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2019.02.02

西近江路紀行33 古墳探訪

西近江路紀行33 古墳探訪

琵琶湖の周辺は古代人の活動が盛んであったのだろう。
湖東、湖南、そしてこの湖西、古墳が多く散在している。
古代、この地域は敦賀と京都、奈良への陸路、水路の重要地域
でもあり、和邇部氏、小野氏などの有力豪族が支配していた地域でもある。
このため、琵琶湖を望む比良のすそ野には、多くの古墳がある。

白洲正子「近江山河抄」に以下の記述がある。
「国道沿いの道風神社の手前を左に入ると、そのとっつきの山懐
の丘の上に、大きな古墳群が見出される。妹子の墓と呼ばれる
唐臼山古墳は、この丘の尾根つづきにあり、老松の根元に
石室が露出し、大きな石がるいるいと重なっているのは、
みるからに凄まじい風景である。が、そこからの眺めは
すばらしく、真野の入り江を眼下にのぞみ、その向こうには
三上山から湖東の連山、湖水に浮かぶ沖つ島もみえ、目近に
比叡山がそびえる景色は、思わず嘆息を発していしまう。
その一番奥にあるのが、大塚山古墳で、いずれなにがしの命の
奥津城に違いないが、背後には、比良山がのしかかるように迫り、
無言のうちに彼らが経てきた歴史を語っている。」
しかし、多くの古墳は山の中腹などにあり、ちょっと足を伸ばして、
と言う風情ではない。また、何基かの石の室が笹や野草の中に口を開けている、
そのような光景に佇むといつも虚しさが湧いてくる。
「なぜ、俺は此処にいる?」、と。
1枚岩で作られた石室に足を踏み入れる。かって皆から敬われた
人々の最後の場所、黄泉へ通じると信じられていた入り口、死後の世界
を信じていた証の場所、1000数百年を経た過去の場所、時の移ろい
を形に見せる。心の空洞に何かが忍び込む。体感の鋭い人は何かを
感じられるかもしれない。
少しながら気楽に探訪できるのは、石神古墳群、ゼニワラ古墳、
唐臼山古墳であろうか。他のは、形が残っていないものも多い。

ちなみに、旧志賀町史が参考になる。
①北小松古墳群
遺跡の立地は比良山系の尾根筋を山系の北から数えて2つ目となる尾根筋
最先端から一段と下がった低位に位置する山塊の先端近くに主に分布する。
AからCと北の支群の4つのグループが見られる。計12基の古墳がある。
概ね、主体部は横穴式石室からなり、長さは4メートルほど高さは2メートル弱
と想定さる。出土品には須恵器と鉄釘があった。
石室などはしっかりとしている。
②南船路古墳群
南船路の集落から天川を隔てた西南西の丘陵裾野にある。総計7基の古墳
がある。多くは径7,8メートルの円墳で、主体部は横穴式石室からなり、
高さは2メートル弱と想定される。
③天皇神社古墳群
天皇神社の境内にある。3基ほどの古墳があるが、高さ1メートル強の円墳。
④石神古墳群
小野神社と道風神社の中間にあり、眺望のよい場所である。4基の古墳
からなる。主体部は横穴式石室からなり、一番大きな4号墳は直径15
メートルほどの墳丘である。天井石は1石で高さは3メートルほどあり、
比較的高い。家形石棺が出土しているが、須恵器と土師器に刀の小片があった。
鉄滓も採取された。大きさなどからも有力豪族(小野氏?)の墓と思われる。

なお、志賀町史第1巻には、以下の記述もある。
「本町域の比良山麓製鉄遺跡群を構成する多くの遺跡の共通する大きな
特徴の一つは、そのなかに木瓜原型の遺跡を含まないことである。
木瓜原遺跡では一つの谷筋に一基の精錬炉だけではなく、大鍛冶場や
小鍛冶場を備え、製錬から精錬へ、さらには鉄器素材もしくは鉄器生産まで、
いわば鉄鉱石から鉄器が作られるまでのおおよそ全工程が処理されていた。
しかし、この一遺跡単一炉分散分布型地域では、大鍛冶、小鍛冶に不可欠な
たたら精錬のための送風口であるふいごの羽口が出土しないことが多い。
本町域でもその採集はない。山麓山間部での製錬の後、得られた製品である
鉄の塊は手軽に運び出せるように適度の大きさに割られ、集落内の鍛冶工房で、
脱炭、鉄器生産の作業がなされる。小野の石神古墳群三号墳の鉄滓も
そのような工程で出来たものである。
しかし、この古墳時代には、粉砕されないままで、河内や大和に運ばれ、
そこで脱炭、鉄器生産がなされるといった流通形態をとる場合も
多くあった。、、、、」
⑤石釜古墳群
和邇川沿いの井の尻橋付近にあり、琵琶湖をまじかに見れる場所ではない。
南北2つの支群からなり、総計で7基の古墳がある。直径5メートルから
19メートルほどのものもある円墳である。
⑥から⑩まではいずれも曼荼羅山を囲むようにして、築造されている。
⑥ヨウ古墳群
曼荼羅山の北にあり、ゴルフ場と和邇川の中間に位置する。3基の古墳
からなる。直径22メートルほどの円墳の1号機をはじめ結構大きい。
⑦前間田古墳群
曼荼羅山の北裾とヨウ古墳群との中間にある後期古墳群である。3基の
古墳からなる。直径が10メートル前後のものであり、規模的には大きくない。
⑧曼陀羅山北古墳群
小野朝日と緑町の中間、曼荼羅山の尾根に築造されている。眼下に和邇川
河口や琵琶湖、対岸の湖東も見える場所である。5つの古墳からなる。
直径は10から20メートルほどの円墳であり、主体部は横穴式石室に
なっている。
⑨大塚山北古墳群
曼荼羅山の尾根筋上のなだらかな頂部に築造された3基からなる古墳群である。
いずれも直径10数メートルの円墳である。
⑩ゼニワラ古墳
曼荼羅山北寄りの東に位置し、丘陵の尾根筋に占める単独の古墳である。
直径は20メートル、横穴式の石室で何枚かの岩で積み重ねられている。
出土には須恵器があった。
⑪唐臼山古墳
小野妹子公園の中にあり、前方後円墳の崩れたものではないかとの推測もある。
墳丘は南北18メートル、東西20メートルほどあり、大きめの古墳と
みられる。
⑫小野不二ケ谷古墳群
滋賀丘陵の尾根筋上部で傾斜変換点を創り下降する交点に位置する。
2つの古墳からなり、集落の間に築造されているため、その集落で祭祀
されてきた集落間の一体化が考えられる。3点の土器を含め、幾つかの
遺物がでている。
⑭和邇大塚山古墳
ゼニワラ古墳の近くにあり、前方後円墳を成している。琵琶湖が広く望め、
その規模は全長72メートルほどある。盗掘があり、その原型を推し量る
のは厳しい。副葬品としては、鏡一面、刀剣三点、甲冑一点、鉄斧二点などがある。
⑮小野神社古墳群
小野神社本殿の北脇にある。2基の古墳からなるが、小野神社の敷地整備
に伴い、その規模は不明。主体部は箱式石棺と思われる。
以前には、石棺が他に5基あったといわれるが、確認できない。
⑯道風神社古墳群
道風神社本殿のすぐ西側に古墳がある。2基の円墳があり、直径は20
メートルほど、であるが具体的な形は不明。
さらに、小野駅の近くに真野古墳も確認された。

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