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2019.04.19

2019.04.19

春が飛び跳ねてきた、二十四節気、清明の頃

第5節気 清明(4月4日から19日ごろ)

 

比良の山並み、野の原、街と1ヶ月ほど前と全く趣が違っていた。
モノトーンの世界が、白、黄色、薄紅色、ピンクいろと様々な色が
満ち溢れている。澄んだ青く深い空、湧き水の心地よい冷たき肌触り、
二十四節気「清明」とは上手くいったものだ。

 

日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風も吹く
にはとこやぶうしろから
2人のをんながのぼって来る
けらを着、粗い縄をまとひ
萱草の花のようにわらひながら
ゆっくりふたりがすすんでくる
、、、、、  (宮澤賢治 廣原淑女 より)

 

春の喜びを感じる詩だ。
ユキヤナギの小さな白い花が道の両端にこぼれだし、すぐに目のつく
黄色の花群、やや大ぶりな黄色のスイセンがこちらに微笑んでいる。
地面いっぱいにネモフィラの花が広がって、青いじゅうたん。
青空のような瑠璃色の花はその1つ1つは小さいが一面に広がっている。
それは春そのものだ。青の後景に浮かぶ木蓮の白と濃い桃色の
グラスのような花の揺れ。家の連なりに合し、黄色、ピンク、紫など
その色の多さ、チューリップの鮮やかな色並み。
すべてのものが清らかで生き生きとしている。それはまだ枯葉模様
の残る山端を歩いても同じだ。沢の光を発しながら流れ落ちていく
水は清らかに輝いている。手を差し入れると、その冷たさに思わず
手を引くが、それは温かみのある冷たさだ。
艶のある若葉の緑が色を成すブナの林、以前は10数メートル以上の
大木も見られたというが、今は小ぶりなブナたちが春の陽ざしの中で
風に小さな舞をしている。

 

周辺の寺では、4月はじめになると、花祭の様子が聞こえてくる。
「植物と行事」という本の一節に以下のような記述がある。
「春4月は花見に始まり、花まつり、花折り始め、花の塔(花の頭、花の当)、
花供はなぐ、花会祭、花摘み祭、花供養と続く。花見を除けばそれらは、
寺や神社の関係が多い。
なぜ、寺社と花が結び付いたのであろうか。
仏経の4月の行事は、8日の花祭が著名だが、ほかに花供と花折り
始めがある。花供は仏さまに花を供える儀式で、花折り始めは兵庫県
氷上郡などで行われる新仏のある家で4月8日に花を供え始める行事である。
花祭は花で飾った花御堂と呼ばれる小堂を作り、誕生仏を水盤に安置し、
その頭上から竹のひしゃくで甘茶を注ぐ。甘茶は名前の通り甘いお茶。
その甘さは、祖母につれられて味わった私の遠い記憶では、砂糖と
違って後まで口に残る甘さであった。」
私も含め、今の高齢者の多くは、この文に限らず、それぞれの少年時代
に生きた場所でもらった甘茶の味が微かな記憶をたどるなかに思い
出されるであろう。濃い褐色のほの温かいお茶のこれもほのかな甘さ
が口の中に沁みだすような、そんな気持ちになる。

 

すでに彼方此方から桜の開花や花見の様子が伝えられていたが、このあたりは
少し遅い様で清明の半ばごろに桜も満開となる。公園や坂を少し下った道沿い
桜も薄桃色に包まれ、なぜかこの情景に飽きが来ない。日本人の特性か、
風土に育まれた無意識のなせる業か、まあ、花見人間にとっては理由はいらない。

 

農作業がすでに始まった田んぼもあり、水が張られ、気の早い蛙は日夜その
独唱に励むようになる。水を湛え始めた田圃にも生気が蘇り、畦道にも命
の息吹が見えていた。ハコベの緑に加えタンポポの小さな黄色が幅を利かして
いたし、紫の小さな花々がその横に一団となって咲いている。水の入っていない
休耕田であろうか、透明感のある小さな桃色の花が一面をおおっている。
蓮華草の花畑だ。昔は、肥料として使うため、蓮華草の種を夏の終わりに
播いたという。その葉が放射状に刈田に広がり緑の絨毯となって冬を過ごすのだ。
そして、春を待ちかねたように桃色の世界を田の中に演出していく。そこに、
蜜蜂も訪れ、春の賑わいをさらに高めていく。
気の早い人はすでにトラクターの騒がしい音を畑や田圃一杯に響かせている。
雨がやみ、それと同時に自然界に新たな成長の季節が訪れた。

 

松尾芭蕉も詠んでいる。
山々にかこまれた春の琵琶湖の大観を一句に納めたものとして、
「四方より花吹き入れて鳰の海」、春の琵琶湖である。

 

木々や草花はいっせいに華やかな色彩とかおりをまき散らし、トチノキの
枝は小刻みに震えながら、円錐形の花キャンドルを支えていた。
白いヤマニンジンの花笠が道端をびっしりと覆っている。つるバラが
庭塀を這いあがり、深紅のシャクヤクがテッシュペパーのような花弁
開いている。りんごの木は花びらを振り落としはじめ、その後にビーズ
のような小さな実をのぞかせている。我が家のサクランボもその奥ゆかし気な
白い花を褐色の枝枝の四方につけている。既に老樹の趣で、枯れるのみの
姿であったが、春はまだこの木を生かしていくようだ。
春は、冬の間に湖で静かに時を待っていた魚たちにも、新しい動きを与える。

 

坂の下を流れる川のなかに10数匹ほどの黒い影が動きまわっている。
この川には、毎年春も終わりの頃になると、フナがのぼってきたと近くの
古老が言っていた。
別な老婆も「フナは田んぼにのぼってくる」と皺のある顔を一層しわくちゃ
にして話していた。昨夜の雨はあたりの情景を艶やかな緑の世界にしていた。
木々の緑や畑の土、それから遠くにそびえる比良山の山肌までも、しっとり
とした深みのある色彩に塗り替えていた。
川はあふれんばかりに水嵩をましている。渦を巻く濁流を見つめていると、
普段見ている川とは全く変貌し、怖いくらいだった。時折、川が揺れ、
小さな光が目はじに届く。
フナたちがいた。それは褐色の葦がまだ多い中、緑映えた若い葦をすり抜ける
ように優雅な泳ぎを見せている。

 

そして春は山菜の群れ騒ぎ、タラの芽、セリ、ゼンマイ、ノビル、
フキ、クレソン、コシアブラ、上げればきりがない。タラの芽は
天ぷらも美味しいが、そのままバターやマヨネーズをつけて焼くのも
中々に美味しい。ちなみに桜ご飯も、その香りとともに春の一品、葉桜や
満開の花群を見るのもよいが、こちらは味覚、臭覚、視覚が活きます。

 

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