ペット

2018.01.30

猫になった男その2

やがて一年が経った。
二人は女らしさと男らしさ(外見的ではあるが)を日増しに高め、彼の良き家族となっていた。
だが、ハナの愛らしさ、チャトの甘える姿は変わりなく続いていた。そして、彼はこの生活に
何か抜けているピースがあることに気が付き始めていた。
それはある冬の寒さが滲みる夜、彼の枕元に二人が近寄り、布団に潜り込もうとしている時に
気が付いた。2人の眼が彼の眼と並び合わさり、一心同体の気持ちとなったのだ。
「俺は今まで、人間の目線で彼らと生活していた。多くの場合は、上から見下ろすか、抱き上げて
人形のように愛撫するかの態度であった。パートナーの意識や思いはあるものの、そこには
無意識な上下関係が存在していた。この不足のピースを埋めるには、彼が猫になる必要があった。

想いは日々募るばかりであったが、変わらぬ生活が続いていた。チャトは相も変わらず喧嘩に
負け続け、ハナはそのちび上がる距離を一メートル以上も伸ばしていた。
それは、彼が会社の付き合いで深酒をし、そのまま布団に寝入ってしまった寄ることであった。
満月の光が部屋にくまなく行きわたり、その明るさと喉の乾きでふと目覚めた。
だが、起きようとしたが、どうも体の様子が違った。布団が大きく彼にかぶさり、枕が数倍に大きく
見えた。手を見れば、毛深い先に白く輝く爪があった。私は狂喜した。私は猫になった。
のそりと立ち上がると机や家具が壁のように彼の目の前にそそり立っている。後ろ足を揃えて
飛ぶとふわりと身体が浮き上がり、机に軽々と乗れた。不思議な感じが体を突き抜け、
私に新たな狂気をもたらした。机には、キーボードと大きな画面のパソコンが私の目の前で光りを
放っている。
寒いが軽やかな空気が体中にまとわりつき,よく見ればやや光沢を失った茶色の
毛が私を覆っている。ドアをそっと開ける。階段の夜灯が薄暗くともり、下からは何やらゴソゴソ
とした音が微かに聞こえてくる。埃の匂いのする日本間の部屋から四つの青みがかった目が
のそりと出てくる。チャトとハナがこちらをうかがうように立っていた。二人は警戒しながら近寄り、
鼻をうごめかして嗅ぎ寄ってから、お互い敵意のない事を確かめる。チャトは私であることに気付いた
ようであるが、ハナは不思議そうな顔をしてまだ私に見入っていた。四本の足で歩く事に
慣れていない私は、用心深く階段を降りて、リビングに行く。窓からは、満月の光りが射しこみ、
煌々とした青白い光りがフロアーに黒い影を長く隣の仏壇のある部屋まで伸ばしている。
テーブル、テレビ、椅子全てが昼間見ている情景とは違う。凡ての物がが息づいているかのように
私を取り巻いている。「進撃の巨人」の世界だ、訳もわからない考えが噴出し一瞬のたじろぎを覚えた。
夜行時計の緑の針、電話機の白い表示、電子型のカレンダー、机の上に置かれたスマホの青い
画面、様々な光りが様々な色を発して、部屋を彩っていた。
そして、それらがすべて私の上でその電子の色を点滅させており、全てが私に覆いかぶさるように
存在している。これが猫たちの見ている景色なんだ、変な感動を覚え、しばし暗闇の中で立ちつくす。

横にいつの間にか、チャトとハナが立っていた。ハナも私であることが分かったのか、納得顔で、
私を少し開いている窓辺に誘い、外へ行こうとしている。
試しに窓辺まで飛んでみるが、一瞬のうちに、二メートルほどの高さを飛んだ、のだ。
このぶよぶよの身体が空中を舞い、軽業師の如く私は窓辺へ導かれた。
ハナとチャト、と私は満月の光の中、我が家の蒼白く光る庭を通り、柵の間を抜け、隣の家へと
細く長い影を道路に残しながら歩いている。普段、見慣れたさくらんぼの樹が大きな怪物の
ごとく立ちはだかり、静かに流れる風に合わせ、葉の群れがざわめき返す。多くの家は暗闇に
包まれているが、所々で、灯りがともり、さざなみのような音が聞こえてくる。
三人とも、無言でひたすら家々をめぐり、道路を横切り、やがて街の外れにある森に入る。
かさかさという落ち葉の音に合わせ、三人の歩調は一つのリズムとなって木々に吸い込まれていく。
庭、道路、山道、それぞれの感触が素足になった私に気持ちよさを伝えてくる。
先ほどから気になっている口の周りの長い鬚が今までにない感触となって触る草や樹の肌、葉にある
露のそれぞれの波動を伝え、森の息づかいが身体に染み込んでくる。
やがて、ぽっかりと空いた木々の隙間とそこに差し込む月の光りの中に、十数人ほどの猫たちがいた。

チャトが一言、
「今日は猫族の集会ですねん」
私は内心驚いた。チャトや他の猫たちの言葉が分かるのだ。皆のささやきが寄せる高波の
ごとく一挙に私を包み込んでいく。その中で私は言い知れぬ喜びを感じていた。
年老いた猫が一堂を見渡して、何やら喋り始めた。チャトが彼は仙人猫と言って大昔から生きて来た
猫だという。私は一番後ろでこの集会を静かに見守る。
今日は、昨日わしが見た、アノ絵と音の出るテレビと言う箱の話を少ししようか。わしがテレビの
前で寝ていると、そこの夫婦は、結構単純タイプでな、二人とも一緒に、
「凄いなー」「良くやるね!」「賢いねーーー」
と騒いでいるんで、ちと面白うて、同じようにテレビを見たんや、実は、、、、
その話は、他の国のことなんやけど、
「三歳ぐらいの子供が、突然、近くの犬に足をかまれ、倒されている」
「犬は、なおも、しつこく子供の足をかんだまま、引きずろうとしていた」
「そこへ、突然、黒い物体が犬に体当たり」
「その黒い物体は、その子供の飼い猫」
「犬はその猫に、反撃しようとするが、息もつかせぬ猫の攻撃でタジログ」
「やがて、犬は逃げ出すのだが、それを猫は追いかける」
その夫婦は、この画面を見て感激ひとしおや。わしも口を開けたままテレビに釘付けとなってしもうた。
集まった猫たちからは、へー、ホー等感歎の声しきり。
「そいつ、頑張たんやね、えらいおすな」
「私なんか、人や犬が来たら、今でも、足が動かなくなるんや凄いわ」
「私は平和主義ですんで、こんな事せえへんわ」
「俺は、もう脚も動かんし、歳やし、ただ見てるだけやな、お前は少し主人にいい所を見せたらどうや」
長年の仇敵である犬がぼろかすにやられるという話は大いに受けている。
猫の世界も人間も変わらんな、と思う私がいた。
最近よく出てくる韓国と中国のお偉いさんが何かと日本に難癖をつけて国民を悦ばしているのと、
何ら変わる事はない。

朝の冷たさは、和らぎ暖かい日差しが庭を包み込みはじめている。
チャト、ハナはいつものごとく庭で昨夜の余韻を味わうかのようにその光の中にいた。
そして、指定席のリクラインの椅子とソファーに収まっている。
私は、テーブルでほろ苦い味のコーヒーの一杯を口にしている。朝の光がまぶしい。
コーヒーの苦さが口に広がりその味を味わっているが、まだ猫の世界にいる気分でもあった。
集会の興奮を抱えたまま、布団に潜り込んだが、翌朝そのしじまにふと我に返ると、
茶毛は消えて体は元に戻っていた。
あの一瞬の騒ぎも直ぐに収まり、猫たちはそれぞれの想いを持って、それぞれの家に帰って
行った。そして何事もなかったように、日が上り、夜の帳が落ちていく平凡な日々になる。
テレビでは、隣国の船の沈没や海上での威嚇騒ぎ、などなど、遠いが近い出来事を映し出している。
それらを平和と言う光がいつまで照らして行けるのか、まあ、猫族には関係ないかもしれないが、
と思わず口に出したが、チャトがしたり顔で私を見ていた。
「あんさんもまた猫になるかもしれへんで」、目がそう言っている。私はそれもまた楽しみだな
と目で返した。「草枕」の初めの一節が想い起こされた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は
住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと
悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくい
からとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。、、、、、、、、、、。」

2018.01.28

猫になった男その1

先週から我が家に来た野良の親子三人に捧ぐ。
二人の茶トラの仔猫と茶に黒縞のある母猫が我が家の縁の下で過ごし始めた。仔猫は飼っても
良いが、中々に難しそうだ。


猫になった男

彼が猫を飼うようになったのは、ちょっとしたきっかけであった。その日、彼は彼女と別れた。
別れた言うのは、少しかっこの良い響きだが、実際はふられた。特に喧嘩をしたのでもない。
罵られたのでもない。だが、彼女ははっきりと言った。それは群衆を前にあたかも一国の
総裁が自身の進退を世界に明言した強さと明確さを持っていた。「あなたと付き合いきれない。
これからは電話もしないで、もしどこかであったとしても声をかけないで、その目は言葉以上に
彼を拒絶していた。小雨が彼の肩を濡らし、濡れ始めた肩や背中に黒い染みが徐々に
広がっていく。道を行く人もそれに気づくが目を逸らし何もなかったように通り過ぎていく。
髪は雨に濡れそぼり耐えきれなくなった水滴が一つ二つと目がしらに落ちていく。
初めて彼は雨を感じた。天を仰ぎ、その薄墨の空を見上げて我が身の不幸をまた思い起こす。
彼女の顔が一瞬その晴れやな微笑とともに現れるが、首を振りそれを打ち消すように
また歩き出す。

その時、どこか遠い所から弱々しい音が聞こえて来た。立ち止まると一層その音は明瞭となり、
それが猫の声であることを知った。それは店の横の空き箱の方から聞こえて来ていた。
しかし、彼はそのまま行きすぎた。「今の俺に猫を構うほどの余裕はない。どうせ誰かが
捨てたんだろう。捨て猫はごめんだ」。「捨て猫」、その言葉が彼の足を止めた。雨の雫がまた一つ、
彼の鼻をかすめ道路で跳ね上がり、小さな水のお椀を作った。猫の鳴き声はまだ聞こえていた。
空き箱の横の段ボールには二匹の仔猫が此方を見るかのように縮こまり雨に打たれていた。
その四つの眼は彼をじっと見つめ、「助けて」と言っていた。

家に帰ると、先ずは、二匹の仔猫を洗った。薄汚れていた毛並みから綺麗な茶色に縞模様の
姿が風呂場の光の中に浮かび上がった。二匹は、雄と雌だった。「誰が捨てたんだ」「親は
何処へ行ったんだ」、頭の中には、見えぬものへの苛立ちと不満が渦巻き、それが一層二匹に
哀切の情を沸かせた。だが、彼も困惑した。猫を初めて飼うのだ。とりあえず近くのペットショップで
猫の餌と店員に言われた糞尿のための一式を買った。二匹は部屋の片隅でじっと彼の様子を
うかがっているようであった。餌を小分けにして二匹の前に出しても、身寄せ合うような体勢で
じっとしている。それは仲の良い兄弟が美味しそうなおやつを出されても、食べて良いのか
迷っている姿にも似て可愛い。だが、それに安心して食べなさいと言ってくれる母親はいない。
まだ彼らと彼の間には、見えない壁があった。彼は疲れていた。彼女に最後の言葉を突き付けられ、
雨の中を歩きまわった疲れが彼を心地良い眠りの世界へと引き込んでいく。
白色の光が朧の薄橙色に変わり、やがて暗闇に変じていった。彼は夢を見ていた。彼女が白い手を
差し出し、微笑みながら緑に揺れる草原を走っている。甘く切ない香りが黒髪のなびきに合わせて
彼の鼻をくすぐっていく。走っていく草むらからであろうか、カリカリという金属音を含んだ音が
二人を包み、やがてその音に耐えきれなくなった彼女は膝付き、耳を覆って苦しみの表情を見せた。
その音が高まるに連れて彼女の身体は透明になり、緑の中にやがて消えた。

目を開けると二匹の仔猫が盛んにえさ入れに首を入れて食べている。カリカリ、カリカリ、夢の
しがらみは消えていないものの、その音に彼は満足した。
数か月もすると仔猫は猫になった。牝にはハナ、牡にはチャトと名前を付けた。
彼らは捨て猫から人生のパートナーに昇格した。二人は、同じ親から生まれたはずであろうが、
その容姿、行動は全く違った。ハナは茶色の美しい毛を風になびかすかのように部屋中を
駆け巡った。足が長く、顔は全体に頬骨が張っているものの小顔で切れ長で金色の眼が
と細身のしきしまった体が印象的だ。チャトは茶に少し白が混じった毛並みをやや太めに
なりつつある体にまとい、やや動きが緩慢である。鼻の横に白く太い線が通っており、黒目の
強い眼と合わせると学者の趣を見せた。ゆっくりと部屋を歩きまわり、その大きな耳を時折
前後に揺らしながらじっと何かに見入る姿は哲学者の風情でもあった。強いて二人の似ている
処と言えば、その尻尾の長さであろう。長い茶色の尻尾を垂直に立て、ゆらりゆらりと歩く姿は
ともに心の落ち着きを彼に与えた。

彼はそんな二人に夢中になった。「なぜ俺は、あんな訳も分からない女をすきになったんだろう」、
そんな考えが彼を支配し、彼の生活のすべては二人の猫を中心に周りはじめた。
二人は、実に愛らしかった。然もその愛らしさが全く違うということが彼を更に魅了した。
チャトはゆったりと動くだけだが、彼がソファーに座っていると、ソファーに飛び乗り
彼の横に来てじっとその黒目で見上げるのである。そして、頭を膝近く寄せて太ももを
枕代わりにそのまま寝入る。いかにもそれが母親に寄り添い眠りにつく子供の姿を連想させた。
ハナは、お転婆娘そのものだ。彼が帰るとまず、カーテンに飛びつき、窓の端から端へと器用
にわたり、そこでひと鳴きすると、彼の胸に飛び込んでくる。食事の時は彼が食べているものを
あの金色の眼で追いながら、盛んに食べさせろと、要求の鳴き声を張りあげる。彼がそれを
七十、八十センチほどに上げると飛び上がり取って食べ終わると自慢げな顔を彼に見せる。
更には、カーテンに飛びつきあっという間に駆け上がりそのまま反転すると一直線に彼の膝
まで下りてくる。それは小学生の女の子が好きなだけ遊んで自分と自分の家族に「私は何でも
できるのよ」と自慢げに見せる素振りであった。彼女は来てすぐから非常に豊かな表情を見せ、
眼や、口元や、小鼻の運動や、息遣いなどで心持の変化を表す事は、人と少しも変わらなかったし、
その大きな金色の眼はいつも生き生きとよくよく動いて甘える時、いたずらをするとき、どんな時
でも愛くるしさを失わなかった。

チャトは見る間に大きくなっていった。ハナが細くしなやかな鞭のような体つきとなっていったが、
チャトはがっしりとした体に白と茶色の縞が浮き立ち、いかにもその強さを見せつけていた。
だが、実際は、張り子のトラであった。彼の生来の優しさが喧嘩を好まず、たえず穏便に済まそうと
する態度が彼を傷つけた。時折、二人は彼の眼を盗んでは、近くの庭や軒先、時には人の家に
まで入り込むことがあった。彼が休みの日の緩やかな微睡の中にいた時であった。
外で「ニヤオ、ウォ、、、」、猫のやりあうこれが響いた。慌てて彼が外に出ると、チャトよりもやや
小柄な黒猫がチャトに飛び掛かかっていた。黒猫の右足がチャトの顔面をとらえ、後ろに引いた
チャトを両足で殴りつける。チャトは驚きの表情を隠せず、ただただ黒猫の成すがままに転がされ、
耳を噛まれ、ぼこぼこにされていた。彼が脅かすと、黒猫はぱっとチャトから離れ、悠然と去って行った。
「チャト、大丈夫か」と声をかけると初めて彼に気づいたようで、彼の足元にすり寄ってきた。
何度となくすり寄りながら悲しそうにあの大きな黒目で彼を見上げて小さな声で「ニヤオ」と鳴いた。
彼には、「負けて悔しい。またやられたの」と聞こえた。黒猫とはすでに数回、渡り合っているが、
一度も勝ったことはなかった。彼はチャトを抱き上げ、その悲しみを和らげようとしたが、チャトは
目を伏せ何度も彼の頬にその顔をこすりつけた。それはちょうど小さな子どもが喧嘩で負けて
涙をこらえて親にその憤懣やるかたない気持ちをなんとかしてわかってもらおうとしているように
訴えかけているように思えた。その日は、チャトは彼の傍から離れず、膝の上でただただ目を伏せ
自分に起きた悪夢から逃れ、親に甘えている姿であった。
彼は、ハナとは違うチャトへの愛情が一層増すのを感じた。身体は大きいが、優しさ溢れるチャト、
長い毛を優雅になびかせ大きな金色の眼で魅了するハナ、二人はそのままに歳月を重ねて
彼と二人の生活は家族以上の親密さと楽しさを醸し出していった。
彼の生活は充実していた。家に帰れば二人が、ハナは彼に飛びつき、チャトはのっそりと寄って
きて彼の横でそのまま張り付いたように動かない、言葉にはならない態度や表情で出迎えてくれるのだ。

続く

2017.08.07

2017年8月7日午前2時、ナナ永眠す

ナナ、2017年8月7日午前2時永眠す。
ナナ、あなたは静かに次の世界へ行けましたか。
あなたの望んだ我が家への転生は出来ましたか。
まだ行き先が分からないって、そう、四十九日立たないと分かりませんね。
あなたとともに過ごした19年、我が家も変わっていきました。

あなたを拾ってきた息子もすでに30代半ばとなり、彼女を見つけ、結婚し、
だが、いまだ子供はいません。上の兄たちもすでにナナを忘れたごとく
遠くで生活をしています。主人もママもすでに老いた身を引きずり、残る
人生を味わっています。1階の部屋にあなたと犬のグンの2人の写真が
飾ってありますね。まだよちよち歩きのあなたを後ろから鼻で押すように
あなたを支えているグンとの何とも言えない情景が今も主人とママに
笑いをもたらします。そのグンもまた隣の写真に写っているトトも
すでに他界しました。つぶらな瞳でグンとトトを見る眼がいじらしいですね。
少し成長すると、カーテンに飛びつきよじ登って、ガラス戸からガラス戸へと
軽々と飛び渡っていた姿が可愛かった。

あなたも2017年8月7日に肉体は死にました。既にあの銀色に艶やかな
輝きを見せていた毛並みはごわごわの安物の毛糸の如き様相でした。
でも顔は静かな微笑さえ感じられましたね。
やがて、主人、ママも同じような姿になるでしょう。人も猫もその肉体は
無限ではありません。でも、心は違うのでしょう。今の人はそんなことは
有り得ないというかもしれませんが、だれもそれを明確にした人はいません。
単なる浅智慧の近代科学の教えを盲目的に信じているだけで、近世の人々が
信じた来世の存在を無視しているからです。
眼を閉じ、すでに肉体の活動はとまったかもしれないが、それは夢を見ているときの
ナナと同じなのかもしれない。

夢の中では一メートル以上の塀に飛び移るナナがいた。煌めく光にその薄茶色の
艶やかな毛をなびかせるナナがいた。あの緑がかった目に呆然とする隣街のタマの
「綺麗やわ」という言葉にうっとりするナナがいた。さらには、チャトや我が家の
猫たちを従え、近所を歩き回るナナがいた。
これ等がたえず、彼女の夢を支配し、生きることの素晴らしさを全身に感じているのだ。

主人はその安らいだナナの死に顔を見ていると
谷川俊太郎のあの詩がわいてきた。「生きる」である。
生と死の間を行きかう想いがこの二つの言葉と詩の間を行きかう。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

それは、今の主人とママをも表している。死に近づくものにとっても
「生きる」ということは、、、、

今、彼女は、小さな骨壺となって庭の梅の木の下にその肉体は埋まっています。
横には、グンとチャトの墓が並んでいます。我が家も年とともに、寂しくなっていきますね。Dscf0004


2016.02.25

猫への想いその1

我が家には、現在は、4人足す外猫1人の5人の猫族が居る。
昨年まではチャトというよくできた猫?がいて6人ではあったが、今その猫族との
生活を小説にしている。17年の彼らとの共生の日々を綴った。
トト、エミ?と外猫の太郎、そして、息子のところに行ったソルの10人以上が、
我が家に去来して来た。ナナ、ライ、レト、ハナコ、外猫ジュニアが現在の猫族
である。すでにチャトとノロも転生した。

我が家は、すべて、野良猫であり、血統書や商売として飼育された猫を飼う気は
全くない。
よく、息子達に親父は何故、そんなに、猫に優しいのと、問われる。
会社人間的に、動物には全くの興味がないのでは、当然思われていたのであろう。
そうかもしれない。個人的に猫が特に可愛い訳ではない。可愛さよりも、私の場合は、
人生苦楽を共有しているパートナーかもしれない。彼ら野良猫族にには、大いなる
共感がある。ある時、突然、生を与えられ、打ち捨てられた運命。
そして、自身の腹を満たすために、行動を起こさねばないと言う現実とその様な苦難
を乗り越えて、なお、生きるという意志の強さが、私には、大いなる共感と
なっている。

チャトを病院の駐車場で拾った時の彼の必死の顔とその姿は、今でも忘れられない。
また、ハナコがノロの後を付いて、庭で遠くから心配そうにこちらを見ていた時
のなんとも言えない寂しい姿と必死で食べるノロを羨ましく見る姿もまた、鮮烈な
記憶である。
ナナがまだ生まれたてで、目も開かず、排便のためお尻を刺激する必要がある
と知ったのも、この時である。更に、道路の真ん中で、「どうぞ轢き殺して下さい」
と言わんばかりに、箱の中で、捨てられていたライとレト。いずれも、人間の
傲慢さが、その悲劇を起こしている。

しかし、猫達も野良から飼い猫になるには、かなりの真剣な判断が求められる。
飼い主の選び方1つで、自身の生命に関わることになるのであるから。
安易な判断は、己の命と引き換えになるのだ。
また、ある動物学者の方に言わせると、犬はあくまでも、絶対的な主従関係だが、
猫と人間の場合は、擬似親子関係に近いとのこと。確かに、ナナ、チャト、レト、
ライ、ハナコの行動を見ていると納得できるところもある。また猫は独立心が強い
ので、人には中々、馴染まないという話も聞く。しかし、猫とて人間と変わらない。
皆どこか頼る気持ちが強いようだ。我が家の猫族を毎日見ていると、そう思う。
我が家の猫族もハナコを除き、全員が13歳以上であり、人間社会と同じく、
高齢化している。

高齢化問題は、我が夫婦とともに、既に、チャトは腎不全と言う病気で私より
早く転生した。飼い主と同じ病気とは、不思議なものだ。
猫族の存在は、ペットによる癒し効果はあるのだろうが、我が家では、ペット
以前に、家族の一員になっており、これからは、現在の夫婦と5人の猫族が
何時、人生の終着となるかが大きな関心事かもしれない。我が人生以上の苦難
の体験者、その共有者として、猫族との付き合いはあと、どの位続くのであろう。

猫族との付き合いの日々を「5人の猫と平凡な夫婦の話」
http://ameblo.jp/kokusan-bgsien/ のブログに書いている。
それも、すでにまる4年以上となった。

そして、これらの猫たちとの付き合いなどから結構、猫の好きな小説家が
多いことも知った。
少し、参考になりそうな文を見てもらうと面白いのではないだろうか。

1.吾輩は猫である」から
この夏目漱石の本、名前はご存知と思うが、かなりの長文で、内容は散漫だ。
これは、さーと流して読むのが好ましい。
しかし、吾輩が言っている内容が面白い。

「元来人間が何ぞと言うと猫猫と、こともなげに軽侮の口調をもって吾輩を
評価する癖があるは甚だよくない。人間の糟から牛と馬が出来て、牛と馬の
糞から猫が製造された如く考えるのは、自分の無知に心付かんで高慢な
顔をする教師などには有り勝ちな事でもあろうが、はたから見て余りみっとも
いいものじゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便に出来ぬ。よそ目には、
一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、
猫社会に這入ってみると中々複雑なもので十人十色という人間の言葉は
そのままに応用ができるのである。

目付きでも、鼻付きでも、毛並みでも、足並みでも、皆違う。鬚の貼り具合
から耳のたち按配、しっぽの垂れ加減に至るまで同じものは1つもない。
器量、不器量、好き嫌い粋無粋の数を尽くして千差万別と言っても
差し支えない位である。そのように判然たる区別が存しているにも
関わらず、人間の目は、只向上とか何とかいって、空ばかり見ている
ものだから、吾等の性質は無論相貌の末を識別する事すら出来きぬのは
気の毒だ」。

確かに、その通り、我が家の10数人の猫との付き合いでもそう思う。

また、以下の文のように見られているかもしれない。
「人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、
浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰労を求めつつあるのか、
ちっとも分からない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交じりたいのか、
下らぬことに癇癪をおこしているのか、物外に超然としているだかさっぱり
見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ
寝る。怒る時は一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などと言う
無用なものは決してつけない。、、、、

吾等猫族に至ると行住坐臥、行し送尿悉く真正の日記であるから別段そんな面倒な
手数をして、己の真面目を保存するには及ばぬと思う。、、、、
人間の日記の本色はこういう辺に存するかも知れない。
  先達ては、朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから止めてみたが、、、、、
  これからは毎晩二三杯づつ飲むことにしよう。
これも決して長く続くことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく
変化している。何をやっても永続のしない男である。その上日記の上で胃病を
こんなに心配している癖に、表向きは大いに痩せ我慢するから可笑しい」。

また、このように人間を見てもいる。

「人間は、服装で持っているのだ。18世紀の頃大英帝国バスの温泉場でボー
ナッシュが厳重な規制を制定した時などは浴場内で男女とも肩から足まで
着物で隠したくらいである。今を去ること60年前これも大英帝国のさる都で
図案学校を設立したことがある。図案学校のことであるから、裸体画、裸体像
の模写、模型を買い込んで、此処彼処に陳列したのは良かったが、いざ開校式
をする段になって当局者を初め職員が大困惑をしたことがある。開校式を
やるとすれば、市の淑女を招待せねばならん、ところが当時の貴婦人方の
考えによると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないかと
思っていた。人間として着物をつけないのは、像の鼻なきが如く、学校の
生徒なきが如く、兵隊の勇気がなきが如く全くその本体を失している。

いやしくも、本体を失している以上は人間として通用しない、獣類である。、、
例の獣類の人間に悉く着物を着せた。かようにして、漸くの事、滞りなく
式を済ませたという話がある。その位衣服は人間にとって大切なものである。
人間が衣服か、衣服が人間かと言う位重要な条件である。人間の歴史は
肉の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したい位である。
だから衣服を着けない人間をみると人間らしい感じがしない。まるで化け物に
邂逅した様だ。化け物でも全体が申し合わせて化け物になれば、所謂化け物は
消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大いに困惑する事に
なるばかりだ。その昔自然は人間を平等なるものに製造して世の中に放り出した。
だからどんな人間でも生まれるときには必ず赤裸である。もし人間の本性が
平等に安んじるものならば、よろしくこの赤裸のままで成長して然るべきであろう。

然るに赤裸の1人が言うには、こう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。
骨をおった結果が見えぬ。どうかして、おれは俺だ誰が見ても俺だと言う所が
目につく様にしたい。それについては何か人が見てあっと魂げるものを身体に
つけてみたい。なにか工夫はあるまいかと10年間暫く猿股を発明してすぐ様
これを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが
今日の車夫の先祖である。、、、、猿股期、羽織期の後に来るのが袴期である。
その由来を衒い、新を争って、ついには燕の尾をかたどった奇形まで出現した
が、強いてその由来を案ずると、何も無理やりに、出鱈目に、偶然に、漫然に
持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の疑って様々
の新型となったもので、俺は手前じゃないぞと振れて歩く代わりに被って
いるのである」。

2.「猫と正造」より
谷崎潤一郎もかなりの猫好きであったという。
この本の描写からもそれがよくわかる。

「差し向かいになると、呼びもしないのに自分の方から膝に乗って来て、
お世辞を使った。彼女はよく、額を正造の顔に当てて、頭ぐるみぐいぐいと
押して来た。そうしながら、あのザラザラした舌の先で、頬だの、顎だの、鼻の頭
だの、所構わず舐めまわした。そういえば、猫は2人きりになると接吻したり、
顔を摺り寄せたり、全く人間と同じ様な仕方で愛情を示すものだ。
また、夜は必ず正造の傍に寝て、朝になると起こしてくれたが、それも顔中を
舐めて起こすのである。寒い時分には、掛け布団の襟をくぐって、枕の方から
潜り込んできたり、布団をもくもくとあげてビロードのような柔らかい
毛を足下から入れてくるのであったが、寝勝手のよい隙間を見出すまでは、
懐の中に這い入ってみたり、またぐらの方に入ってみたり、背中の方に回って
みたりして、ようようある場所に落ち着いても、具合が悪いと又直ぐ姿勢や
位置を変えた。

結局彼女は、正造の腕へ頭を乗せ、胸の辺りに顔を着けて、向かい合って寝る
のが一番都合が良いらしかったが、もし正造が少しでも身動きをすると、勝手が
違ってくると見えて、その都度身体をもぐもぐさせたり、又別の隙間を
探したりした。
だから正造は、彼女に這い入って来られると、一方の腕を枕に貸してやった
まま、なるべく身体を動かさないように行儀よく寝ていなければならなかった。
そんな場合に、彼はもう一方の手で、猫の一番喜ぶ場所、あの顎の部分を撫でて
やると、直ぐにリリーはゴロゴロと言い出した。そして彼の指に噛み付いたり、
爪で引っ掻いたり涎を垂らしたりしたが、それは彼女が興奮した時のしぐさなの
であった」。

我が家では、ナナとわが奥さんの関係がこの描写である。生まれてすぐに妻の
世話を受けたからであろうか、他の猫よりも、妻を母親と思っているようだ。
さらに、ここ数年は、ナナの衰えが目につくようになった。

「ここ2、3年めっきり歳を取り出して、身体のこなしや、目の表情や、毛の
色艶などに老衰のさまがありありと見えていたのである。全く、それもそのはずで、
正造が彼女をリヤカーに乗せて此処へ連れてきたときは、彼自身がまだ二十歳の
青年だったのに、もう来年は三十に手が届くのである。まして、猫の寿命から
いえば、10年という歳月は多分人間の五六十年に当たるであろう。
それを思えば、もうひと頃の元気がないのも道理であるとは言うものの、カーテン
の天辺に登っていって綱渡りのような軽業をした仔猫の動作が、つい昨日の事の
ように眼に残っている正造は、腰のあたりがげっそりと痩せて、俯き加減に首
をチョコチョコ振りながら歩く今日この頃のリリーを見ると諸行無常の理を手近に
示された心地がして、いうに言われず悲しくなって来るのであった。

彼女がいかに衰えたかをと言う事を証明する事実はいくらでもあるが、たとえば
跳び上がり方が下手になったのもその一つの例なのである。仔猫の時分には、
実際正造の身の丈ぐらいまでは鮮やかに跳んで、過たずに餌を捉えた。
また必ずしも食事の時に限らないで、いつ、どんな物を見せびらかしても、直ぐに
跳び上がった。ところが歳を取るに度に跳び上がる回数が少なくなり、高さが低く
なって行っても、もう近頃では、空腹な時に何か食物を見せられると、それが
自分の好物であるか否かを確かめた上で、始めて跳び上がるのであるが、
それでも頭上一尺ぐらいの低さにしなければ駄目なのである。、、、、、、

それだけの気力がないときは、ただ食べたそうに鼻をヒクヒクさせながら、
あの特有の哀れっぽい眼で彼の顔を見上げるのである。「もし、どうか私を可哀相
だと思ってください。実はお腹がたまらないほど減っているので、あの餌に
跳び付きたいのですが、何を言うにもこの歳になって、とても昔のような
マネは出来なくなりました。
もし、お願いです。そんな罪なことをしないで、早くあれを投げて下さい。」と、
主人の弱気な性質をすっかり飲み込んでいるかのように、眼に物をいわせて訴える
のだが、品子が悲しそうな眼つきをしてもそんなに胸を打たれないのに、どういう
ものかリリーの眼つきには不思議な傷ましさを覚えるのであった。
仔猫の時にはあんなに快活に、愛くるしかった彼女の眼がいつからそう言う
悲しげな色を浮かべるようになったかと言うと、それがやっぱりあの初産の時
からなのである。、、、、

あの時から彼女の眼差しに哀愁の影が宿り始めて、そののち老衰が加わるほど
だんだん濃くなって来たのである。それで正造は、時々リリーの眼を見つめながら
利巧だといっても小さい獣に過ぎないものが、どうしてこんなに意味ありげな
眼をしているのか、何かほんとうに悲しい事を考えているのだろうかと、思う
折があった。前に飼っていた三毛だのクロだのは、もっと馬鹿だったせい
かもしれぬが、こんな悲しい眼をしたことは一度もない。そうかといって、
リリーは格別陰鬱な性質だというのでもない。幼い頃は至ってお転婆だったのだし、
親猫になってからだって、相当に喧嘩も強かったし、活発に暴れる方であった。
ただ正造に甘えかかったり、退屈そうな顔をして日向ぼっこなどをしているときに、
その眼が深い憂いに充ちて、涙さえ浮かめているかのように、潤いを帯びてくる
ことがあった。

尤も、それも、その時分にはなまめかしさの感じのほうが強かったのだが、
年を取るに従って、ぱっちりしていた瞳も曇り、眼の縁には目やにがが溜まって、
見るもとげとげしい、露わな哀愁を示す様になったのである。
で、これは事によると、彼女の本来の眼つきではなくて、その生い立ちや環境の
空気が感化を与えたのかもしれない、人間だって苦労すると顔や性質が変わる
のだから、猫でもそのくらいのことがないとは言えぬ、
と、そう考えると尚更正造はリリーに済まない気がするのである」。

ナナも昔は艶があり白く輝くような立ち姿であったのが、その薄い茶色の毛並は
艶を失い、華奢で優雅な物腰であったのも、遠く過去の思い出になりつつある。
さすがにリリーとは違い、その強気の一面は今も健在で、食事にしても、
高貴な人のごとき態度で、私と妻に要求をしてくる。

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