« 冬至 雪と新年 | トップページ | 西近江路紀行32 冬を行くその2 »

2019.01.05

西近江路紀行32 冬を行くその1

西近江路紀行32 冬を行くその1

大雪、冬至にもなると本格的な冬の装いとなる。比良の山並み
の顔も絶えず変える。大雪の末候となるころ、頂の白さが映え、
ピンク色が雲を染め、薄雲と太針の常緑樹の影が白地の山麓に
浮かび上がってくる。数週間前の中腹の緑と落葉樹の橙がまだ
厚く色なし数色の緞通の趣はすでにない。数時間もすると、
頂の後ろから湧き上がってくる黒雲は急激に山肌を隠し単調な
薄黒い壁になる。時には、薄い雲の群れを背景に虹が山麓から
放たれて湖へとその7色を見せて懸け橋を作ることもある。
また、比良の山並みにかかる小雨が里を覆うが、湖の南は光に
充ち、中天の陽はその半分を照らす。雲と雨と太陽、見る限り
の世界にそれらが共存する。時に風が主役ともなる。比良の山並み
の頭を隠すような黒雲が瞬く間に現れ、雲が足早に里に駆け下りる。
強い風がわずかに木々と共にしていた黄色に錆色の葉たちを
打ち払い、里の木々の多くは南へとそのこうべを傾げる。琵琶湖
と比良の山並みのモノトーンの世界は、静かに時を過ごすには
格好の場所でもある。白く輝く山々がその白きすそ野を湖まで
指し伸ばし、満ちた月に黒く輝き拡がる湖面に溶け込んでいく。
対岸の沖島や長命寺山の起伏もまた同様に白く映える雪の平板な面
を月明かりに冴えわたる金色のさざ波に呑み込まれる。
冬の満月は、穿ち煌めく星たちとともに透き通る暗闇に瓔珞品の
世界を見せる。闇の絶景、数百本の松の並木からのぞくのもよし、
薄白く伸びわたる砂浜に影を作りつつ見るのも、この時期の楽しみだ。

北風
比良の山の冬の息ぶき、北風だ
頂きに膨らみ冬の力を漲らせている
その吹きは常緑や数えるほどの錆色の葉を抱き込み駆け下りていく
コナラ、クヌギ、ナラガシワ、一斉にこうべを垂れてやり過ごす
秋の雲が冬の雲になる。重く沈んだ黒雲が湖を睨む
里の子の頬は赤く燃え、なぜわたる風に身を震わす
湖は舟に牙をむき、漁師たちを岸に留まさせる
舞い散る雪がすべての光景を包み込み、やがて白銀の里となる
白砂の輝きは湖をモノトーンの景色に変え、死をも暗示する

歌川広重の傑作とされる保永堂版比良暮雪は、この比良の荒々しさ
がよく表現されており、他のとは一味違い、冬景色と比良の力強さ
を上手く調和させている。雪に埋もれた小さな村を呑み込むほど
の猛々しさで迫る比良の山並み、都では北の鬼門として恐れられた
霊山でもある。右下の青く描かれた琵琶湖畔と対比され一層の
激しさが感じられる。
紀行文の作者たちの多くは、不思議とこの地の冬の情景を愛するようだ。
司馬遼太郎の「街道をゆく」でも堅田からの志賀を抜けて行く時
の冬の情景を北小松の描写とともにある種の感慨を含めて記述
している。又、井上靖の「比良のしゃくなげ」や瀬戸内晴美の
{比叡}も冬景色の描写が素晴らしい。琵琶湖と比良の山並みの
モノトーンが彼らの心根のどこかを触発するのかもしれない。
小雪から大寒までの情景を見て欲しい。

小雪(しょうせつ)は、二十四節気の第20の季節。11月22日
ごろとなり、この地域では寒さを感じるこのごろである。
木々を彩っていた葉が雨に濡れて落ちる頃となり、山間部では
その雨が雪に変わり始める秋から冬への移り目の時期でもある。
この日から、次の節気の大雪前日までであり、わずかながら雪が
降り始めるころともなり、比良の山並にも白いものが見え始める。
「暦便覧」では「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」
と説明している。この頃から初春までに育った椎茸は冬茹(どんこ)と
呼ばれる。寒い空気にさらされて育つため、肉厚で身が締まり、
味が濃厚となる。我が家の下の街では、そろそろ郷の料理としても、
冬の味わいに入る。
ビワマスのご飯、いさざのじゅんじゅん鍋、氷魚のおすましや釜揚げなど
白菜や大根も加え、冬の味覚が本格的になる。
七十二候にもあるが、
・虹蔵不見(にじかくれてみえず)11月22日頃
陽の光も弱まり、虹を見かけなくなる頃。「蔵」には潜むという意味がある。
・朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)11月27日頃
北風が木の葉を吹き払う頃。「朔風」は北の風という意味で、木枯らしをさす。
・橘始黄(たちばなはじめてきばむ)12月2日頃
橘の実が黄色く色づき始める頃。常緑樹の橘は、永遠の象徴とされている。
コナラ、クヌギなどの落葉樹も橙や黄色の色づきを比良の中腹を賑わせる。
このころ、比良の中腹には虹が多くかかる。薄雲を後景にして
直線的に天へと七つの色を伸ばし、時には比良の山と琵琶湖をつなぐ
七色の架け橋ともなる。地上のいろどりが消えかかるものの、
天上には新たな色が登場する。

11月初めには「山茶始開」とあるが、山茶花はこの頃から家々に
垣根や通り道に咲く。幾株かの山茶花だが、冬だというのに揃って
花ざかり、小さい庭を明るくしている。椿も好きで、白玉椿、
光悦椿、からはじめて黒椿まで持っているが、椿の花は霜に弱く、
純白のものなど一夜で、なさけない姿になる。
一々霜よけしてやるわけにもいかない。山茶花はそれに比べると強く、
散りつくしてもう終わったと思っていると、また、小さい蕾を
持って沢山に咲く。その可憐な姿がなんともいえない。白い花に
紅を少し差したようなのは、昭和はじめの日本娘のようにつつましく
感じられて私は好きである。現代の若い女性を感じさせる山茶花はない。
人間のほうが花よりあくどく装飾過剰である。
家から通りにである露地の一軒に、このはなが咲くのを美しいと
年々に思って眺めている。白一色の八重のものも、冬の厳しさに
つりあって見事である。近くの大きな家の庭にこの木の花の咲いた
ときに見に行くと、白川砂を敷いた地面にこの花びらが一面に
散っている。黙って静かに白い花びらが宙を軽くこぼれてくる様は、
この季節でも温かくほっこりする。

21節気 大雪
大雪(たいせつ)は、二十四節気で12月7日ごろ。期間としての
意味もあり、この日から、次の節気の冬至前日までである。雪が
激しく降り始めるころであり、「暦便覧」では「雪いよいよ降り
重ねる折からなれば也」と説明している。
山だけでなく平野にも降雪のある季節。寒さが日増しに厳しくなってゆく。
・閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)12月7日頃
空が閉ざされ真冬となる。空をふさぐかのように重苦しい空が
真冬の空。琵琶湖の水もその重苦しさを増す。
・熊蟄穴(くまあなにこもる)12月12日頃
熊が穴に入って冬ごもりする頃。何も食べずに過ごすため、秋に
食いだめをする。
・さけ魚群(さけのうおむらがる)12月17日頃
鮭が群がって川を上る頃。川で生まれた鮭は、海を回遊し故郷の
川へ帰り来る。鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、
我が家の南天の実が赤く色付きはじめる。

比良山も頂の白き斑が大きな白布となり、その稜線をくっきりと見せる。
右には、遠く微かに鈴鹿の山並がどこか頼りなげに薄く延びている。
眼を左へと緩やかに転じていく。三上山の形のよい山姿が静かな
湖面の先に浮かび上がる。その横には八幡山と沖島が深い緑の衣に
包まれるように横たわっている。更にその横奥には、御嶽山を
初めとする木曾の山並が薄く横長に伏せており、その前にはその
削られた山肌が痛々しい伊吹の山が悄然と立っている。全てが
琵琶湖の蒼さを照らし出すように薄明るさの中にあった。
だが、一転空に眼を向ければ、冬にしか見られない素晴らしい
舞台があった。遥か上には、櫛を梳いたような雲が幾筋もその
軽やかな形を見せている。その下には、繭がその固い形をほぐす
ような雲がふわりと浮き伊吹の上からゆっくりと比良の山に
向って流れ来る。
さらに、しっかりとした二本の飛行機雲を切り取る様に、その下
をやや黒味のある雲がこれも比良に向かい素早い流れで和邇に
向うように流れ来るのであった。ここから見える空は平板として
その奥深さを知る事は出来ない。しかし、いくつもの雲の流れ
がその空の深さを示すようにお互いを遮ることなく流れすぎていく。
久しぶりに見る、感じる空の景観であった。

この季節、よく虹が出る。比良山の端から一直線に天に昇るが如く
7つの色がくっきりとした輪郭を保ちながら、やがて大きな弧を描き
琵琶湖の水に消えていく。ときには、半円の虹が和邇の港あたりから
和邇川の流れに合わすかのように冬枯れした田畑の上を7つの彩色を
施した薄い絹布となり、黒く立ちすくむ松林の中に消えて行く。
しかし、その落ちる先に行っても、虹は姿を隠すか如くそこにはいない。
川端康成の小説に「虹いくたび」と言うのがあるが、主人公の3人姉妹
の生への美しさとはかなさを虹に重ねて書いたものであり、
「生まれて、生きて死ぬ
 生まれて、生きて死ぬ
 いくたびの繰り返し
 人も虫も花も 虹も
 この世に生まれ出るものはすべて
 生きねばならぬ 死なねばならぬ
 理屈ではなく
 そう決まっているのだから
 いくたびのつまづきは
 いくたびの希望だから
 やがてくる死のために
 生きねばならぬ 輝いて
 生きねばならぬ」
琵琶湖で「彦根をすぎて米原のあいだ」見た琵琶湖の虹が良く出てくる。
更には、八日市から愛知川に向う近江鉄道に乗ると川端が感じていた
であろう故郷の気配があったのではないだろうか。一瞬の優美さと
儚さを感じるのが虹なのかもしれない。

さらにこのころになると、風向きが北西となり、比良の山並みに
対して垂直にぶつかるような季節風になってしまう。そのため、強力な
寒気団が居座ると、大量の雪を吐き続ける怪物と化す。
だが、山ろくで猛威をふるった風は琵琶湖に行きつくまでには、
湿気をだしきり、軽く透明な空気となって、何もなかったような
穏やかさを取り戻す。
もっとも、比良おろしと言って、冬から春先までは猛烈な風が麓を
駆け抜ける。
また、司馬遼太郎がその第1巻でも感じ入っているようだが、湖西
を車で行くと、志賀にさしかかったあたりから景色が雪国の様相に
急変することに驚かされるだろう。
天候は時間を追って変わり、大津市内では何事もないような天候
がこのあたりでは、雪や氷雨と太陽が絶え間なく入れ替わりつづける。

最近、我が家の周りでもストーブで冬を過ごす家が多くなった。
街を歩けば、点々と少し灰色がかった煙が直立した煙突から吐き
出されている。まだ残る「煤の文化」への回帰なのだろうか、
もっとも最近は昔を懐かしむというより、環境保全という名目も
多く聞かれる。しかし、人々は炎に魅了され続けてきたという
原初的な想いも強いようだ。常に、不思議な色合いを発し、姿を
変え、時に激しくめらめらと、時にゆらゆらたおやかに燃えるさまに、
人々は安らぎを覚えてきた。炎の揺らめきは五感に訴えかける何か、
それは遠い昔に人々が持っていた本能に引き込まれているのかもしれない。
この地域は昭和30年代まで割り木を木材燃料として湖辺周辺
に供給していた。割り木には、クヌギ、コナラ(ホソ)、ナラガシワ
(ギンボソ)、が良いとされ、火付きが良く長く燃えるからだそうだ。
これらを上木じょうぎと言い、桜、ハンノキ、栗などの軽い木
は雑木というそうだ。
燃料としての木々にも歴史はあった。

火を使い始めた、その時から日本人は煤とともに暮らしてきた。
この煤の国では毎年暮れ、降り積もった家中の煤を払い清めた。
これが煤払いである。一家総出の行事のはずだが、主だけはお役を
免れることがあったという。これを「煤逃げ」。「逃げ」であるから、
どこかへ姿をくらますのである。
戦後、電化が進むにつれて煤は人の前から姿を消し始めた。そして、
「煤逃げ」の季節でもあるこの時期も寒さだけが心に染み込むだけ
のことになった。
こんな和歌がよくあう季節でもある。 
・吹き迷う雲をさまりし夕なぎに 比良の高ねの雪を見るかな   為美
・夕づく日比良の高ねを眺むれば くるるともなき雪の白妙    元恒

« 冬至 雪と新年 | トップページ | 西近江路紀行32 冬を行くその2 »

人生」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 西近江路紀行32 冬を行くその1:

« 冬至 雪と新年 | トップページ | 西近江路紀行32 冬を行くその2 »

最近のトラックバック

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ