パソコン・インターネット

2017.04.28

インターネット功罪?

2000年の前後からインターネットの拡大をビジネスへの活用という視点から
見てきたが、最近の、そしてこれからの発展は凄まじいの一言に尽きる。
さらに、最近は技術的な進化やそれをベースとしたビジネスへの活用よりも
社会、さらには個人の行動、思考への変化に目が行くようになった。
不寛容社会、情報による分断社会、ネットリンチ、フェイク情報の急増、など
溢れかえる情報の中で、その功罪が入り乱れている。

「心理療法」という本の一節に以下のような指摘がある。
「人は物語によって、自分を支え、確認し、来し方行く末をイメージする。事実の断片的
羅列ではなく、過去と未来、自分と他者、理想と現実、意識と無意識、さまざまなもの
をつなげることによって生きている。欧米や我が国の歴史を鑑みるに、古代には自分の
属する共同体が有する神話や口承伝承の物語があった。近代以降は、科学技術の発展と
言う進歩物語を信じ、大勢の人間が1つの方向へ邁進していく事態が見られた。
もちろん、それぞれの時代、文化のもつ大きな物語に沿うことが出来なかった一部の
人々にとっては、物語は自分を拘束し、苦しめるものでしかなかったが、大半の人々に
とっては、それは安全装置としてはたらいていた。
、、、、
人々が自己の物語を語るうえでの障害を、画期的に取り除いたのが、わが国でも1990年代
半ばに爆発的に普及した電子メディアである。生身の聴衆を相手にしなくても、インターネットの
ホームページや掲示板を通じて、個々人が瞬時に自分の物語を世界中に発信できるように
なったことは大きい。この世界には、虐待児だった、薬物依存症だった人、などが満ち溢れている
ことがわかる。また、著名な芸能人や運動選手が日記という形で自己の物語をホームページに
載せればそれは多くの人に読まれ、社会的な物語となって、容易に個々人の物語に影響を
及ぼしえるのである。ここで寄せられている関心は、現代人がどのような物語を語り、
語られた物語が社会でどのような役割を果たし、さらに社会的、政治的に力を得た物語が
現代人にどのような影響を及ぼしているか、という相互作用になる。」

ここでは、インターネットの拡大の良い面を指摘しており、現実の世界でも我々も体験
していることでもある。「自分の物語」を容易にしかも不特定多数の人へ語ることが出来る、
という点は大きい。もっともこれが多くの人に見られているかは別ではあり、また
別の努力が必要ともなる。

レッシングの「CODE」では、人の行動に影響を及ぼす4つの要件を言っている。
影響を及ぼすものには法、規範、市場、コード)、とくに4番目の「CODE」が
重要な規制手段だという。規範による規制には、電車やバスなどの車内での携帯利用のマナーなど
であり、これはインターネットの世界でも同じだ。とくに、最近は、これらに関する
議論が多くなっている。レッシングは特に、「CODE」が利用者が意識せずにその行動を
規制しているという。さらには、インターネットの世界ではこの規制が無制限に大きくなり、
その活動の自由自体が怪しくなると考えた。
たとえば、最近「フィルターバブル」という言葉が話題になっているが、これはフィルター
技術の高度化によって、ネット上のサイトが利用者の好みに合わせて
情報を選別することで、利用者は自分とは異なる意見から隔離され、自分だけの世界の
中でその思考すら制限される。さらに怖いのは、それを本人が意識していないということだ。
この傾向はネット上のやり取り、物品の購入まで、さらに進めば個人の思考さえ自由度を
失わせていく。最近の国民投票などでその傾向が表れているのはすでにアメリカ大統領選挙、
イギリスのEU離脱の隠れた一因なのではないだろうか。
たしかに中間層の衰退による格差などの経済的な面は強いが、そればかりではないだろう。

また、インターネットの拡大で多くの人はコミュニケーションが活発化するという面を
持っているが、活発化するのは「自己偏在な情報の交換」であって、インターネットにおいて、
「意見の交換」が活発化するわけではない。ほとんどが発信者の一方的な想いや情報の
提供であって、今のインターネットの活用の状況は、さらなる不寛容な社会を増長する。
それは、「ネットリンチで人生を壊された人たち」という本にもいくつかの事例が載っているが、
日本を含めて多くの国でも、同様の事例が散見されている。いずれにしろ従来と大きく
違うのは、反応する人たちの多さと拡散する速さである。それがフェイクの情報であっても
ネット社会に身をさらさせられ、心や体に打撃を受ける。「1人対不特定多数の無責任な
集団」との戦いなのだが、勝ち目がないことは初めからわかっている。
相手の顔を見つつその心根を感じながら、相手の行動に寛容さをもたらすことなど心の
片隅にもわかないのであろう。しかも暗闇の向こうで感じるままに勝手にネットするだけだ。
それは、リアルの世界でも起きる。互いの不信感の高まりによって、相手の行動のすべてを
否定しようとする行動と同じであり、ネット世界では、それらがより多くの人に、より憎しみを
高めて現れるのではないだろうか。
その意味でレッシングの指摘はますます進化発展するネット技術の社会ではより顕著に
現われてくる。

さらには、他の3つの「法、規範、市場」もさえ、変容させていく。その中でも、長年の
智慧を基盤に形成されてきた「規範」を変え、違う姿へと変容させていく。
最近の極端な自己主張や横暴なふるまい、ネット上での無責任な発言、ネットリンチと
呼ぶべき様な顔を出さない人々の行動など、すでに日本的、家族的と呼ぶような慣習、
生活文化は失われ、新しい「規範」の形成が始まっている。たしかに多くの人とのつながりや
自身の物語を語ることによる心の安寧など良い面も多くあるが、以前の行動基盤とは
異なる新しい、人によっては極めて息苦しい、社会になりつつあることを意識せざるを得ない。
先ほどの心理療法の一文は我々の行動を見直すという点では、示唆の多い内容ではないだろうか。

2017.03.17

インターネットは不可避な流れだが?

最近の世相の変化は今までの流れとは違う、それが良い方向なのか悪い方向なのかわからないが、
と多くの人は感じているのではないだろうか。
以前にも書いたが、「インターネットの次に来るもの」と「一般意志2.0」の2つの書を
併せ考えると中々に面白い示唆をもらえる。

「インターネットの次」であまり語られていないのが、社会活動への人の心の変化、
行動の変化である。それは最終的には、政治へのかかわりという形に帰結される。
それを上手く利用しているのが、アメリカのトランプ大統領のtwitterによる発信であろう。
小難しく考える政治学者やインターネットの拡散力を理解できない古い政治家は否定
だけを繰り返すが、大多数の国民は高尚な政治的発言やバラ色の未来への期待はほとんど
していない。目前の果実の実がほしいのである。その原因は、色々とあるのだろうが、
格差の拡大、特に社会構成の中核である中間層の没落ではないだろうか。極端な富裕層
と低所得者に2極化される世界では、所得の得られない階層では目前の何かに期待する。
そして、その数が拡大しつつある状況で、自分の想いと考えを形にしたいという行動が
増えてくる。その容易な社会活動へのかかわりという手段がインターネットの拡大で得られた。
その発端は、一時中東で見られた「アラブの春」であった。その動きはアメリカ、ヨーロッパ
を含め世界的な潮流でもあり、政治や社会活動に変革をもたらしつつある。
それはこの本の原題、そのものでもある。The Inevitableで、不可避という意味だ。

この本で気になる一節がある。
「社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。手に触れられる
プロダクトから触れられないものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃに
リミックスされたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は
「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。
答えを出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、すぐに得られ、信頼出来て
ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと
価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する
新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す
原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう」
ここではモノやそれに伴う技術面での視点が強いが、人の想いと社会における
行動への影響も多大である。人の心の動きも新しい領域へと進んでいくのではないか。

この動きについては、「一般意志2.0」にあるルソーについての記述が面白い。

「あらためて「社会契約論」のテクストを読んでみよう。ルソーは実は、部分的結社の
存在を否定する箇所で次のように記している。
「もし、人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなる
コミュニケーションもたらないのであれば、小さな差異が数多く集まり、結果として
常に一般意志が生み出され、熟慮は常に良いものとなるであろう。、、、、
一般意志がよく表明されるためには、国家の中に部分的社会が存在せず、また市民が
自分だけに従って、意見を述べることが重要なのである。」
このルソーの主張ははっきりしている。一般意志が適切に抽出されるためには、
市民は「情報を与えられている」だけで、互いにコミュニケーションをとっていない
状態のほうが好ましい。かれはそう明確に述べている。つまりルソーは結社を
認めないだけではない。
直接民主主義を支持するために政党を認めないというだけでもない。
彼は、一般意志の成立過程において、そもそも市民間の討議や意見調整の必要性を
認めていないのである。、、、
これは奇妙な主張である。、、、、
ルソーは一般意志は特殊意志の単純な和ではなく、むしろ「差異の和」だと
捉えていた。
しかし、それだけではない。じつはそれに加えて、一般意志の正確さは差異の数が
多ければ多いほど増すと主張していたのである。ルソーは一般意志は集団の成員が
ある一つの意志に同意して行く、すなわち意見間の差異が消え合意が形成されることに
よって生まれるのではなく、むしろ逆に、様々な意志がたがいに差異を抱えたまま
公共の場に現れることによって、一気に成立すると考えていた。
、、、、、、、、、
一般意志は、一定数の人間がいて、その間に社会契約が結ばれ共同体が生み出されて
さえいれば、いかなるコミュニケーションがなくても、つまりは選挙も議会も
なにもなくても、自然と数学的に存在してしまう。ルソーはそう考えた。
一定数の人間がいれば、だれもなにも調べようと思わなくても、平均身長や平均体重
の数値はあらかじめ決まってしまっているように。、、、
一般意志は人間の秩序ではなくモノの秩序に属する。それは人間集団の前に、こまごま
したコミュニケーションの結果としてではなく、あたかも自然物であるかのように
立ち現われる。
それは、スコット・ペイジの「多様性の予測定理」なのだ。
集団の多様性が高ければ高いほど、集合知の精度はあがる」というのだ。

コミュニケーションという手段がなくても、社会はその必然的な大きな流れに沿っていく。
ペイジの「多様性」については、ここに書かれている指摘とは少し違うが、集合知が
より多くの人の想いを反映しては行く。むしろここでいうルソーの
「人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなる
コミュニケーションもたらないのであれば、小さな差異が数多く集まり、結果として
常に一般意志が生み出され、熟慮は常に良いものとなるであろう」の指摘である。

インターネットの拡大で多くの人はコミュニケーションが活発化するというが、
活発化するのは「情報の交換」であって、インターネットにおいて、「意見の交換」
が活発化するわけではない。ほとんどが発信者の一方的な想いや情報の提供であって、
今のインターネットの活用の状況は、このルソーの言う状態そのものだ。
その1つが「フィルターバブル」と言われるものだ。ネット上のサイトが利用者の
志向や嗜好に合わせて情報を提供することで、自分と異なる意見からは隔絶し、
快い自分の世界を作り上げていく。「インターネットの次」では、このフィルター技術
を効率的なものとしてメリットに見ているが、人の行動の視点でのデメリットを見ていない。
また、いまフェイク情報の増大が言われているが、「意見の交換」のないこのような状況では、
「情報の交換」としてフェイク情報は発信者にとって意味がある。一国のトップが
日常的にこのフェイク情報を正しいとして発信続ければ、どうなるのであろうか。
最悪の場合、このフェイク情報(もっとも、その情報をフェイクとする基準が曖昧でもあるが)
が一般意志の流れとなれば、私らの将来は危うい。その例が世界の多くの国で蔓延している。
「インターネットの次」では、技術の進化の視点で、次の社会をやや夢物語的にとらえているが、
現実の世界で、この様々な要因が織りなす社会では、場合により、幻滅をもたらす社会
ともなりかねない。だが、いずれにしろ不可避な流れの中に身を置くものにとって、
個々の意識化が重要であることは、変わりないものであろう。

2016.11.11

インターネットの次に来るもの、シェアエコノミーへの進化について

彼もはじめにで、言っていることを再掲すれば、以下のようであるが、個人的には
社会的な変化に最も影響を与えるのは、シェアリングであろうと思っている。

ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し
(第1章 BECOMING)、世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが
電気のようなサービス価値を生じ(第2章 COGNIFYING)、自由にコピーを繰り返し
流れ(第3章 FLOWING)、本などに固定されることなく流動化して画面で読まれる
ようになり(第4章 SCREENING)、すべての製品がサービス化してリアルタイムに
アクセスされ(第5章 ACCESSING)、シェアされることで所有という概念が時代
遅れになり(第6章 SHARING)、コンテンツが増え過ぎてフィルターしないと
見つからなくなり(第7章 FILTERING)、サービス化した従来の産業やコンテンツ
が自由にリミックスして新しい形となり(第8章 REMIXING)、VRのような機能
によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり
(第9章 INTERACTING)、そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させ
ライフログ化を促し(第10 章 TRACKING)、問題を解決する以上に新たな良い
疑問を生み出し(第11章 QUESTIONING)、そしてついにはすべてが統合され
彼がホロス(holos)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の〈インターネット〉)へと
進化していく(第12章 BEGINNING)という展開だ。

1.シェアリングの記述より
この本の一文をもう少し深く考える必要がある。

「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、これまでのやり方を
ひっくり返す。所有することは手軽で気まぐれだ。もし何かもっと良いものが
出てきたら、買い替えればよい。一方で、サービスの場合は、問題解決などで
作り手と消費者の間で常に会話しつづけなければならない。継続的な関係になる。
あるサービスにアクセスすることはその顧客にとって物を買ったとき以上の
深いかかわりとなる。

以下の集産主義についての記述は中々に面白い。

テクノロジー版社会主義を、自由市場的な個人主義か、あるいは中央集権的な
権威主義かとゼロサムのどちらかで考えるよりも、テクノロジーによる共有は
新しい政治のOSであり、個人と集団の両方を同時に向上させるのだと考える
こともできるはずだ。どこにも明文化されていないが誰もが直感的に理解している
シェアリングテクノロジーのゴールとは個人の自律性と集団が生み出す力を
同時に最大化することだ。つまり、デジタルによる共有は、昔ながらの常識
とはかなりかけ離れた、第3の方法だとみなすことが出来る。、、、
新しいOSに当たるものは、私有財産を認めない古典的な共産主義の中央集権的な
計画でもなければ、純粋な自由主義の自己中心的なカオスでもない。
そうではなく、分散化した人々の協調によって、純粋な共産主義や資本主義では
できない新たなクリエイションと問題解決のためのデザイン領域が出来つつある
ということだ。
「シェア」はデジタル社会主義では最も穏やかな形式だが、シェアすることはより
高いレベルでの共同作業の基盤となるものだ。それはネットワークそのものの
基本要素でもある。

250年余り続いた資本主義も、格差拡大が顕著になり、それが各国の不安状態
のベースとなり、既成政治や企業への様々な軋轢として動いている。EUからの
イギリスの離脱、アメリカ大統領選の混迷とその結果、など顕著な例が続出している。
シェアリングが新しい経済体制になっていくのでは、という有識の人々も多く
なっているという。だが、すべてがシェアリングの経済体制になることはないのであろう。
所有したという気持ちは人間の本質的資質であり、今後は、便利なもの、自身に
とって有益なサービスを使うことなど、うまく使い分けて行かれるのであろう。

2.シェアすることは
2010年に「シェア(共有からビジネスを生み出す新戦略)」の本が出たときに数回
のセミナーがあったが、的外れな質問、回答もあり、シェアの理解がいま一つ
であると感じた。また、各地域での相互扶助の仕組みは、多くの地方で存在していたが、
70年代、80年代と物質的な豊富さとともに、リアルの世界では一層薄れてきた。
それが6年経った今、インターネットがさらに社会の隅々へと沁みこみ始めた現在でも、
大きく変わったとは思えない。
当時「シェア」の中でインターネットを活用した様々なビジネスモデルの紹介をしていた。
リアルで存在した昔の常識的な共有的行動が、インターネットの圧倒的な広がりの中で
日本では、ビジネス、地域社会の中で、馴染んでいくのだろうか、そう思った。
だが、「シェアビジネス」としては急激な拡大を示しているものもある。
「シェア」の中からその動きを少し見てみたい。
シェアには3つのパターンがあるとのこと。
①プロダクトサービスシステム
所有よりも利用の考え方で、その製品から受けたサービスを利用した分にだけ支払う
コインランドリー、車、あまり使われていない私有物をシェアにより最大限に活用出
来る。
②再配分市場
中古品、私有物を必要とされていない人から必要な人へ配り直す、または交換する。
 服、本、などリユース、リサイクル、リペア
③コラボ的ライフスタイル
同じような目的を人のための時間、空間、技術など眼に見えにくい資産を共有する。
いずれも、参加メンバー、扱う量などを問わなければ、我々の身近にはある
サービスである。

また、これをビジネス化、社会適用するためには、幾つかの条件が必要とも言う。
①クリティカルマスの存在
 十分な消費活動を実現するためのある程度以上の数が必要であり、
 社会承認を得るためのイノベータ的な消費者を確保する必要がある。
②余剰キャパシティの活用
 車、自転車のような眼に見えるものに限らず、時間、スキル、空間なども
 その対象となる。
③共有資源(コモンズ)の尊重
 共通の興味を持つ人が価値を生み出しコミュ二ティを作るための新しい
 コンセプトが必要となる。公共サービスの再定義が必要でもある。
④他者との信頼
 程度の差はあるものの、見知らぬ誰かを信用しなければ成り立たない。
 参加者が同列で、共有資源を自己管理できることが必要要件でもある。

最近ではメジャーになった車シェアのzipcar、旅行者のためのカウチサーフィン、など
多数存在する。
日本では、先ほどの①から④の条件は満足している、と思う。戦後、やや希薄となった
③、④も基礎的な意識の中では、十分、存在する。そして、更に進む生産と消費をする
人口の圧倒的な減少は、シェア(共有)化を推し進める原動力でもある。情報流通の
速さと合わせ、実現のための外部環境は整っている。
だが、これらの条件だけでは新しい経済体制として十分とは言えない。

シェアエコノミーの先行事例としての紹介。
1)Airbnb (エアビーアンドビー、エアビーエンビー)
宿泊施設を貸し出す人向けのウェブサイトである。192カ国の33000の都市で
80万以上の宿を提供している。
このサイトの利用者は利用に際して登録して、本人のオンラインプロファイルを作成す
る必要がある。すべての物件はホストと関連付けられており、ホストのプロファイルに
は他利用者からのお勧め、泊まったことのあるゲストからのレビュー、また、
レスポンス・レーティングやプライベートなメッセージングシステムも含んでいる。

2)Uber (ウーバー)。
スマートフォンを活用したハイヤー・タクシーの即時手配サービスを提供する。
すでに世界42カ国、150ほどの都市で即時手配サービスを実施している。
すでに日本に進出済み。本格運用は2014年3月から台数限定、東京都山手線内側
の南半分限定でハイヤーの手配サービスを行っている。
ウーバーが新たに始めるのは、タクシーを手配する「uberTAXI」、ハイグレードタクシ
ーを手配する「uberTAXILUX」の2種類。ウーバーと契約したタクシーにはウーバーから
支給されるiPad miniと携帯電話が常備され、ウーバーユーザーからの呼び出しに対応
する。タクシー側のメリットも明快だ。空車で「流し」をしている際に顧客を獲得でき
るチャンスとなるため、稼働率を引き上げる効果を期待できる。
ウーバーは効率的なタクシーの運用に寄与するので、二酸化炭素の排出量を減らすこ
とにつながる。ウーバーはクルマだけのサービスではない。すでに米国の一部都市では
自転車で小さな荷物をデリバリーするサービスをやっている。
東京であれば、日本交通をはじめ、大手タクシー会社はスマホアプリを運用しているた
め、すでにスマホで迎車サービスを使っている人にとっては、あまり便利さを感じない
かもしれない。むしろ埼玉、千葉などの郊外や地方都市に出張した際に、ウーバーで
簡単にタクシーを呼ぶことができれば、かなり便利だろう。

3)Meetrip
Meetripは地元ユーザ(またはガイド)と旅行者をつなげるスマートフォンアプリ
である。
Facebook認証をしてサインアップしたら、地元ガイドは簡単にツアー計画を作
成できる。例えば、旅行者には知られていない古い街並みを探索する3時間のツアー、
地元で最も人気な麺を楽しむランチなどだ。旅行者はおもしろそうなツアーを見つけて
申し込むことができる。ガイドと連絡を取り合うことで、自分だけの完璧なツアーを練
り上げることができるし、値段を含むツアーの詳細は後から変更できるので調整の
余地もある。
Meetripは、アクティビティより「人」に焦点を当てている。
地元の人たちがMeetripを使う動機はいろいろ考えられる。遠くから来た旅行者との
交流や外国語の会話や練習、または地元の特別な場所を旅行者に紹介することなど。
これらはどれも、地元の人たちがアプリを最初に使い始める理由だ。
しかし時間が経つにつれ、Meetripが彼らの大きな収入源になる可能性がある。

4)KitchHike
ごはんを作る人(COOK・クック)とそれを食べたい人(HIKER・ハイカー)をつなぐ
日本発のウェブサービス。例を挙げると、COOKは「トルコに住むGulsahです。
地中海風のフルコースを用意しますよ」と登録。サイトを見て「Gulsahさんの
ごはんを食べたい!」と思ったHIKERが、日付などを指定して連絡を取る。
HIKERはごちそうになったあと、写真付きのレビューも投稿できる。
COOKは提供する料理に自ら値段をつけ(最低価格10ドルより)、HIKERはお代
を支払う。お金のやりとりはPaypalもしくはクレジットカードで行われ、
KitchHikeはその間から手数料をもらう仕組み。現在は英語版のみ提供で、
日本、タイ、カナダなど、13カ国からの登録があり、今後も世界中でサービス
を展開していく予定。
Airbnbでは「家」という元手が必要だが、KitchHIkeで必要なのは料理をつくる「人」
そのものであり、宿泊するのはためらわれる家でも、食卓を囲むことならずっとハード
ルは低くなると言う発想がある。


3.シェアエコノミーについて
現代の私たちにとって、もはや空気のような存在でもある資本主義とそれが作り出す経
済の営み。それが今、変革を迫られている。
そのことを描き出したのが、ジェレミー・リフキン氏による「限界費用ゼロ社会
 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭」であり、シェアエコノミーについて
の理解にはちょうど良いのでは、と思う。

この本では、その新しく生まれつつある経済体制を「シェアリング・エコノミー(共有
型経済)」と呼び、これからの人類史上で非常に大きなインパクトを与えていくものと
している。この新しい経済は、商品やサービスの生産効率が極限までアップしてコスト
がほとんどゼロに近くなることによって誕生する。つまり、資本主義経済の持っている
「生産効率を向上させ続ける」という性質によって、「シェアリング・エコノミー」は
生み出されるのだ、と言っている。

インターネットが登場して以来、ユーザーはほとんど無料で、情報通信の技術を利用
することができ、このようなテクノロジーの進歩によって合理化が徹底すると、限りなく
無料に近づいていく。そのような変化が、これから他のさまざまな分野にも起きていく。
だが、日本において「シェア」は、日本の経済状態における不景気とリンクされて語
られることが多いし、単なるビジネスモデルの1つとしての捉え方が主流だ。
だが、本書で想定されている「シェアリング・エコノミー」は、これまでの資本主義
の経済を形成してきたインフラとは、全く別のインフラに基づいて形作られていると
いう点がじつに重要になっている。その点において、日本における「シェア」をめぐる
議論とは大分開きがある。

その新しいインフラを作り出すのは、「IoT」(モノのインターネット)という。
「コミュニケーション、エネルギー、輸送」という、社会を形成する重要な3つの要素
の全てがインターネットと結びつき、新たなインフラを形作っていく。この新しい
インフラが、すぐに社会の基盤となるものでない。だが、今世紀の半ばくらいには、
社会の経済活動の大半がこのインフラに基づいて営まれるようになると、本書は
予測している。

インターネットはわれわれが思う以上に世界の経済や政治、そして社会へと大きな
変革をもたらしつつあるようだ。だが、その変革が良き結果となっていくのか、
さらに悪い状況を創り出すのか、私が消える頃にその結果が出るのかもしれない。

2016.08.19

ネットの功罪、「弱いつながり」より思う

インターネットが生活に入り込み始めて10年ほど、その速さは今までのメディアでは
考えられない浸透の速さである。
そして、この広がりの大きさと速さは今までの社会的なつながりを変え始めてもいる。
ネットの功罪はこの浸透の深さや広がりが強まるほど増えてくる。
そしてその罪の方に重点を置いて、警鐘も含めて書かれたのが、東浩樹氏の「弱いつな
がり」と思っている。
「ネットには答えがある」という思いが強まるにつれて、その弱点を忘れてしまう人も
多くなる。
「ネットには情報があふれているということになっているけど、全然そんなことは
ないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと
思っているものしか見ることが出来ないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと
思うモノしかネットに書かないからです」
と彼は言う。さらには、
「僕にとって、検索は「経路を無くすもの」です。
人が物事を調べる時には、本来は必ずなんらかの「経路」があります。例えば図書館
に行って棚で本を探す。この一見すると無駄な途中の過程、これこそが「経路」です。
実はその経路の途中で、何か発見があることが多いのです。だから、検索によって経路
が無くなると、人間のクリエーティビティーは下がるのではないかというのが僕の根本
的な問題意識です。僕はカーナビもニュースキュレーションサービスも同じように
「経路」が無くなるので好きではありません。カーナビで目的地まで走るよりは、
カーナビに頼らず自分で調べながら運転したい。ニュースキュレーションにしても、
毎日新聞なら毎日新聞のサイトに行ってクリックするという経路が大事なのです。
そこで目的の記事以外をクリックする可能性があるからです。事前に登録した記事
だけが自動で配信されてきても、それ以上の発展がありません」と喝破している。
さらに彼は、上っ面の訪問であっても、現場に行くべきという。
「旅に行くべきだ 行くことそのものが目的なのだから。現地を見ても、ネットと
大して変わらないこともあるし、単に事実関係を調べたいだけなら今後もグーグルアー
ス(http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)のような技術が発展するだろうし、
現場までわざわざ行く必要はない。そうではなくて、僕が大事だと言っているのは、
現地に行くというプロセス=「経路」なのです。
旅をするとは時間の投資です。一定の時間が投資され、その間無駄なことを考える。
実はそれこそが大事だということなのです。だから、ネットの発展で究極の
バーチャルリアリティーが実現されたとしても、僕は旅に行くべきだと思っています。
行くことそのものが目的だからです」
彼は表面的な撫ぜることだけの観光であっても、「どこかへ行く」というのは、
それだけで決定的な経験を与えてくれることがある、とも書いている。

確かに私個人の経験でも、同じ場所に行くにしても、ネットの情報では、その発信者
の思惑の情報であり、自分の知りたいことが載っていない場合が多い。
さらに写真で見ても、現地の実体験ではその肌感覚から受ける感情は全く違う。
例えば、殺人現場を写真で見てもそれは単なる殺人のあった光景の情報に過ぎないが、
その地の木々や土の肌触りなど体感的なものは得られない。写真などネットの情報は
その多くを欠落させながら、我々の体に届くだけだ。

さらに、面白い指摘もしている。
「ネットにはノイズがない。だからリアルでノイズを入れる。弱いリアル、それは
「身体の移動であり旅であり偶然の出会い」なのだが、があって、初めてネットの
強さを活かせるのです。
と序文でいい、そして、「ネットは強い絆をますます強くする世界で、そこにノイズ
入れるためにリアルがあるのだ、と言いました。
その点で考えると、人間に「性」があるということはとても重要です。なぜなら、
性の欲望はまさに人生に「ノイズ」を入れるものだからです。一晩過ごしたという
関係性が親子や同僚といった強い絆をやすやすと超えてしまう。そう言った
非合理性が人間関係のダイナミズムを生み出している。もし人間に性欲がなかったら、
階級はいまよりもはるかに固定されていたことでしょう。
人は性欲があるからこそ、本来なら話もしなかった人に話しかけたり、交流を
持ったりしまうのです」
これを一様に受け入れられないが、「性」の持つ不可思議性には、納得できる。

以前に「不寛容社会」というテーマで、NHK特集があった。
SNSなどでの炎上が過去5年で10倍以上、色々と過剰な反応の時代となっている。
教科書の表紙の昆虫の写真が気持ち悪いという一部の人で指摘でやめになった事例、
不倫という流言が出ただけでやめたCM、企業もきちんとした姿勢もなく、顧客迎合?
誤ったものも多いはずだが、の状態がある。
それはスマホの保有台数やツィターなどでの反応の激化が一層強まっているように
見える。ネットが個人の手元に降りてきたことがそれを助長させているようだ。
不寛容についての皆さんの意見はあまり関心がなかったが、
この中で出ていた以下の状況にはその指摘を含めて考える必要がある。
・1995年のネット元年と言われてから急速に個人の参加が可能となり、沈黙の
子羊が勝手に声を上げ始めた。過剰反応の時代である。1つには社会の隅で己の存在を
確かめられない人が「認知欲求」を満足させるため、自身の正義のためという理屈で
参加する。
・日本人の同質性と今までもあった不寛容の行動がネットという存在で加速度的に
皆の前に出てきた。
・これらを助長する1つに、インターネットの特質がある。勝手に個人の意見は
表明できるが、それらの声をコントロールするようなコーディネータ的機能と
相互で聞きあう機能が弱い。言ったまま、聞きたくないのは無視するなどの
行動が容易にとれる。
・人間の本質的な機能、もともと不寛容が基本であり、同じグループ内での
同質性の強化がある。これはデータでも出ているが、反対意見のグループと
別な意見のグループ間の相互のやり取りはほとんどされない。また、同じグループの
中でも違う意見を出すとそれは悪とみなされグループから除外される、これにより
一層の同質な塊となっていく。
・社会的な不安状況が高まっていることも大きい。イライラする人、すぐに怒りを
発する人など増えている。
・今回は不寛容を助長しているのが、ネットだという論点が垣間見られたが、
もともとメディアは自分たちの論点を決めてその方向にもっていく傾向が強い。
公明公正なスタンスを期待するのは無理なのである。つぶやきの中にそれらが
多く見られたのについてはNHKは今回何も提示していない。

NHKのやや偏った志向があったものの、この社会傾向はさらに強まるのであろう。
これは、東氏の言う「言語のメタ化機能のやっかいさ」なのであろう。
仲間との議論で、初めは具体的な内容であるが、次第に抽象化し、議論が初めの
目的からどんどんずれていく。例えば、「お前がやっていることは正義ではない」
という非難に対して、「そもそも正義とは何か」「正義は定義できるのか」
の抽象化レベルとなり、炎上となるようなものです。

ネットの拡大に伴い、彼の言う「弱いつながり」はますます増えていく。
さらに、グローバル化という言葉に代表される世界の均質化がさらに進む。
最後に彼の言っている点は十分考える必要がある。

「世界は今急速に均質化しています。20世紀には旅で全く異なる他者、
全く異なる社会に出会うことが可能でした。けれでも21世紀は世界中の
ほとんどの人が皆同じような服をまとい、同じような音楽を聴き、同じ
ようなファストフードを食べる、そういう光景が現れると思います。、、、、
人はそれをコピーだらけの旅だと批判するかもしれません。しかしそれは
偶然や出会いがないことは意味しません。観光もツーリストの行動によって
それぞれが全く異なる顔を見せるからです。世界中が均質になったからこそ、
その均質さを利用してあちこち行って、様々な人と出会い「憐みのネットワーク」
を張り巡らせるべきだと思います。ネットの強みを活かすには、弱いリアル
を導入しなければならないと序文で書きました。
同じようにグローバル化の強みは、観光客として無責任に「弱い絆」をあちこちに
張り巡らすことで初めて生きてくるのです」

2009.11.07

念動力、テレパシー、念写、タネも仕掛けもあり

京阪奈で情報通信研究フェア2009なるものが開かれた。
以前、情報通信システムの開発に携わったものとしては、興味があり、出かけた。
基調講演で、脳情報通信とブレイン・マシン・インタフェースの話を聞いた。
ATRでは、10年以上前に、日英、日中の同時翻訳システムの関係で、話を聞いてから久しぶりの訪問である。

脳の動きをその発生するパルスの動きを統計処理にて、素早く処理して、人の行動パターンと合わせ、思った行動を予測する。
例えば、
・センサー付のヘルメットを被り、その思った行動をロボットに行動させることが出来る。
念動力、テレパシーの実現である。
・人が見ている白黒2値画像をコピーする。念写力の実施。
・アメリカにいるサルの行動をその脳活動から京都のロボットに同じことをさせる。テレポーション化。
いずれも、SFの世界ではなく、タネも仕掛けもある情報通信と脳科学の成果である。
これらをブレイン・マシン・インタフェースという形で、日本が世界をリードしているとのこと。
我々の日常とは、違う世界で、結構進んでいるようである。

しかし、これも、脳卒中、身体的な障害を受けた人にとっては、有効な支援技術である。
下半身が動かなくなった人が、このセンサーをつけて、歩行ロボットとの組み合わせで、
活動が可能となった事例もある。
医療福祉分野では、期待される成果かもしれない。

さらに、これは、神経倫理への影響も大きいとのこと。
・個人の意志決定のメカニズムに介入するかも
・記憶の書き換え、操作もあり?
・考えていることが読み取られ、プライバシーまで侵される?
映画の世界が、日常の世界になる日も近いかも??
倫理観や従来の我々のコミュニケーションの方法も大きく変わる可能性を秘めている。

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