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2019.01.18

西近江路紀行32冬を行くその3

23節気 小寒
正月の慌ただしさも薄れ、いわゆる小寒の季節、一月五日ごろ
からとなる。暦の上で寒さが最も厳しくなる時期の前半であり、
「暦便覧」では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、
益々冷える也」と説明している。
この日から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」
と言い、この日を「寒の入り」とも言う。更には、「芹乃栄」
(せりすなわちさかう)「水泉動」(しみずあたたかをふくむ)
「雉始」(きじはじめてなく)とその風情も少しづつ変化していく。
例えば、芹乃栄(せりすなわちさかう)一月の初め、セリが
盛んに生育する頃であり、冷たい沢の水辺で育つセリは
春の七草のひとつとしても知られているし、一月七日に無病息災
を願って食べる「七草粥」にも入れられる。

我が家でも七草粥を食べる。今年は風邪でかなり調子を落としてる
主人にとって、絶好の御膳となった。そんなこともあり、少し七草粥
の由来を述べてみる。
春の七草といって、七草粥を食べる一月七日は「人日(じんじつ)
の節句」という五節句のひとつだそうだ。
五節句とは?
 1年に5回ある季節の節目の日(節日)のことで
 1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)
 7月7日(七夕)、9月9日(重陽)を指している。
古来日本には、雪の間から芽を出した若菜を摘む「若菜摘み」
という風習があり、唐の時代には、人日の日に七種類の野菜を
入れた汁物、「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」を食べて、
無病息災を祈った。さらに、平安時代になると中国の風習や行事が、
多く日本に伝わり、「若菜摘み」と「七種菜羹」の風習が交わって
「七草粥」が食べられるようになったという。
そして、江戸時代になると、幕府が「人日の日」を「人日の節句」
として五節句の1つと定め、これによって「一月七日に七草粥を
食べる」という風習が、民衆に広がり定着した、と言われてる。

七草粥の具材になる「春の七草」は春の七草とは、
芹(せり)=「競り勝つ」
 解熱効果や胃を丈夫にする効果、整腸作用、利尿作用、
 食欲増進、血圧降下作用など、様々な効果がある。
薺(なずな)=「撫でて汚れを除く」
 別名をぺんぺん草という。
 利尿作用や解毒作用、止血作用を持ち、
 胃腸障害やむくみにも効果があるとされている。
御形(ごぎょう)=「仏体」
 母子草(ハハコグサ)のこと。痰や咳に効果があり、のどの痛み
もやわらげてくれる。
繁縷(はこべら)=「反映がはびこる」
 はこべとも呼ばれ、昔から腹痛薬として用いられており、胃炎に効果がある。
 歯槽膿漏にも効果があるそうだ。
仏の座(ほとけのざ)=「仏の安座」
 一般的に、子鬼田平子(こおにたびらこ)を指し、胃を健康にし、
食欲増進、歯痛にも効果がある。
菘(すずな)=「神を呼ぶ鈴」
 蕪(かぶ)のこと。 胃腸を整え、消化を促進し、しもやけや
そばかすにも効果がある。
蘿蔔(すずしろ)=「汚れのない清白」
 大根のこと。風邪予防や美肌効果に優れている。

お陰で、主人の風邪もだいぶ良くなった。
この地域でも場所によっては、七草全部を入れずに粥にするところも
あるそうだ。
雪が深くなるところは食材を得るのが難しいからだろう。
我が家も家人も猫たちも皆、大きなガラス戸をから外を見ること
が多くなる。冬は春ほどの華やかさがなくなるが、それでも、
クロッカスと水仙はお気に入りである。特に、今、庭先に見える
クロッカスには、少女のあどけなさと雪の中でも凛然と咲く強さを感じ、
彼が好きな花である。紫の手毬のような中に白い線が数本見える。
五、六ほどの花が雪の白さの中から抜け出したようにこちらに顔を
向けている。更に、眼を少し先に転じれば、道路向こうの庭には、
白と黄色の配色のある水仙が可憐に咲いている。毎年他の草花が枯れる
頃になると、芽を出してこの時期に花が咲き始める。細身の身体がなよと緩やかな
婉曲を見せ、白や黄色の花弁をみるに、北斎の描く美人画にも思えてくる。
冬でも主人の眼を愛でてくれるこの二つの花があるというのも、さらに彼
をして堕落的な姿にさせているのだろう。
透き通ったガラス戸が庭のさむさを遮り切りのどかな部屋のぬくもりに
うつつをぬかし、過ごす冬の日々である。
また、裸をさらしたような枯枝の木々が多い中、金柑の樹は冬になると
その存在感が増して見える。

梅の木ほど目立たないが、我が家がここに移ってすぐに梅と金柑の機を植えた。
梅のピンクと金柑の黄色がなんとなく気に入ったからだ。
さして大きな理由はなかった。
まだ17年ほどであるから、いずれも老樹とは言えないが、梅の木はその姿形、
幹の斑の模様や木肌の濃い褐色は老樹の趣となっている。だが、金柑はその
幹の濃い緑、花の艶やかな映え具合から壮年の力強さを感じる。
金柑の木は、白く小さな花をつける。それらが、緑濃い葉群の中に白点となり、
その小さく可憐な姿を見せると、庭に落ち着きがただよう。
多くは、2回ほど実をつけるというが、我が家では、12月ぐらいから
1月までにつける実が多い。ピンポン玉を2回りほど小さくした黄色
の映える実だ。冬の彩の失せた中に黄色い玉がたわわに実る様は
中々に見ごたえがある。
固く少し棘のある葉は、小さな白い花とその熟れた実をを守るか
のような硬さと頑固さがある。主人も実をとるとなるとちょっとした
覚悟が必要であった。
ママがジャムや甘露煮をよく作っていた。風邪やのどにいいという。
甘露煮を美味しく作るコツはゆでこぼしての渋み抜きと種抜きだが、
ちと面倒でだんだん作る回数も減ってきた。
以前、ママの友達が湖東の老舗和菓子のきんかん大福をもらった。
甘さ控えめの白あんと甘露煮した金柑の程よい苦味・酸味がマッチした
不思議なおいしさであった。もち米は地元でとれた最高級の羽二重糯
(はぶたえ)で、柔らかくなりすぎないように工夫しているのが美味しさ
の秘訣と聞いた。梅は実が意外とつかないので、春の心の癒しだが、
金柑は冬の身体の癒しだ。今日もまた痛めた喉に金柑のジャムがゆっくり
と流れ落ちていく。

久しぶりの白い季節だ。
比良の山並みは白いカーテンにおおわれ、その姿を隠したままだ。
庭の白一色のなかに、白い六枚の花びらに黄色の花冠の艶やかな水仙の花
が凛とした風情で顔を出している。
この水仙の黄色一点が白さのすべての存在を示している。
白帯のつらなりは湖辺までつづきそのまま重く沈みこんだ湖面へと
消え去っていく。
ヤナ漁の仕掛け棒が薄墨の平板な面から細く黒い影を無数に突き出している。
カモメが数羽、その針先のような上で首をすくめじっとこの寒さに耐えているようだ。
普段は死地のごとき褐色の雑木の群れ、ポツリポツリと点在する農具小屋
や家並みもまた、延々と続く白き世界の中でひっそりとたたずんでいるだけだ。
平板につづく白帯のるらなり、その下の大地がたんぼなのか畑なのか区別
がつかない。
ため池あとの雑木林も雪に閉ざされ、晩秋に落ち葉を踏みしめ猫たちと
歩き回ったことがうそのようだ。

雪を踏みしめて一歩一歩慎重に進んでも足を取られてしまうほど、雪は深く、
己の歩みを笑っているようでもある。クスノキの林、太い幹から伸びた枝枝は、
雪の重さに耐えかねて苦しそうにうなだれている。枯草に覆われていた
数日前とは一変していた。ここにも、雪が枯草や小さな雑草たちを隠し、
消し去っていた。狐の足跡が一筋、木々の間を縫うようにくっきりとその
黒点を林の奥へと続かせている。
空も大地もすべてが白い。その静寂に一人立つ。生あるものがわれ一人の
世界だ。真っ白になった頭の中では、次第に時間がゆっくりと昔へと
戻り始める。
春のその冷えた空気が残る中で、小さな花たちが芽吹き、白や黄色、
赤などの色の点描を見せはじめる頃、林のなかに小さな生命が湧きだす。
夏の強い日差しにほっと息をつく休息のひと時、秋の終わりころの
陽だまりの暖かさを感じた。落ち葉の上をかさかさと音を立ててかけ
走るオオオサムシ。彼はいま朽木の中で、どのようにして眠っている
のだろうか。紅葉したツタの葉で、重ね合わせた手のひらの上に、
あごを乗せて物思いにふけっていたアマガエルは、土くれの中に
無事隠れることができただろうか。小さな動物や虫たち、植物たちの
ことが、頭の中を駆け巡る。
雪の中で春を待つホソミオツネントンボを見たことがある。脚で枝
をしっかりつかんで体を固定し、体をピンと張って小枝に見せていた。
その力強さに思わず見とれた。
「冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身をかくしけり」
道元の和歌とされる。冬の枯草も見えないほどに降り積もった白一色
の雪野原にいる白鷺は、おのれの姿の白さの中に身を隠しているのだ、
というほどの意味というが、この歌の題が「礼拝」とされている。
よくわからない。そんなことが浮かぶ世界でもある。

24節気  大寒
大寒、そろそろ節気という流れも最後となり、春の兆し。
しかし、昨日からまた雪が降り出し、比良の山も湖も灰色と白く舞う雪の
花にひっそりと見え隠れする。
彼にとって、この季節、二つの情景がいつもその心によみがえってくる。
白く輝く光りを浴びた湖面は三角錐の八幡山と皿を伏せた沖島の島影を
浮き立たせ、細かな波状のつらなりが丸く輝く月の下で揺れかかっている。
雲一つ無い闇天の空に神々しく輝く満月がその様をのぞき見ている。
山と空、水、沖舟にさす影、羽衣のひだと思わす波のはしり、それが
墨絵の 趣で眼前にあった。 彼は、凍えそうな手に己が息を吐きかけ、
闇に身を置いていた。 湖水は寂寞として何も言わず、橋を渡る赤い
いくつもの筋のみが消えては またその姿を現していた。
さらには、湖に薄く舞い落ちる雪の切片が月光に染められ、金粉を
まいている ように湖水の面に踊っていた。湖面も月光に染められ金波
がひろがる上に 雪が休みなく降り続いている。
だが、月が雲にかき消されるとそこは暗闇と化し、何もない。
それは、静寂とある意味甘美の世界でもあった。
むかしの彼であれば、それは苦痛の世界であったろうが、今は違った。
そこに永遠にいたいとも思った。いつの間にか横に猫のチャトがいた。
その眼の中に、今見た彼の情景が映っている。

今年は雪が多い。朝のしじまのなかで見た時は、道路を薄布が覆う
ような細雪であったが、その白い薄片はやがて大きな粒状を成し
ボタン雪となった。
「津軽恋女」という歌に「7つの雪」というのが歌われている。
「津軽の女よ
ねぶた祭の行きずり戯れか
過ぎた夜の匂いを抱いて 
帰れと叫ぶ岩木川 降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
津軽の海よ 三味がゆさぶるじょんがら聞こえるよ
嘆き唄か 人恋う唄か 胸のすきまに しみてくる 降り積もる雪雪雪
また雪よ 津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
降り積もる雪雪雪また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪」
だが、ここではそれほど多彩な雪は見られないし、思いなせない。
そんな考えが浮かぶほどの今日の雪だ。

ボタン雪、それが風に揺られことはなく、ほぼ垂直に天から地へと
落ちてくる。1時間もすると家の周辺は白く輝く光が満ち、ただ平板な
白い地面となった。すでに、40センチほどの雪の絨毯が庭を被っている。
猫のライが飛び出したものの、雪の中にはまり大慌てで出ようとするが、
目の前はただただ白い壁が続くのみ、彼にとっては何回も経験している
はずであるが、相変わらず懲りない男である。
助けての叫びに、わたしもまたかの顔で抱きかかえに行く。だが、
犬のルナは違った。
元来寒さには強い犬種でもあり、自分の顔が沈むほどの深さの中に飛び出し、
白く深く伸びた雪原のごとき広場をはね飛びながら遊んでいる。
梅ノ木もその枝枝を白き雪帽子で着飾り、他の草花はすでに影形なく、
映え光る白の世界に埋没している。
薄いベールの先に見えていた比良の山並みも薄墨の壁紙がはられたように
彼の視線から消し去られた。われわれはただ水滴がこぼれ落ちる窓ガラスの
中で、ひっそりとこの情景に見入るのみだ。
だが、この辺りを北国と呼ぶには、雪の中に数か月も閉じ込められる
「北国の人」には大いに失礼だ。その想いを柳田國男は「雪国の春」の
中でうまく綴っている。
「故郷の春と題して、しばしば描かれるわれわれの胸の絵は、自分等
真っ先に日の良く当たる赤土の岡、小松まじりのつつじの色、雲雀が
子を育てる麦畑の陽炎、里には石垣のタンポポすみれ、神の森の大掛かりな
藤の紫、今日から明日への題目も際立たずに、いつの間にか花の色が淡くなり、
木蔭が多くなって行く姿であったが、この休息ともまた退屈とも
名づくべき春の暮れの心持は、ただ旅行してみただけでは、おそらく
北国の人たちには味わいえなかったであろう。北国でなくとも、
京都などはもう北の限りで、わずか数里離れたいわゆる比叡の山蔭に
なると、すでに雪高き谷間の庵である。それから嶺を超え湖を少し
隔てた土地には、冬ごもりをせねばならぬ村里が多かった。
丹波雪国積もらぬさきにつれておでやれうす雪に
という盆踊りの歌もあった。これを聞いても山の冬の静けさ寂しさ
が考えられる。日本海の水域に属する低地は、一円に雪のために交通
が難しくなる。伊予にすみ慣れた土居得能之一党が越前に落ちていこう
として木の目峠の山路で、悲惨な最後を遂げたという物語は、
「太平記」を読んだ者の永く忘れえない印象である。
総体に北国を行脚する人々は、冬のまだ深くならぬうちに、何とかして、
身を入れるだけの隠れ家を見つけて、そこに平穏に一季を送ろうとした。
そうして春の帰ってくるのを待ち焦がれていたのである。越後当たり
の大百姓にはこうした臨時の家族が珍しくはなかったらしい。、、、
汽車の八方に通じている国としては、日本のように雪の多く降る国も
珍しいであろう。それがいたるところ深い谷をさかのぼり、山の屏風
を突き抜けているゆえに、かの、黄昏や又ひとり行く雪の人の句のごとく、
おりおり往還に立ってじっと眺めているような場合が多かったのである。
停車場には時として暖国から来た家族が住んでいる。
雪の底の生活に飽き飽きした若い人などが、何という目的もなしに、鍬を
ふるって庭前の雪を掘り、土の色を見ようとしたという話もある。
鳥などは食に飢えているために、こと簡単な方法で捕らえられた。
二、三日も降り続いた後の朝に、一尺か二尺四方の黒い土の肌を出しておくと、
何のえさも囮もなくてそれだけでヒヨドリやツグミが下りてくる」
彼はこの一節を読みながら、ストーブの前を占拠している五人の猫たちの
顔を一睨みした。チャトなぞは堂々と腹と隠すべきものまでさらして寝ていた。

大寒は、一月二十日ごろ、寒さが最も厳しくなるころである。
「暦便覧」では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。
そして、初めの五日ほどを「款冬華」(ふきのはなさく)、「水沢腹堅」
(さわみずこおりつめる)、最後に「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)
と昔の人はこの季節を細かく言い表している。
朝の空は青一色、そこに櫛で梳いたような雲がたなびき、木立の向こうには、
いまなお細い月が消え残っている。前夜の雪がまだその残滓を残し、街は白く
輝いていた。朝の寒さの中、街の一番奥にある丘の上に彼はいた。
まるで雪に埋もれる木々のごとく立ち尽くしていた。
主人はまたこの季節を迎え春を感じ始めることに安堵した。
だが、彼の頭は茫洋とした果てしない過去のつなぎの中にいた。広々と
視界の開けた自然な中に立ったいま、彼はふたたびある場所と次の場所
との中間地点にあって、頭には、様々な情景がなんの束縛もなく去来していく。
この数十年のあいだ考えまいとして抑えつけて来た過去のもろもろが
解き放たれ彼の中を駆け巡っている。おかげで、いま彼の頭の中では
様々な情景がけたたましくさえずりながら、独特の騒々しいエネルギー
を発していた。
夜来よりの雪の残り香であろう小さな宝石の雫を光り輝かせる丘の上
の桜の木。この自然が描く一幅の浮世絵の中をあこがれの目で眺め、
自分の素足が柔らかな草花に沈むところを想像した。横をほとばしる水
が鞭となって空気を打ち破りながらときおり陽の光を捉えてきらめき
流れて行く。
黒くむき出した野原の中に、赤く燃え映えた花が一群を成していた。
ハート形をした柄の長い葉には白斑があり、伸びた花茎に篝火を
たいているように白い雪原にその赤さを誇っているようだ。
シクラメンだった。まだ若かった頃聞いたあの歌が思い出される。
「、、、うす紅色(べにいろ)の シクラメンほどまぶしいものはない
恋する時の 君のようです 木もれ陽あびた 君を抱(いだ)けば
淋しささえも おきざりにして 愛がいつのまにか 歩き始めました
、、、、」
ある人に言わせると、「シクラメンのようなかほり」で、奥さんを
思っての歌だともいう。
寒いなかに一刻の温かさが心を過ぎる。

眼の前に広がる白く平坦な世界は、昔、関東を訪れた時の情景を
思い起こさせた。遠くに霞むように筑波の山が見え隠れするが、
それが時間を経ようとそのままの大きさで眼前に見えている。
冬のこの関東の平野は寂しい。
稲はぎの残る刈田にも、桑畑の枯れた桑の枝にも、またその間の目
に滲む緑を敷いた冬菜畑にも、沼の赤みを帯びた刈れ葦や蒲の穂にも、
粉雪は音もなく降っていたが、積もるほどではなかった。
関西の人間にとって、一時間乗っても、山並みがまったく現れない
この茫漠とした平板な景色は想像できない。電柱が一本二本とわずか
の雪をその肌につけ、後ろへ後ろへと流れていくが、過ぎゆく白く
光る真綿の地と遠くかすむような筑波の山影は変わらずそのままである。
その単調が彼らを苛立たせる。車窓にかかる雪は、目に見えるほどの
水滴にも及ばないで消えた。空が水のように白んでくると思うと、
そこから希薄な日がさしてきた。
雪はその日ざしの中で、ますます軽く、灰のように漂った。いたる
ところに、枯れた芒が微風にそよいでいた。弱日を受けてそのしなだれた
穂の和毛が弱く光った。
野の果ての防風林は霞んでいたが、空の遠くに一箇所澄んだ青があって、
そこに空の池が出来ていた。それは実にしんとした情景だった。
電車の動揺と重い瞼とが、その景色を歪ませ、攪拌しているかもしれない
けれど、彼は、こんな鋭利な光景は久しぶりのような気がした。
しかもそこには人の影は一つもなかった。また少し空がひらけて、
薄日の中に雪が舞っていたが、田んぼのあぜ道の傍らの藪の中から
数羽の雀が飛び立った。古びた駅舎の横にある松並木に混じる桜の
冬木には青苔が生え、藪に混じる白梅の一本がその紅色の花を昼下がり
の弱い日差しの中で、鮮明に見せていた。
若きときの一瞬の時間が切り取られ、この琵琶湖と比良の山並みとの
対比に過去の自分の過ごした日々を思った。

泉鏡花の瓔珞品(ようらくぽん)がある。
琵琶湖の夜の美しさに魅了された主人公が何度となく琵琶湖を訪れる。
天人石を探したり、夢の中で鮒になったり、無限の世界を体感する。
冬の透徹した寒さと空気感がこの記述には一番ふさわしいと思っている。
「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、
星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する
姿がありありと拝まれると申します。」「霜のように輝いて、自分の影の
映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ渺茫として、水や空、
南無竹生島は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、月が染みて、
羽衣のひだをみるような、、、」と夜の湖水を表現している。
瓔珞は仏像の胸や頭を飾る飾り。石山や彦根、竹生島などが背景にある。
更には、
「前後に松葉重なって、宿の形は影も留めず、深き翠みどりを一面に、眼界
唯限りなき漣さざなみなり。この処によずるまで、手を縋り、かつ足を支えた、
幹から幹、枝から枝、一足ずつ上るにつれて、何処より寄することもなく、
れん艶たる波、白帆をのせて背に近づき、躑躅を浮かべて肩に迫り、倒さかさまに
藤を宿したが、石の上に、立ち直って、今や正に、目の下に望まれた、
これなん日の本の一個所を、琵琶にくぎった水である。
妙なるかな、近江の国。卯月の末の八つ下がり、月白く、山の薄紅、松の梢に
藤をかけ、山は翠の黒髪長く、霞は里に裳もすそを曳いて、そよそよとある風の調べは、
湖の琵琶を奏づるのである。」

この世界は、秋でも春でもない。冬の琵琶湖に佇むとそれがよく分かる。

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