すずしろ)=「汚れのない清白」
 大根のこと。風邪予防や美肌効果に優れている。

冬でも主人の眼を愛でてくれるこの二つの花があるというのも、さらに彼をして
堕落的な姿にさせているのだろう。
透き通ったガラス戸が庭のさむさを遮り切りのどかな部屋のぬくもりにうつつを
ぬかし、過ごす冬の日々である。
また、裸をさらしたような枯枝の木々が多い中、金柑の樹は冬になるとその存在感が
増して見える。
梅の木ほど目立たないが、我が家がここに移ってすぐに梅と金柑の機を植えた。
梅のピンクと金柑の黄色がなんとなく気に入ったからだ。
さして大きな理由はなかった。
まだ20年ほどであるから、いずれも老樹とは言えないが、梅の木はその姿形、
幹の斑の模様や木肌の濃い褐色は老樹の趣となっている。だが、金柑はその幹の
濃い緑、花の艶やかな映え具合から壮年の力強さを感じる。
金柑の木は、白く小さな花をつける。それらが、緑濃い葉群の中に白点となり、
その小さく可憐な姿を見せると、庭に落ち着きがただよう。
多くは、2回ほど実をつけるというが、我が家では、12月ぐらいから1月まで
につける実が多い。ピンポン玉を2回りほど小さくした黄色の映える実だ。
冬の彩の失せた中に黄色い玉がたわわに実る様は中々に見ごたえがある。
固く少し棘のある葉は、小さな白い花とその熟れた実をを守るかのような硬さと
頑固さがある。主人も実をとるとなるとちょっとした覚悟が必要であった。
ママがジャムや甘露煮をよく作っていた。風邪やのどにいいという。
甘露煮を美味しく作るコツはゆでこぼしての渋み抜きと種抜きだが、
ちと面倒でだんだん作る回数も減ってきた。

神棚の飾りも神社へ返し、何とはなく寂しい。鏡餅を切って、おしるこで
舌鼓、美味しかった。さらなる寒さに耐える日々を迎える。

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