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2019.01.12

西近江路紀行32 冬を行くその2

西近江路紀行32 冬を行くその2

22節気 冬至
冬至にもなると本格的な冬の装いとなる。比良の山並みの顔も絶えず変える。
大雪の末候となるころ、頂の白さが映え、ピンク色が雲を染め、薄雲と
太針の常緑樹の影が白地の山麓に浮かび上がってくる。数週間前の中腹の
緑と落葉樹の橙がまだ厚く色なし数色の緞通の趣はすでにない。数時間も
すると、頂の後ろから湧き上がってくる黒雲は急激に山肌を隠し単調な
薄黒い壁になる。
そしてこの街も初雪が山から下りてくる。3日ほどわた雪、粉雪、ぼたん雪、
が舞い散ってくる。東北では7色の雪があるというがここでは3色ほどか。
そしてわずか数センチの雪にも根をあげる。大晦日の朝から神社の多くは
注連縄や輪飾り、場所では門松などを飾り、祭神への感謝を、各家の年神
とともに、伝える。やはり氏神への感謝が大事と思うが、有名神社へ行く
ものが多いのは残念だ。
小野、和邇、栗原、木戸、守山、比良、小松等この地域は多くの神社があり、
その社叢の影を感じ、雪に足を踏みしめて参るのも、せめての地域への感謝
かもしれない。

今でも神社ごとに注連縄を編んで飾る処もあるが、世話人の高齢化などで
中々に難しくなっている。その形状も大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど
があるが、御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに
宿る印である。古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、
俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つ
の世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる。
だが、そうもいかないのが現実だ。

「暦便覧」では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明
している。日照時間が減り、夏至と反対に夜が最も長く昼が短い日。
冬至にかぼちゃを食べるのは 風邪を引かない、金運を祈願するという
ような意味があるそうだ。
・乃東生(なつかれくさしょうず)12月22日頃夏枯草が芽をだす頃。
夏至の「乃東枯」に対応し、うつぼ草を表しているという。
・麋角解(さわしかのつのおつる)12月27日頃
鹿の角が落ちる頃。「麋」は大鹿のことで、古い角を落として生え変わる。
・雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)1月1日頃
雪の下で麦が芽をだす頃。浮き上がった芽を踏む「麦踏み」は日本独特
の風習だ。
むかしは、元旦の日を浴びながら、黒く浮きだった土をしっかりと
踏み込んでいた年寄の姿が見えたものだ。
初茜(初日直前の茜空。夜の暗がりから白み、明るみ、茜に染まる
東雲しののめの空。
近くの農家の年寄がよく言っていた。
冬至によく食べたのが、冬至がゆとかぼちゃだった。冬至がゆは小豆を
入れたおかゆのことで、小豆の赤が太陽を意味する魔除けの色で、
冬至に食べて厄祓いをするそうだ。
かぼちゃは栄養豊富で長期保存がきくことから、冬の栄養補給になり、
冬至に食べたのだ。
また、冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめると
いわれているともいう。にんじん、だいこん、れんこん、うどん、
ぎんなん、きんかん......など、「ん」のつくものを運盛り といって
縁起をかついでいたこともあるようだ。最近はこのような話をあまり聞かない。
豊富な野菜や健康志向のレシピ、栄養剤、味覚ある冬料理、などこの
素朴な料理に注意を向けることは失われつつある。
だが、人がその風土に合わせ生きる力として数100年も培ってきた
知恵を忘れるべきではない、と彼は思いつつカボチャ料理を妻に頼んだ。

薄灰色のとばりが湖面まで垂れ下がり、灰色の水面を覆う形で琵琶湖がいた。
その上には、わずかに残る力を振り絞るが如き姿で朝日がわずかな形を
見せている。
既に比良山には、頂上を雪の切れ切れが白く大きく張り付き広がっている。
こちらも薄墨の背景に浮かぶ山水画の風情を見せている。
彼は坂をゆっくりと、その歩みを確認する仕草で下りて行く。肩に白い粉
がかかるがすぐに消えた。雪か、と思った。昨日よりもその寒さは一段
と厳しくなり、全ての動作がを油の切れた機械の様を見せている。
夏、秋と華麗な姿を見せていた家々の草花もすでに消え去ったり、
残り香を見せるものは、茶褐色と灰色の世界をなし、彼の気持を一段
と落ち込ませる。目はじに黒く深い緑に黄色の点描が見えた。
小さな赤子のこぶしほどの黄色い実が小ぶりの葉を押しのけるように
実っていた。柚子の木が一つ、彼の背丈を超す大きさにその直立した姿
を見せている。
数日前に柚子の風呂をした記憶がよみがえる。知り合いが大きな段ボール箱
に入れて持ってきたのだ。

むかしは、冬至の翌日から日が延びるため、この日は陰の極みとし、
翌日から再び陽にかえると考えられてきた。それを「一陽来復」といい、
この日を境に運が向くとされていた。厄払いするための禊(みそぎ)
として身を清めるということから柚子風呂は冬の代名詞のようなものだ。
冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないと
いう考えもあったのであろう。
身体の芯に迫り溶け込むような感触を今日も味わいたい、思わず体が
ほてるのを感じた。
茶色に広く広がる枯野のそば、ただぼーとして、動きのない雑木を
見つめる。こんなとき、真っ白になった頭の中では、次第に時間が
遡りはじめる。霧が少しづつ晴れてくるように雑木林のなかは、
小さな生命にあふれていたころの様子が蘇ってくる。
秋の終わりころの陽だまりがススキの柔らかい穂先の下で波打っていた。
まだわずかの緑を残した落ち葉の上をかさかさと音を立ててかけ走る
オオオサムシ。彼はいま黒ずんだ朽木の中で、どのようにして眠って
いるのだろうか。紅葉したツタの葉で、重ね合わせた手のひらの上に、
あごを乗せて物思いにふけっていたアマガエルは、土くれの中で春の
暖かさをまっているのだろう。
雪の中で春を待つホソミオツネントンボを見たことがある。脚で
枝をしっかりつかんで体を固定し、体をピンと張って小枝に見せていた。
その力強さに思わず見とれた。
実に他愛のないことが、頭の中を駆け巡る。生き物たちのことが無性
に恋しくなるのは、すべてが無に見える果てしない枯草の世界から少し
でも逃げ出そうとする意識がそうさせている。時間は逆に廻り、晩春
から初秋へ、そして夏の終わりから真夏へと記憶が引き戻されていく。

冬至は、1月4日ごろまでだから、正月も入る。
この時期、里も忙しい。この地域は、神社や寺が多い。地域の人々は、
それぞれの氏神に参り、掃き清めや注連縄の張り直しに勤しむ。注連縄
には地域独特の張り方もあるようで、中々に味わいもある。例えば、
栗原集落の最奥近くにこの水分神社は鎮座しているが、広く長い参道
の中間点あたりの勧請木に青竹を渡し勧請縄が掛けられている。
湖東で見慣れている縄とは少し造形が変わっていて、何本有るのかも
わからない程多くの子縄が垂れ下がりそれぞれに御幣とシキミの小枝がつけられている。
神社に多くあるのは、ごぼう締めと言われるごぼうのような
形をした注連縄だ。正月の注連縄は左へねじる「左綯い(ひだりない)」
で特別なものになっており、飾るときは太い方を向かって右にするという。
これは、神様から見たときに(人と逆)元の太い部分が神聖とされる左側
になるようにするためだ。
太い注連縄を輪にした玉飾りもある。前垂れ、ウラジロ(清廉潔白・長寿)、
紙垂(しで:神様の降臨を表す)、ユズリハ(子孫繁栄)、ダイダイ(家運隆盛)、
海老(長寿)、扇(末広がり)など、様々な縁起物をつけた注連飾りだ。

また、それほど大きくはなくとも鐘楼のあるお寺が地域には少なくない。
響き渡る鐘の音にあわせ、こんな思いも持った日々もあった。
白く輝く光りを浴びた湖面は三角錐の八幡山と皿を伏せた沖島の島影を
浮き立たせ、細かな波状のつらなりが丸く輝く月の下で揺れかかっている。
雲1つ無い闇天の空に神々しく輝く満月がその様をのぞき見ている。
山と空、水、沖舟にさす影、羽衣のひだと思わす波のはしり、それが
墨絵の趣で眼前にあった。

彼は、凍えそうな手に己が息を吐きかけ、闇に身を置いていた。
湖水は寂寞として何も言わず、橋を渡る赤いいくつもの筋のみが
消えてはまたその姿を現していた。さらには、湖に薄く舞い落ちる雪の
切片が月光に染められ、金粉をまいているように湖水の面に踊っていた。
湖面も月光に染められ金波がひろがる上に雪が休みなく降り続いている。
だが、月が雲にかき消されるとそこは暗闇と化し、何もない。
それは、静寂とある意味甘美の世界でもあった。
むかしの彼であれば、それは苦痛の世界であったろうが、今は違った。
そこに永遠にいたいとも思った。だが、そんな思いもはるか昔の感傷となった。

「雑煮」は、年神様の魂が宿った餅を食べるための料理で、食べることで
年神様からその年の生命力が与えられるとされていたと聞くが、それも
今は単なる元旦恒例の食事と化している。我が家の雑煮はすまし汁のもの
と白みそ仕立ての2つが食膳にならぶ。私が関東であり、妻が京都である
からだ。主人の権威の衰え(もっともはじめからそういうものはなかった
かもしれないが)を感じる1つの行事でもある。
妻は絶対に白みその雑煮と主張し、それに息子たちが合している。
すまし汁の雑煮は、私1人が寂しく食べるのみだ。
雑煮は地方色豊かなものだが、我が家の味は全国版だ。
大きく分けて関西風と関東風があり、関西風は白味噌仕立てで丸餅を
焼かないで煮るスタイル、丸餅なのは鏡餅を模しているからだといわれている。
関東風は醤油仕立てのすまし汁に角餅を焼いて入れるスタイル、武家社会では
「味噌をつける」はしくじるという意味なので、味噌は使わなかったそうだ。
丸める手間がない角餅で、焼いて膨らみ丸くなると解釈するという。
全国的にはすまし汁のお雑煮が多いというが、参勤交代で全国に江戸文化
が伝わったからだそうだ。
私向けの雑煮はいわゆる関東風で、醤油仕立てのすまし汁に、小松菜、
大根、人参、ねぎ、椎茸、鶏肉を入れるが、白みその雑煮にはあまり
具材は入れない。もっとも、少し前からは具材は私の雑煮と同じように
なってきたが。
この地域でも多いのは、白みそに丸餅の雑煮のようだ。
丸餅に親がしら(赤ズイキの親芋)を丸のまんま1つ入れるという。
親がしらには、「親が頭(かしら)になる」といういわれがあるからだそうだ。
むかしは、雑煮の餅を元旦は1個、2日目は2個、3日目は3個と、
日を追って増やして食べたという。
増やすことによって家の繁栄を願ったからだ。
また、お節料理は琵琶湖に近い地域と山側にある地域では、その具材
がだいぶ違っていたという。湖にちかいところでは、湖魚の料理が多く、
山側では、野菜料理が主であった。
ごまめ、黒豆煮、柿なます、椎茸煮、里芋煮、飾りニンジン、栗きんとん
などが陶器のお重箱に綺麗に咲き乱れている。

つづく

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