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2019.01.04

冬至 雪と新年

冬至(12月21日から1月4日ごろ)

冬至にもなると本格的な冬の装いとなる。比良の山並みの顔も絶えず変える。
大雪の末候となるころ、頂の白さが映え、ピンク色が雲を染め、薄雲と
太針の常緑樹の影が白地の山麓に浮かび上がってくる。数週間前の中腹の
緑と落葉樹の橙がまだ厚く色なし数色の緞通の趣はすでにない。数時間も
すると、頂の後ろから湧き上がってくる黒雲は急激に山肌を隠し単調な
薄黒い壁になる。
そしてこの街も初雪が山から下りてくる。3日ほどわた雪、粉雪、ぼたん雪、
が舞い散ってくる。東北では7色の雪があるというがここでは3色ほどか。
そしてわずか数センチの雪にも根をあげる。大晦日の朝から神社の多くは
注連縄や輪飾り、場所では門松などを飾り、祭神への感謝を、各家の年神
とともに、伝える。やはり氏神への感謝が大事と思うが、有名神社へ行く
ものが多いのは残念だ。
小野、和邇、栗原、木戸、守山、比良、小松等この地域は多くの神社があり、
その社叢の影を感じ、雪に足を踏みしめて参るのも、せめての地域への感謝
かもしれない。

今でも神社ごとに注連縄を編んで飾る処もあるが、世話人の高齢化などで
中々に難しくなっている。その形状も大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど
があるが、御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに
宿る印である。古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、
俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つ
の世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる。
だが、そうもいかないのが現実だ。
注連縄には地域独特の張り方もあるようで、中々に味わいもある。
例えば、栗原集落の最奥近くにこの水分神社は鎮座しているが、広く
長い参道の中間点あたりの勧請木に青竹を渡し勧請縄が掛けられている。
湖東で見慣れている縄とは少し造形が変わっていて、何本有るのかも
分からない程多くの子縄が垂れ下がりそれぞれに御幣とシキミの小枝
がつけられている。
神社に多くあるのは、ごぼう締めと言われるごぼうのような形をした
注連縄だ。正月の注連縄は左へねじる「左綯い(ひだりない)」で特別な
ものになっており、飾るときは太い方を向かって右にするという。
これは、神様から見たときに(人と逆)元の太い部分が神聖とされる
左側になるようにするためだ。
太い注連縄を輪にした玉飾りもある。前垂れ、ウラジロ(清廉潔白・長寿)、
紙垂(しで:神様の降臨を表す)、ユズリハ(子孫繁栄)、ダイダイ(家運隆盛)、
海老(長寿)、扇(末広がり)など、様々な縁起物をつけた注連飾りだ。
また、それほど大きくはなくとも鐘楼のあるお寺が地域には少なくない。
大晦日の夜、微妙にズレた108回の鐘の音が湖にも低く漂う。

冬至によく食べたのが、冬至がゆとかぼちゃだった。冬至がゆは小豆を入れた
おかゆのことで、小豆の赤が太陽を意味する魔除けの色で、冬至に食べて
厄祓いをするそうだ。かぼちゃは栄養豊富で長期保存がきくことから、
冬の栄養補給になり、冬至に食べたのだ。
また、冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれている
ともいう。にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん......など、
「ん」のつくものを運盛り といって縁起をかついでいたこともあるようだ。

白く輝く光りを浴びた湖面は三角錐の八幡山と皿を伏せた沖島の島影を
浮き立たせ、細かな波状のつらなりが丸く輝く月の下で揺れかかっている。
雲1つ無い闇天の空に神々しく輝く満月がその様をのぞき見ている。
山と空、水、沖舟にさす影、羽衣のひだと思わす波のはしり、それが墨絵の
趣で眼前にあった。
彼は、凍えそうな手に己が息を吐きかけ、闇に身を置いていた。
湖水は寂寞として何も言わず、橋を渡る赤いいくつもの筋のみが消えては
またその姿を現していた。さらには、湖に薄く舞い落ちる雪の切片が月光に
染められ、金粉をまいているように湖水の面に踊っていた。
湖面も月光に染められ金波がひろがる上に雪が休みなく降り続いている。
だが、月が雲にかき消されるとそこは暗闇と化し、何もない。
それは、静寂とある意味甘美の世界でもあった。
むかしの彼であれば、それは苦痛の世界であったろうが、今は違った。
そこに永遠にいたいとも思った。だが、そんな思いもはるか昔の感傷となった。

「雑煮」は、年神様の魂が宿った餅を食べるための料理で、食べることで
年神様からその年の生命力が与えられるとされていたと聞くが、それも
今は単なる元旦恒例の食事と化している。我が家の雑煮はすまし汁のもの
と白みそ仕立ての2つが食膳にならぶ。私が関東であり、妻が京都で
あるからだ。主人の権威の衰え(もっともはじめからそういうものは
なかったかもしれないが)を感じる1つの行事でもある。
妻は絶対に白みその雑煮と主張し、それに息子たちが合している。
すまし汁の雑煮は、私1人が寂しく食べるのみだ。
雑煮は地方色豊かなものだが、我が家の味は全国版だ。
大きく分けて関西風と関東風があり、関西風は白味噌仕立てで丸餅を
焼かないで煮るスタイル、丸餅なのは鏡餅を模しているからだといわれている。
関東風は醤油仕立てのすまし汁に角餅を焼いて入れるスタイル、武家社会では
「味噌をつける」はしくじるという意味なので、味噌は使わなかったそうだ。
丸める手間がない角餅で、焼いて膨らみ丸くなると解釈するという。
全国的にはすまし汁のお雑煮が多いというが、参勤交代で全国に江戸文化が
伝わったからだそうだ。
私向けの雑煮はいわゆる関東風で、醤油仕立てのすまし汁に、小松菜、大根、
人参、ねぎ、椎茸、鶏肉を入れるが、白みその雑煮にはあまり具材は入れない。
もっとも、少し前からは具材は私の雑煮と同じようになってきたが。
この地域でも多いのは、白みそに丸餅の雑煮のようだ。
丸餅に親がしら(赤ズイキの親芋)を丸のまんま1つ入れるという。
親がしらには、「親が頭(かしら)になる」といういわれがあるからだそうだ。
むかしは、雑煮の餅を元旦は1個、2日目は2個、3日目は3個と、
日を追って増やして食べたという。
増やすことによって家の繁栄を願ったからだ。
また、お節料理は琵琶湖に近い地域と山側にある地域では、その具材が
だいぶ違っていたという。湖にちかいところでは、湖魚の料理が多く、
山側では、野菜料理が主であった。ごまめ、黒豆煮、柿なます、椎茸煮、
里芋煮、飾りニンジン、栗きんとんなどが陶器のお重箱に綺麗に咲き乱れている。
冬至は雪と正月、それだけかもしれない。

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